ヒヨル いちねんせいのはなし 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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確かに彼らは動物をあまり好かなかったな、と思った。夜のことだ。いたいけに尾を振る仔犬をまるで病原菌の塊ででもあるかのように冷ややかに眺める、彼らはその点で言えば間違いなく成功に見放されていた。今さらながら壁山がそんなことを思うのは、練習と練習の合間に、ふと滑り込む沈黙に堪えかねていることに感づきつつあったからだった。開きすぎた左右のすき間は壁山のながい腕とおおきな手のひらをもってしても埋められず、それでも闇雲に宙を掻いてはあの頃を寄せ集めようとしている虚しい行為を、自嘲とともに終えることには弱りきっていた。みんながいてくれたら。ひとつ勝ち進むたびにその思いは強くなり、しかしそれを打ち明けるには、有象無象は希望にすぎた。ただひとり隣にいてくれた栗松がいなくなってからは、壁山はあまり考えることをしていない。みんながいてくれたら。やはり嘲笑に投げ出した脚の先を南国のぬるい夜が撫でていく。
宍戸はたぶん生き物という生き物すべてを疎んじていて、恐らくは彼の中にある最大の譲歩でもって、人間を相手に人間らしい人間関係を築いていた。意思の疎通が宍戸にとって対世界の上限であり、それができないものであれば関わる必要はないらしかった。がりがりに痩せた同輩の肩を思い出す。その頃壁山は彼をひどく痛々しい哀れなもののように思っていた、ように思う。壁山は宍戸と目を合わせたことがない。言葉を言葉を言葉を重ねて、宍戸が遠ざけていたものたち。壁山は今でもほんの僅か彼を哀れに思う。臆病な宍戸には、そうするしかなかったのだとしても。
少林寺は生き物は嫌いではなかった。四つ足のばったやかえる、蝶やむかでや蜘蛛や亀や長虫が彼の言う生き物のすべてだったけれど。壁山が見たら悲鳴を上げて逃げまどうそれらを、少林寺は時には羨望の目で眺めた。両手に掬った、節のもげた虫をいつまでも眺めているような少年だった。たとえばその足元に巣から落ちた雛が鳴いていても、それには見向きもしないような。彼は、痴呆のような幸福だ、という短い感嘆を口ぐせのようにしていた。それはいつも彼の故郷の言葉で小さく囁かれた。いつか静かに陽の沈むかはたれに、少林寺はその小さな手のひらに見事な揚羽蝶を捕まえた。そのときの、奇妙に途方に暮れたような虚ろな横顔を、壁山は今でも忘れることができない。
生き物はいつか死んでしまうから。栗松は宍戸や少林寺の潔癖をそう言った。昨日のような、ずっと前のような、曖昧な記憶の中で。だから嫌なんじゃない、と。壁山はなんとも答えられずに黙るしかなかった。栗松は動物すき?代わりに投げた壁山の問いに、すきだよ、と栗松は平然と言った。動物ならだいたいなんでもすきかな。壁山は、と投げ返された問いに、やはり壁山は黙った。そのときには、だったらどうして栗松は彼を好きになってはやれないのだろう、という問いかけばかりが、壁山の内側をぐるぐると駆けめぐり、それを口に出す前に栗松は壁山の隣からいなくなってしまった。いつか死んでしまうから。本当に?本当にそんな理由で?宍戸が痛々しく、少林寺が潔癖に、彼らの側から遠ざけていたものは、本当にそんな理由で、それしきの理由であってよかったのだろうか。
そして程なく壁山は思い知る。それが正解でも不正解でも、過たずにそこにたどり着ける栗松の、臓器のすき間を縫うような静かな本能を。それをどうしようもなく羨ましいと、憎らしいと、思ってやまない鬆のような自分を。
音無がひたひたとやって来る。ものも言わずに壁山の隣に横になる。いつか死んでしまうから。いつか死んでしまうなら。そういえばさぁ、と音無はぽつりと呟いた。あたしね、あゆちゃんやさっくんのこと、ほんとは全然知らないんだ。へえちゃんなにか知ってる?と問われたときに、壁山の中に沸き立った思いは、やはり彼を好きにならなくて正解だったのかもしれない、という、一瞬の気の迷いだった。音無は動物すき?壁山の唐突な問いに、音無は黙った。ふたりとも、動物は嫌いなんだって。壁山は静かに言い、そして沈黙が降り積もる。それしきの言葉に、ふたりともとうに傷つけられて、堪えかねてしまった。海がわめいている。いつか死んでしまうけものたち。好きにならなくてもいい。みんながいてくれたら。(おれたちは今すぐにでも泣き出せるのに)








狸穴に愚獣は群れ
壁山。
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家にはトースターがないので魚を焼くグリルでパンを焼くのだと言ったら、栗松は愛嬌のあるまるい目をさらにまるくして、変わってるね、と言った。まじで?とか、すごいな、とか、そういう当たり障りのない言葉を簡単に口にはしないのが栗松のいいところだと宍戸は思っていて、ちゃんと考えた上で返事をしてくれたのだ、ということがよくわかるような独特の言葉を選ぶのが、少しおもしろいとも思う。グリルにはトースターみたいなタイマーがついていないので、キッチンに椅子を引っ張っていって携帯で3分測るということも話すと、栗松はまじめな顔でキッチンタイマー使えば、と言った。宍戸はへなっとわらい、探してみる、と答える。栗松の言葉はいつも正しい。そのとき栗松は、キッチンでパンが焼けるのを3分も待つ宍戸がなんだかひどくかわいそうに思えて、それでそういう提案をしてみただけのことだった。宍戸は栗松の言葉にいつも想定外に嬉しそうな顔をするので、栗松はときどききまりがわるくなってしまう。
栗松はそりゃちびで出っ歯でへんな髪型で頭でっかちな、おまけに鼻炎持ちだけど。宍戸は思う(。ついでに、髪型だけはひとのことを言えた義理ではないな、とも)。たぶん自分よりもいろいろものを知っていて、自分よりもちゃんと考えている人間なんだろうな、と感じていた。ふたり並んで帰りながら。栗松が考えていることの、たぶん80パーセントくらいはどうあがいても表には出てこられない。どんな過激な言葉が栗松の中に渦巻いているとしても、彼の口から出るのはいつでも、どことなく臆病な感情と、それから、ちゃんと考えられた言葉だ。その20パーセントを少しでも自分に分けてくれているなら嬉しい。単純にそう思う。栗松と並ぶと頭がちょうど肩くらいに来る。守ってあげなきゃなぁと思いたくなる身長差だ、と宍戸は考える。実際に、栗松に守られているのが、いつでも宍戸の方であったとしても。それでも宍戸は栗松と並ぶたびに、守ってあげなきゃなぁ、と思う。
不当な扱いに傷つくのは、いつも決まって栗松の方だった。行こう。栗松はそう言って宍戸の手を無造作に取る。努力だけではどうにもならないのだと、宍戸は黙って耐えているように見えた。不当な扱いに、ただ黙って。栗松が平気な顔で守り続ける場所から追い落とされたことは、悲しくもあったが安らかなことだ、と、宍戸自身は思っている。選ばれないことは、選ばれることよりも安らかだ。栗松はだけど決まって、宍戸がメンバーから外されたときには、その手を引いて宍戸を連れ出した。河川敷でも倉庫でも、栗松に手を引かれて行く場所はいつでも嬉しかった。栗松が悲しい顔をしていることだけが引っかかる。そんなに悲しい顔をするようなことでもない、と思わなくもない。選ばれないことは安らかだ。事実、選ばれた栗松は苦しい顔で旅立っていったではないか。誰に手を引かれるわけでもなく。
一度、栗松が鞄に持っていたジュースをくれたことがあった。紙でできたうすむらさきのパッケージの、ブルーベリー黒酢ドリンク、という、ひたすら酸っぱくてのどに染みる飲み物だった。栗松はいつも通りの無表情で、宍戸にそれを差し出した。不当な扱い、のあとに。宍戸は黙ってそれを受け取り黙って飲んだ。栗松も黙っていた。飲まないの、と聞くと、いっこしか持ってない、と答えた。自分のためのものをくれたのだと、宍戸はおかしなことにそこで初めて気づき、おかしなくらいに感動した。もしも栗松が女の子だったら。宍戸は思う。ちびで出っ歯でへんな髪型で頭でっかちで鼻炎持ちでも、自分は絶対に彼女を離さない、と考える。その考えは宍戸を奇妙に強く明るくした。そしてそれは、たとえ栗松が男のままでも、実行するのはさして難しいことではなかった。栗松を離さずにいることが、彼への答えであるように思っていた。ずっとふたりでいるんだろう。それはとても自然な考えだった。
それでも栗松は行ってしまった。宍戸を置いて。
守られているのは幸福だった。そこに根差す哀れみに、ずっと前から気づいていたとしても。栗松はいつでも宍戸を連れ出してくれた。20パーセントの言葉を惜しみなく尽くしてくれた。でも、栗松は行ってしまった。宍戸の手の届かない場所に。臆病者のくせに。明日はうちに泊まりに来れば。つっけんどんな栗松の言葉に、宍戸は一瞬立ち止まった。その分栗松は先に進んでいる。うちにはトースターがあるよ。そう言う栗松の健やかな後ろ頭。心臓がひとつ震えた、その瞬間に宍戸は自分の痩せた指を栗松の無防備なてのひらにすべりこませていた。栗松が肩ごしに振り向く。予定調和みたいな自然さで。今うしなえば、なにも残らないとふたりとも知っていた。なにも残らない代わりに、傷つくこともせずにすむと。宍戸は栗松の手を強く握る。今うしなうくらいなら死んでしまった方がましだと思った。難しいことではなかった。守ってあげなきゃいけないと思った。それだけのことだった。
手を引いてくれるひとが、栗松にも必要なのだ。誰が届けてくれなくても、あさっての枕元にはちゃんとおれがいてあげよう。









黄昏の山路
宍戸と栗松。
少しだけ快活になったような気がする。そう思いながら栗松はベンチで練習を見ている。視線の先では少林寺がながい髪をなびかせながらおそろしく機敏に動いていて、そこにいてほしい、と誰もが思うであろう場所にぴたりぴたりと足を運んでは貪欲にボールに噛みついていく。小柄な少林寺は単純な力比べや高さ勝負には極端に弱いが、それらを補って余りある瞬発力と天性の勝負強さがあった。チームにひとりはあってほしい類の選手だ。それに少林寺はとても平らかなプレイをする。心の動きが見えないのは強みだ。恐怖や疲労や動揺はなにもしなくても相手に伝わるが、少林寺にはそれがない。実戦的な選手だ、と思う。栗松とは正反対の。パスミスのボールがラインの外に転がって、きゅーけー、と半田が両手をあげる。そのとたん、平らかな少林寺はいなくなり、彼の周りの空気がぴりっと張りつめるのを感じる。それでも少林寺は話しかけてくる新入部員たちに笑顔で応じていた。これも成長っていうのかなぁ、と栗松は思う。
少林寺とはときどき一緒に夕飯をたべるようになった。宍戸はあまり食事をしたがらないので、ふたりとは店の前で別れる。たまにはたべてけばと言って宍戸を食事に付き合わせた帰り道、彼はトイレで長々と吐いていたので、ふたりとももうそれ以上は誘わなくなった。その代わりと言ってはなんだが、少林寺と夕飯をたべない放課後には、栗松は宍戸と必ず一緒に帰るようにしている。商店街の奥の方にあるのり月という蕎麦屋が目下ふたりの気に入りで、少林寺はここに来るといつも鴨なんばんをたべる。逢い引きみたいだな、と、とろろ月見をぐるぐるかき混ぜながら栗松は思った。ねえ。なので店主が奥に引っこんでいることを確かめてから口に出してみる。逢い引きってわかる。アイビキ?少林寺は口の中身をきちんと飲みこんでから、眉間にしわを寄せた。小柄だがよくたべる少林寺は健やかだ。とても。アイビキって、あの?あの、というのが少なくとも肉を指しているわけではない、ということはわかったので、栗松は頷いた。
怒るかな、と思ったが、少林寺は少し考えるような仕草をして、さして嫌そうでもなくうん、と言う。栗松がそう思うならそうなんじゃない?まじで、と栗松はまばたきをした。え、おれ、そういう対象?違うだろ。少林寺は冷たく言う。おまえにとっておれがそういう対象なんだろ。あーうん、えー、どうかなー。ごにょごにょと言いよどむ栗松をまた冷たく一瞥し、そういうのやだな、と少林寺はひとりごとみたいに言った。少林寺の言葉は、どんなものでもともするとひとりごとみたいに響く。つるんとして、取っ掛かりがない。少林寺は今、年上の、ちょっとかわいい先輩に絡まれている。しかも三人も。ぎりぎりまで短くしたスカートの、ちょっとだけかわいい三人組。今日も部活を見に来て、少林寺だけを見てはしゃいでいた。少林寺はずいぶん明け透けできわどい言葉で彼女たちから誘われているらしい。
しょーりんはさ。箸を止めて栗松は言う。すきなやついるの。鴨なんばんをすすろうとしていた少林寺は、ちょっとだけ驚いた、という風に栗松を見て、栗松がまじめな顔をしていたので、また顔を前に戻した。手を止めて。いるよ。栗松は安心する。会えなくて寂しい?そう言ってしまってからあーしまったと思った。まるでもうわかってるから言ってしまいなよ、みたいな言いぐさだな、と思ったからだ。栗松、スゥァンね。少林寺はみじかい沈黙を挟んでそう言った。なぜか栗松は赤面する。なんとなく意味は伝わった。なんとなく、だけれど。寂しくないよ。それから少林寺は首をかるく曲げながら言う。おれがいなくても平気だから。どういうこと?思わず問いかける栗松に、栗松なにが言いたいの、と少林寺はうんざりした口調を投げつけた。あ、ごめん。怒らないで。栗松はへどもどと謝る。少林寺の目がじっと栗松をにらんでいる。なんか今日変だよ。ごめんって。言葉を濁して栗松はとろろ月見に向かう。
そして横目で隣をうかがう。少林寺の横顔のまっしろなほほとちいさな鼻とうすい唇。清潔な横顔。清潔なのはいいことだ。少なくとも。栗松は思う。泥の中で進退極まる自分なんかよりは、百万倍もいい。ばか。心の中を見透かされたような少林寺の言葉に栗松はどきりとする。なに。少林寺は平然と、叱ってほしそうに見えたから、と答えた。たとえばまだみんな一緒にサッカーをしていた頃、その頃とてもすきだった、と言えば。少林寺は驚くだろうか。怒るだろうか。(そんなことを思いながら、どっちでもない、と栗松は考える。驚きも、怒りもしない代わりに、)少林寺の言葉はいつでも栗松のいちばん深い場所を容赦なく刺す。帰ろう。少林寺は唐突に言った。奥からバナナマンの設楽に似たおやじがのそっと出てくる。楽しかったね、アイビキ。外に出るともう空は藍色に沈んでいた。少林寺はちっとも楽しくなさそうにそんなことを言う。ひとりごとみたいに。「栗松はおれがいないとだめみたいだね」
それは果たしてわるいことなのだろうか。
帰る途中に少林寺にくっついてみた。くっついているとしあわせだった。少林寺は前みたいに冷たい声で冷たいことを言った。少林寺は栗松の前ではちっとも快活でない。逢い引きは楽しかった、と思う。ふたりでいると楽しくて、満たされる。それは果たしてわるいことなのだろうか。今はもう、彼が眩しいばかりでないという、そんなことは。








だつたん
栗松と少林寺。
「世の中でいちばんかなしい景色は雨に濡れた東京タワーだ。」
そんな一文ではじまるとある小説のことを思い出しながら、栗松は闇に沈む窓の外を眺めていた。うつろな目をした自分ががらすに映りこみ、その向こうには星も見えない。どこの海の上を飛んでいるやら、飛行機は暗闇の中ぽつんと光る唯一の発光体として、たったひとりの乗客を乗せ日本への航路をなぞっている。ビーナス・クリメード・オービター、のようだなと思った。飛び立てば帰ってこられない、という点だけが、その意味をゆるやかに繋ぐ。気圧の変化が栗松の耳や鼻をふさぎ、傷の痛みを倍増させたのは一時間も前のことだ。座席を限界まで倒し、そこに毛布だのなんだのを山のように重ねて、怪我人が精一杯足を伸ばせるようにしてくれたのは、今は管制室で計器とにらみ合いをしているだろう古株だった。少し眠るように言われたが、栗松はずっと窓の外を見ていた。あと何時間か後には、東京タワーならぬあの古ぼけた鉄塔が、雨に濡れてもいないのに世の中でいちばんかなしい景色として栗松の前に現れてしまう。
そもそも、そんな大それた望みを持っていたわけではなかった。栗松は乾いた目をごまかすようにまばたきをする。世界を相手に戦おうだなんて、そんなことを望んでいたわけではなかった。世界という大きすぎる舞台には、自分のような臆病者ではなく、もっと適任がいくらでもいたはずだ。もっと勇敢で、もっと力強く、もっともっとその場所を望んでいたものが、数えきれないくらいに。選ばれてしまったからにはと、栗松も彼にできる最大の努力で、自分の足元に散っていった多くの選手たちに報いようとした。しかし世界で栗松にできたことはあまりにも少なく、そのくせ代償は高くついた。怪我と実力不足による離脱が告げられたときに見た仲間たちの哀れむようなあの目は、栗松の心の底をごっそりとえぐった。毛布を喉元まで引き上げながら、栗松は額を掻く。どんな顔で戻れというのだろう。一時的に自動飛行にしているらしい古株が顔を覗かせ、栗松は慌てて寝たふりをする。情けない、と思った。なにもかも、どうしようもなく。
空港にはえらく手持ち無沙汰という感の宍戸と少林寺が迎えに来ていて、松葉杖で歩いてくる栗松を見て、おーす、とふたり同時にさして嬉しそうでもなく手をあげたりした。そのまの抜けた調子にいたたまれなさを削がれて、栗松は妙に救われる。まつばづえー。宍戸は変なイントネーションでそう言ってから、あーもーちょー会いたかったんすけど、と真顔で言った。とたんに正面からぬるりと抱き止められて栗松は辟易する。おかえり。こちらはいつも通りの少林寺が、いつの間に受け取ったやら栗松の荷物を重たそうに下げていた。あ、持つ。いいよ。宍戸持って、と少林寺は宍戸を小突くが、おれ今両手ふさがってるからムリムリと宍戸は取り合わない。なんだかなぁと栗松は宍戸の骨っぽい腕の中で身をよじった。空港の大きな窓の向こうに、色鮮やかなイナズマジェットが見える。古株が近づいてきて、少林寺になにやら言付けていた。外国の匂いがする。宍戸がまじめな調子でそんなことを言う。
学校にはその三日後に行った。部活にも。なぜか松野に頭をグーで殴られたが、それ以外はいたって平穏で栗松は安心する。半田は栗松が戻ってきたことを手放しで喜び、影野は言葉少なに怪我を労った。顔ぶれは変わっていて、見たことのある顔もない顔もあった。闇野が部室の隅の方からとげのある視線を投げてくる。久しぶりに練習見ていけよ。半田の言葉に栗松は首を横に振る。しばらく病院通いでやんす。あそうか。半田は困ったような顔をする。まぁ時間あったら顔出せ。待ってるから。送ろうかという影野の申し出を断り、栗松はひとりで部室を出た。病院で診察を受け、その足で河川敷へ向かう。今日はクラブチームの練習もないらしく、閑散としたグラウンドに白線が消えかけている。雨ざらしで埃っぽいベンチに腰かけ、栗松はため息をついた。生まれ育った街が今や他人のように思える。学校も、部室も、先輩も、同輩も。夕日にあぶられた背中があつい。世の中でいちばんかなしい鉄塔が、栗松の視線の先に黒々とたたずんでいる。
見放されたのはどちらだろうと思った。傷ついて、傷つけられて、どちらが多くそれをしたのだろうと思った。空っぽの天秤を見ながら栗松はわらう。誰も望まなかったから、栗松は今ここにいる。絶望はいつでもサッカーの形をしていた。それは栗松からたくさんのものを奪った。栗松はまばたきをする。あとはなにがある?残ったもので、自分にはなにができる?ゴールの近くにボールがひとつ転がっている。栗松は立ち上がり、足を引きずりながらそこへ向かった。砂まみれのボールを拾い上げ、地面をひとつ叩いた。誰も望まなかったから、せめて自分だけでも、望んでも構わないだろうか。強くなりたいと、もっと強くなりたいと、望んでも構わないだろうか。絶望はサッカーの形をしていた。世の中でいちばんかなしい場所で、栗松は誰にも望まれずにその道を断たれた。それでも。それでも。それでも。
そのとき宍戸はじっと栗松を見ていた。溝を埋めてるんだよ。傍らで少林寺が呟く。行っちゃだめ。わかってる。宍戸は投げやりに言った。栗松は気づいているのだろうかと思う。栗松がサッカーと向き合うとき、サッカーのことを考えているとき、誰にもなにもできないくらいに寂しい背中をしていることを。その溝を必死で埋めて、また新たな溝を作って。栗松はいつもひとりきりであがいている。宍戸は目を反らせなかった。少林寺もまた、栗松を黙って見つめる。行けど帰れぬビーナス・クリメード・オービター。ふたりにとって世の中でいちばんかなしい景色がそこにあった。









明星
栗松。
膝の裏側に歯形を見つけた。土曜日と、木曜日。そんなとこ噛むなんて変態だと思って近くにいた少林寺を手招きしてあれ聞いてきて、と言った。少林寺は腑に落ちない顔で嫌そうにしながら、それでもつかつかと迷いない足取りで彼に向かう。少林寺はそういうおかしなことを想像したりしないんだなぁとしみじみしたら、今度はまっすぐこちらに向かってきた少林寺にみぞおちを突かれた。ぼへっ!?自分で聞きに来いって。少林寺は淡々と言う。今はむりと熱がこみあげる腹を押さえて首を振ると、少林寺はさげすむような目をした。それがたまらなくいい。彼は少林寺の向こうでニヤニヤしながら待っている。噛みちぎられてぎざぎざの爪とあかく剥けた指先をして。ジェラってる?結局むこうから近づいてきてそんなことを言う。うそうそ。おれおまえひとすじ。それが嘘だろと思ったけれどなにも言わずにみぞおちを叩いてやった。宍戸のからだは骨だらけで手がいたい。
ときどきいろんなものに対して無償にやさしくしたい期間がやってくる。熱が出そうなときのあの感じに近い。鼻の奥があつくなって倦怠がどろっとのどをすべり落ちる、瞬間。なんだかもう世界のすべてがいとおしくてうつくしくて、あまがゆいもどかしさに脳をわらわら侵されながら嘔吐する。病んでるなぁっては、思わなくもない。宍戸は吐きぐせがあってよくひとりで吐いている。つらいときとか苦しいとき、さみしがりの宍戸はことさらひとりでいようとする。からだをからっぽにして、つらいことや苦しいことがそこをじゃんじゃん抜けていってくれるのを待っている。あのひとといるときどうなのかなぁと思って、思っただけで考えるのをやめた。まるで宍戸が必要みたい。そんなことはない。ぜーんぜん、だ。だけど吐きながら考えるのは宍戸のことばっかりでかなしくなる。おれたちはくず野郎だ。いっそ世界から見捨てられたい。でもそれはひとりでいい。宍戸はくず野郎なりに上手にやっていけると思う。
なんだか自分が自分でなくなっていくような気がしている。と宍戸に言うと、宍戸はちょっと動揺して、嬉しいのとかなしいの半々みたいな感じで、大丈夫だよ、と言った、そのあと。こういうのうつるもんなの。ひとりごとみたいに宍戸は呟いて、なんだかそれがいやに引っかかる。うつる。宍戸からなにかをうつされたのだろうかと考えて、すこし記憶を探っただけでも心当たりがたくさんありすぎてウゲーとなった。病気とかなら困る。困るけどそれ以外のどうでもいいものなら別にいいかなと思う。そのうち。宍戸はつめたい手で首や耳や頬にさわる。宍戸の指先は荒れていてつらい。みえたり、聞こえたり、みえなくなったり、きこえなくなったり、するかも。なにそれ。うーんおれもよくわからんけどおれがそうだったから。宍戸は照れくさそうにわらって大丈夫だよ、と言った。案外わるくねーよ。くずみたいなおれたちにはお似合いだという意味だろうか。
今思えば宍戸は大丈夫だと、そればかりを口にしていた。誰に言うでもなく、かと言って自分に言い聞かせるわけでもなく。今思えば。思い出せるものは少なくなった。みえるものが増えて、みえなくなるものも増えた。あまがゆいあの感覚が脳をかき混ぜることもなくなった。もう世界をいとおしくてうつくしいものだとは思わない。それでもときどき得体の知れない羨望がこみ上げて、だらだらと吐いていたりもする。並んで帰りながら、宍戸がこれを、あのひとにはうつしてないといいな、と思った。大丈夫、なのは、いつも外側ばかりだ。守られない約束と、咲き誇る悔恨。うつくしい世界に吹きだまりささくれる塊。大丈夫だよ。宍戸はのどをそらす。しろいひふ。あかい指先。あおい血管。あかい嘘。あかいあかい嘘。明日なんて来ないよ。冬の嘘はきれぎれになって、ちぎれ果てて、つかれ果てて、粉々で。そのあとには星がひかった。明日になれば消えてしまうので、それまであればいいと思った。
きみは荒れた唇でおれのからだを這い回り、骨だけの魚がきみの背中を這い回る。南風は止んで、北風が暴れる。きみの街に冬はまだかな。きみの街には冬がまだ来なければいいな。


ぼくはねーきみを騙したいんだよ。なんて言ったらきみは泣くかな。











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