ヒヨル そのほかのはなし 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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首から肩にかけてのしなやかな筋肉に視線を感じて少林寺は振り向いた。するどくぴたりとそちらを捉えた視線に怯んだのか、うっと喉の奥でくぐもった悲鳴を上げて目金がからだをすくませる。少林寺はほそめた目をまたたいて、なあに先輩、と小首をかしげた。目金はなんとも言えないような表情でごまかしわらいをしながら、いやあ、などとうしろあたまを掻く。半端に首にかけたままのユニフォームに両腕を通して、少林寺は目金に向き直ってくちびるをへの字に曲げる。なに。目金はこちらも半端に浮かしたままの手をこすり合わせ、もじもじと指を絡ませながら、けがの具合はいいんですか、とおずおずとたずねた。もー全然平気ですよ。少林寺が両手を掲げてくるんと一回転して見せると、目金はようやくいたいような顔でわらった。そうですか。その声の調子がなんとなくいやな感じだったので、それじゃあ次はバック宙でも見せちゃおうかなとかるく足首を回したところで、外からぴゅうっとかん高い指笛が聞こえた。あ。少林寺は思わず声をあげる。ぺんぎんだ。目金はぱっと顔を輝かせ、皇帝ペンギン2号ですか、とやけに嬉しそうに言った。さすがというかなんというか、目金は数ある人知を超えたサッカー技の中でも、ドラゴンクラッシュだの皇帝ペンギン2号だの、とにかく大味でひたすら荒唐無稽なものを特に好んでいる。オタクの血がそうさせるのか、目金は一眼レフでも構えそうな勢いで染岡や鬼道の練習を見ているのだ。はやく行きましょう行きましょうと目金は勢いよく少林寺を手招きした。はーいと歩き出したとたんに、わき腹がしくりと痛んだ気がした。
すこし前に帝国学園と練習試合をした。かのフットボールフロンティア予選で多くの怪我人を出し、司令塔の鬼道が雷門中に転入するという大波乱の中での練習試合だったが、帝国は苦もなく11人揃えてグラウンドに現れた。ピラミッドの頂点には、それを支える有象無象がいるのだということを暗に示して。持ち味のラフプレーはやはり健在で、少林寺はジャッジスルーを二度喰らい、三度目にはホイッスルが鳴っても立ち上がれなかった。すぐそばにいた土門があわてて少林寺を抱え上げてベンチへ走り、入れ替わりに宍戸がグラウンドへ向かった。手早くスパイクを脱がされ、救護毛布にくるまってがたがた震えながら、おかしい、と思った。自律神経が失調している。あたまの中で鳴り響く警鐘に、少林寺は監督の袖に手を伸ばした。監督、かんとく。
尋常じゃないその様子に、監督はたまたま試合を観に来ていた鬼瓦と会田にあとを任せ、少林寺を毛布ごと抱き上げてトイレへ駆け込んだ。少林寺はひどく嘔吐し、吐瀉物の中に出血を見て取った監督はその足で病院に向かい、即日入院と相成った。ボール越しとはいえかなりの体格差の相手に三度も蹴られたことで、あばらにひびが入ったのだ。どうも唐突な怪我にパニック症状を起こしていたらしい少林寺は、鎮痛剤を打たれ点滴に繋がれて、それでもなかなか監督の袖を離さなかった。不安だとか心細さだとか、そんなものが少林寺をそうさせたわけではない。ただ、ふがいなくて悔しかったのだ。あおざめた顔で目だけをぎらぎらと変にひからせている少林寺を見ながら、監督ははやくよくなってまたサッカーしような、と言った。少林寺はそれには答えずに、ただ天井を憎悪に似た顔でじっと眺めていた。
成長途中のやわらかな骨は、傷つきやすいが治りも早い。二日入院してあとは自宅療養となった少林寺は、退院の翌日にはもう学校に来ていた。学ランとカッターシャツの下のあおざめたひふに、それよりもなおしろい包帯をぴったりと巻いて。病院には途方に暮れたような顔の栗松や、自分たちがたべるぶんのミスドの箱を抱えた先輩たちや、安西監督に連れられた帝国のプレイヤーたち(怪我をさせた張本人だ)やらが見舞いに来たし、家には宍戸と壁山と音無と栗松が毎日送って帰ってくれた。しかし少林寺は特になにも話すことはないからと、あまり多くを語らなかった。謝罪は心に響かなかったし、労りや気配りはむしろ嫌悪感を募らせた。使えないプレイヤーだと、背中を押されるだけだった。自宅療養中、家の板間で何度も瞑想をしたが、毎回その途中でだらだらとこぼれる涙が邪魔をした。まっしろにさえなれなかった。忘れることなんか、とてもできなかった。もろい肉体。ただ、役に立ちたいだけなのに。
目金はそわそわと落ち着かない様子で、手招きした手を何度も握ったり開いたりした。その仕草の意味はなんとなくわかっていた。かわいそうな目金先輩。目金は一度も見舞いに来なかったし、送って帰ることもしなかった。その代わり、学校では毎時間、少林寺に会いに来る。移動教室のときには教科書を抱え、昼休みには弁当を下げて、毎日、毎日、会いに来る。会話なんかできない。ただ、慌ただしくやって来ては教室にいる少林寺を見て、慌ただしく帰っていく。メールだって毎日欠かさず寄越した。挨拶と怪我の具合を訊ねる文章で始まり、漫画やらゲームやらのはなしがだらだらと続き、はやく一緒にサッカーがしたいと繰り返し、ではまた明日、と締める。少林寺は一度も返信をしなかった。未返信のメールがびっしりと並ぶ受信ボックス。かわいそうな目金先輩。先輩。少林寺はちいさく呟いた。もしもおれが。なんですかと目金はわらった。なんでもない、と少林寺もわらい、目金の手に自分の手を重ねてつなぐ。やわらかく、やさしく。
はやくはやく、と少林寺の手を引く目金の横顔は嬉しそうだった。少林寺は絶望的な気持ちでグラウンドに踏み出す。もしもおれがいなくなったら、先輩はもう会いに来てなんてくれない。かわいそうな目金先輩。おれよりもずっと役に立つくせに。おおー今日から復帰かーと半田が嬉しそうに目金を押しのけて少林寺と両手ハイタッチをする。もうきっと目金と手はつながない。もう役になんか立てない。フットボールフロンティア決勝戦を、一週間後に控えたあたたかな日。半田の底冷えするほどあたたかなてのひら。目金は少林寺を見てはいない。もしも、おれが、いなくなっても。







虎伏野辺鯨寄浦(とらふすのべくじらよるうら)
目金と少林寺。
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ゲーセンの一角、自販機と灰皿の置いてある休憩所で長椅子に足を伸ばして携帯をいじる半田の背中に松野の指が触れた。なんて書いたか当てろし。騒音に負けずに張り上げられる松野の声はしゃがれてがさついていて、それがますます半田の倦怠を募らせる。「う」と「ん」をなぞったところでどわっと息を吐き、もうこれしかないだろう最後のひと文字を半田も張り上げた声で告げた。こだろ、こ。ぶーざんねんでしたー『どう』でーしたーばーかばーか。肩甲骨の谷間に派手にげんこつが落ちてくる。いてーよばか。松野がげらげらわらう、その振動がげんこつ越しに半田をゆらした。くだらねー。くちびるがかすかにゆがむ。嫌悪でも倦怠でもなしに自然にこぼれてくる感情が、ほんとに楽しいと思ってるみたいでむかついた。円堂は両替に行ったまま帰ってこない。そのまま帰っちまったのかなと考え、ないないとその恐ろしい想像を打ち消す。
学ランにタバコのにおいを染み付かせて帰ると母親ばかりでなく父親までも心配するので、できれば一旦解散してから再度集まる方が半田には好ましかった。しかしそれだとおかしなことに、はやく帰らねばという焦燥ばかりが脳裏をよぎるので、やっぱり半田たちは学校帰りに寄り道をする。じゃあこれは、と松野が再度指を伸ばす。「ア」ほ。半田は携帯を閉じながら即座に答えた。ぶーざんねんでしたー『アイス』でーしたーばーか。半端。うそつけよ。あと半端って言うな。松野がニチャニチャわらいながら半田を覗きこんでくる。なに半端にキレてんだよ。うぜえな。半田は学ランのぽけっとに携帯を押し込み、松野にちらりと視線を向けた。つーかさーキレてんのおまえじゃん。当たんなよ。松野は歯を剥き出して見せ、そのまま自分の側頭部で半田のこめかみをぶった。てんめ、頭突きとか原始的なことしてんじゃねーよ。うるせーはげ。はげはげ。おれはげてねえし。半田は再度ため息をつく。松野があからさまに機嫌をそこねた顔をして、半田の向かいにどかりとすわった。
円堂おそくね、と言うと、松野はそれを無視してあのさあと言った。なに。影野はさ、当てるんだよ。なにを。だから、さっきの。松野は右手のひとさし指をぐねぐねと動かしながら言った。おれが書こうとしたこと、まじで当ててくる。こえーな。こえくねーよ。松野は半田の額にげんこつを触れさせ、ソーシソーアイだろ、となぜか誇らしげに言った。胸を張って、自慢げに、ソーシソーアイだろ、と繰り返す。言ってろよばか。半田はぽけっとから携帯の代わりにつかみ出した小銭を指先で数えながらぼそりと言う。松野には聞こえないように、細心の注意を払って。おれファンタなと指さす松野を無視して、半田はアミノバイタルのうそっぽくきいろいボトルを自販機から取り出す。ボトルは凍りそうなほどに冷えていて、指先との温度差がそのまま松野と現実との温度差だ、と思った。
思えば学校帰りの寄り道が全然こわくなく、むしろ居心地がいいものだと思えるようになったのは松野がいたからだ。松野は学校からもサッカー部からも放課後のゲーセンからも等しく浮いて、どこにでもふらふらと流れてどこででも生きていく。アンテナだけで生きてるから、と以前影野は松野をそう評価していた。かすかにほほえんで、松野はすごいよ、と。ちげえじゃん。半田はやけのようにアミノバイタルをあおった。全然ちげえじゃん。ソーシソーアイなんか、完璧うそじゃん。適当言ってあとからへこむのおまえだけなんだけど。わかってんの。ばかじゃねえの。学ランでタバコと喧騒うずまくゲーセンに入り浸って、そこを居場所みたいな顔をして、それでも。つまらなそうな顔の松野を半田は目をすがめて眺める。たぶん、確かに繋がっているなにかがほしかったのだ。サッカーという永遠に等しいものと同じくらい、この一瞬を共有していたかったのだ。松野という人間をなんら理解できなくて理解したいとも思わなくて、それでも、半田も逃げてみたかったのだ。半田が現実と呼ぶ不滅の価値観から、目をそらして生きてみたかったのだ。
それひとくちくーれくれくれと松野が手を伸ばしてくる。半田はそれを無視して五百ミリを一気に飲み干した。両替機みつからねーと不満げな円堂が戻ってきたのはそのときで、いいもん持ってんじゃんと半田の手から空っぽのボトルを持っていった。それ空だよ。知ってる。円堂はかたかたとボトルを振り、なんにもないことを確かめるようにちょっとわらった。あーじゃー円堂にもやってみよ。松野は立ち上がり、今まで自分がすわっていた場所に円堂をすわらせる。なに。当ててみ。言うなり松野は円堂の背中に輪をかくようにぐるぐると指を動かした。円堂は空のボトルを揉みながら首をかしげ、やがてなにかに気づいたのかむっつりとした顔でやめろよと言った。きもちわりいな。でーきもちわりいだって。言われてんぞ半田。いやいやおれじゃねーし。おめーもだよ。おれもかよ。
やがて松野はふっと顔をゲーセンに向け、なんかやってくる、とふらりと行ってしまった。円堂は半田の向かいで、松野の背中をしろい目で眺めている。なんだよ。んー。円堂は言いにくそうにしばらく黙ったあと、あいつハート書きやがった、とぽつりと言った。きもちわりいやつ。死ねばいいのに。おいおい円堂チャン言いすぎだって。うん、と円堂は一瞬ものすごくさびしい目をして、手の中のペットボトルを握りつぶした。ひくくおもたい音が喧騒の中にあってもやけに鮮烈に耳に届き、その瞬間から半田は果てしなく後悔をすることになる。松野も円堂も半田には異人だった。たんぱく質のかたまりのくせにいっちょまえに葛藤しやがって。きもちわりいやつ。今度はおなじ言葉を半田が繰り返す。永遠と一瞬を共有しても、届かないものがあるのだと知った。円堂の背中のハートに理解が及ばないことを全力で味わったそのときから、果てしない後悔をすることになるのだとわかりきっていた。もう、とっくに。
影野が羨ましかった。疎ましかった。半田が目をそらしたいものと平然と向き合ったまま、永遠と一瞬を共有する。それでも孤独にいられるのは正義だと思った。結局ないものねだりなのだ。たんぱく質のかたまりのくせにいっちょまえに葛藤しやがって。きもちわりいな。







デリシャス・センチメンタル
半田と松野と円堂。
本人がいないところでそのひとのことを考えるほうが深いように思います。
そこは戦場でありました。ばたばたと倒れる朋輩のせなを砂煙のあなたに見たのでした。さながら地獄。喉ばかりがめらめらと燃えるようにあつく、それが果てしない怒りだと気づく前から既にわたくしは喉を枯らして叫んでいたのでございました。からだじゅうが打擲を受けたようにずきずきと痛み、しかしわたくしはわたくしのからだに残された最後の希望と矜持によって倒れることを自らに許しはしなかったのでございます。なぜか。相手はまともに戦り合うのもばかくさいほどの手練れ揃い、対してわたくしどもは河原の小石を寄せ集めて作った破れ土嚢、有象無象。その中に例えば水晶の、ダイアモンドの一粒があったとしても、圧倒的な水に叶いもせずに押し流される。わたくしはその決定的な敗北こそを望んでいたのでございます。苔むした石ころをしなう若竹に、それを断つ刃に、仕立て上げるに復讐とは絶好のお膳立てだと思ったのでございます。ダイアモンドのなん粒かを拾ったのだけが、弱小のわたくしどもの唯一の儲けごとでございました。
おまえってなんでカンフー?少林寺拳法?やめたの。円堂のぶしつけな言葉に少林寺はボールを磨く手を止め、ちょっと首をかしげた。やめてないですけど。ちげーよ。円堂はキーパーグローブをぱしんぱしんと打ち合わせて砂ぼこりを落としながら言った。なんでサッカーやってんの。ああ、と少林寺がようやく合点がいったようにうなづき、しばし考えたのちにすきだから、と言う。サッカーが。あーと、カンフーが。ふうんと円堂はつまらなそうに言って、落ちかかる前髪をひとさし指でねじる。いろいろ考えてんだな。別にと少林寺はこちらもつまらなそうに言って、キャプテンはなんでサッカーやってるんですか、と問いかけた。円堂はその言葉が終わるか終わらぬかのうちに、平手で思いきり少林寺のこめかみをはたいていた。ちいさなからだが横ざまに倒れ、その手からボールがてんてんと跳ねて転がった。それ以来円堂は考えることをしていない。
ときどきぽかりと夜空に浮かぶ月をむしり取って食ってしまいたい衝動に駆られる。考えることをやめた円堂の味方は全身に張り巡らせた神経だけだ。ときどき特訓の場に壁山を無理やり引きずっていって、ただそこら辺に立たせたまま延々とタイヤに向かって踏ん張るようなことを円堂は繰り返す。壁山は所在なく立ち尽くしたまま、居心地がわるそうに時折足を踏み変えてはちいさなため息をついた。月がきれいですね。円堂は無謀の合間にそんな言葉をはさむ。昔の男女ならばこれで伝わったらしい感情が、円堂の薄っぺらな言葉ではかけらも伝わらないのだった。壁山はにこりとわらい、そうっすね、とやさしく言う。そうしていつもやさしく円堂を断ち切る。円堂は喉を鳴らして唾を吐く。そこには不満だけがよどんでいるのだった。食ってしまいたい、と思う。感情なんかなくしてしまいたかった。
七人と木野だけの部室は天国だった。いつでも。気力をかき集めてはつらつと声をあげても、うんざりした視線だけが返ってくる。そこは円堂のパラダイスだった。考えることも感じることもやめた円堂の、本当に大事なものだけを詰めこんだ秘密基地だった。やがてなにかがこの場所を変えてしまって、楽園がすべて失われてしまったら。そのときこそサッカーはやめようと思った。あからさまな敵意の視線を投げかけてくる少林寺ににかっとわらいかけると、少林寺は目をぎろりと見開いて円堂をにらみ、ふっと目をそらす。言い忘れたけどおまえの言いたかったことなんとなくわかるよ、と、いまだに円堂は言えないでいた。多分一生許してはくれないのだろうけれど。壁山が困ったような顔で円堂を見ている。それだけが救いだった。それでも救われたいと思っていたのだ。
そこは戦場でありました。楽園でありました。
今日は解散。それだけ言って円堂はきびすを返した。冬海に言われた他校との練習試合のことを、円堂はまだ誰にも言っていない。喉からこぼれる嗚咽をまぎらわせようと、気づいたときにはもう駆け出していた。はしるたびにスポーツバッグががつんがつんと背骨をふるわせ、ときどきすり減ったスニーカーの底が濡れたアスファルトにひどくすべった。それでもはしらずにはいられなかったのだ。吐き出さずにはいられなかったのだ。誰にわからなくてもかまわない。わからなくたって、かまわない。心臓がからだじゅうでふたつもみっつも脈打つみたいに、全身の血が歓喜していた。おれは水槽の虫。おれは細胞の一滴。おれは大海の魚卵。おれは宇宙の食べ残し。彗星みたいに無力を引いて、駆け上がった歩道橋のてっぺんからは虹が見えた。差しのべたてのひらが乾いてゆくだけでも、まぎれもなくしあわせだと思った。誰か覚えていますか。おれは忘れましたか。あああああ。あああああああああああああああ。あああ、ああ、あああああ!
そこは戦場でありました。楽園でありました。歩道橋からはレインボー。レインボー!レインボー!!叶えたまえ!!!






スケルトン標本ワルツ
円堂と壁山と少林寺。
近所のスーパーからこっそり持ち出した買い物かごをそのまま流用したボールキャリーに山ほどボールをつめて、少林寺はつま先で部室の扉をさぐった。扉を足で開閉するのは先輩直伝だし、今日はボールに加えて砂ボトルが入っているので、一度キャリーを下ろしたら次に持ち上げられる自信がない。指が持ち手にくい込んでものすごくいたかった。膝がふるえる。あーもうむり、と思った瞬間に内側からがらりと扉が開いて、さらにキャリーがひょいと持ち上げられた。少林寺は目をまるくする。よっ、と土門がわらい、お手伝い?えらいねぇと本気とも冗談ともつかない口調で言った。どうも。少林寺は不機嫌な顔で言って、土門のわきからするりと部室に入ると、背伸びをするように手を伸ばした。なあに。持ちます。いいよ、持ったげるよ。土門は平気な顔をしてキャリーを定位置にどさりと下ろした。かわいい後輩が困ってたら助けちゃうよねぇ。少林寺はその言葉を無視して、今度は用具入れを開ける。
雑巾を一枚は濡らしてよく絞り、もう一枚は乾いたまま使う。濡れたほうでボールを丁寧に拭き、すぐに乾いた雑巾で拭う。グラウンドで酷使されるボールは、水分に弱く傷みやすい。すでに運び終わっているキャリーのものも含めて、黙々とその作業をする少林寺を土門はじっと見おろした。手伝おうか。いいです。なんで。なんでもです。土門はその言葉を聞かなかったふりをして少林寺の傍らにかがみ、濡れた雑巾を手に取った。おれこっちやるから、あゆむちゃんは乾いたやつよろしくね。少林寺はなにか言いたげな顔をしたが、それでも結局不満げにうなづいた。ボールを受け渡す指の接触さえ嫌がるみたいに、少林寺は黙々とボールを磨きあげる。ふたりでするとはやいねぇ。土門の言葉に少林寺は答えない。今日ごきげんななめだね。そう言ってひじで少林寺の肩をかるく突くと、さわるなとつめたく言い返されて土門はわらう。
ありがとうございます。あっという間にボール磨きを終えて、少林寺は今度は砂ボトルをひとつずつ量りにのせて重さ別に分ける作業に入る。どーいたしまして。土門はパイプ椅子にすわり、そのちいさな背中を目を細めてじっと眺めた。両手でちいさな輪を作り、部室の片隅にかがんだ少林寺の背中をそっとその中におさめる。すっぽりとそこに入ってしまった背中をなんていとおしいんだと眺めていると、作業を終えた少林寺がぱっと振り向いた。なんですか。両手で輪を作ってわらう土門を、怪訝な顔で眺めながら少林寺は言った。なんか用ですか。いいやーと土門は首を振る。しあわせだなぁって。あゆむちゃんがこんなにかーいくてしあわせだなぁって思ったの。少林寺の顔が見る間に引きつり、くちびるがちいさくきめぇよと吐き捨てた。
土門は立ち上がって一歩距離を詰めた。そんなにいやがらないで。仲よくしようよ。寄るなと少林寺ははじかれたように土門から離れる。おれあんたのこときらいだから。おれのなにがいやなのさ。土門はかるく両手を広げる。ほら。なーんもしないよ。少林寺はとげを含んだ視線でじろりと土門をにらみ、そういう問題じゃねーから、と言った。じゃなによ。言うわけないだろ。つめたいなぁ。土門は困ったようにわらって、はなしくらいしようよ、と言った。おれあゆむちゃんすきよ。少林寺はそれを聞いて、怒るでも戸惑うでもなく、なぜかひどく落胆した顔をした。苦しいくらいのその顔に、逆に土門はほほえんだ。諦めろなんて言わないけど。土門の言葉に少林寺は一歩さがる。おれのとこくればいいのに。そしたらすっごい、すっごいすっごい大事にするのに。
少林寺の目が土門からそれた。きみが逃げるから、追うのだ。どこまでもおれの手を離れようとするから。いつでも退路を背に、少林寺は土門と相対する。それもまた不断の覚悟だと言えなくもない、きりきりと冴え渡る嫌悪でもって。土門はうすいまぶたをちょっと動かした。微笑もうとして、それがうまくできないことに戸惑う。おれじゃだめか。少林寺は土門を一瞬汚いものでも見るようににらみ、なにも言わずにかばんをつかんで部室を出ていった。とたんに表から、たぶん一年生たちのそれだろうがやがやと明るい喧騒が聞こえて、土門は指先がつめたく乾くのを感じる。わかっていたはずなのに。そんなあの子が見たいわけでは、ほしいわけでは、決して、ないのに。不意に右手がわななく。伸ばそうとしていたのを強引に押さえつけた、そのせいだと気づいた。あの髪に、腕に、頬に、あの子に、こんなにも触れたい。こんなにも。
遠ざかってゆく喧騒をまるごと呑み込んでいつくしむ、もしもそれができたなら。土門はさびしくわらった。もっと違う、なにかやさしい方法で、あの子とまっすぐに向き合うことができるのだろうか。果たしてその価値が、自分にあるのか。最後にくれた冷ややかな視線を思い出して、土門はかるく首をひねった。あー。わざとひとりごとを、からからに乾いた口調の大声でこほつ。あゆむちゃんはかわいいなーあ。ついでにふふふっといかにも愉しげな笑みもこぼして、土門はその先を考えるのをやめた。たとえどれだけやさしく向き合おうと、わかり合おうと、それでは望むべくは手に入らない。曲げてねじ伏せ、引いてすかして、葛藤と抵抗の果てに手に入れるべきものなのだ。そうでないとだめなのだった。あの子の孕む嫌悪も軽蔑も、それさえもまるごとほしいのだった。
土門は窓越しに西からくもり始めた空をにらんだ。夕焼けが食いつぶされて、空気がゆるやかに疲弊していく。両手をまるく輪にして、その中に少林寺を思い描こうとする。だけど浮かぶのはあのひどく落胆した顔ばかりで、そればかりが重苦しくさびしくて土門はくちびるをゆがめた。嫌悪も軽蔑も、まるごとほしいのに。それなのにわらってほしいなどと、ほほえんでほしいなどと願ってしまう。雨雲が逃げたなら追いかけたほうがいいだろう。夢から醒めなければ、時間は決して止まりはしない。







雨雲が逃げたなら追いかけたほうがいいだろう!
土門と少林寺。
影野の席は窓際のいちばん後ろにある。遮るものがなく校庭を見渡せ、いつでもよい風が吹くベストポジションだ。そこにすわっている影野のことをうらやんでくれるひとはクラスには実はいなくて、いつでも遠慮なしに突撃してくる松野が席を替われ替われとわめいたり、昼めしをたべにくる染岡がほんとこの席いいよなーとぽつりと言ったり、そういう言葉でしか表されない。クラスで影がうすく、いることにさえ気づかれないことがままある影野には、そうやってわかりやすく言ってやらないとわからない。ときどきカーテンが襲いかかってきたり、プリントが派手に羽ばたいたりするらしいけれど、それでもあの席いいなと土門も思っている。この席いいねと言うと影野ははにかむようにちょっとわらって、いいよ、といつも言うのだった。ぼーっとするには最適、などと口にするほど。
土門は校舎内であまり影野に会わない。影野は移動教室のとき以外はずっと、窓際のいちばん後ろにすわって黙って本を読んでいる。そもそも出歩くのがすきではないらしく、ちょっと席を離れると影がうすいものの悲しさか、すぐに席を占領されてしまうという。休み時間が終わるまで廊下に所在なく立ち尽くしている影野なら何度か見た。土門もあまり校内をうろうろするタイプではないが、影野のクラスの前を通るときに見える、本を読む横顔なんかはちょっといいなー絵になるなーと思っていて、さらにうすいカーテンが閉じているよく晴れた昼間なんかの、かすかに濁った逆光に影野の髪の輪郭がちらちらにじんでいるところなんかすごくいい、と思う。思うだけで口には出さない。そういうひそやかで一方的な満足を、なんとなく知られることは避けたかった。なんとなく。
風がつよい日の放課後、土門が部活前になにげなく影野の教室を覗くと、いつもの席に影野がぽつんと立っていた。クラスには他に誰もおらず、カーテンがゆらゆらと揺れる窓際に立った影野がばけつに売れ残ったパンパスみたいに浮いている。じんちゃん?思わず足を止めて土門は教室に身を乗り出した。ときどきおおきくはためくカーテンには、あかい夕陽が漏れるようににじんでいる。影野は何も言わずにただ立っている。本を読む横顔よりも、つよいくるしい顔をして。じんちゃん。土門はもう一度呼びかけた。部活遅れちゃうよ。なぜか教室に足を踏み入れることはためらわれて、土門はもどかしげに教室の扉をかつん、とかるく叩く。土門。影野がかすかにささやいた。おれはもうだめかもしれない。なにが、と言いかけて土門は息を飲む。
影野がゆっくりと土門に向き直った。ひときわつよい風がカーテンを巻き上げて、影野の髪をびょおびょおと吹き散らす。あかく焼けた空と校庭。売れ残ったパンパス。喧騒がすうっと遠ざかり、雲がこわいくらいにはしってゆく。遮るもののなにもない、しかくく切り取られた日常の口。土門は目を見開く。
『そのとき、ぼくは、確かに見てしまったんだ。
 窓枠をつかむ三本の爪。
 あおい翼竜の
 隠された
 瞳
 を』
だめになると言いながら影野ははにかむようにちょっとわらった。ぼーっとするには最適なその場所で募らせたなにがしかを、音もなくしずかに吐き出すように。得体の知れない感情にぞわりと背中をこわばらせ、土門はわななく指をそうっと握った。校庭を見渡せる窓際のいちばん後ろのベストポジションに、風つよく吹けばぼくは空き地に隠れたろうか。







窓際のドラゴン
土門と影野。
『HIGHSCHOOL DRAGON』より
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無印雷門4番と一年生がすき。マイナー愛。

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