ヒヨル きかく 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

窓を叩く雨粒を無意識のうちに目で追いながら、染岡は頬杖のままため息をつく。止まねーな。うん。影野はさして興味がなさそうに、相づちばかりを律儀にしながら意識は手元の文庫本に落としてある。部活またできねーし。影野はその言葉にちらりと視線を上げ、窓の外を見て、止むんじゃないかな、とぼそりと言った。止んでもグラウンド入れねーだろ。でも雨は止むよ。はーと染岡はまたため息をついて、ときどきだらだらっと不規則に落ちていく水滴の軌跡を目でなぞる。夏なのにうっとうしいな。影野はそれにはなにも答えなかった。もう教室戻れば。あー、と尻上がり気味の返事をしたとたんに予鈴がけたたましく鳴り響く。じゃーまたなと席を立つ染岡と入れ替わりに、影野ー歴史の資料集貸してーと半田が駆け込んできた。かばんの中から分厚い資料集を引っ張り出してやる影野を尻目に、染岡は自分の教室までだらだらと戻る。
雨の多い夏ほどうっとうしいものはない。いつまでも湿気が居すわって動かない校舎はゆっくりとジレンマを溜めていら立ち、外で部活ができない運動部が、体育館が空いているわずかな時間に殺到して争奪戦になる。ただでさえ新人戦を控えた大事な時期であるために、その争いは最近とみに激化して、そしてその争奪戦に勝つのはだいたいが強豪の野球部や陸上部だった。弱小のサッカー部は(顧問の押しも得られないために)、雨が降ると自動的に部活は中止状態になり、円堂がときどき校舎内でランニングをして怒られるためにますます活動の場所を奪われていた。せめて雨が止めば。染岡は肩を回しながら眉間にしわを寄せる。外周を走ることができる。雨うぜえええええと廊下の真ん中で松野が絶叫していて思わずびくりとしたが、松野の場合は単に屋上でサボれないのが気に入らないのだろうと思った。理由はどうあれ、いい加減みんないら立っている。平然としているのは影野だけだ。
早口の数学教師の授業を半分意識を窓の外に飛ばしたまま聞き流していると、分厚い雲に覆われた空が一瞬さあっと明るくなった。染岡はまばたきをする。それと同時に染岡問三やってみろーと言われてわかりませんとばか正直に答え、しかし怒られることもなく丁寧な解法をみっちり教わって席についたときには、もう雨は止んでいた。えーと染岡は内心声を上げる。まじかよまじかよまじかよ。それだけではなく、授業が終わるころには青空まで覗いていた。まじかよ!チャイムが鳴ると同時に廊下に出ると、松野が廊下の真ん中でガッツポーズをしていた。よっしゃー雨止んだ!やっぱ染岡死ねって思ってよかった!なんでだよ!思わずつっこむと、松野は思いきりニチャニチャわらいながら染岡を指さした。あー染岡だーばーかばーかはーげうんこー。うんことか言うなあほ!けたけたと嬉しそうにわらいながら松野はPSP片手に駆けていってしまう。快晴の窓の外。
その日の部活は外周を走り、さらに風丸の口利きで陸上部のタータンの水抜きを手伝ったおかげで、そこでストレッチとサーキットもできた。松野はいやにテンションが高く、栗松を捕まえてジャイアントスイングでぐるぐる振り回したり半田や宍戸に向けて投げ飛ばしたりしていた。そんな阿鼻叫喚を尻目に、タオルをはんぶんこにして少林寺と使っている影野の背中に、染岡は片膝をかるくぶつける。よう。うん。おまえなんで雨止むってわかったの。なんでって。影野は戸惑うような顔をして、天気予報、と言った。朝、言ってた。染岡は見てないの。そんな余裕ねえよ。なあと少林寺に話を振ると、おれは見てますけどと普通に言われたので気まずかった。でもすげーびびった。なんか、予言かと思った。予言って。影野はちょっとわらった。そんなすごいことできないよ。でも。染岡は思う。天気予報をたとえ見ていても、自分は絶対に信じなかっただろう。雨は降って今日もまた部活ができなくてうっとうしい。それだけしか思わなかったろう。そうして必ず雨は降っただろう。止むことなく、いつまでも降っただろう。
おーいあゆむーちょっとーと松野が力強く手招きしている。少林寺はびくりとからだをすくませて、影野の後ろにこそりと隠れた。松野の傍らでは栗松が完全に脱力して倒れていて、壁山が心配そうに揺さぶっている。チッしゃあねーな。目金!めーがねー!あーあーと染岡は見事な手際で目金にプロレス技をかける松野をあきれたように眺めた。元気だな。雨じゃだめみたいだよ。なにが。松野、雨じゃ元気出ないって。ジャックナイフ式エビ固めー!と目金を締める松野におーと拍手する半田を見ながら、まぁいいか、と染岡はあたまを掻いた。おれも雨だと元気でねーわ。ふふ、と影野はわらう。晴れてよかった。ああ。今日は星だって見える。影野はひとりごとみたいに言って、両手を払って立ち上がった。
「どこまでもどこまでもぼくたち一緒に進んでゆこう」
染岡は影野を振りあおいだ。陰りはじめた光ににじんで、その表情はよく見えなかった。けれど。影野が手を伸ばして少林寺を立たせてやる。そのまま手をつないで、影野は松野に近づいてぼそりとなにかを話しかけていた。たぶんもうやめろとか、そういうことを言いに行ったのだろう。そのひょろりとながい背中を見送りながら、染岡はそっと目を細めた。グラウンドにいくつも広がった水溜まりは、かすかにくらくあおく沈んで夕焼けをきらきらと反射している。まるで星の海みたいに。影野がそう言うなら。不意に幸福にも似たものに胸を突かれて、染岡はそうっとふかく息をついた。影野がそう言うならきっと叶う。今夜はきっと星だって見える。どこまでもどこまでもぼくたち一緒に進んでゆこう。君が願うなら、星の海までも。






星の海まで
染岡と影野。
リクエストありがとうございました!相変わらず染岡きもちわるくてすみません。引用は銀河鉄道の夜。
PR
すかすかと頼りなくなった首の後ろを撫でながら、影野はもう何度か読み返したメールの文面を再度ゆっくりと読んだ。円堂から一斉送信で送られたそのメールにはすでに返信済みのマークがついていたが、それにも構わず影野の親指がゆっくりと画面を下げていく。ばらばらになる前に一度みんなでまた会おう、という内容のそのメールは、円堂らしい簡潔なあいさつとメールの主旨、それから手際よくもうすでに決まっている日時と場所、なにかあったらと自身の連絡先を表記して、忙しいと思うけど来れたらぜひ来てほしい、という言葉が締めて終わっている。どうしようかな、と影野は思った。もう不参加の返信をしているはずなのに、それでもどうしようかな、と思っている。円堂の提示した日付は引っ越しの日と見事に重なっており、ただでさえこういう集まりの苦手な影野を渋らせた。にも関わらず、今さらのように悩んでいるのはやっぱりあの頃がそれなりに楽しかったからなのか、と、影野はぱちりと携帯を閉じて荷造りに戻る。
円堂からはこれまた簡潔な返事を返信したその日に受け取った。残念だ。少しでも時間があったら来てくれ、というその内容をこちらも何度も影野は読み返す。円堂は中学生の頃の熱意もどこへやら、引く手あまただったスポーツ推薦の申し出をすべて蹴って普通高校へ進学した。なにもせず、ただ学校にだけ行っていたらしい。高校に入学したばかりの頃、たまたま道で会って少しだけ話をしたが、円堂はその選択を後悔する素振りも見せなかった。影野自身もサッカーからはすっぱりと手を引いてしまっていたので(ひとには向き不向きがあるのだということだけは、しっかりと学んだ)、ふたりともことさらそのことばかり話した。数ヵ月前まで当たり前だった世界のことを。数ヵ月前まで当たり前のようにそばにあったそれを、手放してしまったことを悔やむふりをして。本当は誰より円堂が悲しかったに違いない。理想はあのときに完全な形で完結してしまっていた。
財布を片手に影野は立ち上がる。今日の昼はコンビニで済ませようと家を出た。ゆるんだ日差しがやわらかく、それでもときどき吹くつめたい風が髪の毛を舞い上げる。河川敷には菜の花がまぶしいくらいに咲き乱れていて、その向こうのグラウンドを駆け回るたくさんの人影をにじませていた。にぎやかな声が響いてくる。幸福なその声。ほそい指を擦り合わせるようにしながら、影野はゆっくりとそこを通りすぎた。懐かしさに足がためらってしまうのかとも思ったが、いざそれに直面しても自分は振り返ることすらしない。あそこで駆け回るうちの一体何人が、サッカーをずっと続けていくのだろう。一体何人が、現実に直面してもなお、それを選びとるのだろう。自分にできなかったことを後悔はしない。それでも影野は考えずにはいられなかった。
コンビニの前に数人がたむろしていて、影野は思わず足を止める。集まって携帯をいじっていたうちのひとりがぱっと顔をあげ、あ、と短く言ってまっすぐこちらに走ってきた。びくりと立ちすくむ影野のあたまを両手でつかみ、えんどーお、と松野は声を張り上げた。バカいっぴき捕獲!その言葉にあとの三人がこちらを見て、それぞれ驚いたような顔をした。影野!松野に引きずられるように輪に入った影野の肩をかるく押すようにして、半田があかるく声を上げた。久しぶりだな。相変わらず暗いし。ああうんと適当に言葉をにごしてわらうと、円堂がちらりと影野を見ておまえ髪の毛どうしたの、と言った。どこやったんだよ。うお、と半田も驚いた顔をして、松野につかまれたままの影野のあたまをいろんな角度からしげしげ眺める。なんか新鮮だなー。半田はへらっとわらい、松野があたまをがたがたと揺さぶった。
円堂はもうあの頃トレードマークだったバンダナをつけていない。むき出しの額にこわい髪の毛が落ちかかっていて、それをてのひらでひといきにかき上げる。つっ立ったままの染岡が松野の背中をかるくげんこつでこづいた。やめてやれよ。松野はにやっとわらって手を離し、おいバカゲノ、おまえラッキーだったな、となぜか偉そうに言い放った。ラッキー?くしゃくしゃの髪の毛を手で直しながら影野が問いかけると、今からめし行くんだよと半田が言った。影野も来いよ。いいの。いいよ、おまえ今度来れないんだろ。先に追いコンやってやるよ。秋と夏未も来る。携帯に視線を落としたまま円堂は言った。告るんなら今のうちにやっとけよ。しないよ、と影野はうろたえ、なぜかそれと同時に松野に膝のうしろを蹴られた。
あー来た、と半田が道の向こうを見たとたん、松野が染岡の腕を引いてかけ出す。あーき!なーつみー!途中で染岡をぽい捨てして、並んで歩いてくるふたりに同時に抱きつく松野の背中を見ながら、円堂はなんでサッカーやめたの、と影野はそっとたずねた。円堂はそれには答えず、髪切っちまったんだ、とひとりごとみたいに呟いた。これでますます戻れねーな。戻る気なんてないくせに。影野はちいさくわらった。円堂は影野を見上げ、似合うよ、と言う。似合うよ、その髪型。影野は無言でまたわらい、こちらに懐かしげに手を伸ばしてくる木野と指をからめた。影野くんかわいい。木野の指はほそくつめたく、余った片手を何気なく夏未に伸ばすとためらいなく握り返されたので驚いた。
あの頃が完全に完結した理想だったとはいえ、その向こうにはまだまだ道がはるかに伸びていて、今自分がそこに立っていることに、影野は何度でも何度でも新鮮に驚く。頼りなくすかすかの首の後ろに誰かが触れて、そのてのひらを脈々と打たせるものをいとおしいと思った。たくさんのものを取り戻せないと、捨ててゆきながら嘆きながら、だからこその理想だったのかと影野は軽くなったあたまをそっと空に向けた。ときどきまぶしく思い出す、その記憶だけで満たされる。もうサッカーではないもので繋がっていられる。選ばなかった別の道に思いをを馳せることもない。現実に洗われて消えてゆくものものを、かなしむことなく見送れる。あの頃からすでに誰ひとり孤独なんかではなかった消失点ラムダの日々。







消失点ラムダ
影野。スワンカローク窯後日談。
リクエストありがとうございました!できるならもっと大勢出したかったです。
影野が目を覚ましたのは、全力で寝返りを打った松野の腕が側頭部に直撃したからだ。う、と喉の奥でうめいて目を開けると、まだあたりは暗かった。そこかしこでひそやかな穏やかな寝息が聞こえる早朝。鳥が鳴く声がする。枕元の携帯を開くと、ディジタルの時計は五時半をすこし回ったところだった。ゆっくりとからだを返し、あおく沈んだ体育館に目を凝らす。ひとつだけ空の布団があって、壁山と宍戸にはさまれたその位置が少林寺の寝ていた場所だと影野は気づいた。うつ伏せになって枕にあごをうずめ、まぶたをうすく開けたままにしていると体育館の扉がそうっと開いた。ちいさな影が音もなく体育館に入ってくる。おはよう。小声でそう言うと少林寺が驚いたように影野を見た。おはようございます。そしてにこりとわらう。周りはよほど深く眠っているのか、このやり取りにすら目を覚ます気配はない。影野の隣で松野がなにかしゃべっている。
少林寺はするすると縦横無尽な手や足をよけて自分の布団にたどり着く。影野ももそりとからだを起こして、布団の上に膝を抱えた。前髪を何気なく指ですきながら、黙々とストレッチに励む少林寺の背中を眺める。はやいね。そうですか?少林寺は肩越しに振り向いて首をかしげた。うちでは普通です。へえ。先輩も一緒にします?太極拳。気持ちいいですよ。影野はちょっとわらった。面白そうだね。いたずらっぽくわらう少林寺はストレッチを終えて、次はもさもさとはね回っている髪の毛に手を伸ばした。鳥の巣のような髪の毛には櫛がなかなか通らずに苦戦している。枕が変わるとそうなるね。影野は松野を踏まないようにゆっくり立ち上がると、少林寺よりはだいぶのろくさと移動してようやっと少林寺の布団にたどり着く。
貸して。え。少林寺が影野を見上げる。からだをずらして空いたスペースにすわり、櫛を受け取って影野は手招きをした。やってあげる。少林寺はぱっと顔を輝かせ、影野の前に背中を向けてちょんとすわる。痛いかも。平気です。きれいな髪。先輩のがいいと思います。ふふ、とふたりでわらい交わし、影野は少林寺の髪をとかしていく。枕が変わったせいかだいぶほつれていたが、もともとくせのないまっすぐな少林寺の髪の毛はすこしいじるとすぐにもとに戻る。少林寺はくすぐったいようにときどきからだを揺らし、そのたびにくすくすとわらう。先輩って、器用。そうでもないよ。それでも精いっぱい丁寧に、痛くないように丁寧に髪をとかしていると、栗松の布団から締めつけられるような苦しげな声が聞こえた。思わずそちらに目をやると、うめき声は徐々に細くなり、ややあって栗松が勢いよくはね起きる。苦しいんだよ!そう言いながら栗松は隣の壁山のこめかみに思いきりげんこつを食らわせた。どうやら松野と似たようなことをしたらしい壁山がもそりと寝返りを打ち、うー痛いーと目を開ける。おめーらうるせーしと宍戸も布団からもそりと起き上がった。少林寺は目をまるくして影野を見上げる。
あたまを掻きながら眠たそうに目をしょぼしょぼさせている栗松が、ふたりの方を見てぱちりと目を開ける。壁山がおはようございますーとわらい、はやいっすねぇと宍戸があくび混じりに言った。あーだめ。まだ血が回らね。そのまま宍戸はふらーと少林寺の膝に倒れる。うわああなに、ちょっとやめて。ごめんおれ低血圧なの。しーと栗松がひとさし指を立てる。みんな起きるよ。ごろりと寝返りを打って腰に抱きつく宍戸を怒鳴りつけようとした少林寺が、両手でぺたりと口を押さえる。あゆむの膝きもちー。がまんがまん。なにかを訴える目をしていた少林寺に壁山がにこりとわらう。ばっとこちらを見上げてくる少林寺に、影野もそっとわらった。辛そうだから、そっとしといてあげな。少林寺は片手でぺんと宍戸のこめかみをかるくはたき、ちょっとだけだかんな、とむっつりと言った。
栗松が目をこすりながら、先輩もはやいでやんすね、と言った。うん。影野は再度少林寺の髪の毛に指を埋める。髪をね。もー朝すげくてさ。少林寺がしたくちびるをつきだす。まじ爆発。栗松も寝癖のついた髪を指先でねじって憂鬱そうな顔をした。少林寺がかくんと首を揺らす。先輩の指きもちくて寝そう。よかったねぇと壁山がにこにこしている。おわりだよ、と影野が少林寺の肩をやさしく押さえた。そのとき体育館の扉がけたたましく開き、おはようございまあすと音無が声を張り上げた。なんだーみんな起きてんじゃん!いつまでもだらだらしてたらだめだよ!あちゃーと壁山がにがい顔をして、やりやがったあのばか、と宍戸がぼそりと呟いた。うるっせーんだよやかまし!寝てんだから気ぃ遣え!の怒号とともに飛び起きた松野が枕を投げつけ(それは避けきれなかった音無の顔面を直撃した)、その声で寝ていた全員が起きたことは言うまでもない。







希望の朝レッツラドン
影野と少林寺。
リクエストありがとうございました!このふたりがすきだと言っていただけるだけでたぎります。
土門はあめの包み紙やハイチュウの銀色の包装紙でよく折り紙をしている。ちいさなちいさな鶴をこまこまと折るのは、いかにもアメリカ育ちのあけすけでシニカルな土門には不釣り合いな遊びだった。しかし土門は、折り紙はする分にはプロダクティヴでアクティヴだし、完成したものはアメイジングだと大げさなくらいにこの遊びを絶賛している。ときにつまようじやシャーペンの芯まで駆使して、土門は背中を丸めながいからだをちいさくして一羽の鶴に相対するのだった。たまに木野がぞうとかさるとか尼さんとかの別の折り方を教えていて、それらにも土門は果敢に挑戦している。そんな目が疲れる肩が凝るようなくだらない遊びに、あながち冗談でもなく心血を注ぐ土門を松野は軽蔑していた。どうせごみになるのにと言ってやると、でも楽しいからいいんじゃん、なんて満足げにわらう土門を、松野は冗談ではなく軽蔑していた。
またやってんのかよ。部室のじゃりじゃりの机に、きれいに広げた包装紙を並べて片っぱしから折っている土門の手元を覗きこみ、松野はうっとうしそうに言った。んっとにおまえきめぇな。はは、と土門は明るくわらう。これが意外と楽しいんだって。病院くせぇ趣味しやがって。露骨に顔をしかめて松野はため息をつく。おめーはガイジかっつうの。松野はすでに完成しているもののひとつを、汚いものでもつまむように持ち上げた。うっは、こいつきめぇ。がに股の脚が生えた鶴を見てわらうと、これてっちゃんが教えてくれたんだよと土門が横顔でにっとほほえむ。へーえとまったく興味のない間延びした返事をよこし、がに股鶴をぽいと机の上に転がす。なーーモンハンやろーぜ。半田とやれば。半田いねえし。松野は土門の後ろに回ってパイプ椅子の背もたれをつかんで揺らす。あーあーちょっとー壊れるってー。土門はなぜか楽しそうにとがめ、結局松野の方が折れてそれをやめた。てのひらに錆がこびりつく。
おまえっていっつも楽しそうでいいね。松野は部室の中をだらだらとあるき回り、その駄賃にロッカーをかるく蹴ってみせる。土門はまたわらって、だって楽しいだろ、と言った。楽しくねぇよ。松野はおおきな目を剥いて、土門をにらむように見る。指先がいらいらと小刻みに動いていた。松野はなにが気に入らないのー。顔を鶴に近づけ、シャーペンの芯で羽の部分を丁寧に広げながら、土門はなんでもないように問いかける。なにが気に入らなくて、どうしたいのさ。がぁんとひときわおおきな音が聞こえたので、あーやったなーと土門は心中苦笑する。松野がロッカーをぼこぼこにへこませるのは今に始まったことではない。顔をあげると松野が冷ややかな目で土門を見ていた。説教とかくれんなよ。うぜーんだよ、おまえ。
松野にはわからないかもしれない。完成したちいさなちいさな鶴をてのひらに乗せ、じゃーんと松野の方に差し出してやりながら土門は思った。いつでも楽しそうなのは、いつでも楽しいことしか口にしないようにしているからだ。他のものはきれいに隠して、楽しいことばかりを取り出しているからだ。松野にはわからないかもしれない。そうでもしないとおなじになってしまう。なにが気に入らなくてどうしたいのか。なんて、そんなことおれが聞きたい。松野は土門のてのひらを思い切り払った。落ちた鶴をスパイクで踏む。おまえみたいに楽しいことばっかりで生きていけるとか、おれは全然思ってねーから。なんだか今にも泣きそうな顔をした松野が、声ばかり挑戦的に張り上げる。楽しいことしか知らないとか、おまえってまじかわいそうなやつ。
土門は思わず息を飲んだ。そうかもしれない。だけど気持ちとは裏腹に、気づいたらわらっていた。いつものように、楽しいことばかり見ているような目をして。松野ってほんとくそがきな。持たないものをうらやましがって、ぎゃあぎゃあわめくあわれな子ども。手を伸ばす方法も知らず、ただ欲しがるだけがすべてだと思い込む。土門は手を伸ばして、松野の帽子のあたまにぽんと置いた。でも、おれはおまえがうらやましい。松野は目を見開き、なぜか怯えたような顔をした。快楽と本能に背中をあずけているくせに、気に入らないことばかりを宝物のように抱えて松野は生きている。享楽の裏側のただれた現実ばかりをいつだって足下に見ながら、それをしない土門をうらやましがって軽蔑する。一皮むけば。土門は目を細めた。おなじ暗闇が顔を出す。松野はそれを待っているのか。まるでそれが悪いことで、叱られるのを望むみたいに。
松野は土門の手を払いのける。さわんじゃねーよ、あほ!松野はまるで脱兎のように部室を飛び出していった。入り口で誰かしらと追突したのか、くぐもった声が聞こえる。土門は立ち上がり、くしゃくしゃに踏まれた鶴を拾い上げた。ただ、さびしい、とすら言えない松野を、どうしてうらやましいと思ってしまうのだろう。さびしさなんかおくびにも出さない、そんな風なやり方に疲れたのだろうか。松野が逃げたい現実がいったいどこにあるというのだろう。嘘と虚構ばかりが積み重なった土門の、いったいどこにあるというのか。でも。土門は鼻唄混じりに机の上の包み紙や作品を手に取り、まとめてぐしゃりと丸めた。どうせ苦しいなら楽しいふりをしたいじゃないか。プロダクティヴでアクティヴでアメイジングな人生を、夢に見たっていいじゃないか。
当たりどころが悪かったのか疲れた顔で部室に入ってきた栗松が、松野に蹴られたロッカーを引いている。歪んで開かなくなったらしいが、土門はその後ろを素通りして部室を出た。楽しいふりでごまかせることなんてほんとはもう尽きてしまっていて、苦しい現実を直視するには、まだ理想や覚悟が足りずにいる。夏の日差しに目を射られ、蝉時雨が鼓膜を沸騰させる。ごみ箱に詰めこんで腐った幻想を、今さら取り戻したいと願ったところで。







腐れ外道の蝉時雨
土門と松野
リクエストありがとうございました!はじめて書くコンビなので新鮮でした。
河原の橋の下に老人がひとり住んでいる。髪も髭も伸び放題の、汚ならしい孤独な老人だ。彼は家のない人間がしばしばそうであるように、非常な無口であまり人前に姿を現さない。しかし河原の橋の下にそういう老人が住んでいる、ということは誰もが知っていて、橋の足元にぴったりと寄せるように作られた、段ボールやビニルシートで組んだ家を見に行く度胸だめしのようなことがはやった。円堂は一度もそういうばかげたことはしなかったが、その行為がだんだんエスカレイトして問題になったことなら知っている。なにがあるかわからないからあまり近づいちゃいけないけれど、変に差別したりするのはもっとよくない、というのが母親の方針だったし、だったら円堂はそれに逆らわないことに決めていた。そんな風な色眼鏡がよけいあの老人を孤独にさせることを、円堂は本能的に勘づいていたのかもしれない。
こんにちは。ある日円堂は仏頂面で老人に話しかけた。ねばり強く突っ立って。こんにちは。老人はゆっくりと顔をあげ、円堂をしばらくじっと見つめてから(目が悪いのかもしれない、と円堂は思った)、かすかにあたまを動かした。会釈するように。円堂はやはり仏頂面のまま深くあたまを下げ、その拍子に傘から雨がだらだらっと滴った。さらさらとこまかく降る雨は音を吸い取るみたいにしずかに町を包み、老人のうす汚れたカーキのジャンパーを濡らしている。老人はきまり悪そうにかすかにうつむいた。円堂がどかないと、橋を渡りきることができないのだ。雨ですね。円堂は無頓着に見せかけてまったく意味のないことを言った。老人は無言で立ち尽くす。伸びた髪の先からしずくがぽたりと落ちた。
円堂が黙るのに飽きるころ、老人は髭におおわれたくちびるを動かし、これじゃサッカーはできないね、と言った。思ったより穏やかで、落ち着いた声をしている。円堂はそれに安心してしまわないようにかたい表情でうなづき、一歩退いて道を譲った。老人はゆっくり円堂とすれ違う。隣をふらりと通ったとき、ひそやかにタバコのにおいがした。濡れたジャンパーのさびしい背中。家のない孤独な老人。円堂はその背中に一瞥をくれ、きびすを返す。足下で盛大に水溜まりがはねてスニーカーを濡らした。雨はすきじゃなかった。サッカーができないだけでなく、わずらわしいものをたくさん連れてくる。雨は嫌いだ。円堂は足を速めた。強くなる雨が機関銃のようにばらばらとばたばたと傘を打つ。
影野はいつも教室のいちばん後ろの窓際、いわゆるベストポジションに黙って座って本を読んでいる。円堂が教室の後ろのドアから顔を覗かせたときも影野はじっと文庫本に目を落としたままで、その無表情の横顔を見たとたんに冷めた円堂は声をかけるのを諦めてそこを立ち去った。昨日と同じくこまかい雨の降る放課後のうっとうしい部室で、円堂は影野を呼び止める。今日一緒に帰ろうぜ。影野はもそりと顔をあげ、円堂を見て、なんで、と言った。一応は部室に揃った面々は、それぞれがだらしなく弛緩したまま雨に倦んでいる。なんでもだよと円堂は不機嫌に返し、解散するぞ、と声を張り上げた。おつかれっすーとかまたなーとか言いながら部室を出ていく皆の背を見送り、円堂はビニル傘のぼたんを外した。
それからときどき円堂は橋の上であの老人に挨拶をする。仏頂面で足を踏みしめて、いかにも『いやいややってます』みたいな顔をして、それでもまぎれもない円堂の意思で。老人はそれに慣れることがないらしい。毎回困ったような顔をして無言で戸惑い、じっと円堂を見てから、ゆっくりとあたまを会釈のかたちに動かす。雨のよく降る時期だったから円堂は雨を狙って老人に声をかけていた。こんにちは。それ以外にはなんのやり取りもない。円堂は雨が嫌いだった。ビニル傘に護られた、そこだけが円堂の世界だった。橋を譲って老人を通し、そのあとに円堂は決まってひどく傷ついた。意図もわからずにしていることに対して、確かに傷ついているのだった。その考えにもまた円堂は護られていた。いつでも不当なのは世界でありあの老人だったのだ。
影野は無言で、円堂も無言だった。円堂より背のたかい影野の肩が雨にしずかに濡れている。橋を通りかかるとやはりいつものようにあの老人がゆっくりと歩いていた。老人が円堂を見る。しかし円堂はそれにちらりとも視線を向けずに歩み去った。正当だ。円堂の脳裏をその言葉があまく占める。おれは真っ当なことをしている。家のない老人と、おれは親しくなんてない。おれには一緒にサッカーをする友人がいる。一緒に帰る友人もいる。護られた幸福の世界。そのことが円堂を誇らしくさせる。カーキのジャンパーを濡らした老人となんか、この世界ではおれは関わらなくてもいいんだ。よく降るね。影野がぽつりと言う。寒い。寒い?円堂は眉をひそめた。学ランの下、カッターシャツの背中はびっしり浮かんだ汗でべたつくほど湿っている。首の周りが苦しいくらいに暑い。心臓がごとごとと音を立てた。
翌日も雨で、また円堂は橋に立つ。こんにちは。老人は円堂の前に立ち止まる。傘の柄を持つ手が吹き込む雨にびしょびしょと濡れた。かたい顔の円堂を老人はじっと眺めて、そして一瞬、憐れむようにうつむいた。エンドウ。老人の穏やかな声が響いた。きみは誰と話しているんだ、エンドウ。円堂は目をまるく見開いた。え。絞り出した声に喉がひりついた。老人がながい髪のむこうで目を伏せる。背中がたちまちのうちにぞっとこわばった。この世界は幸福に護られているのに。護られているはずだったのに。きみはだれとはなしているんだえんどう。喉の奥からたちまち恐怖が膨れ上がった。
老人はなにも言わず、立ち尽くす円堂を押しのけるようにして脇を通っていった。円堂の傘をくぐるときの、ひそやかなタバコのにおい。世界をぶち抜くさびしい背中。指先ががたがたと震えた。足元にすうっとつめたい風が通る。自分は。円堂は絶望的な気持ちで奥歯を噛んだ。自分は護られてなんかいなかった。本当は、なにひとつ持ってなんかいなかったのだ。首が苦しい。寒い。老人はその点で満たされていた。いつでも、孤独で満たされていた。円堂は震えながら肩越しに振り返る。雨にかすむ通学路。影野?返事はない。答えは返らない。そこには誰もいない。彼もまた孤独で満たされていたと、そう言うのだろうか。おれをひとりにして。ひとりぼっちにして。
「影野」
気づいてしまったときにはすべてが遅すぎて、遅すぎたからこそなくさずにすんだものもある。円堂はそれこそを失ってしまいたくて、しかし失ってしまったら今度こそ自分は戻れなくなるとわかっていた。もう、わかっていた。影野がここにいなくても。影野に護られていなくても。その日雨は止まなかった。円堂は雨が嫌いだ。







朱点閣去る橋にて
円堂と影野。
リクエストありがとうございました!やたら浮島さんが出てますが、円堂と影野のはなしです。
[2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11
カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
まづ
性別:
非公開
自己紹介:
無印雷門4番と一年生がすき。マイナー愛。

adolf_hitlar!hotmail.com

フリーエリア
アクセス解析

忍者ブログ [PR]