ヒヨル そのほかのはなし 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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高校には電車で通う。田舎から田舎へ向かうくたびれた通勤快速は、あたたかな座席と気だるさとため息だけを積みこんで、春夏秋冬おなじ道をひた走る。がくんと電車が揺れた拍子にめくっていた単語帳がばらばらっと進み、半田は一度もごもごとくちびるを噛んでそれをブレザーのぽけっとにしまった。ふと気づくといつも口を半開きにしてしまっているのでやけにくちびるが乾く。かばんから朝セブンで買ったワンピースの新刊を取り出そうとからだをかがめたとき、向かいの座席でぎすぎすに痩せた就活生が肉まんをほおばっているのが見えた。ばかじゃねえの、と思う。
高校に入ってからは中学のころみたいに、放課後にべしゃべしゃとつるんでワルイコトをするような習慣はなくなった。そのとき仲よかった数人とは、高校入学当時はやれ合コンだのなんだのと理由をつけてよく集まったが、今ではメールもほとんどしない。それぞれの生活がある、ということに気づくまでに、よくぞ衝突もなかったものだ、とは、今でもすこしは考えたりもする。(もっともそれは彼らが意識的にそれを避けていたせいでもあるが。)中学のころいいなと思っていた子には三年間で何回も告白してはふられ、そのわりにちょっとはエッチしたりもして、卒業式の日に全力で告白したけどやっぱりふられた。それでも半田には女の子が必要だったので、高校に入って何人かとつきあって、今は弁当にトマトのくし形切りばかりいくつもタッパーにつめて持ってくるような子とつきあっている。ちょっと変わったところがいいなと思ったとは言ってあるが、本当は胸がおおきかったからつきあってみる気になっただけのことだった。まだ一度も触らせてくれない。
学校につくと、半田はいちばんに美術準備室に向かう。そこにはかびたイーゼルや油だらけの新聞紙や踏み抜かれたキャンバスや絵の具に汚れたくさいシュラフなんかがごろごろ置いてあって、だいたい半田が学校につくころにはもうそこにはひとがいる。半田が立てつけのわるい引き戸を無理やり開けたとき、宍戸はまじめな顔をしてアグリッパ胸像に立派なひげを描いていた。なにしてんだよ。備品だろ。後ろから一発こづいてやると、我が名は関雲長ォ!河東の大地より立ちのぼる義侠の積乱雲!などとひとしきりわめいて、それでも宍戸はようやく手を止めて半田を見た。あ、ども。どもじゃねえよ。なにしてんだよ。なんかイメージわかなくて。宍戸は後頭部をぼりぼり掻きながらあくびをする。よれよれで染みと絵の具だらけのカッターシャツにジャージという、いつも通りの小汚い姿だ。美術特待生として半田とおなじ私立高校に入学した宍戸は、ほとんど一日中この美術室で過ごしているらしい。かび生えるぞ。冗談めいたその言葉がちっともわらえないほど、宍戸はこの部屋から出てこない。
セブンでワンピースと一緒に買ってきたリポDを渡すと、あざっすと受け取り一気に飲み干したあと、オエッとえずいてしかめ面をする。おまえどんどんおかしくなるな。準備室は鼻が曲がるほどの異臭が立ちこめているが、宍戸はいつも屁でもないような顔をしている。そっすかねぇ。べたついた赤毛をかき回しながら、宍戸は美髯のアグリッパをそのままにしてのろりと立ち上がった。キャンバスはほとんどまっしろの描きかけで、そこには憤怒に燃える魔神の横顔が木炭でざっくりと描かれてある。おまえってなにげ円堂のことすきだったわけ。やー別にそういうんじゃ。じゃあなんだよ。ぐしゃぐしゃにまくったカッターから突き出した宍戸の腕が骨のようにしろい。キャプテン夢叶わなかったじゃないすか。いいっすよ。すげえ魅力的。アーハーン?半田は内心アメリカンコメディよろしく肩をすくめる。サッカー部は結局どうにもならなかった。七人とマネージャーひとり。ずっとそのままで、たぶん今もそんな感じのままだ。
脚のながさがちぐはぐながたつく椅子に腰かけて、半田は宍戸をにらむようにする。皮肉か?宍戸は鼻血を手で拭ってなにも答えなかった。宍戸のからだはたぶん限界だ。限界まで追いつめても、まだ至らないという。至れないという。半田さんががサッカーすきなら。ティッシュを鼻に詰めながら宍戸は言った。それがいちばんなんですよ。がりがりに痩せた宍戸。今は半田よりあたま半分背が高い。でも、そうすると、中学んときのキャプテンや染岡さんはなんなの、ってことになるじゃないすか。半田はたまたま手近にあった筆の刺さった空き缶を投げつける。いてえ、と言うわりに、大して応えた風じゃなくてむかついた。
中学のころ、半田は自分がなぜサッカー部に入っていたのかよく思い出せない。つまらないおもしろくもないなにもない日々だった。円堂は痛々しく、染岡は鈍感で、木野は残酷で、後輩たちはやさしすぎた。卒業アルバムの部活写真では、四人ともへんにあかるい顔をしていて、それは四人ともはやくここから解放されたかったからだ。通夜みたいな部室で、半田はグラウンドに向かう円堂の背中を何百回と眺めた。いつだって円堂は誰より苦しい顔をしていた。それが半田には、嬉しくてたまらなかったのだ。
宍戸は削げたほほでそっとわらい、なんか今日の半田さん猛烈にうざいっすねえ、と言った。宍戸は進み、半田は捕らわれたまま、些細なほころびにつまづくたびに、何百回でもあのころへ引き戻される。これ、キャプテンに見えます?キャンバスには憤怒に燃える魔神の横顔。あのころ半田はいつもなにかが気に入らなかった。なにもかもが気に入らなかった。もうおまえ死ねよ。うめくようにそう言う半田の目の前で、宍戸はキャンバスを蹴破った。
サッカーは今でもすきだ。ただし誰にも言わないである。








ハレルヤ・ボーイ
半田と宍戸。未来。
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部室の隣に併設してある鍵つきの物置に、陸上部が廃棄品として放り出してあった穴だらけのマットを最初に持ち込んだのは、確か円堂だ。濃いみどりのビニルカヴァがあちこちほつれ破れて中身をはみださせている、みすぼらしい見た目のやつだ。だらりとはみ出た、芯は抜けているくせに雨や使い込みで固く締まったうすだいだいのスポンジ。それももう風化が始まっていたが、マットはマットでだからマットとして役に立つ。こんなふうに、と自らその上に長々と横になって、円堂はいつもの有無を言わせぬ口調で言った。まだ使えるなら有効活用すべきだ。その主張はなぜかすんなり通り、物置は昼寝の場所になってしまった。普段締め切られているそこは、鉄格子の窓からこれでもかと西陽が差すのでいつでも必要以上にあたたかい。授業をさぼる連中は、屋上をやめてここにたまるようになった。ホームルームを終えて部室に入ると、物置で松野と半田が真剣な顔でモンハンだのポケモンだのに勤しんでいる姿は、もう日常茶飯事だ。砂くさい物置の濃いみどりのマットの上で。
土門はその物置があまりすきではなく、それは単純にそこが狭すぎるからだ。ペットハウスみたいな部室よりさらに小さい虫かごみたいな物置に、好んで集まる酔狂を土門はどうしても理解できない。生活様式やら美的感覚やら、そういった身に積んできたものたちにそぐわなすぎて、その違和感に耐えられないのだ。さして広くもない場所にさして役にも立たないだろうものを押し込んでそれをよしとする。円堂はあたまがおかしいのかもしれないと土門は思った。もちろん口には出さない。つまらない上に無用な軋轢は、避けられるならば避けるのが一番だ。円堂がいまだに自分に対してひどく気を張っているのが、最近はどうにもやりきれない。それに数日過ごしてみたら、なんとなく円堂のしたかったことにも気づいてしまった。鍵のかかる個室、手足が楽々と伸ばせる場所、そしてマット。例えば、ふたりでなにがしかの運動をするには、そこは最適な環境ではないか。わるくないな、と思った。むやみな健全さが逆にそそる。もっとも円堂が木野ばかり連れ込むことには、ものを申したくない、わけではない。
放課後の部室、半開きの扉からマットに投げ出された足が見えたとき、だから土門は躊躇せずに扉を開いた。おーいとわざとらしく、あかるく声を上げながら。しかしそこにいたのは土門の想像していたふたりではなく、すっかりユニフォームに着替え終わった栗松だった。両手をへその上で組み、首をかすかに横に向けて、ほこりっぽいマットの上に横たわっている。その胸のあたりに、差し込む西陽が格子のしまを刻んでいる。土門は一瞬思い描いていたものとのギャップにひるみ、おい、と再度声をかけた。砂くささが鼻をつく。栗松は弾かれたようにからだを起こし、驚いた顔で土門を見た。昼寝?あ、いや。栗松はせわしなくぱたぱたとからだをはたき、なぜか照れたような口調ですみませんと言った。別に怒ってないけど。土門は言いながら退いて、狭い出入口から栗松を通してやる。栗松が隣を通った、そのときに砂くささに混じって太陽のにおいがした。ずいぶん長い間ああしていたらしい。二年生はまだ全員揃っていないが、授業が一時間短い一年生はもうグラウンドに出ているる。遠ざかる足音を聞きながら、土門は物置の扉を閉めた。
別の日、換気のために物置の扉を開けると、片手に曲がった金属バットを下げた宍戸が立っていた。こちらに向けた痩せた背が妙に殺気立っていることに驚き、土門はバットを持った方の腕を後ろからつかんで引いた。くぐもった音を立ててバットは転げ、宍戸は肩越しに振り向く。宍戸のからだの向こう、物置は無人だった。陽の差すほこりっぽい狭い部屋。なんですかぁ、と宍戸はいつもどおりの快活な声を上げる。宍戸、なにしてたの。言いながらバットに視線をやる、その動きで察したのか、宍戸はわらってここ物置ですから、と言った。こっちにしまっとこうかと思って。そうなんだ。確かに円堂たちはときどき、各部からのおこぼれをかき集めて野球ごっこをしている。そのうちのひとつなのだろう。あのーと宍戸は首をかしげる。腕、いたいんすけど。あっ、ごめんごめん。ちょっとびっくりしてね。解放された宍戸は平然とバットを拾って奥の壁に立てかける。さしてつよくつかんだ覚えもなかったが、宍戸の腕にはくっきりと指のあとが残ってしまっていた。
なんとなくいやな気分だ。あれどけない?円堂は土門をじっと見て、いやなら使わなきゃいいだろ、とだけ言った。撤去のつもりはないらしい。そうだね。土門はあいまいにわらって言葉を濁す。なんかあったのか。いや、なんにも。ふうんと円堂は一度地面にボールを打ちつけ、それが落ちてくる前に大またで歩き去った。ぼさっと突っ立っている栗松の首に後ろから腕を回す、その動作がどことなく八つ当たりじみて見える。全くわけがわからない。ボールを受け止めながら土門はちいさくため息をついた。あの。不意にかけられた声に振り向くと、宍戸がかるく両手を広げた姿勢で立っていた。ボール、いいすか。ん、どうぞ。ボールを受け取った宍戸はどうもーとグラウンドへ向かう。円堂ももうゴール前の定位置へ収まっていた。ホイッスルが鳴る。
紅白戦の途中、宍戸は何度も栗松にボールをぶつけたり、スライディングで転ばせたりした。明らかに何らかの悪意を持ったタイミングで。驚いたことに円堂はなにも言わず、むしろ栗松の方に非があるような言い方さえした。周囲はなにも言わない。なにかを秘めた沈黙。宍戸は平然としていたし、円堂はそれよりもさらに飄々としていた。栗松の怪我ばかりが増える。そういうことか、と土門は唐突に理解した。そういうことなら仕方ない。栗松の胸の上の鉄格子。まぁ、それなら、ね。土門はわざとらしく宍戸からボールをカットした。息を飲む音がする。迷わず叩き込んだシュートはあっさりと弾かれ、それをまた土門が取る。あのみどりの部屋では。突っ込んでくる染岡をかわして、蹴ったボールは栗松のこめかみを直撃した。声にならない動揺がグラウンドを駆け抜け、栗松はあたまをぐらりとかしがせて膝をつく。あのみどりの部屋には。壁山が駆け寄り、土門はほほえむ。ごめんね。でも、なんとなくわかった。
(おまえもかよ)
金属バットの唸る音がする。その腕にはいつぞやの、指のあと。








暗い・くらい・クライ
土門。
マジキチイレブン嫉妬編。
腹が減った。円堂は木陰のベンチにだらりと腰かけたままため息をつく。頬骨と鼻のあたまが焼けてひりついているのを、なにげなく指でなでると皮がめくれかけてざらついていた。最近は気候がいいためについ張り切ってからだを動かすので、いつもより水分もたくさんいるしそれ以上に腹が減る。情けない音を立てる腹を抱えた昼下がり。ながめの休憩中、一同はあちらこちらに散らばってそれぞれくつろいでいる。まだグラウンドでボールを蹴っている染岡を暑苦しそうに見て、円堂は今度こそ声をこぼしながらため息をついた。はらへった。首を反らして目を閉じる。まぶたもうっすらと日に焼けているらしく、まばたきに合わせてひふが不快につっぱった。晴天の下で日焼けひとつしていない木野のすべらかな肌を思い出す。どれほど苦心してあの雪のような肌を保っているのだろう。下腹のあたりがゆらゆらとうずくが、それもすぐまた食欲に溶けた。昼食なんかとっくに消えている。ふーとほそく長い息を吐きながら、円堂は不服げに鼻を鳴らした。
靴下とスパイクを脱ぎ捨てた、指のつけ根やかかとが汗でしろくふやけた足の裏をぬるい風がなでる。のどやかな気候がかえって腹立たしい。くそっと足を振る。その声にたまたまベンチの前を横切ったリカがからだをすくませた。なん?あ?不機嫌な顔をあげる円堂を、リカは嫌そうな表情で見返す。髪の毛をビジューのカチューシャでまとめて首にタオルをかけたリカは(洗顔でもしていたらしい)、眉間に縦じわを刻んで円堂をにらむ。円堂もまた無意味な敵意を放つが、やがてそれにも飽きてだらりとベンチに背中を預けた。はらへった。なんか持ってたらくれ。リカもまたいつもどおりの飄々とした様子でユニフォームのぽけっとをさぐる。ん。カラフルなパッケージのキャンディをリカの指先から受け取って口に入れ、円堂はベンチの隣をかるくたたく。リカはなにげない顔をしてさらーとそこに腰を下ろした。昼の練習中に一之瀬がかるい熱中症にかかり、介抱してくれた木野の手をしっかりと握っていたことを、もしかしたらほんの少しだけ怒っているのかもしれない。一之瀬は冷房の効いた宿泊施設で、木野に付き添われてたぶんまだ寝ている。カチューシャを外して整える、リカの髪からあまい香りがした。
リカはながい脚を組んで、円堂は口の中でキャンディを転がしながら、ぼんやりとグラウンドを眺めた。濃いいちごの味のキャンディが歯にぶつかって、かちゃかちゃと心細い音を立てる。リカはソックスを足首まで無理やり下ろしている。時間の限り均等に焼こうというまめさにあたまが下がる思いで、円堂はちょっとリカの横顔を盗み見た。ら、たまたまリカも円堂の方を向いたところで、ふたりともへんにぎくりと顔をこわばらせる。先に目を反らしたのはリカだ。あーあーとつまらなそうに腕を伸ばしながら、あほと連携する練習なんかなんも楽しくないわとぼやく。華奢な脚を組み替える、その動きがけだるい。次の練習試合では染岡とスタメンツートップの予定なので、リカは朝から出ずっぱりではしり回っている。はらへらないか。別にー。それよりもう疲れたわ。ぐにゃりと上体を前に倒すリカのうなじから背中が汗で蒸れている。
染岡は久々のスタメンで張り切っているが、おそらくは早々にスタミナを使い果たして豪炎寺あるいは吹雪と交代するはめになるだろう。豪炎寺と吹雪どっちがいい。円堂の問いにリカはどっちでもと即答する。たぶん次の練習試合、一之瀬はメンバーから外されるだろう。中盤二枚落ちは痛いな。鬼道、まだ不調だし。んーとからだを起こし、リカは乱れた髪の毛をなでつける。やっぱ一之瀬がいないとだめか。その言葉にリカはくちびるを曲げた。別に心配するほどだめちゃうよ。でも、たぶんみんな心配なんやろな。熱心に自主練習を続ける染岡を見ながら、リカはわざとらしくほほえむ。おっかし。うちかてダーリンと会う前からサッカーしてんのに、うちとダーリンはふたりでひとつ。ダーリンがひとりでも、みんな心配なんかせえへんのにな。円堂はリカの整った横顔をじっと見る。ながいまつ毛がかすかな木漏れ日に、蝶の羽めいてちらちらしている。スタメン、外さねーぞ。リカはなんとも言えない顔で円堂を見て、にやあっと嫌な感じにわらった。あんたも難儀なやっちゃな。あんときあんた、自分がどんな顔してたか気づいてないんやろ。
あのとき。一之瀬がグラウンドにくずおれたとき。ベンチから飛び出した蒼白の木野が一之瀬に差しのべた手を、円堂は自分でも驚くほどつよい衝撃で眺めていた。その親愛。繊細で清廉で、それでいてひどく密に満たされた、濃くあまやかに煮詰まった愛。立ち入る隙など与えない、暴力的なほどの。打たれたようにリカが立ちすくむのを、汗ににじむ視界の端で捉えていた。リカを押しのけるようにして、土門や塔子が一之瀬に駆け寄る。ふたりの世界を食い荒らす、粗暴で鈍感な、そのくせあきれるほどやさしい動物たち。ふたりだけの世界からきっかり排除されて、円堂とリカは等しく打ちのめされた。気づいてしまうことは、なによりも鋭い終止符でしかないのだ。そこに言葉はいらなかった。円堂とリカにできるのは、あとは、口をつぐんで諦めることだけだった。怒りもかなしみも、憎しみさえも感じない、静かでやわらかでひそやかな、雨の埋葬のように。
もう行く。そう言って立ち上がったリカの手を円堂はつかんだ。行くな。いや。離して。いやだ。行くな。円堂は自分も立ち上がる。リカは苦い顔をうつむけ、そういうのほんま勘弁、と忌々しげにつぶやいた。その間にも、円堂の手から逃れようとしながら。なすりつけあって、なんか意味あんの?円堂はじっとリカを見る。にらみつけるほど力強く。突風にグラウンドはけぶり、吹かれたこまかい砂がふたりを打つ。木漏れ日は波のように揺れ、呼吸さえもためらった。奥歯でキャンディが砕ける。鼻を突き抜ける甘みに、からだの底がゆらりと傾ぐ。円堂はリカの手に折れよとばかりに力をこめた。つめたいひふだ。雨の埋葬。世界に閉め出され、粗暴で鈍感なやさしい動物たちにさえ、もうなれなかったのだ。だったら。
「おまえにはおれしかいないじゃないか」







サラバイザインマイマインド
円堂とリカ。
あんまり染岡くんをいじめちゃだめよ。豪炎寺はその言葉にのそりと振り向いて、アイシングに使うコンビニのビニル袋をさんかくに折りたたんでいる木野を見た。いじめてなんか。突然そんなふうに言われたために、思わず反論ががたつく。動揺する豪炎寺には目もくれずに、木野は淡々と袋をたたみ続け、それが終わるとうーんと両腕を伸ばして、試合ごとに撮影した記録媒体のラベル書きに入る。豪炎寺はなんともいえない顔をして木野を見て、手伝おうか、と言った。平気。木野はやはり豪炎寺を見もしない。豪炎寺は眉をしかめ、スパイクのひもを結びなおしていたベンチから立ちあがって、木野の傍らに無言で立った。なあに。なんだ。木野が顔をあげ、おおきな目をまたたいてちょっとほほえむ。砂ついてるよ。そう言って、途方に暮れたような豪炎寺のほほを指でそっとぬぐった。オカルトってどんな字だったっけ。ペンを回しながらぽつりと言う木野に知らないと答える。豪炎寺はあまりあたまがよくない。対戦校の名前や、ましてや漢字なんか、まともにちゃんと覚えていることはなかった。木野がちいさくため息をつく。いまさらのように豪炎寺は木野がぬぐった場所に触れた。つめたい指だったな、と思う。
木野はよく染岡を見ている。と、豪炎寺はなんとなく思っていて、それはいつも、いつだってなにかにぐじぐじと足を取られているような染岡に言葉をかけてやるのが木野だったからだ。なんでもないみたいな顔で、さりげなく、気づかいを染岡にそれと感じさせることもなく。染岡はそういうのがきらいだ。心配されたり、構われたり、あるいはいっそ、かばわれたり。木野は実際できるマネージャーだ。汚れ仕事のきらいな夏未や粗忽な面が目立つ音無をカバーして、なお余りある敏腕ぶりを発揮している。スポーツドリンクを作るのも木野がいちばん上手だ、と豪炎寺は思っている。夏未は濃すぎたり薄すぎたりぬるすぎたりするし、音無に至ってはそれらに加えてたまに洗剤の味までするのだ。木野はいつも、ちょうどいい濃さで作ってくれる。つめたすぎないよう、氷の量まで調節して。だから豪炎寺は木野のことを、なんとなく、おなじ選手であるような近しさを覚えている。メンタルもフィジカルも輝くようなものを持っているし、サッカー部を暗黒期から支えていたことで部員の信頼を一手に集めてもいる。尽くすタイプの真摯な少女。おまけに顔もきれいだ。豪炎寺とて、木野を憎からず思っている。だから腑に落ちない。いじめている?おれが、染岡を?
木野はぼさっと傍らにつっ立ったままの豪炎寺を再度見て、どうしたの、と首をかしげる。それはどうもポーズだけのようで、木野はまたすぐ作業に戻ってしまった。豪炎寺は木野のしろく華奢な、ちょっとだけ荒れた手をじっと見下ろす。確かに。それを感じないわけではない。ひりつくような敵意を、染岡は豪炎寺に向けていつまでもとめどなく放ち続けている。いつでも切羽詰まった、苦しい、つらい、染岡の顔。どうしようもない、無言の。でも、だからって。木野はふふっとわらった。鍵当番、かわるよ。豪炎寺はじっと木野を見る。違う。木野はそれを無視した。知ってるよ。豪炎寺くんがわるいんじゃないんだ。木野の手元がぶれて、ペンのインクがすうっとにじむ。鍵。置いて。木野の言葉に、豪炎寺は指にからめたままの鍵をそっと机に置いた。木野。木野は答えない。おれは。ぱたんとペンを落とした木野の指が豪炎寺の手をそっと握る。つめたい指。豪炎寺くんのせいじゃないの。でもね、わたしたち責められないの、もう。そんなこと、しようとだって思えないの。
部室を出ると雨が降っていた。出入り口のわきに、まっくろなこうもりを差した影野が立っている。しばし黙って見つめ合ったのち、影野は片手に持った、きれいに巻かれたビニル傘を豪炎寺に差し出した。黙ったまま。豪炎寺はそれに手を出さず、木野のじゃないのか、と言った。持ってるから。陰気な口調。学ランの肩がさらさらと濡れる。待ってるのか。影野はなにも答えない。木野はおれがきらいなのか。ふと口走ったその言葉に、影野のくちびるがくっとつりあがる。そうかもね。豪炎寺はわずかに眉を下げた。落胆。おれが染岡をいじめているからか。影野はそれには答えずに、でも少なくとも、と言った。おれたちは豪炎寺にはかなわないよ。おれたち、サッカーを楽しいなんて思えないから。豪炎寺は真顔になって、みんなそう言う、と答える。じゃあ、どうしてここにいるんだ。いやなら、出ていけばいい。影野はちょっとこうもりの内側を仰ぐようにした。そうだね。染岡がいなかったら、そうするかもね。
眉をひそめる豪炎寺を無視し、影野はその手にビニル傘を握らせるとこうもりを閉じて部室に入った。べたべたとくっついたビニルの皮膜を力ずくで広げ、豪炎寺は影野とおなじように、傘の内側を仰ぎ見る。いたたまれない気持ちで部室を振り向き、しかし豪炎寺にはなにもできなかった。今ではそこが、豪炎寺の居場所だ。のびのびとサッカーをする。みんなで。帰ろう。豪炎寺はぽつりとつぶやいた。苦しいつらい染岡の顔。いじめてなんかない。でも。わからないわけではなかった。豪炎寺はいつでも染岡を凌駕して、打ちのめして、そして、認めさせざるを得ないように、振る舞ってきた。一員になりたかったのだ。みんなでサッカーができるように、ただ、それだけだったのだ。いじめてなんかいない。それなのにあたまの奥がしくしくと痛む。
豪炎寺は部室の扉に手をかけて、やめた。あのふたりには、今は、なにも言ってはいけない気がした。だからといって、おれになにができる。一方的に、被害者みたいな顔ばかりして、染岡はなんにもわかっていない。今この場所にいることが、どんなにつらくて苦しいか、染岡はなんにもわかっていない。そしてできれば、このままわかってなんてほしくはなかった。
(だったらやめればいいだろう)
今のこの場所を失いたくはなかった。みんなでサッカーをしていたかった。染岡がどんなに敵意をあらわにしても、豪炎寺にとってもここは大切な場所になってしまったのだ。目を閉じることがかなわないほど、まばゆくあたたかな、大切な場所に。もう。
(それでも)
(それでもおれはおまえが、)







魔物群
豪炎寺と木野と影野。
河川敷グラウンドのゴールのそばに、かかとで掻いたのだろうざりざりと荒い線が三本ならんで引かれている。その先端にはいちにさんと番号が振られていて(これは指か木の枝で書いたのだろう)、三本の線はまん中あたりが踏み荒らされてめちゃくちゃになっている。ときどき練習終わりに豪炎寺がそこで足運びのトレーニングをしていることを染岡は知っていたが、豪炎寺にまるで後ろ暗さなんかがないことに歯がゆいような気持ちになりながらなんとなく知らないふりをしていた。サッカー部二年生は一部をのぞくとまるでうまが合わないので、豪炎寺はいつも一年生を連れてトレーニングをしている。肩身の狭さなんか豪炎寺にはあってないようなものだ。ストップウォッチ片手にバインダを見ながら、宍戸がぼそぼそと数字を口にする。いちにいちににいちさんいちさんにさんさんいちにいちさんいちいちにいちいちさんさんにさんいちいちにいちいちさんににににさんいちにさんいちにさんさんにさんいちに。この数字どおりにラインを踏む。
知らないふりをしているとはいえ、河川敷は染岡も普段から使っている場所なので、ときどきは望みもしないのに顔を合わせてしまう。望みもしないのに、だ。宍戸は空気が読めるし豪炎寺はそもそも前しか見えていないような人間なので、何気なくそれを眺めていても、誰に咎められることもない。この練習は一分くらいが限界で、それは数字の方が参ってしまうからだ。だからからだ回転させちゃだめですって。一分にも満たずに豪炎寺は止まる。豪炎寺の癖だ。前に踏みこんだあと、後ろに下がるときに軸足をななめに下げる。ほうっておくとバックパスがきたときに顔面に食らいかねない。そうか。豪炎寺はこめかみをかるく掻いて、次はおまえがやれとばかりにバインダを奪った。かといって豪炎寺は数字を読むのがへたくそなので、結局宍戸の練習にはならない。宍戸は足運びならわるくはないのだ。しろい膝が骨の丘のような宍戸の足。
どうしてサッカーをやるのか、などと、柄にもなく哲学ぶった日にはだいたいこんな光景に遭遇してしまってひどく萎える。理由もなく邁進する馬力を、根こそぎ奪ったのは元はといえば。豪炎寺は強靭なからだをしている。屈強でしなやかで、折れも曲がりもしないつよい心とともに。そんなものを抱えて平然として、染岡には到底できないようなプレイを呼吸するようにこなしてしまう。円堂は豪炎寺を軽蔑していて、染岡だってできることならそう言い切ってしまいたい。豪炎寺はいやなやつだ。サッカー部の中で、いちばん正しくサッカーに向き合っている。正義面も使命感もない。ただ、呼吸するように。いちにさんいちにさんいちにいちにいちにさんいちにさんいちにいちにいちにさんさんにいちさんにいちいちにいちにさんにさんさんにいちいちにいちにさんにさんさんにさんにいちにいちいちいちに。宍戸の口元がしろくかすんでいる。果てしなくながい一分を終えて、宍戸はさも今気づいたかのように染岡を呼んだ。あー染岡さんおつかれっす。豪炎寺はその言葉にぱっと顔をあげ、おい、と言う。なにかくうもの持ってないか。染岡は鼻白み、持ってねえよ、とことさら声を張り上げた。そうか。豪炎寺は素直に引き下がる。豪炎寺はいやなやつだ。歩み寄ることも。
おまえはプロになりたいのか。悪意なく聞かれた、その言葉は今も染岡の内側でくすぶっている。どちらとも答えられずに、おまえは、と逆に染岡は問い返す。おれはなりたい。豪炎寺はまっさらな顔で、いつもどおりの仏頂面できっぱりと言った。なんで。楽しいから。は。サッカーは楽しいだろう。楽しくなんかねえよ。突然声を荒らげた染岡を豪炎寺はじっと眺めて、かまわない、と言う。じゃあ、それでもかまわない。楽しくなくてもいい、な。うるせえよ。染岡はそれ以上を聞かなかった。持っているものには、豪炎寺には、永遠にわからないに違いなかった。純粋な、清いと言ってもいいほどのそんな言葉に目を射られ、光をなくして絶望にあえぐ、持たざるものの気持ちなど。楽しくなくてもいいだなんてどの口が言う。思ってもないくせに。ばかにしやがって。踏み台なら、それでもよかった。誰かの成長の支えになれるならば、染岡だって誇らしかった。ただ、豪炎寺にだけは許せないと思った。息を切らして汗を絞って、必死になって駆け上がる場所を、そのはるか頭上を、綺羅星のごとく駆け抜ける豪炎寺には。豪炎寺にだけは!
腹が減ったな。ぽつりと呟く豪炎寺をよそに、宍戸はさっさと荷物をまとめてじゃあまた明日ーおつかれさまっすーとへらへらと帰ってしまった。豪炎寺はじっと足下の線を見て、消えかけた場所を丁寧に書き直す。染岡はその孤独な所作を眺めながら、ひどく息苦しい気持ちのまま足を踏み変える。帰る。豪炎寺は振り向き、そうか、と染岡を見た。練習、しなくていいのか。いいよ。おめーがいると邪魔なんだよ。そうか。平然と豪炎寺は言い、おれは場所を変えてもかまわない、と言った。おまえが使うなら。かまわないかまわないかまわない。染岡はくちびるを歪める。おまえ、サッカーができたらなんでもいいのな。ああ。豪炎寺はきっぱりと言う。サッカーは楽しいだろう。豪炎寺はいやなやつだ。染岡はうんざりした気持ちになる。泣きたいような気持ちになる。豪炎寺はいやなやつだ。本当に本当にいやなやつだ。人間の皮をかむりながら、ばけものみたいなことばかり言う。








魔物音
染岡と豪炎寺。
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