ヒヨル きかく 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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すんなりと鼻筋の通った横顔を、凛としているくせにひどく脆い、うすい色がらすでできたグラスみたいだと思った。いつも背中を伸ばして、つややかな髪の毛を無頓着にそこに流したまま、孤独と懊悩と悲壮とをまとわせて、それでも彼女がまっすぐに見据える瞳の鋭さは磨き抜かれた刃のようにうつくしい。迷いのないまなざし。なにかご用かしら。ひたりと突きつけるように言われ、夏未は思わずひるみそうになった。そしてそれを恥じる。いいえ。彼女は読んでいる文庫本から顔さえ上げていない。使いこまれていい色合いになった、あめ色の皮のカヴァがかかっている。ならどこかへ行きなさい。彼女はそう言いながら、華奢なしろい手ですわっている生木のベンチをそっと撫でた。それが嫌なら、ここにすわるといいわ。夏未は足音を忍ばせてそっとベンチに近づいた。彼女からはつめたい雪のようなしずかな香りがする。
吉良瞳子という女性に対するチーム内の評価を、福岡に差し掛かろうとしている今でさえ夏未は測りかねていた。キャプテンである円堂は彼女に対して非常な盲目であり、その指示を違えることはない。だがそれは円堂の本心というより、彼女に従うことで得られる絶対的な復讐を望んでのことだと夏未にもうすうす感じられていた。あからさまに彼女に反発するものが少ないのも、その円堂の姿勢に一同が諾諾と従っているためだ。内にくらい野心を秘めた円堂は待ての上手なけもののようで、しかしその手綱を握っているのが彼女だとは夏未にはどうしても思えない。その華奢な指には、そういう類のものは不釣り合いに思えた。だからこそ興味がある。円堂をいびつにも飼い慣らすこの女に。木野が蛇蝎のように嫌う、がらすのような横顔をした吉良瞳子に。
夏未はレースの刺繍の入ったハンカチをベンチに敷き、プリーツをきちんと撫でつけて腰を下ろした。瞳子の視線は文庫本に注がれたままで、カヴァの間に見えるページはかどがよじれて褐色に縁取られている。何度も読み返されたに違いないその本に降り積もった俗くささが、奇妙な憐憫になってふと夏未の胸を刺した。そうっと手元を覗きこむ。武蔵野。瞳子がなんでもないように言った。国木田独歩。知っているかしら。名前だけは。思わず素直に答えてしまい、夏未は恥じらうようにうつむいた。瞳子は黙々とページを繰っていく。彼女の虹彩がよどみなく文章を追う、そのちらちらとしたかすかな動きがいかにも読み慣れている感じで、夏未はその目を横からじっと見つめた。蝶が羽ばたくような、かすかな躍動。生きている。と、唐突な実感は、次の瞬間には罪悪感になってぎたりと夏未の脳裏にはりついた。
ずっとそうしているんですね。夏未の言葉に瞳子はわずかに視線を動かした。曇った鏡のような瞳子の目。瞳子は誰とも会話をしようとしない。試合から離れてしまえば、なおさら。そしてそれを、おそらくは誰もなんとも思っていない。そういうひとだから、と、誰もがこれ以上の歩み寄りを諦めている。瞳子は夏未を見て、しおりを挟んで本を閉じる。他にすることはないでしょう。夏未はちょっと考え、わたしとなにかはなしませんか、と切り出した。あなたとはなすべきことはなにもないはずよ。夏未はかすかに微笑む。わたしにもありません。そう。瞳子は、視線を皮のカヴァに落とす。表紙を撫でる手つきが、やさしいくせにへんにおざなりだ。独歩、おすきなの。嫌いではないわ。じゃあ、すきなのね。瞳子はちょっと迷うように沈黙し、ひとつだけね、と言った。ひとつだけ、すきなはなしがあるわ。どんな?裏切られるはなしよ。投げやりに瞳子は答える。つまらない物語だけど、それだけは何度も読み返してしまうの。
裏切られるはなし。夏未は考えるように繰り返した。裏切られたことが、あるの。夏未の言葉に、瞳子はかすかにくちびるをほころばせる。いいえ。裏切ったのはわたし。大切なひとを傷つけたわ。夏未は目をまるくする。その言葉は瞳子にはそぐわないように思えた。親を泣かせてばかりの不良少女があたまに浮かび、自分の発想の貧困さに内心あきれ返った。瞳子は視線をまっすぐ前に向ける。だからわたしは罪滅ぼしをしているの。ひどいことをしたから。どうして。夏未の問いに瞳子はゆっくりとまばたきをする。どうしてかしらね。蝶のようなかすかな躍動で。だけどわたしには、償うべき罪がある。それは事実なの。脆い横顔で瞳子は言う。孤独と懊悩と悲壮とをまとわせた吉良瞳子。興味ではない。夏未のこころが音を立ててきしむ。
監督は。夏未はみじかく息をしながら呟いた。わたしたちを頼ってくれないの。ええ。針ほどの沈黙で、瞳子はきっぱりと言う。どうして。震える指を握りしめながら、夏未は声を振り絞った。それはね。夏未とは逆に、小揺るぎもしない口調で瞳子は答える。あなたたちには守るものがあって、わたしには、それがないからよ。言葉のひとつひとつが鋭利な刃となって夏未のこころを削いでいく。夏未さん。瞳子の華奢なつめたい指が、まつ毛のながい夏未のまぶたをそっとかすめた。勘違いしてはだめ。誰もがあなたの隣にいるけれど、ひとは本当は孤独なものよ。あなたも、わたしも、とても孤独ないきものなの。だから間違ってはいけない。差しのべる手を、今一度よく考えなさい。感覚を研ぎ澄ませて、何度でも立ち止まるの。ひとりで生きてゆくことができない人間に、誰かとともに生きることなんて絶対にできないわ。
夏未はからだをひるがえし、瞳子の肩に額を押しつけた。その指は、もう髪の毛すら撫でてはくれない。ひどいひと。なんてつめたいひと。裏切り、傷つけ、傷ついて、ひとりぼっちで、孤独を飼い慣らす吉良瞳子。いつか誰かとともに生きていくために、その日を待ちながら彼女はそれに耐えている。泣きたい気持ちを必死で押さえこみながら、夏未はそっと呟いた。監督をやめてはだめ。あなたはここから、逃げてはだめ。せめて今だけは、ともにゆきたかった。せめて彼女に差しのべたてのひらに、夏未はなりたかった。そうね。瞳子のつめたいてのひらが、王女のローブにかしずくようにそうっと夏未の背中に触れた。だから見届けてちょうだい。見届けて、そして赦してちょうだい。ひとはとても孤独で、寂しくて、だけどそれだけでは生きてはゆかれない。差しのべられるべき手もあれば、赦されるべき罪もあるはずなのだ。
だってそうでしょう。夏未は夏未に問いかける。わたしたち、ともに生きていくことだってできるでしょう。凍てついた花のようなひと。凜と気高い殉教のひと。夏未は手を伸ばして瞳子のあたまをかき抱く。びろうどのような髪。がらすのような吉良瞳子。伝わるものならば、すべてを投げ出して願いたかった。彼女が解き放たれ、なにもかもが赦されるであろう、その日を。








プリザーブド・マイガール
夏未と瞳子。
リクエストありがとうございました!あんまり百合ぽくならなくてすみません。マイガールはばらの名前です。文中の作品は、独歩「源叔父」
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木曜日の練習後、円堂がバインダー片手に部室から顔を覗かせ、壁山と影野居残りなーと言い残してまた引っ込む。あーと影野は壁山を見た。日曜?そうっす。練習試合の日程だ。それぞれがトンボを手にグラウンドをならしているときも、円堂は部室にこもったまま出てこない。手早く整備を済ませ、円堂と影野と壁山以外のメンバーはできるだけ急いで着替えて部室を出る。練習試合を控えた週には必ずいちにちこういう日があって、円堂とDF確定のメンバーだけが居残ってフォーメーションを練ることになっている。ふたりか。影野がぽつりと言うと、めずらしっすねえと壁山も首をかしげた。先々週の金曜日、同じようにミーティングがあったときには影野は呼ばれず(ベンチだった)、壁山と風丸、土門と栗松が呼ばれた。そのときの試合、対木戸川清修戦は、四人のDFと円堂とでゴールを守りきった雷門が二点を挙げて勝っている。
円堂はつめたいコンクリにジャンプを敷いて、バインダーをじっと見ながらすわっている。ふたりはそのまま地面にすわった。けつつめたくね。平気っすよ。影野もうなづく。円堂はバンダナの下に人さし指を突っ込んでごりごり掻きながら、バインダーをふたりに見せる。今回ベンチは風丸と半田と松野、あと鬼道な。差し出されたそれを受け取って、影野はあーとひくくうなづいた。半田が外された理由は、たぶん遅刻が多かったからだ。松野は練習にキレて帰ったのが、二回。風丸さんはなんでっすか。調子わりーし。あいつ一回テンション下がったらながいな。風丸の不調は先週あたりから続いている。どうも周りのプレイとひとり噛み合わず、ちぐはぐに浮いてしまっているのだ。この間も危うく松野にけがをさせそうになり、そのせいで松野は帰ってしまった。それに関して円堂はどっちもどっちだと言い切ったまま放置してある。それもまた、風丸の不調が続いている原因かもしれない。
つうわけで今回スリートップでやるぞ。円堂が指さすバインダー、FWには豪炎寺、染岡、目金の名前があった。目金出すんだ。影野の言葉に円堂はくちびるを曲げる。まぁあいつ頑丈だし。いざとなったら火事場のクソ力ぐらい出すだろ。けがしないといいっすけどねぇ。そんで次なと円堂は指をずらす。その下のMFは五人。少林寺、宍戸、栗松、一之瀬、土門の名前が並んでいる。あーみんないる。壁山がぱっと嬉しそうな顔をした。栗松MFっすか。あいつ今キレキレだしな。チャンス逃したらあいつもスランプ入りそうだから使ってみる。ガンガン上げるぞ。栗松最近シュート技覚えたって言ってたから打たせてやってほしいっす!にしても今回、超攻撃体勢っすねえ。ばんばん打って削ってかないと点取れないからな。つか千羽山相手に守る試合とかできるわけねーし。影野はちょっとほほえむ。なんだかんだで円堂は一年生を使いたがるし、それぞれをちゃんと観察しているのだ。
鬼道を外した理由をうぜえからと円堂は言いきった。あいついちいちうるせえし。ふふふっとわらった影野に、失礼っすよおと壁山が間延びした声を投げかけた。ちゃんと考えて動くこともやんねえとな。考えてることが裏目にでるあほもいるし(宍戸のことかな、と壁山は思う)、考える脳みそ入ってねえクソもいるし(松野のことだ、と影野は思う)。あーと今回おれ技封印するから。おまえらがきっちり守らないと負けるから覚悟しろよ。壁山はまぁいつもどおりで。影野足引っ張るなよ。下手こいたら音無と交代だからな。ひどいなと影野はわらう。影野さんならだいじょぶっすよと壁山が力強く請け負ってくれた。一緒にがんばりましょう!うん、と影野はひどく満たされた気持ちでうなづく。いつもどおりな、と、たぶん円堂が無意味に繰り返した。
いつもどおりで、という言葉を影野は少しだけうらやましいと思った。円堂は一年生をかわいがっているが、その中でも特に、端から見てもあからさまなくらいに壁山をひいきしている。壁山は優しくて穏やかで、いつだってチーム全員の味方だ。円堂は壁山に全幅の信頼を寄せていて、それが決して裏切られないことを誰もが知っている。円堂はきっと壁山をひとりじめにしたいんだろうなと影野は思った。なんだかずるい。うらやましい。いつもどおりで、で通じるほど、ふたりが強く結ばれているのがうらやましい。足引っ張るなよ、かぁ。影野がほんのわずかくちびるを曲げると、壁山が気遣うようにやさしくわらった。大丈夫っすよ、影野さん。おれがミスしたら、カバーお願いします。影野は壁山を見る。にこやかにほほえむ壁山。うん。影野はうなづく。ありがとう。おなじポジション。ふたりっきりのDF。全幅の信頼。素敵なことだ。
ミーティングは毎回、円堂がどうするのかを言って終わる。今回はエコな感じの試合にしたいとわけのわからないことを言いながら、円堂は部室に鍵をかけた。影野このあとどうする。おれ?影野はちょっと考えて、帰るけど、と応える。ふうん。円堂が意味ありげにわらった。校門の前でそれじゃあと手を振った直後、円堂が壁山の背中をぱしんとはたくのを影野は聞いた。ラーメンくいに行くぞ。その声に影野はぱっと振り返る。おれも行く。はぁ?視線の先で、肩ごしに振り向いた円堂が思いっきり、心の底から嫌そうな顔をしている。おまえ帰るって言っただろ。はやく帰れよ。おれも行く。円堂の言葉を無視し、そう言いながら影野はほとんど小走りでふたりに向かって歩き始めた。円堂の隣で、同じように振り返った壁山は目をますますまるくしていて、だけど確かに、影野に向けてにっこりとわらった。はぁいや意味わかんねーしおまえまじ空気読めボケ。円堂は次から次から罵声を飛ばすが、そんなもの影野は右から左だ。
並んでいたふたりの間に強引に割り込み、雷雷軒だよなはやく行こう、と影野は壁山の肩を押した。いやいやいやおれが壁山といきてえだけだから。おまえ帰れよ。円堂がさらにふたりの間に割り込む。いやだおれも壁山とラーメンくう。いつでもくえるだろ今日は譲れ。壁山、おれも行っていいよな。えぇと、おれは嬉しいっすけど。壁山てめー勝手なこと言ってんじゃねー!ちょ、まじおまえ、なに今日なんでこんなしつけえんだよ。しつこくない。しつけーよぼけ!三人はもつれたり離れたり押したり押されたり、ぐるぐるしながらひとかたまりのいきものになって商店街へと歩いていく。霧の荒野をとつとつと歩く寒馬のように。おれがおれがとにぎやかな円堂と影野のまん中で、久しぶりに四人で試合出れて嬉しいなぁと、壁山はまったく違うことを考えているのだった。全幅の信頼を寄せられ、それでもそれをものともしない。きっといい試合にしようと、ほうっとついた息がまるく漂った。壁山はにぎやかな先輩たちをゆったりと穏やかに眺める。心優しく辛抱強く、頑健な蹄をしたのどやかな馬のような瞳で。







寒馬チャイルド
円堂と壁山と影野。
リクエストありがとうございました!ごしゃごしゃしたおはなしになってしまいすみません。この三人で書くのは新鮮で、すごく楽しかったです。
あのしろくて清潔な檻のような部屋で、宍戸は天井ばかりを見ている。風丸は窓の外ばかりを見ていて、染岡は日がな一日文句を言いっぱなし。半田は不景気な顔で見舞いをむさぼり食うし、松野はナースにセクハラ三昧。栗松はゲームにのめり込んで、少林寺は屋上で風に打たれる。影野は死んだようにひっそりと静かに寝てばかりで、そして、宍戸は天井ばかりを見ている。
宍戸は入院してすぐ、砕けた脚に金属を入れる手術をした。二度に渡り、三ヶ所も。彼の脚はめちゃめちゃだったのだ。痛みに叫ぶ気力さえ奪うほど。初回の手術のあと、宍戸はひどく吐いたらしい。それ以来、宍戸は生きながらがいこつみたいにどんどん痩せていく。点滴がだらりと伸びた腕は、海岸に流れ着いた流木みたいにしろくてこぶこぶにほそい。その静脈ばかりがあおい河のようにはしる腕で、その果ての指で、宍戸は栗松の入院着をつかんで離さない。ときどき栗松は宍戸の手を握り返してやる。会話もなく反応もしない宍戸の薄い胸がかすかに上下して、それを栗松は安心する。それを確かめるために、栗松はいつまでも宍戸のそばから離れない。宍戸は天井ばかりを見ながら、わらいもしなければ泣きもせずに、ただがいこつのようになりながら、生きている。
少林寺は病室があまりすきではない。鬱憤と不満と嫉妬と底のない深くくらい怒りばかりが渦巻く、清潔なだけの薬くさい掃き溜めだ。全身に染みついた倦怠を洗い流すために、少林寺は可能な限り外にいるようにしている。もうすでに、からだは家畜のように鈍っていた。血液からも薬のにおいがする。このままだと死んでしまう、と、ほとんど比喩ではなく少林寺は実感していた。傍らに立てかけた松葉杖が、風にあおられて高い音で転がる。それを拾おうとしてかがんだ、その視線の先で金属のおもたい扉がほそく開いた。ひどく苦労しながら、宍戸がゆっくりと出てくる。少林寺はギプスの脚を引きずって、扉を開くのに手を貸した。宍戸は抜けるほどしろいひふと枝みたいな指をしている。抜けるようなあおい空から眩しそうに顔を背ける、その横顔ががらんどうだ。
ふたりでベンチに並んで腰かける、その間ずっと宍戸が無言のままで少林寺はなんだかいたたまれなくなる。今日は風がつめたい。さむくない。少林寺は小声でそっと訊ねる。宍戸は空の遠くを眺めたまま、首を横に振った。どうして宍戸が突然外に出てきたのか、少林寺はどうしても聞けない。その代わりに宍戸のギプスの脚を見た。宍戸は脱皮したばかりの虫みたいにしろくて、それ以上に異物然としてそこに座っている。何年もあそこに寝ていたわけではないのに、宍戸のからだからは少林寺が拭おうとしている何倍も強く絶望のにおいがする。あのしろく清潔な檻と宍戸は、もう少林寺の中でひとつの絵画のような風景だった。髪の毛がさわさわと風をはらむ。あのさ。なにか言葉をかけなければ、と少林寺が思った、そのとたんに宍戸の手が伸びてきた。骨格標本みたいな胸に抱き寄せられて、少林寺は言葉を飲みこむ。あゆむ。かさかさにかすれた声と、枝みたいな指と、どろりとまとわりつく絶望。宍戸の胸のぽけっとには、まるくでくぼくしたなにかが入っていた。
なんかあいつ元気になった。栗松に問いかけられ、少林寺は首をかしげる。天井ばかりを見ていた宍戸は、最近よく病室を出てあちこちを歩き回っているらしい。なぜかそれをきっかけに病室の風通しは妙によくなり、それが今度はへんに後味のわるい違和感となって少林寺の脳裏に鬆を立てた。栗松もその宍戸の変貌に納得がいかないらしく、落ち着かない様子で宍戸の空っぽのベッドをちらちらと盗み見ている。寝てるよりはいいんじゃない。まぁそうなんだけど。栗松が伸びをすると肩がぽきりと音を立てた。なんの意味もなく、ただずるずると病院内を徘徊する宍戸は、生きているだけの幽霊みたいなものだ。わらいもせず、泣きもせず、ほとんど言葉もなく、宍戸のからだはただ生きているだけだった。がらんどうの宍戸を、突き動かしているものの正体がわからない。深い海の底のような息苦しい病室で、天井ばかりを見ていたのに。
宍戸は屋上で膝を抱えてうずくまっている。窓際に枯れ木のように立ち尽くしている。生きている幽霊みたいにあるいている。しろい海底ではるか頭上の水面ばかりを見ている。宍戸は鶴のように痩せて、がいこつみたいにがらんどうで、砕けた脚を引きずって、それなのに生きている。少林寺はこんなところにいたら死んでしまいそうになるのに。ぶわりとカーテンがはためいた。音が遠ざかり、色がなくなる。栗松がゆっくりと立ち上がって、宍戸にそっと歩み寄った。宍戸は栗松のてのひらに、胸のぽけっとから取り出したなにかをそっと置く。栗松の横顔がおののき、宍戸の横顔はうつろにわらっている。生きている幽霊。少林寺の指先がぞっとこわばる。栗松のてのひらに乗せられたのは、芽がながくながく伸びたじゃがいもだった。うつろな宍戸の横顔。しろい檻の哀れな囚人。「一緒に死のう、おれと」
宍戸は今日も天井ばかりを見ている。
じゃがいもの芽にはソラニンという毒がある。







空人
入院組一年生。
リクエストありがとうございました!すごく書きやすくてツボな内容でした。宍戸メインって仰ってくださったのがとっても嬉しかったです。
波の立たない穏やかな毎日、というのは一体どういう理屈から生まれてくるのだろう。そんなことを考えながら、宍戸は屋上の扉を肩で押して開ける。昼間のあおい日射しがどわぁぁぁぁぁっと一方的に視界を満たし、むしろそれをがぶがぶと喰い破るように宍戸のひょろい足がぱきぱきのコンクリを踏んだ。屋上のまん中に、少林寺が三角ずわりをしていて、そのちいさな横顔はちいさなてのひらで持った文庫本を熱心に眺めている。宍戸はあーゆむー、とながく声を引きながら少林寺に横からつっこんで、ラグビーの選手みたいにぐわっとそのからだを押し倒す。もちろんちゃんとあたまにてのひらを添えて。うわぁぁともがく少林寺のからだを両手でしっかり抱え、宍戸は仰向けにごろんと寝ころぶ。腹の上で少林寺がごそごそもがいている、その感触がえろーい、と思った。
なに読んでたの?宍戸は仰向けにちょっとあごをそらしたまま問いかける。借りたやつ。少林寺はごそごそをやめて、宍戸の腹の上で仰向けになったまま続きを目で追っているらしい。宍戸は両てのひらを少林寺の下腹に重ねる。誰から。栗松。さっき一瞬見えた表紙は、てかてかしたピンク色をしていた。胸の上に少林寺の髪の毛がぐるりとわだかまっていて、その有機的な重みがいいな、と宍戸は思う。どんなはなし。少林寺は髪の毛を後頭部でこすりつけるように首をかしげる仕草をした。恋愛?かな。よくわかんない。なんか難しいから。ふうんと宍戸は両手にちょっと力を入れる。のどやかな昼休みは春の海みたいだ。空が発光しながら、逆流して吸い込まれるほどあおい。恋愛してんの。宍戸の無意味な問いかけがぽかんとそこに浮いた。してないよ。少林寺の意識は本の中から帰ってこない。
波も風もない、がらす板みたいなまったいらな時間を、宍戸は思う存分からだじゅうでむさぼる。からだがぽかんと空洞になったみたいだ。なんかいいね、こういうの。そう。恋愛しないの。しない。しようよ。宍戸うるさい。おれしてるよ。興味ないから。おれあゆむのことちょーすき。しらねー。しらねーと言った少林寺の言葉の調子が、いつもよりちょびっとだけつやつやしていて手触りがいい。おれららっこみたいじゃね?こうやってると。少林寺は宍戸の腕の中でからだをちょっとよじり、辺りを見回して、そうかな、と言った。親子らっこ。ふふふ、とてのひらを重ねた下腹が揺れる。なんだか嬉しくなって宍戸は少林寺のちいさなからだを左右にがくんがくん揺さぶった。あっちょっやめて、きもちわるいから。少林寺のちいさなてのひらが重ねた宍戸の手をぺたぺたとはたく。しばらくふたりでうひゃうひゃしていたら、現実感がすぽんと音を立ててあたまから抜けていった。
それからどちらとも唐突に黙る。なんとなく、ざわっとした手触りの強烈な気恥ずかしさを、ふたりともおそらく同時に感じていた。少林寺が息を詰める、その瞬間宍戸はぐるんとからだをひねって横向きになった。少林寺に足を絡め、抱き枕にしがみつくように。少林寺は息を詰めたまま黙っている。なに。宍戸、どきどきしてる。んーと今度は宍戸が黙った。心臓のちょうど上くらいに、少林寺のあたまがある。どきどきしてるかなぁと自分で考えながら、だけどそう意識した瞬間に尾てい骨の辺りがぞわんとしたからあー正解と思って宍戸はブフッと詰めた息を吹き出した。まるでふたりがただしい、とても清潔でただしいかたちで、恋愛をしているように思えたのだ。唐突にあたまから抜けた現実感が夕立みたいに意識を打った。ざばざばの幸福。
してるよ、と返す代わりに、おれら今水ん中だ、と宍戸は言った。ふたりのための世界は、息もできないくらいにひたひたに押し寄せて雨を降らせている。水槽の微生物みたいな、単細胞のいきもののふたり。少林寺はちょっと考えて、水の底だね、と応えた。がらす板みたいなまったいらな現実が、ふたりの頭上、空のあおさと触れ合う位置でぴったりと水槽を閉ざしている。永遠に触れることのできない水面。ほんとだ。ほんとはそこに雨が降り注いで、いくつものまるい穴をあけて、爆弾みたいに落ちてくる現実が単細胞の二匹のいきものを脅かし続けていたのだけれど。なるほど確かにこれは恋愛だ。破壊がないとどこへもゆかれない。ふたりきりの水槽だ。いずれ水は腐り果てる。
少林寺のてのひらからこぼれ落ちたピンク色の文庫本が、紙でできた鳥のようにぱたぱたとぱさぱさとはばたいている。少林寺がそれに手を伸ばそうとするのを、宍戸が止めた。もうちょっと。呼吸さえためらわれる、その聖なる静寂。腐り果てるのを待つ、果実のようにあまやかな時間たち。少林寺はもがき、宍戸の腕を抜けた。がらす板が割れる。ばりばりと音を立てて。少林寺は本を拾い、なにも言わずに立ち去ってしまう。穴を得た水槽から、あとは、それらは流れ出るばかりだ。ふたりきりの、ふたりのための世界。なるほどこれが恋愛だ。空が波打ち、そこから雨が、雨が雨が雨が、次から次から降り注ぐ。波風の立たない穏やかな毎日は、その中に暮らすひとびとを腐らせていく。眠るようにがらすのように、静かに、ただしく、清潔に。心臓がどくどくと打っている。なくしたなら追うだけで、捕まえたら喰うだけだ。とっくに宍戸は知っている。自分がなにに満たされたいのかを。
屋上はあおい。愛は祈りだという。彼らが幸福をむさぼれば、いずれ水は腐るだろう。世界はふたりのために。世界はふたりのために!雨が雨が雨が、雨が降る。なるほど、これが、恋愛だ。







ただしい水中
宍戸と少林寺。
リクエストありがとうございました!ずいぶん久しぶりにこのだいすきコンビを書いたのに、感覚が戻らなくて宍戸があんまりきもくないです笑
おれが切り売りしてるのは、言うなれば正常で常識的な感覚だ。おれはいっつも自分の両目を隠して世捨て人的なやつを気取って、その実は周りをちゃかして煙に巻いてへらへらへらへら生きてるわけですが、実はおれの両目にはひとには見えないものが見えちゃうわけなんです。だから正常な常識的な感覚をごく当たり前にずばずば切り捨てて、非常識でそこを埋める。おれが切り売りしてるのは正常で常識的な感覚と、たぶん、あとは、疑うこと。おれは単純明快であほで、それはおれが見えるものをいちいち疑ってたら、ほんとにきりがない。からです。
例えば鏡で見るおれはふつーのおれ、ヒョロガリでモジャな宍戸佐吉だけど、たとえばこの目が先輩たちを見ると、中学二年生のサッカー野郎はどこにもいなくてそのかわりに怪物みたいなこえーのがいっぱい見える。つぎはぎだらけの金色の魔神、まっかな魔神、花柄のドラゴン、折れかけたそら色のクレヨン、けたたましく吠えるチワワ、棒人間、どろっとした不定形のなにか、極彩色の影法師、などなど。少林寺をみんなはちっちゃくてかわいいって言うけどおれの目には誰より巨大に見える。あおい四本の腕の巨人。壁山は、なんていうか見えない。そこに壁山っていう人間がいる気配はあるしひとのかたちも手触りもおれはわかるんだけど、おれの目には壁山は空気に希釈されたすげーでかいものに一体化していてうまく捉えられない。音無はピンクのラメラメのはと、栗松はなんでかいっつも顔を覆うように腐りかけたりんごをかぶっている。今ではだいぶそういうものたちと折り合いがつけられるようになったけど、今でも目を見せるのは怖い。おれの目は恐怖をいつでも満タンに詰め込んでいる。そんな怯えた目であのひとたちを見ていると知られると、ちょっとつらい。
おれは空ばっかり見ている。空めがけて口をひらくと、そこから空がこまかい氷みたいに砕かれてしょりんしょりんと降ってくるみたいな感覚がからだを突き抜けて、気持ちいい。なにしてんの、と少林寺が不思議そうにおれを見ている。四本腕の巨大な少林寺。グラウンドでは有象無象が有象無象になって試合をしていた。まるで戦争だ。おおーこわっ、とわざとらしく言うと、少林寺は腑に落ちない顔をしておれから目をそらす。グラウンドのはじっこのほうにきらきらっとなにかがひかって、おれはついそちらを見た。そのきらきらはにょきにょきにょきっとすごいスピードで伸びて、蔓みたいに絡まりあい、見る間に一対の翼に化ける。うはっ。おれは少林寺の肩(とおぼしき場所)をつかんで揺さぶった。おいあゆむ、あそこ、鳥がいる。鳥?少林寺はおれが指差す方を見て、見ながらへーんな顔をした。グラウンドに鳥なんかいないだろ。あーそっかーと手を離すのと同時に、棒人間がひょろひょろとこっちに走ってきた。宍戸こうたーい。半田さんだ。
グラウンドに入るとおれはいけにえにされたみたいな気分になる。こういうとき、常識なんかさっさと切っといてよかったって実感する。おれは脚で、おれの脚でボールを蹴る。だけどそれを受け止めるのは、脚という器官さえないけだものたちだ。があがあ吠えて、ぐるぐる唸る。まったく狂ってる。ふふっとちょっとわらうと、また視界のはしできらきらがはじまる。目金さんがからだをがっちんがっちんに硬直させながら身構えていた。目金さんは、よくわからないけどなんだかメガネサンぽいものとしておれの目には映るのだが、そのメガネサン的いきものの背中の辺りに、苔が密集するようにきらきらがびっしり植わっている。なにげなくそこを払うと、目金さんはびくっとして、なんですかぁ、と情けない声をあげた。あーそっかー見えないのかーと思っておれはニチャニチャわらい、へーたーれー、と言ってやった。目金さんの顔がめっちゃ不機嫌そうになる。
こっちにボールが飛んできたのでざっと踏み出すと、ぶわっとほっぺたを風が撫でた。風よりもっと質量があるものでばちーんとぶたれたみたいに。おれははっとそっちを見る。目金さんの背中に翼が生えていた。きらきらきらきらひかる、金色の、巨大な、かみさまみたいな翼。おれはぽかんと立ち尽くし、ボールを取ったのは目金さんだった。目金さんはドリブルをしながらどんどん空へ駆け上がっていく。もちろん実体の目金さんはグラウンドで速攻ボールを取られてぜえぜえ息を切らしていて、おれは花柄のドラゴンに思うさま体当たりされてうろこがぶつかった部分をざりざりにすりむいた(ような気になる)。おれはからだを起こしながら空を見る。金色の翼がばらばらっとほどけて、目金さんの背中に雨みたいに降り注ぐ。びっくりした。目金さんは目金さんだった。メガネサン的いきものじゃなくて、正真正銘の人間だった。その瞬間。おれの目は金色の洪水で満たされる。どわっと押し寄せてくる光景。みんないる。みんな人間だ。みんなみんな、生きている!
気づいたらおれはだらだらに涙を流していた。洪水が引き、またいつもの光景が戻ってくる。ドラゴンとチワワががあがあぐるぐる吠えまくり、おれの腕をどろっとしたヘドロみたいなやつが引いてグラウンドの外に連れ出した。おれと入れ代わりに、四本腕の巨人がグラウンドへ入る。メガネサンがこっちを見ている。きらきらのひかりの苔を背中に生やして。棒人間が気づかうようにおれを覗きこむ。どしたんだよ。あんたらにはわかんねえから言わね、って言いかけるのをおれはぎりぎりで飲み込み、ちょっとわらう。目金さん、かみさまにでもなるんすかねぇ。はぁ?棒人間は黙る。おれも黙る。黙って空を見上げる。空がしょりんしょりんと降ってくる。からだを突き抜けたのは、たぶん、かなしみをざぶざぶに薄めた得体の知れない喪失感だった。
おれの他のひとたちが見ている景色は天国だった。天国なんだと思った。おれが知らんまになくしたもの。おれも天国に行きたいって思った。だけどそうしたらおれのかみさまってメガネサンだなぁって考えたらちょううけて、ばんばん腕を振ってやったらグラウンドからへんないきものたちがばんばん手を振り返してきた。それを見てたらまぁいっかって思う。だってもう正常さとか常識的な感覚とか捨てちゃったし。ぼーくらーわーみぃんなーいーきているー、し。メガネサンも手だかなんだかをばんばん振っている。翼は今は見えないけど、いずれまたおれはあの景色を見て、また泣くんだろう。きっと。へたれって言ってごめんねって、あとであやまろっ。メガネサンはなんだか嬉しそうに手を振る。きらきらとひかる背中をして、誰よりも楽しそうな、嬉しそうな、かみさまみたいな能天気な笑顔で。







天国で反抗期
宍戸視点の目金。
リクエストありがとうございました!なんか絶対違うものが出来上がってしまいほんとすみません。でも楽しかった!あれだったら別のん書きますので言ってください。
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