ヒヨル そのほかのはなし 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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ただしろいばかりの床にあかく窓が切り抜かれて、そこを鳥が数羽、風のように横切っていく。円堂は勝手知ったる場所と、階段を上り廊下をまっすぐに進んでいった。それを無言で追う脚を鈍らせるのは病院特有の静かに病んで疲弊した空気か、それとも未だに棄てかねるあの日の勝利にまとわりついた残酷な後悔なのか。どちらともつかぬまま、入るぞ、と円堂の声は妙に遠くから聞こえた。鬼道は視線を上げる。五人分のネームプレートのついた部屋はがらんとして静まり返っていた。薬の臭いが弱く漂い、円堂は嫌そうに鼻を鳴らす。おい。生きてるか。ベッドにひとり横たわる宍戸の顔を覗き込むように円堂は声をかけた。あいつらどこ。宍戸は無言で腕を上げてドアを指差し、続いてその指を右に曲げる。リハビリ室か。円堂はバンダナの下を掻きながら、ちっと顔出してくるわと歩き出す。おまえは。入り口に突っ立ったままだった鬼道はそこでようやく病室に踏み込み、おれはここにいる、と答えた。あそう。円堂は探るような目で鬼道を見て、部屋を出た。扉が閉まる。
もともと痩せ形だった宍戸は、入院生活でさらに体重が落ちたようだった。やつれた頬と枝のような指をした宍戸は、乾いた唇を苦しげに薄く開いて横たわっている。足音を殺して、鬼道はそっとベッドを回り込んだ。枕元に立って、小さく声をかける。具合はどうだ。宍戸はなんの反応もしない。鬼道はスツールに腰を下ろす。反応に期待はしていなかった。しかし柔らかな赤毛が覆ったその目が、せめて見えていたら、とは思わないでもない。それとも。鬼道はまばたきをする。鬼道に対して宍戸が伝えようと思うようなことは、もうなにもないのかもしれない、と。鬼道は無言で、ベッドに投げ出された宍戸の指に触れる。さわんな。宍戸のかすれた声。冷たい手だ。その声を無視して、鬼道は静かに言う。早く直してくれ。また一緒にサッカーをしよう。宍戸はわずかに首を動かして鬼道を見た。薄い唇がゆっくりと動く。あんた、勝手だな。にこりともしない宍戸。鬼道は、宍戸が笑っているところを見たことがない。
勝つためにはそれなりの犠牲と覚悟が必要で、しかし雷門中はそれを知らなかった。あの日の勝利は誰もが望んでいたものだったはずだ。鬼道もそうだった。だから帝国を去った。雷門中のメンバーも、そうだと思っていた。あの勝利のために、払われる犠牲があったとしても。しかし円堂は不快さを隠しもせず、誰も彼もが傷ついたような顔をした。その勝利は初めて鬼道を照らさなかった。その理由は今でもわからない。ただ確かに、その瞬間、鬼道は雷門中の重荷となった。かつて豪炎寺がそうであったように。宍戸はまたゆっくりと首を動かした。天井を向き、浅い息をする。痛むのか。鬼道の言葉に、宍戸は返事をしなかった。理由はわからない。しかし、鬼道は今でも悔いている。なにを悔いるべきなのか、なにが許せないのか、鬼道には未だになにひとつわかってはいなかったけれど。それでも宍戸がなにも言わなかったから。鬼道にはそれが全てで、それ以上の理由はない。
宍戸は弱々しく咳き込み、苦しげに息をした。手がうっすらと汗ばんでいる。鬼道は腰を浮かせ、せめて汗でも拭ってやろうと枕元の濡れタオルを手に取った。宍戸。やめろ。宍戸は呻くように言う。もうやめてください。鬼道はその言葉を無視して額に手を伸ばした。宍戸が首を振る。嫌だ。かすかに震えた声に、鬼道が手を止める。指先が前髪に触れるか触れないかの距離で、鬼道の手は横から伸びてきた小さな手に押さえられた。栗松。栗松は困ったような顔をして、首を振った。すみません。宍戸、嫌がってるんで。そうか。短い沈黙を挟み、鬼道はタオルを栗松に渡した。栗松は慣れた様子で宍戸の枕元に近づき、痛い?と声をかける。痛い。宍戸は手を伸ばして栗松の頬に触れた。鬼道さん心配してる。宍戸はそれには答えず、栗松の頬を撫でながら、痛いよ、と言った。栗松はあやすようにタオルで宍戸の額を撫でる。鬼道は目をそらした。ひどく悲しい光景だと思った。こんな場所で病んでいく宍戸を、哀れだと。
病室のドアが開き、他のメンバーが戻ってきた。あれー鬼道も来てたのか。珍しいな。半田と松野に軽くうなづいて見せ、先に行く、と鬼道は病室を出た。宍戸を哀れだと思ってしまったことを、栗松はわかってしまったかもしれない、と思った。階段でキャラバンのメンバーとすれ違い、すれ違いながら、自分がひどく安心していることに鬼道は気づいた。彼らがいないと気持ちが休まる。彼らがいる場所には、なぜだか、汲めども尽きぬ悔恨が、延々と止めどなく溢れて溢れて止まらないような、そしてそれに彼らが溺れて沈んでいくような、そんな悲しみがつきまとう。キャラバンの側で、鬼道は深く息をする。悲しみは、いつも鬼道を戸惑わせる。彼らの存在は、いつも鬼道を濁らせる。戻らなければいいと思っていた。彼らはあそこで病んでいけばいいと。彼らの戻る場所はない。なぜならば奪ったからだ。豪炎寺が、一之瀬が、塔子が吹雪が木暮が立向居が綱海が、そして、鬼道が。
そして鬼道は絶望する。最初に敗けたのは他でもない、鬼道だった。そのくせ敗北の全てを彼らに押しつけ、彼らの居場所を奪い、勝利の光を追い求めては、あの日の後悔を塗りつぶそうとする。宍戸はもうサッカーを選べないかもしれない。それでも構わなかった。あの日を今もなお悔やんでいる。それが鬼道の唯一の免罪符だった。










蜘蛛とイド
鬼道と宍戸
わけもないのはそれしかないから。
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そのときの栗松の顔が、記憶の中でもあまり落胆していなかったことを思い出しては目金は安心する。怪我による離脱を余儀なくされた栗松は、それを告げられてから島を発つまでの三日間、それなりに忙しい日々を送った。ごまかしきれないほど悪化していた足の怪我は、あの試合だけが原因ではなく、どうも酷使しすぎた末の疲労骨折に近いものだと診断され、病院で栗松は自分のレントゲン写真を他人のもののように眺めていた。傍らで久遠が苦い顔をする。きっとまたひとりでこっそり特訓していたんだろうと、付き添いに同行していた目金は思う。ぼくに隠れて。目金はいやが上にもキャラバンでの旅の最中、彼がながい時間をかけて身につけたに違いないあの技を思い出す。栗松は人前ではなにかと手を抜きたがるくせに、誰も見ていないところでは絶対にそれをしなかった。あの技は目金にとって因縁の技だ。完成したら絶対に自分が名前をつけるんだと意気込んでいたのに。まっかに腫れ上がりいびつに曲がった栗松の足首は、惜しげなく陽の差す病院でひときわ痛々しい。
一年生たちの抗議にも染岡の叱咤にもうわの空だった栗松は、久遠の下した決断に驚くほど素直に従った。怪我を見事に乗り越えた吹雪がすでにそこにいてしまったことも、その理由のひとつとしては大きかっただろう。離脱を告げられたそのあと、栗松は壁山に寄りかかるようにくずおれた。音無が引きつったような悲鳴を上げ、珍しく動揺を見せた久遠がすぐに栗松を病院に連れていった。日本に戻るか。検査結果を見た響木が、やわらかい口調で栗松のあたまを撫でる。ここじゃのんびり休めんだろう。栗松は目をまるくし、顔色をうかがうように久遠を見上げた。頷く久遠を見て、そしてちらりと目金を見て、少し考えさせてほしいと栗松は答えた。想像以上の怪我に驚いていたのかもしれない。目金はそのとき栗松の後頭部をじっと眺めていた。うなじからあたまの中途まで刈られた栗松の後頭部はすんなりとまるくてとてもきれいだ、と思う。
少し考えさせてほしいと言ったわりに、栗松は宿舎にたどり着く前にはもう日本へ戻ることを決めてしまった。久遠はわずか痛ましいような顔をして栗松を見て、手続きがいろいろあるから数日はこちらにいてもらうことになる、というようなことを言い、栗松はそれに頷いた。マンガ返さないと。栗松は感情の読み取れない表情でぽつりと呟く。いいですよ。目金は思わず答えてしまい、その声を聞いて栗松は驚いたように目金を見た。持っててもいいですよ。栗松はまばたきをして、なにを、といぶかしげに問いかける。目金は困って言葉を濁した。こんなことが何度かあった。手続きというのは、選手登録の書き換えだったり、協会への医療費の申請だったり、学校に出す課外活動による単位認定証明書なんかをこまこまと書いたり面談したり、といったものだった。怪我人の栗松はそれでもあちこち動き回ってよく働いていた、と目金は思う。
しかし栗松の受難はここからで、栗松が日本に戻るということを聞いて怒り狂った円堂がそれをもたらした。栗松は目金と同室だったが、円堂は栗松が帰国するまでの間、遠慮会釈もなく部屋に押しかけ、目金を外に蹴り出して何時間でも怒鳴り散らした。片付けた栗松の荷物をすべてひっくり返してしまったこともあった。円堂が部屋を出ていったあと、目金がそうっと部屋を覗くと、嵐の後のような惨状を見せる部屋のまん中に、栗松は呆然と座って宙を眺めていた。目金はその傍らに立つ。栗松は腫れたほほをしていた。目金は泣きたくなる。円堂くんを。それだけ言って言葉をなくした。円堂の気持ちが、なぜだか目金には痛いほど理解できた。栗松はのろのろと手を上げて、ぶたれたのだろうほほに触れる。大丈夫。うわごとのような栗松の声はかすれていた。キャプテンを、嫌いになったり、しません。そう言って栗松はうつろにわらう。目金は羨望する。羨望する自分にひどく後悔する。
円堂が言いたいことをもう栗松はわかっているんだろう、と思った。栗松はやさしい。だからこそ、円堂の言葉は彼には届かない。わがままだ。栗松は立ち上がろうとして、バランスを崩す。目金はとっさに手を伸べて栗松の腕を掴んだ。栗松はうなだれ、うつむいたままほほえむ。キャプテン、おれがまだがんばれるって、本気で思ってるのかな。打ちのめされたその声に、目金は奥歯を噛みしめる。みんな勝手だ。気づくと目金は栗松のからだを思いきり抱擁していた。突然のことに栗松はすくみ、目金から逃れようともがく。しかし目金は渾身の力で栗松にしがみついていた。そうしている限り栗松は帰らなくて済むのだと、そんな夢のようなことを信じるように。もつれるように床に倒れ、あたまや脚をあちこちぶつけながら、それでも目金は栗松から離れなかった。絶対に離さないと決めていた。円堂が言葉を尽くしたなら、それ以外のことで伝えたかった。嫌だ、と、ただそれだけが言えるなら。ただそれだけが伝わるなら。
満身創痍の栗松は目金に押さえつけられたまま疲弊し、そのうちに半端に開いたカーテンとその向こうのやわらかな夜を見ながら、ただ息を整えるばかりになった。月がきれいですね。先に口を開いたのは目金だった。栗松はわずかの沈黙を挟み、日本の月もきれいです、と答えた。ライオコット島の満月は、わずかに桃色がかって果物のようにつつましくまるい。目金はゆっくりとからだを起こし、栗松の手を引いて立たせる。片付けは明日にしましょう。そう言って目金はさっさと栗松のベッドに潜り込んだ。栗松が隣にそっと入ってくるのを背中越しに感じる。嫌いにならないでください。それだけを言うと、努力します、と栗松は答えた。目金は首をひねって栗松の後頭部を見る。すんなりとまるくきれいな形をしたそこを見ながら、どうしてこんなに悲しいのか、今さらながら目金はその答えに気づきはじめていた。日本の月がどんなにうつくしくても、今日ここでこの月を見たのはふたりだけだ。世界最後の夜に比べても、なにひとつ劣ることはない。
目金の枕元にはいつの間にか貸していたマンガがきれいにつくねられていて、それに気づいたのは栗松を見送って宿舎に帰った、そのときだった。目金はそれに手を触れなかった。栗松がそうしてくれたなら、そのままにしておきたかった。嫌だ、と、言えればよかった。そう思った。嫌いになってもいい。きみがいてくれたらそれだけでよかったのに。きみがいてくれたら。きみさえ、いて、くれたなら。










月までぼくらは
目金と栗松。
それはじいちゃんを隠してた言い訳か?カウンター越しに投げつけられる挑戦的な円堂の目に響木は苦笑し、まぁ食え、と手つかずのラーメンを勧める。円堂はチッと舌打ちをし、くわえて割ったはしを手に猛然とラーメンをすすり始めた。円堂はときどきひとりでこうしてラーメンをたべにくる。誰にも聞かせたくないことを、遠慮なく響木にぶつけるために。手負いのけだものにも似た燃え盛るばかりの苛立ちと鬱屈を、それでも円堂は周囲に隠そうとする。隠しきれていないのは誰の目にも明らかではあったが。
世界大会が開催されるという報せは、例の騒動のすぐあとに届いた。にも関わらず、ある程度の人数がすでに代表としてピックアップされており、その先頭にはキャプテンとして円堂守の名前があったので、響木は一足先に円堂に連絡を取ったのだった。近くにいるからとものの五分で雷雷軒に現れた円堂は、原因はわからないが荒れに荒れ、ラーメンを作る響木を尻目に店中のテーブルと椅子をひっくり返して、そうして、じいちゃんがいるのか、と言った。店の隅に唯一残ったスツールをまたぎながら。誰から聞いた。円堂はそれには答えず、分厚く切ったチャーシュウが乗ったラーメンを難しい顔でたべている。隠してたわけじゃないんだがな。羽をつけて焼いたギョウザをカウンターに置く響木を円堂はにらみ、どうせまた知らないふりしてろとか言うんだろ、と忌々しげに吐き捨てる。ゴッドハンドが出なくなった、と血相を変えて店に駆け込んできて以来、円堂はサッカーから遠ざかっている。サッカーからも、仲間からも。
不景気な顔でギョウザをほおばる円堂を見て、響木は鍋に油を引く。監督さぁどうせもう知ってんだろ。円堂がにんにくくさい長いげっぷをしてから言った。あいつら、来るの。響木は平然と、両方だな、と答える。誰。豪炎寺と壁山と風丸は決まっている。染岡はたぶん大丈夫だ。目金は別の仕事をする。松野は選考には出るそうだが、まぁ、どうだろうな。円堂はちょっと考えるように首をめぐらせる。他は。半田と影野は選考にも出ない。少林寺も出ないだろうな。宍戸は、あの怪我だ。栗松はまだ迷ってる。携帯を取り出そうとする円堂に、おれから言うよ、と響木は苦笑した。円堂に言われるのはつらいだろう。なんでだよ。察してやれ。まだ食い足りない顔をしている円堂にチャーハンを出し、気に入らないのはわかるがなぁ、と響木はわらう。それも仕方ないことだ。円堂は眉をひくつかせた。あんたらはいつもそういうことばっかり言ってるよな。結局おれかよ。じいちゃんのことも隠してたくせに。円堂のスニーカーが横たわるスツールを蹴飛ばした。おもたい音がする。
チャーハンをたべ尽くし、円堂はカウンターに額を押しつけた。監督。おれはまたあいつらとサッカーしたいんだよ。おれは世界なんてどうでもいい。サッカーなんかしなくていいんだ。またあいつらのところに戻りたい。なんでそれはだめなんだ。じいちゃんは生きてたのに。そのとき入り口がほそく開き、ひどく目つきのわるい長身の少年が顔を覗かせた。眉をそり落とし、リーゼントを揺らしているその少年は、店の惨状にぎょっとした様子で響木を見た。顔を上げた円堂が敵意もあらわに椅子から腰を浮かす。やめろと円堂を制し、今日はいいよ、と響木は少年に呼びかけた。なにか言いたげにかるくあたまを下げた少年が音もなく閉めた扉をにらんで、なんだあいつ、と円堂は言う。あれも代表だ。うまくやれそうか?興味ねえ。円堂はつまらなそうに再びカウンターに顔を伏せた。響木は黙って円堂の食器を流し台に引き上げる。改めて見ると店はひどい有り様だった。驚くのも無理はない、と思う。
円堂は首を傾けて、油じみたすすけた壁を見ながら、監督、と言った。なんだ。おれはさぁ。円堂はまばたきをする。本当は、なんにもしなくてもよかったんじゃないか。ただ弱小サッカー部のキャプテンで、それだけで、よかったんじゃないか。響木は答えない。なぁ。円堂はちょっとわらう。ほんとはおれは「なんにもしてない」んだろ。全国優勝して、日本を回って、でもおれはなんにも変わってない。誰も救えない。雷雷軒は、以前は半田や染岡と来るのが当たり前だった。一年生とも。気が向いたら影野や目金を誘ってやったり、松野や風丸や豪炎寺がいつの間にか混じっていたり。それはとても幸福なことだった。なぜ、と思う。なぜ、あのままでいられなかったのだろう。響木がなにかを刻む音が鼓膜を揺らす。うるせえな、と思った。監督。円堂はかすれた声で言う。監督。おれは、なにを、手に入れたんだっけ。そんで、なにを(、奪われたんだっけ)。
死んだ方がましだと思った。死んでいるのかもしれないと思った。おれたちもしかしたら死んでるのかもなと言ったら、響木はわらって、そいつはしあわせだな、と言った。もう帰るよとからだを起こすと、金はいらんから早く帰れと響木はいつものように言う。円堂は礼の代わりに、おれたちもう死んでたらしあわせだな、と繰り返した。響木はそれには答えずに、おまえが誰よりしあわせだよ、とよくわからないことを言う。円堂は鼻でわらい、よく言うよ、と倒れた椅子を蹴飛ばした。響木はいつも、こういうときにはなにも言わない。知っているくせに。円堂は乱暴に引き戸を開閉した。えんどーお。半田の間延びした声がする。早く来いよと染岡がいらついている。キャプテンよくたべますねーと後ろであかるくわらう声がする。このあとゲーセンいくべーと円堂の隣を誰かがすり抜ける。円堂。誰かが呼ぶ。円堂。円堂を呼ぶ。円堂くん。先輩。円堂。キャプテン。円堂。円堂。えんどう。
円堂は肩ごしに振り向いた。記憶がちぎれ、幻影は消え、声たちは遠ざかり、輝くものはこなごなに散らばる。おれたち、もう、死んだ方がましだったんだろうか。あのとき、あのときのまま。それを孤独と、退廃と、絶望と、誰かが呼ぶのだとしても。円堂は駆け出した。あたまがあつくてめまいがする。構わないのに。それでも構わなかったのに。しあわせはあのときで、あの部室の中で、十分だったのに。円堂は吼えた。なんにもしてないのに、失って、奪われて、それでもそれを、誰かは、幸福と、呼ぶのか。それを!夜は深く、円堂はそれに呑まれてもう死んだって構わないと思った。あのとき円堂の希望だったものものは、今は。









レギオン行進曲
円堂と響木監督。
四月の半ばにぽつんと落ちたような雪の日に宍戸がつけていた手袋は、中指の付け根の部分がすりきれててのひらのひふが見えていた。十月の終わりの、寒冷前線がとち狂ったような唐突な冬の日に宍戸がつけていた手袋は、そのときのものとおなじものだった。編み目の荒いうすねずの手袋の、中指の付け根の部分がやはりすりきれている。宍戸はいつもよりあかい鼻をしてしきりに洟をすすりながら、おれ今日ヒートテック着てきちったよ、と栗松に話していた。うえー早くねー?早いよーでもさびーし。ノーガードだとおれ死んじゃう。寒死しちゃうサムシ、と繰り返しながら、宍戸は栗松のカラーのすき間から指を差しこもうとする。つめてーよ、と栗松は首を押さえて、そのときになって染岡ははじめて宍戸がいつの間にか手袋を外していることに気づいた。おれ冬まじきらい、と寒そうに肩を縮めてぽけっとに手を入れる宍戸の声はどことなく水っぽく、狂ったような冬にひときわ寒々しい。
寒波とともに撒き散らされた午後の雨は、針のような空気をますますつめたく尖らせる。冬の雨はいつまでもだらだらと降り続ける、のが嫌で、冬の雨の日には染岡は機嫌がわるい。鼓膜にしなしなと心細い音でいくつも穴を開けていくような、へんに暴力的なところもうっとうしいし、水びたしのグラウンドはそれだけで気が滅入る。気持ちばかり逸って、しかし染岡にできることはなにもなく、実の伴わないやる気を持て余しては余計に不機嫌になる。いつの間にこんなふうにサッカーをしたいと思うようになったのだろうと思った。ただひとつのことへ盲目的に邁進することだけで、今や満たされようとしている。実が伴わないのは、当たり前のことだった。ただ認めたくないだけで。雨のむこうにぽかりと青空が覗いたが、すぐに曇天に塗りつぶされてしまった。ただ認めたくないだけで、サッカーをしている、ふりをしている。
奇妙なことに、地下修練場に集められて紅白戦をやるからとグッパをしているときにも、宍戸の手にはあのうすねずの手袋がはまっていた。一回目は豪炎寺がチーを出してやり直しになったが、二回目にはうまくグとパが分かれて染岡グーの方のキャプテン(仮)になった。六六の変則ルール。キーパーは置かない。円堂はパーの方で、なぜかボランチにいた。その隣で宍戸が足首を回している。うすねずの手袋に、円堂はなにも言わない。松野がパーチームはあたまがパーだとかなんとか騒いでいる。松野もパーチームのくせに、と思った。染岡はちらりと肩ごしに後ろを見る。風丸の鼻のあたまがあかかった。修練場は寒い。雨が冷気になって染みてくる。向かいの豪炎寺も後ろを振り向いた。面倒くさそうに首をひねっている円堂が手のしぐさだけで、前だけ見てろ、と言う。木野のホイッスルがつめたい空気を裂いて響いた。染岡の横を風丸が猛然と駆け抜ける。その瞬間、染岡のあたまの中はまたたく間にさらわれて、あとは戦うだけの動物になる。
目金をチャージではじいてボールを奪った染岡の目の前に宍戸がすべりこんでくる。左右に振るが宍戸は離れない。がつ、とにぶい感触で脚と脚が接触する。あっと思った瞬間には上半身が泳ぎ、そこをすり抜けるように宍戸はボールを奪っていった。足の下にはすいかの模様のボール。くそっと染岡は振り返る。ボールは既に円堂に渡っていた。跳ねるように風丸をかわす円堂を見て、不意に吐いた息がしろい。宍戸は納得がいかないようにしきりに首をひねっている。おい、と声をかけると、宍戸は振り向き、それが染岡だと気づくとくちびるを歪めて歯をちらりと覗かせた。わらったような気がする。影野にゴールを阻まれた円堂のひくい怒号が鼓膜を揺らした。ぞろりと地面を影が這う。首の後ろは燃えるようにあついのに、鼻の奥が凍るほどつめたい。再度のホイッスル。半田がゲホッと咳をする。
蛇口の水は指を切るほどつめたかった。マネージャーがわざわざ温かいまま持ってきたおでんでもたべるかと、各々手を洗っている。バッバラッバッバーンハッハーン、と謎の鼻歌を歌いながら宍戸が隣に並んで蛇口をひねり、あの手袋をつけたままそこに手を差し出した。染岡はぎょっとする。おい。思わず手首を掴んだことに、宍戸はうぇっ、とへんな声を上げる。なんすか。おまえなぁ手ぇ洗うときくらいそれ外せよ。それって。宍戸はてのひらを見て、染岡を見て、なんもないっすよ、と言った。うすねずの手袋をつけて。これだよ、と染岡が宍戸の手にさわろうとしたとたん、なんか染岡さんがへんなこと言うわーと、宍戸はさらりとそれをかわした。栗松が入れ違いに染岡の隣に並ぶ。いぶかしげな顔でこちらを見てくる栗松に、なんだ、と染岡はすごんで見せる。栗松は困ったような顔をして、染岡さんあんま気にしないでやってほしいでやんす、と言った。
おでんをたべているときも宍戸はあの手袋をつけっぱなしで、そのあとの個人練習のときも、ミーティングのときも、宍戸はそれを外そうとしなかった。修練場の外はかじかむ夜で、降り残した雨が霧のようにもうもうと舞っている。宍戸は寒そうにてのひらをこすり合わせ、二の腕をごしごしとこすった。あれ。染岡はまばたきをする。宍戸はしろい手指を覗かせていた。さっきまで手袋をつけていたはずなのに。宍戸は視線に気づいたのか、わずかにくちびるをほころばせて、さびーっすね、と言った。そうだな。染岡はすこし考えて、手袋は、と問いかけた。しないのか。宍戸は答えない。さっきまでしてただろ。練習のときとかも。宍戸は首を曲げてちょっとわらい、そーゆーんじゃないんすよねぇ、と言った。染岡は眉をひそめる。こまかい雨は染岡のみじかいまつ毛にもしぶいて、うまく目が開けていられない。
じゃ、ヒント。宍戸は大股で近づいてきて、すっとてのひらを染岡に向ける。とん、とそのしろいてのひらが染岡の胸を突き、しかしその瞬間、宍戸の手にはあの手袋が現れていた。編み目の荒いうすねずの、中指の付け根のすりきれたあとがふさがった、まっさらな。染岡は目をまるくする。わるいなって思ってますよ。宍戸は手を見ながらそう言った。染岡はなにも言えない。まぁでも仕方ないことっすよ、ね、と、両手をぽけっとに入れた宍戸が、それを再び抜き出したときにはもう手袋は消えている。そんじゃあ。宍戸はくるりときびすを返し、ちょうど修練場から出てきた栗松のところへ走っていく。そしてしろい手で栗松の鼻をつまんだり耳をさわったり、する。栗松はうっとうしそうにあたまを振り、ふたりはそのままじゃれ合いながら遠ざかっていった。
染岡はあっけに取られて立ち尽くし、雨が鼻のわきをすべり落ちる感覚にはっとして、それでも動けなかった。いってしまった、と思った。あのときには、いや、はじめから。宍戸は遠くとおくにいて、そして、もう戻ってはこない。それだけを選んで、それだけのために生きることは、幸福なのだろうか。それとも果てしなく苦しいだけなのだろうか。こんなにかなしいことはない、と、選びも選ばれもしない染岡はなきたくなる。仕方のないことだと宍戸は言った。染岡がサッカーを、仕方のないことと望んでしまうように。サッカーのために生きることもできないのに、サッカーを選ぶふりをする染岡には。宍戸が触れた部分をそっとなでた。きっとあれが最後だったんだろうな、と思った。










暴竜哭かしむる
染岡と宍戸。
生前は、という言い方をする。
兵器たちに名前はない。兵器としての適性がわかるや、彼らからはすべてが奪われてしまう。兵器はカプセルの中で脳を繋ぎ、ゲームマスタが命じるままに何度でも生死を繰り返す。生きながら死に、死んでは甦り、そのうちに彼らはなにもかもを失う。家族も友人も名前も、睡眠も食事も性も、自分自身さえ棄て去ったうるわしいいきもの。だから、生前は、という言い方をする。彼らはうるわしくも醜く、死ぬために死んだいきものだった。人間にとっては。
兵器の大半は身寄りのない子どもたちだった。これといって取り柄のない子どもは、ベルトコンベヤのごとく次々に兵器にされ、適性がなければ処分される。親を神によって亡くした子どもが関連施設に引き取られることもあり、この例が最近増えてきている。または、いろんな口はばったい理由で、親の手により子どもが研究所に投げ渡されることもあった。目金はそれぞれを一体ずつ備えている。子どもたちの中には時おり、自ら志願して兵器になるものがいて、そういう兵器は例外なく恐ろしく強い。目金も一体だけそれを持っていて、五回の適性検査の末にようやく手に入れたものだった。大っぴらにされてはいないが、適性が認められた子どもを売り買いすることもあり、目金はそれも一体持っている。
目金に向けて振り下ろされた神の手のひらを、横から突進してきた12が真横にはじく。反動で後ろに跳ね返る12のからだが、もう片方の手のひらに薙ぎ払われて地面に激突した。脳に激痛が走る。12は少女の姿をしている分、他の兵器より守りが薄い。12の骨に反応がないことに歯噛みしながら、目金は痛みをこらえて別の骨を撫でた。動かない12に向けて振り下ろされる拳を、下からすべりこんできた5が間一髪受け止める。防御型の5はちょっとやそっとでは崩れない。その隙に8が神の足を払い、体勢が崩れるのと同時に5は身を翻し、12を抱えて横へ飛んだ。倒れながらなお追いすがる神のしろい手を、上空から落下してきた3がからだで叩き落とす。奇妙にたわんだ腕は3をはじいて縮み、神は全身をしならせて新たな腕を生み出した。背中から生えた腕の、しかしそれより高く跳躍した7が、ながく伸ばした髪を刃物に指の先から腕の付け根までを真一文字に切り裂く。嗚咽のような神の悲鳴。
脳の奥をゆさぶられ、目金は次はこらえきれずに嘔吐する。神の発するすべては、人間にとっての害悪であり、名ばかりの神に人間は憎悪と憎しみを募らせていく。昔はこうではなかったと聞いていた。くちびるを拭い、わずか咳き込んで、目金は奥歯をくいしばる。目金の使う兵器たちは強く速く優秀だが、それでも神には敵わないと思い知らされる瞬間がある。神は人間を創り、そしてころす。人間には到達できないようなはるかな高みで、神が、そう決めたのだ。
腐り落ちる腕を捨てて神は跳躍した。しろく燃える超新星のごとく、落下は一瞬だった。目金がまばたきをする間に飛来した3が、そのてのひらを壁のように広げて神を押し戻している。さらにそれに5が加わる。二体の圧力に耐えきれず、すさまじい衝撃波とともに空に跳ね返された神は、さらに一呼吸の間に無数の腕を降らせた。伸び来る掌と指のアイオンを、しかし、素早く迎撃体勢に入った7の声なき一喝が蒸発させる。そのとき、目金の腕で12の骨がかたかたと震えた。はっと顔をあげると、すでに12は神に挑みかかるところだった。神の頭上を飛び越しざま、両腕を後頭部に触れさせる。とたんにその部分がざわりと波打ち、神の体内のどこかがはじけた。うつろな両目からあかぐろい闇がこぼれる。痛みからかやみくもに振り回された腕を、鋼の鞭のように変化した8の脚がカウンターで迎え撃つ。右腕をなくして神はしろいからだをよじった。切り落とされた腕は地面で腐る。
昔むかし神は神だった。世界を創り、いのちを生み、光を与え、すべての魂を迎える存在だった。今は違う。目金が吠える。それと同時に兵器たちは全力を振り絞る。神は害悪だった。神は世界を滅ぼし、人間をころし、光を奪い、なおも蹂躙する。絶望と憎しみを、その世のすべてだと、まるでそればかりを、高らかに歌うように。血と臓腑を撒き散らして神は叫ぶ。思わず身構えた目金の前に、その嘆きからかばうように3がふわりと降り立った。鼓膜を焼くその声が、目金にはまるで届かない。神の発するすべては人間にとっての害悪。「生前は」人間「だった」兵器に、神の言葉は聞こえもしない。生前は、という言い方をする。生前は、彼らは、ありとあらゆる手段で世界に嫉まれた子どもたちだった。今、彼らは、ありとあらゆる手段で世界を守っている。何度も何度も死を迎え、そのたびに、失いながら。3は肩越しに振り向き、目金を見て、そっとわらう。その瞬間、目金の耳に音が戻った。
拳を握った7が神の側頭部を思いきり殴りつけ、ぶわんと震えた片腕を5が押し返した。抗いきれずに後ろに振られる神のまっしろな胸に、長く鋭い槍に変型した8が深々と突き刺さり、さらにそれを3が押しこむ。悲鳴を上げようとした神ののけぞった喉を、背中から回り込んだ12が自らのからだで突き破った。どうっと洪水のように血が溢れ出す。神は抵抗するようにからだを痙攣させるが、地面に繋ぎ止めた8がそれを許さない。やがて神は徐々にその動きを弱め、ゆっくりと息を吐くように崩れ去った。神の残す透明な砂は外気に触れると同時に消えていき、そしてまたどこかでからだを結ぶ。死んでふたたび蘇った、昔むかしのジイザスクライストのように。そうして何度でも世界を滅ぼす。蘇る限り、何度でも。目金は腕を下ろした。兵器たちが集まってくる。12の右腕と右足が奇妙な形に歪んでいた。彼らはこのあとも苦しむことになる。
目金はそっと12の骨に触れた。12は顔をあげ、なんでもないようにほほえむ。目金の顔に手を伸ばし、ほほの汚れを拭うようなしぐさをした。兵器は人間に触れられない。それでも、それを忘れられないように(、あるいは、忘れたくないように)、彼らは時おりこのようなしぐさを見せる。神をころすことは人間では不可能で、神をころすために、兵器は死を繰り返して神へと近づいていく。それなのに彼らは人間を捨てない。捨てることをしない。目金はうつむき、兵器とのリンクを強制的に切断した。兵器にはあらかじめ優先順位がプログラムされていて、その一番上はいつも神をころすこと、だ。ゲームマスタを守ることはそれよりも下に置かれている。それなのに彼らはいつでも必ず真っ先に目金を守る。どんなに危険な状況でも、そのために腕や脚をなくしても。12の状況は芳しくない。どうか。目金はうつむいたまますこしわらう。今さら誰に祈ろうというのだろう。そんなことでは、もう、誰も救われない。

生前は、人間だった。
風が吹いて彼らの骨を海へ運ぶ。










勝利者の御旗の蒼けれど
目金。
舞城パロ。
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