ヒヨル 春の迷路 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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父というのは変わったひとで、それはごく一般的な意味での変わったより、もう少しひねった意味を持っている。影野の父は手先が器用なひとで、よく木や竹を削ったり果物を彫ったりしている。木彫りをするだけなら静かなひとだが、彫るものはやけにリアルな人体模型や内蔵標本だし、朝食にバナナが出るとつまようじで「面目躍如」だの「右顧左眄」だのと彫っては、意味もわからない子どもたちにたべさせる。きれいなアラベスクに彫ったりんごをベランダに置いておいて、見事に腐らせ母親に叱られていたのは今から三年ほど前のことだ。流れ出た汁がべたりと染みつき、ベランダはそこだけうすくろく跡が残ってしまっている。今でも。父は医局に勤めている。勤めていることは知っているが、父がどのような仕事をしているのか、影野は知らない。うちにいるときはよくシャルドネというワインを飲んでいる。酔っても酔わなくてもあまり変わらない、夜の砂場みたいなひとだ。母とは仲がよくて、姉とは気が合い、影野とは似た者同士な父の指からは、いつもあまかなしい果物のにおいがする。
雨降り、それもやわやわといつまでも降る雨の翌日は、グラウンドがおそろしくはしりやすくなる。たくさんのとっかかりがうすい砂を流されて攻撃的にむき出しになり、雨を飲んで引きしまった地面は置いた足をぽおんと軽快にはじき返してくる。左サイドを猛然と上がっていく風丸も、いつもよりぐっとけものじみた新鮮なはしり方をしていた。雨の翌日は空気中のこまかなちりやほこりが全部押し流され、空も山も絵画のように冴えざえとまぶしい。雲が刷毛で描いたみたいにざっざっと浮かんでいる。晴天の五月はさみどりがきれいだ。やんわりと雨の残り香がただよっている。音無がカメラ片手にラインの外をうろうろとはしり回っているのを、交代要員でベンチにつくねんと腰かけている壁山がはらはら見守っているのが見える。今日はグラウンドのコンディションがいいから、選手は自然と気持ちもからだも逸るのだろう。音無の足が水溜まりをはね上げ、それと同時に豪炎寺のボレーシュートが無人のネットを揺らした。円堂がベンチからブーイングよろしく腕を振る。隆起したグラウンドに足を取られて顔面から転び、珍しく負傷者席にすわる円堂の鼻には脱脂綿が詰められている。
影野の携帯には、父が彫ったへんな木の鈴がついている。親指の爪くらいの大きさで、ぐるっと「色即是空」と彫られていて、どのくらいうすく丁寧に彫刻してあるのかはわからないが、その木の鈴は驚くほど澄んだ音で鳴る。最初は目玉を彫ろうとしていたと父は冗談じゃなく限りなく本気っぽく言い、おかあさんがやめろって怒るからと今のかたちに彫り直したらしい。影野と姉とおそろいで、姉のにはあか、影野のにはあおいりぼんがついている。部活のあとに影野がかばんをさぐって携帯を取り出したとき、染岡がそれを見つけてなんだそれと手元を覗きこんだ。携帯から外して差し出すと、染岡はおっかなびっくりといった様子でそれをてのひらに乗せて眺めている。アレに似てるな。あれ?坊主が叩いてるやつ。あーあれ。確か姉も似たようなことを言っていて、抹香くさいものの苦手な姉はしばらくその鈴に近づきもしなかった。
ふーんとかへーとか言いながら、染岡は熱心に鈴をてのひらで転がしながら眺めている。一見がさつで大ざっぱだが、染岡はこういうこまかな細工ものに興味があるらしい。手先も器用だ。染岡のてのひらの中で鈴は機嫌よくころころと鳴いている。よく慣れた野良ねこみたいなその音に、春の静けさがふうわりと降りてくる。影野は髪の毛のすき間で目をほそめた。部室のちょっとゆがんだ鉄格子から、晴天が惜しげもなく投げこまれてくる。どんどんどんどん、まるで祝うみたいに。悼むみたいに。なにを?なにをだろう。染岡はグラウンドの土で汚れた指先でそっとりぼんをつまみ、やさしく振った。驚くほど澄んだ音、に、染岡は目を見開いて、影野を見た。ころんと鳴った鈴のうしろに、あてどない春の静寂が響きわたる。祝うみたいに。悼むみたいに。なにを?なにをだろう。そっと染岡の指から返された抹香くさい木の鈴。投げこまれた晴天がふたりの足元を吹き抜ける。
グラウンドはもう乾きかけて、風も止んで春ばかりが際だつほどあおい。うおーいそめおかー!てめっ片づけ手伝えよ!外から飛びこんできた声に染岡はスパイクを鳴らして部室を出ていった。その背中を見送り、影野はそっと鉄格子を仰いだ。とても静かだった。てのひらに残った木の鈴が、ころころとやわらかに鳴っている。染岡がしたようにてのひらで鈴を転がした。祝うみたいに。悼むみたいに。なにを?なにをだろう。影野はその鈴を染岡のかばんにそっと結びつけた。色即是空。その言葉の意味は今でもよくわからない。なぜだか逃げるように部室を出ていき、そのとたんにひどく後悔した。満たされた後悔。春の空はもうわずかにかすみ出し、軽くなった携帯を開くとメールが来ていた。父からだ。写真だけのメール。最近ずっと作っていた歯列の木魚が完成間近らしい。悪趣味だと思いながら、その実それがちっともいやではない。父はいつも仏さまみたいな穏やかな顔で木や竹や果物を彫っている。あまかなしい果物のにおいの指で。祝うみたいに。悼むみたいに。祝うみたいに。悼むみたいに。






春の迷路
染岡と影野。
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