ヒヨル そのほかのはなし 忍者ブログ
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どうして戻ってこなかったんだ。そう訊くと彼は丸い目をますます丸くし、うーんうーんと文字通り大いに首をひねったがなかなか言葉は出なかった。無駄だと思ったか。重ねて問うといやまぁそれも少しはあって、となんともきまりも歯切れも悪く答える。どう足掻いても仕方のないこともある。怪我が完治するに加えリハビリまでにかかる時間だとか。プレイヤーの数とベンチに入れる数は合わせて16人までであり、それは決して増えることをしないだとか。色んな面で周りに劣っていることを知っていたのは栗松自身であったし、半端な慰めだって叱咤だってなくとも栗松が従順に久遠の指示に従うことはわかりきっていた。その諦めの早さが欠点だと半田や染岡は言う。本当はもっとやれるはずなのに。そんなことは半田に言われずとも円堂だってわかっていた。栗松が帰ってしまったときに恐らく円堂は栗松よりも悲しんだし悔しかったし、挙げ句戻ってくるという言葉を誰よりも信じた。誰よりも。栗松よりも。
栗松はさんざん唸ったあとに、うまく言えないでやんすが、と前置きして、さっきキャプテンが言ったことが一番正しいでやんす、と答えた。戻っても無駄。それでやんす。ふうん。円堂が鼻を鳴らすと、あーと栗松は困ったような顔をする。ええと、あと、他にもあって。言ってみろ。栗松はますますきまり悪いような照れ臭いような顔をした。居心地がよくて。円堂は眉を寄せる。当たり前だろ。誰が作ったチームだと思ってんだ。ああそれは、ハイ、ええと、おれは雷門でキャプテンや先輩たちのすごさを痛感したでやんす。なんかこう、と栗松は半端に宙を見上げて唇を曲げた。円堂は深く息を吐く。栗松がびくりと肩をすくめた。ええと。円堂は唇を横に開いて歯を剥き出すようにする。言いたいことはわかる。はぁ、すみません。んでも自分の言葉で言え。栗松は驚いたように円堂を見つめた。短気な円堂はまだるっこしいのを好まない。普段ならば面倒くさいとこの会話自体を既に切り上げている頃だった。
栗松は困ったような顔をして、それからちょっと笑った。珍しいでやんす。なにが。キャプテンとこんなに長く話すの。そうか。意外な気がした。それもそうかと思い直す。おれは日本に帰って、半田さんや松野さんや影野さんとたくさん話をしたでやんす。シャドウさんや一斗さんや、宍戸やしょうりんやたまごろうとも。栗松は膝の上で広げたてのひらをじっと見ている。サッカーの話じゃなくて、普通の話を。みんなサッカーが好きかどうかとかは関係なくて、みんなそういう関係ないもので、笑ったり、怒ったり、喜んだり、したでやんす。おれは、と栗松は言葉を切った。おれはキャプテンとどのくらい話をしたんだろうって思ったでやんす。その言葉に、円堂は目を開いて栗松の横顔を見る。あ、キャプテンがあんまり話すの好きじゃないってのはわかってるでやんすよ。不意にこちらを向いた栗松に、おう、と円堂は我知らず声をこぼした。栗松はまた前を向き、でも、と言う。でもおれは、やっぱりもっと、キャプテンとたくさん話をするべきだったでやんす。
円堂は言葉を探し、見つけあぐね、結局あえぐように短く息をした。それで。栗松が円堂を見る。なにが変わる。おまえに、なにかいいことがあるのか。栗松は一瞬悲壮なほどの目をした。それから真面目な顔をして、たぶんもう遅いでやんす、と言った。もう終わってしまったから。ああ。円堂はやりきれない思いになる。もう終わってしまったことだ。あのときもあのときも。そしてそのどちらにも、円堂は栗松になにひとつ言葉をかけてやれなかった。悲しかったし悔しかった。それでも。それでもおれは。そう言ったのはどちらだっただろうか。円堂はいたたまれないような気持ちになる。どうして。拒んできたのは円堂だった。拒んで、拒んで、孤独になって、分け合うものがなくなれば、救われると思っていた。天国のようなサッカーから、救われると思っていた。救われたいと思っていた。たったひとりで。栗松は円堂をじっと見ている。こんなに果てしない後悔をするのならば。円堂は目を閉じる。行かせてしまうのではなかった。あのときも。あのときも。
キャプテン。栗松が呼びかける。キャプテン、泣いてるの。冷たいものが頬に触れた。その言葉と同時に。冷たくて柔らかくて小さいもの。本当は円堂はちっとも泣いてなんかいなくて、涙はとうに枯れ果てたと思っていたし泣くという贅沢な行為はとっくに忘れてしまったと思っていた。それでも。それでもきつく閉じた目の隙間から涙は果てしなくぐずぐずとだらしなくこぼれた。円堂がとうに枯らしたと思っていた涙は栗松の冷たくて柔らかくて小さい指先をしとどに濡らす。円堂は自分がなぜ泣いているのかすらわからず、それでもとめどなく突き上げるものに逆らうこともせずにただひたすらに泣き続けた。おれは。円堂は思う。今まで誰かと話したことはあっただろうか。誰かと、サッカーと関係ない普通の話を。普通の話で、誰かと、笑ったり、怒ったり、喜んだり、したいと思ったことがあっただろうか。ひとりがよかった。ひとりで救われたかった。だけどこんなにも悲しかった。誰かと分け合うことが、自分を傷つけると思い込んでいた。
どうして戻ってこなかったんだ。円堂は洟をすすり、独り言のように呟いた。栗松はやはり独り言のように、キャプテンに会いたかったんでやんすよ、と答えた。だからずっと探してたでやんす。円堂は胸まで溢れた感情をこらえきれずにうつむいた。円堂は傷つくことが怖かった。誰も気づかなかったそれっぽっちを、栗松はずっと知っていたのだ。あのときから、ずっと。












憩へかし泣くにつめたきリオの船
円堂と栗松。
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尽きないものというのが誰にでもあって、誰にでもあるからこそ人生は死ぬまでの暇つぶし、なのだ。自分の中に無限に湧き出るものものと、上手くとも下手だとしてもなにかしらの折り合いをつけられないならば、特に。それを例えば死ぬまで背負った業だとでも呼ぶのであれば、松野のカルマは退屈だった。なにをしても満たされない空虚は、最初からあらゆる娯楽を求めてはそのくせ拒んでいたので、松野もそれに従うように決めたのはいつ頃だったろうか。例え限りない喜びや楽しさでそこを満たしたとしても、本質的にはなにも変わらないのだという事実が、ある日唐突に松野に降ってわいたからかもしれない。なのでその日からだったかもしれない。果てしなく餌を食い続ける視床下部を破壊された動物のような空虚はその日から始まり、その日から退屈は松野のカルマになった。人生なんて死ぬまでの暇つぶしだよと誰かが言っていたので救われた。あのときの自分は救いを求めていたのだと気づく。しかし何故?
周りを見れば種なんて案外どこにでも転がっているものだったし、なので目につくものを片っぱしから拾い集めては自分の中のブラックホールに次つぎ放り込んでいく。例えば違う誰かの中に植えられたならば、世界という土壌で鮮やかに開いたかもしれない種たちを、その結果を見ずに潰して捨てていくことは安らかだった。遣りすぎた水が腐らせるのでも無情な乾きが奪うのでもない。ただ、自分の意思で、そうすること、が松野を救った。安らかだと思うのは、脳の奥にごおっと火がついて自分の体にたったひとつのことが押し寄せる衝撃でも、そのたったひとつのことに浮かされたように過ごす日々でもなく、脳の火が小さく小さくなるにつれて松野の体中からだらだらとそれらが染み出して消えていく、その圧倒的な喪失間だった。ある日唐突に潮の引くように消え失せるそれらを儚いとは思わない。これでもない。そうして松野はまた種をひとつ捨てる。これでもない。そう思うことは安らかだった。
円堂守というのはいつも不機嫌そうな顔をした憂鬱そうな同輩で、松野が知る限り四六時中彼は火花のように苛立っていた。松野を無遠慮にねめつける視線。サッカーやる?と、一応は取り繕ったような言葉。火花のような苛立ち。松野は円堂を気に入った。いいよ。その言葉に円堂はあからさまに顔をしかめた。暗い目をして、4組、木野。と言う。そこに行けということだったのだろうが、松野はそれを無視して拳を握って円堂に殴りかかった。松野の腕が円堂の左頬に吸い込まれるように伸び切る。しかしその確かな手応えよりも先に脳を揺らしたのは、焼けつくような痛みだった。松野が打ったおなじ場所を、寸分違わず殴り返す円堂の暗い目。気に入った。暫く睨み合ったのちに、腫れ始めた頬を歪めて笑うと、円堂はなにがおかしいんだかという顔をした。鼻腔から垂れた真っ赤な円堂の血。なにやってんだよと今さら喚く一般生徒やら坊主やらがやって来る。円堂は血の混じった唾をべっと廊下に吐き、上履きで擦って踵を返した。
あのときの円堂はクソかっこよかったしなんかもうどうでもいい感じだけは嫌というほど伝わったので。という理由だった。決めたのはそれだけだ。サッカーは面白くも楽しくもなかったが、面白かったり楽しかったりしている振りができる。サッカー部はサッカーばっかやるくせにやけに喧嘩っ早いやつが多いし、実際喧嘩が強いやつも多い。松野も殴ったり蹴ったり殴られたり蹴られたりする。面白くも楽しくもなかったが、いつまで経っても脳の奥に火もつかないし、だから変な風にハマったりしないし、安らかな喪失感も訪れそうもない。松野は戸惑う。戸惑って、だけどなにをするわけでもなく、いつまで経っても依然として、サッカー部にいる。
円堂。えんどーお、と二回目に声をかけると円堂は不服げに振り向いた。爪割れた。あんだけ殴ればな。円堂は血と泥にまみれたタオルで顔を拭う。目の周りが腫れているし口のわきも切れている。自分もひどい顔をしているのだろうと思うと笑えたのでダハハハと笑うとなに笑ってんだよと脇腹を軽く蹴られた。円堂の向こうでは宍戸が擦りむけた指の関節にテープを巻いている。顔を半分隠しているから被害状況はわからないが、宍戸の細長い指と拳はボロボロに見えた。傘美野サッカー部はしばらく再起不能だと思う。3人で本気で叩いてあのレベルで済むならラッキーだと雷門中サッカー部なら誰もが言うに違いない。明日まこに言うよ。グシッと濁った音で洟をすすって円堂は言う。もう河川敷使っていいって。バカだよなあいつら、普通がきから練習場所取り上げるか?松野が言うと自業自得だろと円堂は答えた。おまえ立てる?宍戸は尻を払って立ち上がると、思ったより力強い動作で円堂を引っ張り起こした。続いて松野も。
おれってこれでも飽きっぽいのよ。松野の言葉に円堂も宍戸も無反応だった。いやーサッカー部おもろいね。サッカーに喧嘩に美人マネージャーつき。おい。円堂が低い声を出す。円堂はこれ以上なにがほしいのだろうと思った。人生って死ぬまでの暇潰しだと思う?かわりにそう訊くと円堂はおれの人生なんかとっくに天国にくれてやったと答えた。なんのことを言っているのかわからずに、わからないまでもニシシと笑うとおまえってほんと意味わかんねえと円堂は呆れた顔をした。それはこちらの台詞。サッカーやめねえの。逆に円堂がそう訊いてきたので不意打ちをくらった気分になってやめるよ、と松野は答える。飽きたらやめる。じゃあまだ大丈夫だなと円堂はやけに断定的な口調で言った。見透かされたような気持ちで松野は黙る。3人ともばかみたいに暴れまわってあちこちに怪我をしたけれど、3人の6本の脚にはひとつの擦り傷も切り傷も打ち身もない。明日にはちゃんと、グラウンドでボールを蹴ることができる。
救われたいと思っていたはずだ。松野は思う。退屈は敵で、背負い続けなければならない業で、松野に巣食ったブラックホールで、一度は確かにそれでもいいと思ったのに、それでも松野は救われたかった。何故。なにも変わらないと諦めてしまったのに。何故。円堂おれサッカー楽しいよ。松野はひとりごとのように言った。そうか。円堂はそっけない。おれは全然楽しくねえよ。松野は少し笑う。円堂がいるから、松野はサッカーが楽しいのだと気づいた。円堂が当たり前みたいな顔で、サッカーなんて全然楽しくないと言うので、松野は当たり前みたいな顔で、サッカー部にいられるのだと気づいた。あーサッカーうける。松野は大声で怒鳴るように言う。うけるんですけど!!宍戸がうるせえなぁみたいな顔をしたのでスニーカーを脱いで鼻先に押し付けてやる。うお、ちょ、くせえ。珍しく声に感情をにじませた宍戸を見て、円堂は目を丸くして、おまえらばかじゃねえの、と吐き捨てるように言ったあと、ちょっとだけほほえんだ。
救われたいと思っていた。なのでまだ松野は救われはしないし、種にはまだ、芽が出ない。豊富に遣りすぎた水が、もじゃもじゃと根っこばかりを伸ばしていく。いつか芽が出たら、花を咲かせる前に折ってしまおうと思っている。人生は死ぬまでの暇潰しだと、ここでは誰もそんなことを言わない、ので。

「石川や浜の真砂は尽きれども世にぬす人の種は尽きまじ」









石川や浜の真砂は
退屈を盗まれる松野。
お誕生日おめでとうございます。
痩せたな、と言おうか言うまいか迷って、結局そうやって声をかけることにした。宍戸は首をひねってあーよく言われますわーと答える。くしゃくしゃの赤毛を掻きながら。円堂は宍戸の隣に座った。妙に目立つようになった頬骨に散らされたそばかすに触れると、宍戸はあからさまに嫌そうに首をよじってそれをかわす。夏だな、と思った。焼けてちりついた皮膚の感触がやけに鮮やかに指先に残る。やっぱ心配なのか。円堂はひたひたに汗をかいたペットボトルのキャップを回す。炭酸のもれるまのぬけた音を聞くと、余計に夏だなと思えた。日本の夏は暴力的だ、とも思う。やけに執拗に絡み付く。あーーまあーそんな感じっす。間延びした鼻声の宍戸の声は、円堂の気に障らない数少ないもののひとつだった。ことさらだらしないしゃべり方で結論を引き延ばそうとする。そういう姑息なところが腹が立つが、もちろんそれは宍戸の意図するところなので円堂は怒らない。宍戸はあまり自分の側に他人を近づけたがらない。
日本には二軍の召集と調整のために戻っている。戦線離脱中の吹雪の怪我も癒えるころだ。円堂はもちろん二軍メンバーに雷門中サッカー部の面々を強く推したが、それは無理だと暫定キャプテンの半田がすぐさま却下した。サッカー部には既に練習試合の申し込みが引きも切らず、秋の頭には新人戦も控えている。抜けたメンバーの代理のつもりだと言う玉野と闇野、それから目金弟が思った以上にいい働きをしているらしい。さらにマネージャーに大谷、監督として瞳子が着任しており、敗け知らずの雷門中はライオコット島に旅立つ余裕などないという。いやぁ大谷がかわいくてとやにさがる半田にはとりあえず股間に蹴りを入れておいた。おまえだけでも来いよと少林寺に声をかけると、ものすごく面倒くさい顔で睨まれ、模試も近いんで、と妙に現実的なことを言われて腹が立った。宍戸は、と聞くと、元気ですよ、と少林寺は答える。相変わらず感情が読めない。最近はよくひとりでいる、と、半田は言っていた。寂しいんだろ、とも。
宍戸は栗松さえいればあとはなにもいらない、みたいな安っぽいJ-POP(笑)みたいなところがあるので、そこだけは円堂は許容しかねている。栗松が日本代表に選ばれたのは、宍戸にとっても栗松にとってもまさに青天の霹靂だったことは想像に難くない。しかし結局はするべきでない人事だった。青天の霹靂。ライオコット島に行ってからの栗松の戦績が振るわないことは、それとなく部員には伝えてある。恐らくなにかしらのきっかけがあれば。円堂にとってはそこから先を考えるのが何より怖いので、あまり考えないようにはしてある。栗松自身が、見た目には、平然としているのが救いだった。驚くほど脆いものを持っているくせに、崩れ始めるまでは誰もそれと気づかない。傷つき方まで思慮深い栗松のそういう柔さと深さが、見た目とは裏腹に傷つきやすくナイーブな宍戸をいろんな面で救っていたようだった。そしてそれが宍戸の拭いがたい弱さでもあった。栗松は、少なくとも宍戸には、FFIのことをなにも言っていないに違いない。
円堂は宍戸のことをよく蹴った。殴ったりもした。褒めても貶しても伸びない凡庸な選手だった。サッカーにだけ打ち込む、そんなことはできそうもしようともしないような。ただ、栗松に声をかけられたときだけは、宍戸は心底嬉しそうな、幸福そうな顔をする。サッカーでしか繋がっていられないみたいに。だからそれにかじりついているのだと、悲しいほどに明らかだった。悲しいほどに。ここ、すきなのか。円堂はベンチを撫でる。鉄塔広場の奥の、池はどろりと濁って蚊柱を産んでいる。宍戸はなにも言わなかった。ひどく蒸し暑く息苦しい。それでも宍戸はよくここにいると聞く。心配なのか。円堂の言葉に宍戸はくたびれたように首を回し、でもあいつは強いから、と答える。そうか。今さら胸の奥を掻きむしる罪悪感にも似たそれを、例えば栗松はどうやってやり過ごしているのだろうと思った。おまえは、強くないのか。円堂の言葉に宍戸は横顔だけで唇を裂くように笑う。どの口がそんなこと言うんすか。
かつて円堂が宍戸を罵ったどんな言葉にも、宍戸は顔色ひとつ変えなかった。しかし、だからおまえは弱いんだと、そう投げつけた言葉のあとには宍戸は長い間部室で頭を抱えるようにしていた。泣いていたのだと確信している。涙も嗚咽もなくてもひとは泣くことができる。びしょびしょに、ずぶ濡れに、悲しいほどに。宍戸のことを想うと、無慈悲な言葉ばかりが溢れて止まらない。心配なのは。円堂はまばたきをする。耳の奥が静かに唸る。宍戸の脚に手のひらを置いた。宍戸が驚いたように円堂を見る。円堂は身を乗り出す。宍戸はからだを引く。その背中がベンチに触れた。強いことでも、弱いことでもない。心配なのは。そうやって目を閉じることだ。弱いふりをして、栗松の他にはなにもいらないみたいなふりをして。そうやって宍戸はいつも円堂を蔑む。心配なのは、それでも諦められない自分だった。
遂に毀して、着地点。











遭難
円堂と宍戸。
貼り直されたばかりのアスファルトが靴の底ににちりと粘りつくのは夏だと思う。ニューバランスは降り続く雨と無慈悲な酷使に紐をひどく毛羽立たせていたが、足の形になじんだそれをなかなか買い換える気にならないのもまた事実だった。例え松野にきたねえくせえと腹の立つ嘲笑で揶揄されても。恥ずかしいから誰にも言わないだけで、染岡は自分を誰より神経質だと思っている。慣れないものは苦手だった。新品の靴を履くと、いつもむこう数日は肩が凝り、その上ひどく脚が痛む。恥ずかしいから言わないだけで、染岡の土踏まずが砂丘のように緩やかな大きな足にこの靴をなじませるのには随分時間がかかった。今ではあまりにもなじみすぎて、路上に撒き散らされたありとあらゆる不愉快を染岡の足にダイレクトに伝えてくる。粘りつくアスファルトはまぎれもなくそのうちのひとつで、妙に湿っぽくいながら熱を持っているような、その感触は夏に似ていた。不愉快が散らばっているという点で言うなら大差はない。
疲れた肩に泥汚れのスポーツバッグを提げて、染岡はのろのろと通学路を歩いていた。つい先ほど影野と別れ(、夏だというのに暑苦しい髪型をしている上に本人だけが平然としている)、反射材の剥がれかけたパイロンのいくつか取り残された通学路に染岡はひとりだった。背中を夕陽が容赦なくあぶる。昨日まではばかみたいに雨が降っていたのに、今日はばかみたいによく晴れた。頬骨とうなじが焼けてちりついている。孤独と困憊。アスファルトをにちにちと踏む靴の感触が奇妙に滑稽で苛立つ。長い影が挑発するみたいに伸びていた。夏は苦手だった。わけもなく腹が立つ。からだを押し包むすべての変化が、神経質な染岡にはひどく気に障る。恥ずかしいから誰にも言わなかったし、恐らく今後も口に出すことはないだろうが。やがてこの道は反射熱だけで息苦してたまらなくなる。ニューバランスとアスファルトが、今度こそ融け合ってしまいそうな。虚しい目玉焼きだと思う。夏の染岡はいつもなすすべなく焼かれて焦げていく。
長く伸びた影の先端を、よく見知った色のジャージ姿が横切っていった。染岡はまばたきをする。おい、目金。目金は機敏に振り向いて、眉根を寄せた。染岡くん?顔のまん中で彼のトレードマークが夕陽に光っている。なにやってんだ、家逆だろ。いえいえロードワークです。小走りに近づいてくる目金の手にはデジカメが握られていた。それ使ってか?染岡の言葉にに目金はまにまと笑う。仕方ないですねぇ染岡くんには教えてあげましょう。なにも言わなくても勝手に喋り出すのは目金のいいところだ、と染岡は思っている。手間がはぶけるのはいいことだ。目金は国土交通省主体の土地区画整備事業がどうの無電柱化がどうのと、なぜか誇らしげに息つく間もなく並べ立てている。電柱と地下管路を繋ぐケーブルが、ちょうど地面に潜る場所を探しているらしい。それは面白いのか?形だけでもとおざなりに訊いてやると目金は目を輝かせた。もちろんです!鼻息が荒い。
染岡くんも一緒にどうです?目金はデジカメをちゃっと構える。この辺一帯電柱がなくなっちゃったみたいですし、ちょーっと大変かもしれませんけど。おれはいいよ。うんざりした気持ちで染岡は投げやりに答えた。目金は気分を害した様子もない。染岡くんは部活で疲れてるでしょうしね。嫌味かなにかかと思ったが、そういうわけではないらしい。目金さーん。呼びかけに顔を上げると、ふたつ向こうの三叉路の右端で栗松が手を振っていた。が、染岡を見つけて手を下ろし、ちょっとあたまを下げる。ありましたか!目金の声に栗松は道の奥を指さす。ではぼくは行かねばなりません。染岡くん、また明日。言うなり目金はやけに精悍に笑うと、きびすを返して駆け出した。あかく焼けた目金のほほがつややかな果物のように輝いていた。網膜に妙にこびりつく、いかにも鮮やかな鮮烈な、そのあかさがいやに気に障った。目金の後ろ姿が小さくなる。栗松は所在なげに突っ立っていた。夕陽にあぶられて、疲れたような顔をして。
目金はグラウンドを駆け回る栗松をどんな風に見ているのだろうと思った。目金にはなにもないのかと思った。嫉妬や羨望や憤怒や諦めや、染岡のからだを中から焼いて焦がして苛むものものを。まるきりなにも持っていないなら。染岡はてのひらで光を遮るようにする。もしくは、そんなふりができるなら、本当はそれが一番強いのだろうと。目金の目の前に脳に心に魂に広がる世界を、しかし染岡は羨ましいとも思わない。美しいとも、輝かしいとも。ただその世界の強靭さに、息を飲んでくずおれるばかりだろうと思う。虚しい目玉焼きの自分などは。目金が差し出したデジカメの画像を、染岡は怖くて見られなかった。恥ずかしいから誰にも言わないだけであった。染岡の世界には想像以上に敵が多い。
目金の気配は夏に似ていた。











カーウェイ大佐はひときれのケーキのような
染岡と目金。
目金は電車を好んでいる。電車好きにはよくある、ホームの端で長いカメラを構えたり、ぞろ目の切符を買うために並んでみたり、新車体に喜び旧車体を惜しんだりする道楽も、まぁたしなまないではない。しかし目金が何より好きなのは電車に乗ることで、昼間の電車ならさらに好もしかった。行きつけの皮膚科は電車で15分、学習塾はもう少し短く、別の電車に乗れば秋葉原までおよそ20分。電車は新しい場所や楽しい場所に目金を連れていってくれる。日本の端までも。朝や夕方のラッシュや酒臭い夜の電車よりもいいのはもちろん昼間のそれで、目金の好きな昼間の電車は忠義ものでやさしい生き物のように親しかった。たくさんのひとを飲み込んで静かに行き来する穏やかでやさしい生き物。昼間の電車はそこに乗っているひとすら好もしい。働く時間に往来する彼らは、ほんの少しずつ日常から外れた穏やかな顔をして、その素直な寂しさがひねくれ者の目金にはことのほかしっくりと馴染むのだった。
部活の遠征に行くのは、当初は決まって電車だった。休日の早朝の改札前に道具を並べて切符を待つ。傍若無人な同輩たちも電車の中ではおとなしく、マネージャーと後輩は決して座席に座らなかった。ラッシュに巻き込まれた彼らが荷物ごと人波に流されてホームに降りざるを得ず、そのまま乗りきれずに一本電車を遅らせる、というのは実はよくある話で(円堂たちはそれを島流しと呼ぶ)、そのたびに次の駅で降りて電車を待ってやるのは必ず目金の役目だった。それをやらかすのは圧倒的に栗松が多い。小柄なくせに大荷物を抱える人間の悲しさか、栗松はほとんど無抵抗でスーツの波に押し流され押し出され、扉が閉じたがらんとした車内には既に栗松の姿はないのだった。こういうときばかり目ざとい円堂は、いつも目金の肩を軽く拳でとんとんと叩く。そうしてその合図を受けたときには目金はとっくに降りる準備をしている。いつも。座席の足下に押し込んでおいた鞄を引っ張り出して肩にかけ、目金は振り向きもせずにホームに立つ。いつも。
思うに足りないのではなかろうか、と。吹きっさらしのホームの風は初夏のくせに粘って冷たい。目金はこの頃にはもう既に、全うに働いて大人をやるような人間にはなるまいと心に決めていた。昼間の電車はいつでも目金の友人だったけれど、それ以外のものは全てがいつでも敵にしていいものだった。思うに。目金はまばたきをする。そのとき電車が滑り込んできた。鼓膜を波打たせる殺人的な音の流線。栗松はいつも一本遅い電車に頼りなげに突っ立っている。思うに、ぼくらには悲劇が足りないのではなかろうか。目金が電車に踏み込むのと同時に栗松は振り返った。肩から提げた救急バッグと腕に通したクーラーボックス。目金は眉根を寄せた。栗松の隣の吊革を掴む。ホームにひとり流される栗松は、いつもなにを考えているのだろうと思う。もしかしたら、栗松にも足りないものがあるのだろうか。例えば。目金は短く息を吐く。こんなに近くにいるのに、荷物を持ってやろうとも言わずに、そんなことばかりを考えている。
栗松は落ち着かない様子でちらちらと目金を伺っている。怒ってませんよ。先制すると栗松は目をまるくして、それから照れ臭そうに笑った。いつもごめんなさい。目金はそれには答えずに、栗松くん、と彼を呼ぶ。きみには悲劇が足りないのではありませんか。はぁ。栗松はぽかんとした顔をして、首をひねり、ううん、と唸った。よくわからないでやんす。目金はそうですかと窓の外に視線を飛ばした。いつの間にかふたりの間に置かれたクーラーボックスががたがたと揺れる。それ以外のものならば敵でも構わない。なら。しかし目金は思考を切った。悲劇よりも他に足りないものならあると、栗松がそんなことを言うので。目金はまばたきをする。栗松の横顔を見る。栗松は遠くを見ていた。それ以外のものならば敵でも構わないと。目金はそれを言おうとしていた。ついさっきまで。

「きみには、」

そしてそれは言葉にはならなかった。
栗松には昼間の電車にも馴染まれないような奇妙な孤独ばかりが似合ってしまう。









東のメシアライザー
目金と栗松。
手を出されない場所にあるものってきれい。
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無印雷門4番と一年生がすき。マイナー愛。

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