ヒヨル そのほかのはなし 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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ペイパーウェイトとして売られていたのを買ってもらった透明な地球が気に入っている。緯線と経線がきれいに地球を分割し、その上にざがざがの磨りガラスの触感で国が並んでいる。南極の部分が平たくなっていて机にすわり、宇宙に浮かばなければ丸くもないガラスの地球。ロシアの殺し屋おそろしやー、と独り言をつぶやいて、北半球にだらりと広がるユーラシアの、その上半分まん中あたりをつついた。ぴったりときれいに机に安定した地球はその指先を受けとめる。マントルのさらに中央にちいさく気泡が残ってきらめいていた。いのちのない星に沸き立つ、音も熱もない静かなマグマ。アラームがプリーズドンセイユーアーレイジー!と歌いはじめたので、目金は地球を持ち上げてぽけっとに滑り込ませた。持ち重りばかりがどことなくさびしい。今のぼくのぽけっとは宇宙だ、と思った。
休日の昼間に外に出るのはあまりこのもしくないと目金は思っている。人混みは元からきらいだし、休みの日には外に出るというその行為自体が健康的すぎる、と思う。指先で地球をぽけっとの宇宙に沿わすように転がしながら、iPodのイヤホンに意識を集中させる。せめてもこの人混みに馴染んでしまわないように。駅前では少林寺が車止めにすわって、退屈そうに足をぶらぶらさせながら待っていた。麻編みのぺたんこ靴は履き込んでいい色になっている。目金の姿を認めると、身軽にそこから飛び降りて寄ってくる。こんにちは。早いですね。普通です。少林寺はあかいメッセンジャーバッグを探り、これおみやげです、と目金のてのひらに夕張メロンキャラメルを乗せた。北海道?スープカレーたべてきましたと少林寺がにっとわらう。
質実剛健を旨にしている少林寺の一家は家族揃って食い道楽らしく、肉っ気をこのまない少林寺を連れてあちこちにうまいものをたべに行く小旅行をよくするらしい。医食同源ですから。函館と札幌を二泊三日で周り、海鮮や名物を片っぱしからたべておととい帰ってきたという少林寺は、並んで公園のベンチにすわりながら言った。食は大事なんです。隠元隆畸だってそう言ってます。突然日本黄檗宗開祖の名前を出されて目金はぎょっとする。そんな大げさなはなしになるんですか。だって先輩すききらい多いじゃん。あなただって肉たべないでしょ。雲水が肉食するわけないじゃないですか。いやいやあなた雲水じゃないから。あそおかー。少林寺はまた足をぶらぶらさせた。目金は手の中の夕張メロンキャラメルの箱をかたかたと鳴らす。包装ビニルがところどころこすられて濁っていた。
先輩メロン大丈夫?え。目金は顔をあげて、少林寺が心配そうにこちらを見ているのに気づいてあわてて首を振った。大丈夫。すきです。よかった。安堵してわらう少林寺の顔を見て目金もわらい、ぽけっとに箱を押し込もうとした。ん。なにかが支えてうまく入らない。手を入れて中身を取り出すと、出がけに入れてきたペイパーウェイトが出てきた。わーきれい。少林寺が目を輝かせて手元を覗き込む。それなんですか。あー。目金はそれを少林寺に手渡した。少林寺は地球を両手でくくむように持って、じっと眺めていた。日本。そうっと手の中で転がして、少林寺はわらった。中国。湖南省。湖北省。四川省。貴州省。重慶。よく知ってますね。少林寺は目金を見て、うれしそうにわらった。おれの産まれたとこです。重慶。これで見ると近くてびっくりする。少林寺はそれを陽に透かした。地球ってきれい、と、静かにつぶやいて。
衝動が。その幸福な横顔に、言葉にならない衝動が駆けた。気づいたら目金はそのてのひらからペイパーウェイトをもぎ取り、ふりかぶって思いきり投げ放っていた。あっ。少林寺がからだをこわばらせる。地球はきらきらひかりながら彗星みたいに流れて、すこし離れた噴水に沈んだ。とぽん、という水音に我に返り、目金ははっと少林寺を見た。あの。ベンチから身を乗り出した少林寺が、そこからするりと立ち上がって駆け出す。あ、少林寺くん。目金は慌ててあとを追う。覗き込んだ水面にはまだ波紋が残っていて、並んだふたりの顔を歪めてふやかした。かばんと靴を剥き捨てて噴水のへりに立ち、止める間もなく少林寺は噴水に飛び込む。驚いたことに目金もまたそのあとを追っていた。膝までを水に濡らしてもなお、なにが起きたかわからなかった。
水を足でかき分けて、両腕のほとんどを水にひたして水底を探っている少林寺に目金は近づいていく。やめてください、と、言おうとしたとたんに少林寺は立ち上がった。手にはペイパーウェイト。地球は水と藻をまとわせて、本物のそれみたいにあおく空を透かしている。呆然と立ち尽くす目金の額を、少林寺は思いきり叩いた。びしゃ、とかん高い音がして、水滴が割られたすいかみたいに飛び散る。髪も腕も服もずぶずぶに濡らして、それでも少林寺はわらうのだ。目金が捨ててしまったものを宝物みたいに拾い集め、目金が気づくのを待っている。目金は叩かれた額を押さえた。だらりと濡れたそこからぬるい水が顔をまっすぐに落ちていく。重力に引かれて生きるいきもの。宇宙のような少林寺のてのひら。
先輩はさ。カットソーの濡れていない部分できれいにペイパーウェイトを拭いながら少林寺は言う。すききらい多いし、たべものじゃなくてもきらいなもの、たくさんあるでしょ。レンズに降りた水滴が視界を歪める。だから、すきなものは大事にしなきゃだめだよ。すきなんだから。目金の胸元にぐいと地球を押しつけて、少林寺はまじめくさって言った。大事にしなきゃ逃げるんですよ。目金はまばたきをした。胸に寄せられた少林寺のてのひらに、そっと両手で触れながら。目金が産まれた日本。少林寺が産まれた中国。人間が産まれた地球。地球が産まれた宇宙。目金はうつむく。葦のように。先輩?少林寺がそっと問いかけた。いたいの?
少林寺の指の中でペイパーウェイトはひび割れていた。原始の裂け目ギヌングァガァプより噴き出す、どろりとやわらかなせつなさ。ついさっきまで確かに目金のぽけっとの中にあった宇宙は、今はそこからは失われた。でも消えたわけではない。ここにある。ふたりのいる世界が宇宙だ。なにもなくても。なにもなくてもここにある。少林寺のてのひらのなかで、ひび割れた地球はちかり、とひかった。まるで最初で最後の夜明け。いたくないよ。目金はしずかに言った。ありがとう。呼んでくれてありがとう。







呼応する窓
目金と少林寺。
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甘栗を。不意に頭上から落ちてきた声に少林寺は顔をあげた。そこには豪炎寺が仁王立ちになっていて、ずいと少林寺に向けてなにかをつき出す。むいちゃいました。は。少林寺はつき出された甘栗むいちゃいましたのパッケージを見て、真顔の豪炎寺を見て、一度あたりを見回してから、おののくようにわずかにからだを引いた。はあ。あからさまに怪訝な顔をしている少林寺を無視して、あかい文字がパッケージの上で踊っているそれを豪炎寺は開く。あげよう。はあ。あ、どうも。甘栗はすきか。そこでようやく豪炎寺は少林寺にたずねた。少林寺はぽかんと口をまるく開き、そして慌ててあたまをかくかくと頷かせた。えと、すきです。あまいし。そうか。豪炎寺がにこりともせずにパッケージを傾け、そこに急いで少林寺は手を差し出した。勢いよく傾けられたパッケージからは、むかれちゃいました甘栗がざざざざっと落ちてきて、少林寺は大急ぎでシャーペンを握っていたもう片手もそこに添える。
中身を全部少林寺のてのひらに開けて、豪炎寺は満足そうにひとつ頷いた。あげよう。ええと。少林寺は首をかしげた。先輩はいらないんですか。豪炎寺は空っぽのパッケージを見て、ああ、と言った。じゃあひとつもらう。そう言ってまるで悪気なく、こんもりと甘栗が山になった少林寺のてのひらからそれを三つほどさらった。うまいぞ。はあ。あーと、ありがとうございます。両手を甘栗でふさがれたまま、少林寺はかろうじて顔に笑みを浮かべる。こいつまじでばかだな、と、心の中では完全にそのことに感嘆しながら。豪炎寺は奥歯で甘栗をきしきしと噛みながら、おまえはなんでくわないんだ、みたいな顔でじっと少林寺を見ている。そのうちにはたとなにかに気づいたのか、畳まれたままの錆び付いたパイプ椅子を引きずってきた。それにどしりと腰かけ、遠慮するな、などと言う。もう嫌だ。少林寺は胸の中につかえたあれやそれやをゆーっくりと吐き出した。はやく帰れギザ眉。
その。いい加減いらついた少林寺が甘栗をぶつけて逃げて帰ろうか、などと気短なことを考えた、そのすき間に豪炎寺の声がすべりこむ。怪我を、な。させてしまったろう。え。少林寺はすこし考えて、ああと思い至った。確かにすこし前に接触して吹き飛ばされたが、さしてひどい怪我もしなかった。しかももう三日も前のはなしだ。遅くね?と内心思いつつ、少林寺は首を横に振った。大したことなかったですよ。でも、いたかったろう。豪炎寺はちょっと迷うように言って、すまなかった、とあたまを下げた。後輩に怪我をさせてしまって。あと、謝るのが遅くなって。後者に関しては全くだと思ったが、少林寺はまた首を振る。謝らないでください。サッカーだから、怪我はしょうがないです。
豪炎寺はその言葉にすこしだけわらって、そっと少林寺のあたまに片手を置いた。おまえはやさしいな。いい後輩だな。あ、そうですか。おまえみたいなやさしい子にひどいことをしてしまった。いや、だから別に。ごめんな夕香。誰!?おれもがんばるから、おまえもがんばるんだ。いいな。ええええと。あの、豪炎寺さん?おまえはきっとこれから伸びるぞ。おれが保証する。いやあの。だからしっかり食べてしっかり寝て、はやく大きくなるんだぞ。このばかはやく帰らねーかな、と思いながら、少林寺は黙ってぐりぐりと撫でられる。豪炎寺はひとしきり少林寺を撫で回したあと、うん、と頷いた。どうやら一方的に満足したらしい。じゃあおれはそろそろ帰るよ、と豪炎寺は錆びだらけのパイプ椅子をたたんで、ついでに指もはさんだ。少林寺はさめた目でそれを眺め、邪魔が入ったおかげで全く進んでいない部誌のことばかり考えていた。
出がけに豪炎寺は出入り口で振り向いて、楽しかった、と言った。久しぶりに後輩とたくさんしゃべって、楽しかった。ありがとう、少林寺。少林寺はぱっと椅子から立ち上がる。先輩、気をつけて。豪炎寺はそっとわらって手を振り、部室の扉を閉めようとしてまた指をはさんだ。その姿を見送り、なぜかどっと疲れたからだを椅子に沈めて少林寺はため息をつく。わるいひとじゃないけど、なんかいいひとっぽいけど、でも。あいつ意味わかんねー、と、ふとひとりごとがこぼれ、それが部室にまるく反響して少林寺は疲れた顔でわらった。さてとシャーペンを握る。結局甘栗は全部豪炎寺がひとりで食べて帰った。あいつどんだけ甘栗すきなんだよ。っていうか結局なにがしたかったんだよ。






天津甘栗略
豪炎寺と少林寺。
あんまり書かないひとを書きたかった感じです。うちの豪炎寺あほすぎて引く。
松野は高校を卒業すると同時に稲妻町で就職を決めた。毎日精密機械相手に、しろい防護服を着て顕微鏡をのぞいている。座っているだけで肩こりばかり蓄積する単純作業。その代わり金はおもしろいように貯まった。同期は金髪をプリンにしたぶさいくな女やら、いかにもあたまのわるそうなピアスだらけの男やら、早い話が最底辺の高校から最底辺の連中ばかりが集まっていた。松野とおなじく稲妻町で就職をした半田は、今は特別介護老人ホームで車椅子を猛スピードで押しまくっている。じいばあがびびって寿命縮まるかと思ったんだけど。以前ガストでめしを食ったときに半田はあきれ果てたように言った。あいつら喜びやがんの。死ぬ気配ゼロだよ、ゼロ。ぎゃはははときたなく半田をわらい飛ばしながら、松野はそのときだけ妙に生きている実感をする。乾ききったつまらない日々。顕微鏡の中でひかる、なにに使われるかもわからない機械たち。
かつて共にひとつのボールを追いかけたメンバーは中学卒業でばらばらになり、そのうちの大半は高校を出ると稲妻町からも去った。大学進学をしなかった数人は、今でも月に何度か集まって飲んだり麻雀をしたりする。しかしやはり、残りのメンバーとは疎遠になった。言われなければ顔すら思い出さないほどに。円堂みたいに旅にでりゃよかったな。ソファにふんぞり返る松野のむこうずねを半田がかるく蹴飛ばす。ねーよ。つか円堂があほなんだよ。円堂はせっかく決まっていた就職先を蹴って、稲妻町を捨てて旅に出た。どんな理由でなにを考えているのか、まったく理解ができないまま三年が経つ。八月のあたまに富士山の頂上の消印がついたはがきが届き、それには円堂の手形がはみ出しながら押されてあった。生きていることは生きているらしい。そういえば影野も帰ってきてるなと半田がジンジャーエールをすすりながらにやにやわらって言った。
影野は相変わらず陰鬱な顔をして、そのわりに中学時代に一身に背負っていたなにか重たいものを全部置いてきたみたいだった。どこかからりとした気配に、松野はその肩にグーパンをかます。よおバカゲノ。久しぶり。影野は一発を甘んじて受け、そしてそっとわらった。なんか雰囲気変わったな。女できた?さあねと影野はすずしい顔で松野の言葉を受け流す。半田から影野が帰っているという話を聞いたその日に、電話をして飲みの約束を取り付けた。松野は飲むのはすきだが酒はあまり強くない。最後にサッカー部で集まって飲んだときには、ひどく悪酔いして吐き散らかし、おまけにブツを染岡に引っかけたりして大顰蹙を買った。もっともそんなことを気にする松野ではないので、今日は大丈夫かと控えめに聞いてくる影野のひざのうしろを蹴飛ばして、さっさと居酒屋に入っていった。
しんしんに凍った生のジョッキを合わせて煽り、テーブルに置いたとき影野の方がだいぶ減っていたので松野は再度ジョッキを持ち上げる。無理するなよ。影野は日焼けひとつしていないしろい顔の下半分をわらわせた。うっとうしい前髪は相変わらずで、松野はげんこつで影野の額をこづく。仕事は。明日休み。頑張ってるんだ。車買いてーんだわ。舌の上の炭酸を胃に追い落とし、松野はながいげっぷをした。きたないな。影野は苦笑する。ひひひと歯を見せて松野もわらい、まあ飲めよとよれよれのリストバンドの腕でジョッキを押しやった。元気。おー。そう。おまえは。元気。相変わらず目金と遊んでんの。まあね。影野はやわらかくわらい、やっぱり変わったなと松野は思った。ジョッキを干す影野の指はしろくほそく荒れている。アルコールでの手洗いが欠かせない松野の手とおなじくらい、荒れている。
大学たのしー。普通。影野は二杯目のジョッキに口をつけてぼそりと言った。かしこいやつばっかりだよ。げーと松野は露骨に顔をしかめる。なんで大学なんか行くんだよ。勉強なんかつまんねーだろ。影野はすこし考えるようにして、そりゃ、と言った。選択肢は多い方がいいだろ。その考え方がまず意味わかんねーんだよ、ぼけ。一瞬あっけにとられたような顔をした影野は、次の瞬間には心底おかしそうにくつくつとからだを揺らしてわらう。そうだな。松野はそれで生きてるんだもんな、と手の甲でまぶたをぬぐった。松野はいいやつだよ。今さらなに言ってんだよ。中学校んときからずっと、おれはいいやつだろ。影野はうんうんとゆるく数度頷き、次なに飲む、とメニューを手に取った。
松野はジョッキを傾けながら、ちょっと目を細めた。影野はうしろを向いたりうつむいたりしながら、気づけばずっと前でぼんやりたたずんでいる。なんにも知らない、なんにも見えないみたいに。そんな風なのに前にはしっかりと進んでいく。つまづいたりそれたりしながら、それでも影野はどんどんどんどん歩いていって、どんどんどんどんもとの場所から遠ざかってゆく。松野はそれが怖いのだった。今まで立っていたその場所を、自らの意思で捨てることがどうしてもできないのだった。よれよれのリストバンドの下には、今でもあの頃マネージャーが編んでくれたミサンガが巻きついている。誰にも見せない松野の弱み。みんないなくなるこの場所に、立っている意味なんてもうきっとないのに。
松野。酩酊しかけた脳に、影野の声が吹き抜ける。まだ待ってるの。松野はへらっとわらってジョッキをぐっと飲み干した。待ってるよ。わりーけどずっと待っててやるよ。影野は困ったようにわらい、このホッケうまいよ、と皿を押しやった。焦げだらけの身を箸でぐずぐずにつつきながら、松野の指は影野のそれをしっかりとつかむ。ずっとずっと待ってるんだから。めしくらい食わせてやるから。おまえこの町に帰ってくればいいのに。この町でじじいになってこの町で死ねばいいのに。






おれこげだらけ!
松野と影野。未来パラレル。
顔どうしたの、と木野が首をかしげながら、冬海のまばらに髭のはえたほほをあかくよぎる擦り傷に触れた。なんでもありませんよ。木野の髪の毛に指を差し込みながら冬海はぼつりと言う。木野は一瞬疑うような目をして、それから冬海のあたまを自分の素肌の胸にそっと抱き寄せた。きめの細かいすべらかなひふに額を押しつけながら、冬海は眠るようにゆっくりとまばたきをする。しろいそこに歯を立てると木野が息を飲んだ。先生、髭ちゃんと剃ってってば。そうですね、と形ばかり返事をしながら、冬海の意識は半ば心地よさに浸って眠ろうとしている。木野のからだからはよい香りがする。他の誰がしかの痕跡を、木野は絶対に残してはおかない。狡猾で利発なうつくしい少女。冬海はぐらりと木野を引いて横たわった。嫌なことは眠って忘れる。傍らに木野を横たえて、そうでないと最近はよく眠れない。
土門が冬海を殴ったり蹴ったりするのは、まぁ腹いせだろうな、と思う。思いを寄せる少女がこんな小汚い中年と寝ていると知ったら、それは腹だって立つだろう。だけど土門の怒りはお門違いだ。木野は土門とだってちゃんと寝ているし、たぶん他の、もっと別の少年とも関係を持っている。木野の相手はサッカー部にもいるし、土門はそれには口を出さない。要するに臆病なんだな、と冬海は早々に結論付けた。ねえ。土門がすれ違いざまに冬海のむこうずねを蹴飛ばす。あんたまだ秋と寝てるの。その拍子に落とした教材を拾う冬海の手を、土門の上履きのかかとが踏んだ。きたねぇおやじのくせにさ、教え子に手ぇ出すとかあたまいかれてんじゃないの。ぐり、とかかとをにじられてひふがよじれた。わらってしまう。
そのまま足をあげて、土門は冬海の横っ面をかるく蹴った。もうおれの秋に近づかないでくれるかな。あんたと穴兄弟かと思うと死にたくなるんだよね。たまらずに冬海はため息をつくようにわらった。もう遅いんじゃないですか。冬海は片手に教科書を抱え、もう片手で蹴られた箇所を物憂く撫でた。そんな言葉で手に入れようとするには、彼女は大きすぎるんじゃないですか。土門は爬虫類めいた目を剥く。わたしは彼女のからだだけでいいんです。愛がほしいなら、それはきみが持っていきなさい。もっとも(、と冬海は引きつるようにわらう。)そんな難しいものが手に入るかどうか、わたしにはわかりませんけどね。ああそれと。冬海は去り際に、立ち尽くす土門ににやりとくちびるをゆがめた。わたしもあなたとおなじ場所に突っ込んでると思うと、吐き気がしますよ。土門くん。
先生は嘘つきだねと木野はやさしく言い、冬海の色素のうすい髪をそっと撫でた。しろく形のよい木野の脚の先で、こっくりと濃い色のペディキュアがキャンディみたいにひかっている。そこをじっと眺めながら、冬海は今さらながら後悔していた。からだだけで構わないなんて、たとえ嘘でも言うのではなかった。このままふたりでいられたら。その言葉を遮ったのは木野の華奢なしろい指だった。先生なんてだいきらいだし、わたしはわたしを誰にもあげないの。先生は嘘つきだけどよわい人だから、きっとわたしはいらないと思う。その指をあまったるく噛みながら、冬海は木野のキャンディの爪がちらちらとにじみはじめるのを感じた。わたしはわたしを誰にもあげないの。木野がひとりごとみたいにむなしく繰り返す言葉が、冬海の心の奥をゆるくえぐる。
いつかここを去るときが来たら。冬海は教壇に立って、だらしなく頬杖をついたまま燃えるような視線を隠しもしない土門をひややかに眺める。そのときにわたしは耐えられるのだろうか。黒板に向かうと、無防備な背中にノートが飛んできた。冬海はそれを無視する。いくつも沸き起こるひそやかな嘲笑。ただ無力になくすだけでは、きっとわたしは耐えられない。力を入れすぎたチョウクがこまかく砕けて崩れ落ちた。しろく穿たれた意味のない動揺。再びそれを拾い上げようとした指が、いつも心の片隅で意識を差していたはずの予感にわなないた。そのときまでには捨ててもらわねば。そのときまでに、忘れなければ。冬海は肩越しにゆっくりと振り向いた。あの子の声で、あの子の手で、いらないわたしを捨ててもらおう。
そしてそれは叶わなかった。冬海は孤独のまま去り、木野は最後まで冬海と目を合わせることもなかった。目の奥ではいまだにあのときのキャンディの爪がまぶしいくらいに輝いていて、それだけで冬海は木野と繋がっていた。繋がっていたかった。もう叶わない。理想ばかりを振りかざす脳みそならば、腕も脚も必要ない。わたしはひとくきのあし。巡らせる思索が永劫の遊び。






わたしはひとくきのあし
冬海と木野。
半田の耳にはすごい数のピアスホールが開いている。そのわずかな肉の襞に、弾丸みたいなでかいピアスをぶちこんでいたり、これ以上穴が塞がらないように拡張用のまるい金属を突っ込んでいたり、安ピンを並べて魚の干物みたいにぶら下げていたり、している。服装も半端にまくったダメージジーンズやら、クロムハーツのまがい物に違いないウォレットチェーンやら、伸びきってかぎ裂きみたいな傷のついたTシャツやら、だらだらした汚ならしいそれらをTPO構わずどこにでも着てくる。半田は勉強がきらいで、授業にもあまり出ていない。ごてごての耳に指輪だらけの指でコードがよじれてひもみたいになったイヤホンをつっこみ、層になったシールとプリクラが色あせてはがれかけたiPodでガーゴイルとかセルティックフロストばかり聴いている。午後の屋上にはいつも半田がいる。カッターシャツの下にどこかのアーティストのコラボTシャツを着込み、背中にマンハッタンだのブロンクスだのを浮き上がらせながら、いつもいる。
ある日、部室の扉を開けようとしたら、中から栗松が飛び出してきて思いきり追突し、ふたりともひっくり返った。ああああ、染岡さん。栗松は泣きそうな顔をして染岡を引っぱり起こし、はやく半田先輩止めてください、と言った。があん、ばあん、と中から不穏な音が響く部室に駆け込むと、壁山に羽交い締めにされた半田が染岡を見て、おう染岡とへらっとわらった。その片手に作業用のはさみが握られている。部室の隅では宍戸が、抱き合う音無と木野をかばうように背中を丸めていて、入り口の近くでは風丸が呆然と立ち尽くしている。半田のすぐそばには影野がうずくまっていて、その周りにながい髪の毛がたくさん散らばっていた。ぎゃあぎゃあとわめく声が聞こえる。今にも半田に飛びかかろうとしている松野の腕を、少林寺と目金が必死につかんで押し止めていた。おい。染岡は低くつぶやいた。誰からも答えが返らない。どん、と後ろから背中を押されて、染岡は前につんのめった。円堂が両手を腰に当てて立っている。さあ、部活やるぞ。静まり返る部室を尻目に、おう、と半田だけが奇妙に快活に答えた。栗松が目をいよいよまるくして、円堂を唖然とした顔で見つめている。円堂はただわらって、もう一度、部活やるぞと繰り返した。
その日のできごとは今でもよくわからない。ただ次の日(確か木曜日だった)には、影野がすこしだけ髪を切ってきてあとはなにも変わらなかった。微妙な空気でのろのろと進むその日の部活の最中、休憩時間にふと染岡が部室をのぞくと、半田が散らばった影野の髪の毛を黙々とかき集めていた。指輪をつけすぎているために、それを外すと半田の指はでこぼこのまだら模様に見える。がりがりと爪をすり減らしながら、コンクリとそこに散らばる砂粒を撫でる半田に、染岡は同情を禁じ得なかった。ただただそのあわれな背中を、手の届かないほど遠くに眺めるしかなかった。他になにもできることはない。半田。染岡はみじかく問いかけた。その程度でなんかできるとか、思ったわけじゃないよな。半田は肩を揺らしてわらい、おい今日は三日月らしいぞ、と言った。最低だ。もう誰にも伝わらない。最低だ。うわごとのように繰り返されるその言葉を、どんな気持ちで聞いたのか染岡はやはり覚えていない。たぶん、興味がなかったのだと思う。
さらに次の日の金曜日、半田は左のほほをあかく腫らして屋上にいた。指にはいくつもメッキがはがれ始めている指輪をはめて、物憂い顔でiPodのホイールをぐるぐると回している。半田は孤独だ。味方も敵も必要としない。カッターシャツの背中には、飛びたいと願うばかりの骨がみにくく浮き上がっている。そこから透ける文字の意味なら、誰よりも誰よりも影野が知っている。影野が半田のほほに触れるのを、染岡はずっとずっと遠くから見ていた(ような気がする)。ぽっかりと開いた耳たぶの穴に、イザナギがコトドと巨岩を詰めた。馬鹿馬鹿しくてそのうつろさに、いやになるばかりの週末。金曜日は満月だった。三日月は雨に流された。スラッシュメタルが鼓膜を満たす。満月の金曜日には。金曜日には。
『数と言葉の暴力リミックス』






数と言葉の暴力リミックス
半田と染岡と影野。
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無印雷門4番と一年生がすき。マイナー愛。

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