ヒヨル いちねんせいのはなし 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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海は海でも砂浜がしろく乾いてさびしい、岩だらけのような場所がいい。夏に来るならよけい、そういう場所がいいのだ。頭上から落ちてくる車の排ガスやエンジン音をテトラポッドの陰にしゃがんで感じながら、あづーと宍戸は空を見上げた。つっかけた派手なドット柄のサンダルからのぞくつま先が、サウナみたいな砂にもぐって焼けるようにあつい。宍戸の傍らにはハの字にくろいクロックスが脱ぎ捨ててあって、そこから波打ち際まであしあとが一直線に続いている。栗松は何をするでもなく、ただぼおっと突っ立ったまま片手をあげて日を遮っていた。ときどき驚いたように後じさっているのは、たぶん波が足に襲いかかるのを避けているのだろう。ばかだなーと宍戸は足元のあつい砂を右手の四指でざざーとかき回す。もっと離れて見ればいいのに。
練習のあと、ただでさえあつくてべたべたでくたくたであーはやく帰ってつめたいシャワー浴びてアイスくって昼寝しよー、というつもりで栗松とくだらないはなしをしながらてきぱき着替えていたら、なんか流れで海まで来ていた。いやいや意味わかんねーーーから!宍戸はざっと砂をてのひらではたいた。てーつ。声を張り上げると、波打ち際で栗松が振り向く。おまえなにしにきたのー。あー?だーら!なんで海なんだよ!宍戸も行きたいって言っただろー。それこういうのとちゃーうよ。くっそと宍戸は右手をざらざらと砂に滑らせる。かさかさになったてのひらを持ち上げて匂いをかぐと、焼けた潮がなまぐさくてうえーとなった。栗松は相変わらず、ときどき波から逃げながら海だか空だかを眺めている。それがまたバチーンと憎いほど爽やかな夏の色をしているので、あーみじめみじめ、と宍戸は手を払う。
ふと砂に沿って伸ばした指が、乾いた骨のような木の枝に触れた。それを持ち上げてからからと振る。中は空洞になっていて、なにげなく覗くと栗松の背中がすこしだけ近く見えた。そのちぐはぐの距離感に眼球がいやな感じに揺れたので、枝を下ろして砂に突き立てる。
(あー)
(こんな感じかな)
砂にざざっと棒人間でさっき見えた風景を描いた。栗松は今は両手を庇みたいにして、だるそうに立っている。この炎天下であついのだろう、ときどきあたまが危険な感じにぐらついていた。栗松は今もスタメン固定なので、フルタイムでグラウンドをはしり回っている。自分とは比べ物にならないくらい疲れているのだろうなと、宍戸はそっと目をほそめた。
(いやまー気持ちはわからんでもないけどさ)
(逃避行って普通あれ、ひとりでこそーっとするもんじゃねーの)
砂の上にがりがりと絵を描きながら、宍戸はちょっとわらった。ばれてないつもりなんだろうか。ほんと、あいつは、ばかだ。いつの間にか四つんばいになって、かなり本格的にがりがりやっているとふと目に汗がしみた。やべっと顔をあげると、乾いた砂浜と海と空の境目に栗松のあおいTシャツが融けて、まるであたまと骨みたいな腕だけの生きものみたいに見えた。疲労を乗せて空と海と夏の現実にふわりと浮いた栗松のさびしい頭蓋は、以前美術の時間に見た静物画のまるいりんごのようにかなしかった。その次の絵では最初の人間がりんごをかじっていてそのおぞましさにぞっとしたのに。栗松が海に向かってなにか叫んでいる。
(それってかなしいことでもなんでもないのに)
(それでもおまえ、逃げるのな)
(なにから?)
(なんかこう、迫ってくるもの。逃げられないものから)
(つか)
(おれなんでこんな真剣に考えてんの)
(なんでって、それは)
砂に埋めた膝が焼けるほど痛んで、ふと顔をあげると栗松がへんな顔で宍戸を見下ろしていた。なにしてんの。いやーなんか、盛り上がって。栗松の足首は砂がざらめみたいにまとわりついてしろくけぶっている。栗松は宍戸の手元を覗きこんで、うまいね、と言った。ふと振り向くといちばん最初に描いた栗松は、宍戸のつま先が踏み消してしまっていた。なにもなかったみたいに。あー、と宍戸は膝立ちの姿勢になってぽいと棒を放る。栗松の後ろには逃げられない現実があおく爽やかにバチーンと広がっていた。誰を乗せて誰を選んで、栗松はどこまで逃げるのだろう。いつまでおれを連れていってくれるだろう。あんなさびしい後ろ姿で、どうしようもなく叫ぶしかないおまえは。
宍戸はふと栗松の骨みたいな手首に触れた。なに。すきってことさ。は?エヴァ?そーそー。宍戸はするりとそこから手を離し、どーせだからエヴァ観ていこーぜと膝を払った。栗松はぱっとわらう。いーね。指先にひふのあつさの残る手をもてあまし、どうにもできずに宍戸はジャージにこすりつける。栗松はどうしようもなく現実で、それに直面して逃げたいのは自分なのかもしれないと宍戸は思った。りんごをかじった最初の人間は、どこにも行けやしなかったのに。しろく乾いた楽園の砂浜には、現実と栗松をつなぐ轍がさびしくくぼんでいる。栗松の足のかたちをして、どこへも行けずに逃げることもできずに。それなのにあのとき現実にぽかりと浮かんだりんごの頭蓋みたいに、かなしいと喉も割れよと叫びながら。宍戸の足はなにも生まなかった。現実がまるで津波のように楽園を辿って押し寄せてくる。轍は栗松で終わっていた。まっすぐに、孤独に、幻のように、きよらに終わる。







聖轍(きよわだち)
宍戸と栗松。
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多摩野っておまえ。居丈高な、それでもかん高いその声に多摩野はふり返った。ながいポニーテールを動物のしっぽのようにたらした、小柄な自分と負けず劣らずちいさな少年が目の前にいた。くろい目をななめにして、めんどうくさそうに多摩野を見ている。あ、うん。不機嫌な空気に急いでうなづくと、彼はずいとノートを付き出した。冬海から。二冊にまたがってしまった課題の、まだ返されていなかったノートを受け取り、多摩野はまばたきをした。なんで、少林寺くんが。少林寺は眉間にしわをきゅっと刻み、なんでおれのこと知ってるのと逆に問い返した。えっと、聞いてる。誰から。あの、えと。多摩野は言いよどむ。まるい目をそわそわとあちこちに飛ばすと、たまちんなにやってんのと後ろから両肩を押さえられた。あ、さっくん。げっ宍戸。ふたりの声が重なって、宍戸が一瞬驚いた顔をする。
ひらひらとわざとらしく手を振るしぐさに少林寺がうわーと嫌そうな顔をして、知り合い?と多摩野に問いかける。うん、体育で。おんなじグループ。そーそー。ところでたまちんとあゆむって知り合いだっけ。しらね。今日はじめてはなした。少林寺はそっぽを向く。たまちんはあゆむのこと知ってるけど。なんでよ。宍戸は多摩野の肩に手を置いたままわらった。おれがいっぱいしゃべったから。おまえかよ!つかたまちんってセンスわるすぎるだろ!言いながら少林寺は宍戸にグーパンをぶちかます。ほほを強打されていってぇとのけ反る宍戸に、多摩野がびくりと肩をすくませた。おまえもなんか言えって。たまちんってどうなの。あっ、ぼくは別に、いいよ。急いでぱたぱたと手を振る多摩野に、少林寺は侮蔑に近い視線を投げかける。
宍戸がほほをさすりながら、たまちんもキャプテンに声かけられてんだって、と言った。へー。知り合い?う、うん。小学校のときとか、遊んでもらった。サッカーすんの。もじもじとノートを曲げたり伸ばしたりしている多摩野に少林寺は問いかける。その表情がはじめてすこしだけやわらいで、多摩野はのどの辺りがそわそわするのを感じた。えっと、しない。ふーん。おれはやればいいと思うけどねえ。宍戸が突然後ろから少林寺を抱き上げて言った。たまちん、運動神経わるくないじゃん。ちょっ離せモジャ。腕の中でじたばたもがく少林寺がふと止めた視線が、呆気にとられた多摩野の眉間をちりちりと焦がす。多摩野はあわてて目をそらした。だって。腕の中からするんと器用にすり抜けた少林寺は、ぺん、と多摩野の額をてのひらでたたいた。じゃ、サッカー部こないで。
鳴り響く予鈴にああっと少林寺は顔をあげ、そんじゃ教室戻るからと宍戸に言った。おー。じゃ部活でな。あたまをわしわし撫でる手をうるさそうに払いながら、少林寺はにっとわらった。いっそいじわるく、いっそ爽快に。それが自分に向けたものだと、多摩野はなぜかわかっていた。サッカー部こないで。いかにも簡単に投げかけられたその言葉が、多摩野の背筋をたまらず押しつぶす。ひでーこと言うねと宍戸がちょっとわらった。許してあげて。あいつあれでも真面目なんだ。言い訳がしたかったわけじゃないけど、だって(かっこわるいじゃないか)。あの。多摩野は声をあげた。ノートありがとう、少林寺くん。もう駆け出していた少林寺がふり返って、そのくちびるがちいさくわらう。多摩野はそれをおとぎ話のようなとおくとおくとおくで眺めていた。手の中ではへこへこにノートが曲がっていて、あだ名はそのあともずっとたまちんのままだった。少林寺と二度とはなすことはなかった。そしてサッカーは結局しないことに決めた。
(あのときぼくはうらやましかったのだろうか)
たまにこの感情を、思い出さずにはいられない。






生ける仲達
たまごろう。
遅くなりましてすみません。リクエストありがとうございました!
きみの手は取らない、という約束であった。焦燥だけは常に背骨のあたりに貼りつけておいたので、あとは回りだすのを待っていればよかったのだ。流されるのではなく自分の意思でせめても進んでいこうとするためにそういう約束をしたのはおのおのそれがこわくてきもくてそういうのだけはやだなぁそういう感じにはなりたくないなぁとうるわしいほどに意見の一致を見たからだったと思う。
(毎日普通に練習して練習が終わったあとも普通に練習した。それは盲目の行進に似ていた。伸び盛りなんて迷信だ。彼らから神はもう奪われていた。)寒気がする。
面倒なことがいつのまにか嫌いになっていたけどそれだけのことです。こんな風に変わるなんて知ってたらサッカーなんてしませんでした。(某月某日・部誌にて、以下空白)
これはおれの望んだ夏だろうかと問いかけたらたぶんそれはそうなのだ。はしってはしってはしりまくったらふとした瞬間にマーライオンみたいに吐く。体力と持久力に難があるからまずは基礎のからだづくりだと、毎日毎日はしりまくった結果がこれだ。あほみたいにからだにそれだけつめ込んだ水が疲労とかあつさとかで胃からせりあがってくるあの瞬間が夏だ。おれの望んだ夏だ。ほかにはなにもない。取るべき手を探すくらいなら一歩でも先に行こうとそのときのおれはもう決めていた。まっすぐな道を脇目もふらずにただはしる。おれにはそれしか残されていなかった。だけどひたはしった先にあるものを、必ずしも望んでいたわけではなかったのだ。きみの手は取らない。神経がびりびりに削られる。病んでひずんで燃えて崩れる。これがおれの望んだ夏だ。
そんなこんなで軒並み痩せた。彼らは中学生であり、どんなに頑張っても十三歳という肉体からは逃れられないのだった。自律神経が夏の日差しにいかれてしまい、熱中症から頭痛や嘔吐や鼻血を引き起こす。食っては吐き吐いては食った。食道が胃酸でぼろぼろに焼けた。盲目の行進はやまず、彼らは敗残兵さながらの絶望を背負ったスーパーノヴァだった。蝉の声がどしゃ降る青色一号みたいなその場所で、彼らは何度も意識を失った。スパイクの穴をふさぐ熱風は、彼らの涙さえも干上がらせた。
きみの手は取らない。そんなこと言わないで。音無のしろい膝が目の前にある。手をにぎる音無のてのひらがあたたかい。栗松がすごいでかい声を上げながら(絶叫みたいな)グラウンドを殴っていた。あんなんやったら手ぇけがするわ、と思ったら後ろから壁山に吹っ飛ばされていた。壁山は両足からものすごい勢いで流血している。見てられない。音無はちいさい悲鳴を、たぶん無理やり飲みこんだ。阿鼻叫喚の地獄絵図。ポカリ持ってきて。くちびるがかわいて逆に腐りそうだった。細胞さえままならない。たぶん木陰に運んでくれたのは壁山だ。音無の手がするっと離れた。グラウンドの真ん中に少林寺がひとりで立ち尽くしている。なんかかっこえーと思った。少林寺からはいい感じの葛藤がにじんでいる。ところで倒れたときにうちつけたデコがいてぇんすけど誰かに文句言うべきなの。それともおれがあほなだけすか。そっすか。
・吹っ飛ばされてだらんと倒れた目尻のあたりが涙でゆるんだ。じゃあどうすればいいの。もっともがけばいいわけ。才能ないんだよとかやっても無駄なんだよとか誰かおれにちゃんと教えてくれ。そうしたらおれは現実をちゃんと飲みこんでわらってみせるのに。もがくにももっとましな風にして、努力ってやつをちゃんとやってみせるのに。なんかいろんなものがえぐられて犠牲になるね。おれたちはいつまでおれたちでいられるだろう。いつまでおれを手放さずにいられるだろう。きみの手は取らないとちゃんと決めたから、それだけはみんな守り抜いていくんだろう。吐き気がこみ上げるし腿がつる。張り倒されたあたまがいたい。っていうか壁山!(だけどだらだら血を流す傷を押さえようにも手がいたい。おれのてのひらどこにあるの)くるしいくるしいくるしいくるしい。夕陽がいたいよ。たすけて。
膝からすごい勢いで流れてる血を確認する前に、ちょっと視線をめぐらせるとセンターサークルからゴールよりくらいに少林寺がぽつんと立っていた。そのからだがゆらゆらっとして、あっと思ったときにはぱたりと倒れる。ああ声かけてやんなきゃと思った。だけどいやがるかなとも思った。少林寺は絶対おれらにはみっともないとこ見せたくないはず。おれだっていたいしつかれたしもういろいろ限界だしで、きっとそんなやさしさをひねり出す元気はない。てんてんとボールがはずんで視界をよぎる。誰もそれをさわらないのに、この場所では規律だけがなまなましく息をしている。夏よりずっとあつく。ずっとつめたく。かべやまぁ。誰かが呼ぶ。じゃりじゃりのてのひらの先にはなんにもなかった。きみの手は取らないとあたまの中でおれがささやいた。音無が少林寺のところでしゃがみこんで、たぶんないている、気がする。それでも。それでもおれたちは負けました明日なんてこなきゃいいのに。
(ひふがざらつく。おれたちの夏です)
わたしの絶叫が聞こえる。






ありがとう、今週中に死ぬ
一年生。
程度の問題っつうね。宍戸が部室のすみにしゃがみこんで、スパイクの歯の手入れをしていた。カッターシャツ越しに肩甲骨が翼の生えかけみたいに浮き上がり、しかもそれは夏になってからよりいっそう際立っているように栗松には思えた。くしゃくしゃにまくり上げたズボンから、ぽこんとくるぶしの骨が飛び出したしろい足首がつき出している。やー別にそれはいいよと栗松は苦笑しながらユニフォームを脱いだ。へそのすこし上あたりに、あかく歯が食い込んだあとが残っている。八つ当たりはよくねぇだろと宍戸が肩越しに振り向いて立ち上がった。やっと終わったーとぐりぐり首を回す、そのしぐさが疲れはてていていたいたしいなと栗松は思う。宍戸のうなじがまっかに焼けていて、たぶん自分もそうなんだろうなとうなじに手をやって後悔した。てのひらににじんだ汗がしみこんでひりつく。あーと吐き出した声にも、たぶん砂がまだ混じっている。
スパイクの歯のあとのことはもう覚えていない。真夏の容赦ない日差しに串刺しにされながら、かわいたグラウンドを蹴ってはしるその感覚だけがまだ血を揺らしている。夕焼けのまるで映画みたいなあかさの中にたたずんだ、それは孤独とはまた違うふうに鼻の奥をちりつかせた。蹴られた瞬間に空がぐるんと回って、強い光にかすんで褪せたようなその色が、ふるいフィルムを逆回転させたみたいに栗松の視界をまわっていった。まるきりセンチメンタル映画だ。結局ほとんど休憩も取らずに動き回っていたので、栗松は後半の部活でひどく足をつらせてしまった。水分不足だとえらく木野に叱られて、ごまかしわらいでまたはしった。染岡がなにか言いたそうな顔でそれを見ていたが、栗松はたぶんそれと向き合うことをのらりくらりとかわしていた、と思う。理由もわからないのに怒ったりすることは、栗松はしないでおこうともう決めてある。誰にも言わないけれど、もうずっと前に決めていた。
宍戸がひょいと手を伸ばして、あかく腫れたそこを撫でた。いたそー。なんでもなさそうに宍戸が言うので、栗松はちょっとわらう。そーでもないけど。あかい夕焼けが鉄格子みたいな窓からななめに差し込んで、栗松のからだをはんぶんだけ照らしている。浮いたまっすぐの鎖骨がさんかくの影を刻んで、日焼けに剥けたほほがふっと力をなくした。程度の問題だよな。宍戸のがりがりの指も日差しにあぶられて焼けている。それがゆっくりと栗松を離れて、だけど宍戸はそこに立ち尽くしたまま動かなかった。栗松はカッターシャツに袖をとおし、日焼けの境目をすっかり覆ってしまう。なんかいろんなとこがいてーよ。栗松の言葉に宍戸は再度指を伸ばした。砂ついてんよ。親指でまぶたをぬぐってやると、そこがさっき触れたあかい傷よりあつく腫れていたので驚いた。
あれはやりすぎだって思うわけ。栗松がなんでもないみたいな、いっそ投げやりな口調で問いかけるのを、宍戸は流すこともできずに半端にわらった。くたびれたカッターシャツの下で、ひきつれながら後悔を繰り返しているもののことを、たぶんそのときに宍戸は、理解しなければならなかった。もー帰るかと栗松はスポーツバッグを持ち上げた。駄菓子屋寄ってアイスくおーぜ。いーね。宍戸はにっとわらった。栗松の表情があまりにも傷ついていたことに、触れようか触れまいか一瞬迷って、そしてきびすを返した。手放したことを悔やむのはずっと先になるだろうなと思った。じゃんけんするー?金ねー。ガリガリならできるだろ。いやーやめとこーぜ友情にひび入りそう。言いながら宍戸が一瞬振り向くと、栗松が腕で目をぬぐっていた。あーよかったと、そのときにはじめて呼吸をしたような気がした。
あかい夕陽にくろい影がながながと伸びていた。あおくかすんだ空の残滓がすみの方に追いやられたセンチメンタル。逆回しにしたフィルムの中でもあのときのことは二度と語らない。程度の問題ではなくてならなにを理由にできたのだろう。孤独にたたずむその視線が、見て見ぬふりをするのでやさしかった。ボールをぶつけられてぼこぼこに蹴られながら、そのソックスの足首に跳ねた泥のあとばかり気にしていた。八つ当たりでもいいのだった。それが彼の正義なら構わないのだった。つらせた足がまだいたむ。ひっくり返った視界をスパイクの歯が埋めた。呼ぼうとした声が蒸発して消えてゆくのを、きみならかなしがったりするだろうか。地面に這いつくばった熱ばかりが夏だった。百万光年の血が宇宙を揺らした。なにもないなにもないなにもない。眼球を燃やす夏ばかり。







ドクトル・ルーベルチュール
栗松と宍戸。
ロッカーの上にまとめて置いてあるポカリスエットの粉末が入った段ボールに、音無はいつも一生懸命つま先立ちをして手を伸ばす。音無より背がたかい誰か、特に一年生の壁山や宍戸がいてくれたら、踏み台使えよとぶうぶう文句を言いながら手を伸ばして取ってくれる。身長がおなじくらいの栗松は、クーラーボックスを踏み台にして文句も言わずにそれをしてくれる。音無よりずっと小柄な少林寺は面倒ごとがきらいなので、そこらで暇そうにしている背のたかい誰かを連れてきてくれる。なにもしないのは音無だけだ。実は以前栗松とおなじようにクーラーボックスを踏み台にしたら、体重のかけ方を間違えて思いきり後ろに転んで派手に背中とお尻をぶつけた。それ以来、踏み台を使うのはすこし怖い。でもそれを誰かに言うのは恥ずかしいし、やっぱりばかにされると思うから、音無はそのはなしを誰にもしたことはない。いつでもばかみたいに、届かない場所に手を伸ばす。
つま先立ちをあきらめてジャンプに切り替え、とうっやあっとひとり跳ねていると、後ろで扉がひらく音がした。なにしてるの。あー先輩。おつかれさまです。音無は跳ねるのをやめて振り向いた。部室の扉の前に、影野が段ボールを抱えて立っている。それなんですか。音無が問いかけると、影野は箱の天井やら側面やらを見て、かるく箱を振って、首をかしげた。拝見しますと音無は影野に箱を持たせたまま(軽そうなので)、ポケットに常備してあるペンの先で、ガムテープ部分をびーと破る。中には真新しいアイシングのセットとコールドスプレーが入っていた。肩のアイシングは不足していたので、わーと声をあげて音無はそれを広げる。肘、膝、足首用も入っていたし、スプレーも底をつきかけていた。やーん助かります。足りなくて困ってたんですよ。そう、と影野はやわらかくわらった。これ、誰からですか。夏未さんに頼まれた円堂から。キャプテンはそういうとこが駄目ですねっと言うと、まあそう言わずにと影野がぼそりといなした。
影野が左右を見渡して、どこに置こうかとたずねた。あっちょっと待ってください。音無は救急バッグから空のコールドを全部抜き、箱に入った新品のコールドをこちらも全部抜いたあとにそれを入れた。お待たせしました。あそこにお願いします。ポカリスエットの粉末が入った段ボールの隣を音無は指さす。影野は苦もなくそれをしてのけて、ついでにポカリの箱も取ってくれた。先輩って。あおいロゴの入ったパッケージをふたはこ取り出しながら、音無はしみじみと言う。ほんとやさしいですよね。そうでもないよ。またそれをもとに戻して、かるく手のひらを払ってから影野は言った。目金のほうがやさしいよ。えーと音無は声をあげる。ないない。それはないです。そうかな。影野はすこし考えるようなしぐさをしてから、くちびるをわずかわらわせた。目金はすごくやさしいと思うけど。
えーと音無は苦笑しながらうつむく。だって目金先輩、わたしにすっごくつめたいですよ。そりゃ、あゆちゃんとか先輩には、やさしいかなーって思いますけど、でも先輩よりやさしいってことは、ないですよ。うんと影野はあいまいに返事をした。音無ははーとため息をつく。昨日、目金が微妙に怪我してたんだけど。あー、足首やっちゃってましたね。音無はうなづいた。目金はからだの使い方が下手なので、特に左足によく怪我をする。誰も言わないみたいだし、音無、言ってあげたら。それわたし怒られませんか。うん、怒ると思う。もーなんなんですかーと音無は影野のからだをかるく突いた。珍しく影野はわらっている。大丈夫だよ。目金はそういうのに慣れてないだけだから。その口調がやけに断定的だったので、音無はぽかんと口をまるくひらいた。ええと、わたしもしかしてからかわれてます?影野はなにも言わずにわらっている。
音無はうつむいてせわしなく手のひらをこすり合わせた。わたし、嫌われててもいいんです。なんで。なんでって。音無が顔をあげると、影野の顔はまっすぐに音無を向いていた。だって。目金はやさしいよ。影野の言葉はぼそぼそとしていて、それなのに奇妙にふかく、胸に届く。音無にも、やさしいよ。影野の言葉はやさしい。まるで空気みたいに消えていくから、やさしい。目金は音無を嫌いになったりしない。届いても届いても、最後にはちゃんと消えていく。だから。影野はなにかを言いかけて、唐突に言葉を切った。おおやかまし、いいとこにいたな。救護班だキューゴハン。ちょっおまっこれ重傷重傷。やかましーちょっとスプレー貸してー。いやほんとまじでスプレーとかじゃねーいてぇんだけど松野しね。三回しね。つうかまじ投げるとかあり得ないでやんすよ。手がすべったんだよ黙れ栗野郎。口々になにやら言いながら部室に転がり込んできた松野と半田と栗松に、音無は今度こそ目をまるくした。
遅れて入ってきた宍戸が影野に会釈して、松野がジャイアントスイングで投げた栗松が半田に直撃した、みたいなことを音無に説明した。音無ははーと感嘆のため息をついて、どうしましょうかというつもりで影野を見たら影野がもうそこにいなくてびっくりした。半田がへんな汗をかいていたのでああほんとにやばいのかなーと、新品のコールドはこんなくだらないことで消費されてしまった。もうほんとにばかなひとたちだ。松野がげらげらわらいながら、あれバカゲノ帰っちまったーやさしくねーなーと言った。まったく同感だったので音無もわらった。それから目金じゃなくてよかったなと安心した。コールドの減りが早いねと木野が首をかしげるのにも、ちゃんと黙っておいた。だけど目金にはなにも言えない。影野があのとき言いかけた言葉もいまだに音無は見つけ出せない。その代わり目金を嫌いにもなれない。やさしくもしてもらえないけど、嫌いになる理由が今ではどこにもない。






きみを想うときめた
音無と影野。
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