ヒヨル 朱点閣去る橋にて 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

河原の橋の下に老人がひとり住んでいる。髪も髭も伸び放題の、汚ならしい孤独な老人だ。彼は家のない人間がしばしばそうであるように、非常な無口であまり人前に姿を現さない。しかし河原の橋の下にそういう老人が住んでいる、ということは誰もが知っていて、橋の足元にぴったりと寄せるように作られた、段ボールやビニルシートで組んだ家を見に行く度胸だめしのようなことがはやった。円堂は一度もそういうばかげたことはしなかったが、その行為がだんだんエスカレイトして問題になったことなら知っている。なにがあるかわからないからあまり近づいちゃいけないけれど、変に差別したりするのはもっとよくない、というのが母親の方針だったし、だったら円堂はそれに逆らわないことに決めていた。そんな風な色眼鏡がよけいあの老人を孤独にさせることを、円堂は本能的に勘づいていたのかもしれない。
こんにちは。ある日円堂は仏頂面で老人に話しかけた。ねばり強く突っ立って。こんにちは。老人はゆっくりと顔をあげ、円堂をしばらくじっと見つめてから(目が悪いのかもしれない、と円堂は思った)、かすかにあたまを動かした。会釈するように。円堂はやはり仏頂面のまま深くあたまを下げ、その拍子に傘から雨がだらだらっと滴った。さらさらとこまかく降る雨は音を吸い取るみたいにしずかに町を包み、老人のうす汚れたカーキのジャンパーを濡らしている。老人はきまり悪そうにかすかにうつむいた。円堂がどかないと、橋を渡りきることができないのだ。雨ですね。円堂は無頓着に見せかけてまったく意味のないことを言った。老人は無言で立ち尽くす。伸びた髪の先からしずくがぽたりと落ちた。
円堂が黙るのに飽きるころ、老人は髭におおわれたくちびるを動かし、これじゃサッカーはできないね、と言った。思ったより穏やかで、落ち着いた声をしている。円堂はそれに安心してしまわないようにかたい表情でうなづき、一歩退いて道を譲った。老人はゆっくり円堂とすれ違う。隣をふらりと通ったとき、ひそやかにタバコのにおいがした。濡れたジャンパーのさびしい背中。家のない孤独な老人。円堂はその背中に一瞥をくれ、きびすを返す。足下で盛大に水溜まりがはねてスニーカーを濡らした。雨はすきじゃなかった。サッカーができないだけでなく、わずらわしいものをたくさん連れてくる。雨は嫌いだ。円堂は足を速めた。強くなる雨が機関銃のようにばらばらとばたばたと傘を打つ。
影野はいつも教室のいちばん後ろの窓際、いわゆるベストポジションに黙って座って本を読んでいる。円堂が教室の後ろのドアから顔を覗かせたときも影野はじっと文庫本に目を落としたままで、その無表情の横顔を見たとたんに冷めた円堂は声をかけるのを諦めてそこを立ち去った。昨日と同じくこまかい雨の降る放課後のうっとうしい部室で、円堂は影野を呼び止める。今日一緒に帰ろうぜ。影野はもそりと顔をあげ、円堂を見て、なんで、と言った。一応は部室に揃った面々は、それぞれがだらしなく弛緩したまま雨に倦んでいる。なんでもだよと円堂は不機嫌に返し、解散するぞ、と声を張り上げた。おつかれっすーとかまたなーとか言いながら部室を出ていく皆の背を見送り、円堂はビニル傘のぼたんを外した。
それからときどき円堂は橋の上であの老人に挨拶をする。仏頂面で足を踏みしめて、いかにも『いやいややってます』みたいな顔をして、それでもまぎれもない円堂の意思で。老人はそれに慣れることがないらしい。毎回困ったような顔をして無言で戸惑い、じっと円堂を見てから、ゆっくりとあたまを会釈のかたちに動かす。雨のよく降る時期だったから円堂は雨を狙って老人に声をかけていた。こんにちは。それ以外にはなんのやり取りもない。円堂は雨が嫌いだった。ビニル傘に護られた、そこだけが円堂の世界だった。橋を譲って老人を通し、そのあとに円堂は決まってひどく傷ついた。意図もわからずにしていることに対して、確かに傷ついているのだった。その考えにもまた円堂は護られていた。いつでも不当なのは世界でありあの老人だったのだ。
影野は無言で、円堂も無言だった。円堂より背のたかい影野の肩が雨にしずかに濡れている。橋を通りかかるとやはりいつものようにあの老人がゆっくりと歩いていた。老人が円堂を見る。しかし円堂はそれにちらりとも視線を向けずに歩み去った。正当だ。円堂の脳裏をその言葉があまく占める。おれは真っ当なことをしている。家のない老人と、おれは親しくなんてない。おれには一緒にサッカーをする友人がいる。一緒に帰る友人もいる。護られた幸福の世界。そのことが円堂を誇らしくさせる。カーキのジャンパーを濡らした老人となんか、この世界ではおれは関わらなくてもいいんだ。よく降るね。影野がぽつりと言う。寒い。寒い?円堂は眉をひそめた。学ランの下、カッターシャツの背中はびっしり浮かんだ汗でべたつくほど湿っている。首の周りが苦しいくらいに暑い。心臓がごとごとと音を立てた。
翌日も雨で、また円堂は橋に立つ。こんにちは。老人は円堂の前に立ち止まる。傘の柄を持つ手が吹き込む雨にびしょびしょと濡れた。かたい顔の円堂を老人はじっと眺めて、そして一瞬、憐れむようにうつむいた。エンドウ。老人の穏やかな声が響いた。きみは誰と話しているんだ、エンドウ。円堂は目をまるく見開いた。え。絞り出した声に喉がひりついた。老人がながい髪のむこうで目を伏せる。背中がたちまちのうちにぞっとこわばった。この世界は幸福に護られているのに。護られているはずだったのに。きみはだれとはなしているんだえんどう。喉の奥からたちまち恐怖が膨れ上がった。
老人はなにも言わず、立ち尽くす円堂を押しのけるようにして脇を通っていった。円堂の傘をくぐるときの、ひそやかなタバコのにおい。世界をぶち抜くさびしい背中。指先ががたがたと震えた。足元にすうっとつめたい風が通る。自分は。円堂は絶望的な気持ちで奥歯を噛んだ。自分は護られてなんかいなかった。本当は、なにひとつ持ってなんかいなかったのだ。首が苦しい。寒い。老人はその点で満たされていた。いつでも、孤独で満たされていた。円堂は震えながら肩越しに振り返る。雨にかすむ通学路。影野?返事はない。答えは返らない。そこには誰もいない。彼もまた孤独で満たされていたと、そう言うのだろうか。おれをひとりにして。ひとりぼっちにして。
「影野」
気づいてしまったときにはすべてが遅すぎて、遅すぎたからこそなくさずにすんだものもある。円堂はそれこそを失ってしまいたくて、しかし失ってしまったら今度こそ自分は戻れなくなるとわかっていた。もう、わかっていた。影野がここにいなくても。影野に護られていなくても。その日雨は止まなかった。円堂は雨が嫌いだ。







朱点閣去る橋にて
円堂と影野。
リクエストありがとうございました!やたら浮島さんが出てますが、円堂と影野のはなしです。
PR
[271]  [270]  [269]  [268]  [267]  [266]  [265]  [264]  [263]  [262]  [261
カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
まづ
性別:
非公開
自己紹介:
無印雷門4番と一年生がすき。マイナー愛。

adolf_hitlar!hotmail.com

フリーエリア
アクセス解析

忍者ブログ [PR]