ヒヨル 杣いろ少女 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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始まりはとても些細なことだった。いつものようにスポーツドリンクのボトルを片づけるために部室に入った木野が、不思議そうに首をかしげながらすぐに出てきて音無を呼んだ。これ、どこにしまうんだっけ?いつもの場所ですよーと音無は気楽に答え、しかしその言葉を聞いた木野は怪訝な顔をした。いつもの?音無は抱えていた砂まみれのコーンを地面に下ろし、木野に寄っていく。いつものですよう。ほら、奥のロッカーの中。木野は目を伏せた。先輩?音無は木野をのぞきこみ、じゃああたしが片づけちゃいますね、と明るくボトルのかごを受け取る。木野はほっとしたような顔をして、お願い、とほほえんだ。代わりにコーンを持ち上げ、そして困ったように辺りを見回し、またそれを地面に置く。どした?半田の言葉に木野はなんともいえない表情を浮かべ、これどこに置くんだっけ、と訊ねた。まじめな声で。始まりはとても些細なことだった。木野は部活の道具をしまう場所を忘れてしまっていた。
木野は円堂がいつも決まって飲むウィダーの味も忘れていた。それは木野が道具をしまう場所を忘れていた翌日、練習試合のアップ中に円堂の指摘で判明した。いつもの売り切れてた。円堂の言葉に木野は首をかしげる。いつもの?味違うけど。木野はすまなそうな顔をした。そう、ごめんね。なんか変だぞ。熱あるのか?結局円堂の指示でベンチには夏未が入り、木野はぽつんと荷物置き場に残された。気にすんなよ。前日の練習で足首をひねったため、おなじくベンチからあぶれた土門が木野にやさしく声をかける。ど忘れなんてよくあるって。木野はぼんやりとひざを抱え、うん、と曖昧な返事をした。あ、湿布変えたいんだけど、まだ残ってる?アイシングでもいいけど。土門の言葉に木野はぱっと顔を上げ、とまどうように視線を動かした。ええと。クーラーボックスに片手を置き、木野は逆の手でこめかみにふれる。ちょっと待ってね、ちょっと。あき。土門が目をまるくして問いかける。もしかしてそれも忘れちゃったの?その言葉に木野は土門を見た。呆然とした顔で、怯えたように。
とてもまれなことだと医者は言った。木野の記憶は、一日に必ずみっつずつ、失われていくという。原因はわかりません。ボブカットの小柄な女医が苦い顔をする。治療法もそうですが、問題は、記憶がどのような順番で失われていくか、全く予想ができないということです。ぽかんとした木野の後ろで、円堂と土門、響木は顔をこわばらせる。思ってもみないけがをした、当たり屋の被害者みたいに。医者はひどく言いづらそうに言葉を続ける。忘れてしまったことさえも忘れてしまうと、どうしようもありません。この病気は、対処法がまだ。そこまで聞くと円堂は木野の腕を引いて診察室を飛び出した。響木は今度はあの子の両親を連れてきますとあたまを下げる。土門がそっと廊下に出ると、そこで円堂は木野を抱きしめて立ち尽くしていた。一日に必ずみっつ。土門は記憶の指を折る。昨日。ボトルを片づける場所、コーンを片づける場所、救急バッグを片づける場所。今日。円堂のウィダーの種類。湿布をしまった場所。アイシングの方法。みっつ。一日に、必ず、みっつ。こころの中に巨大な氷が沈んだような衝撃だった。
結局それはサッカー部員だけに伝えられた。憔悴した円堂の口から。土門とおなじように円堂も氷みたいなつめたい現実を無理やり抱かされ、そのために溢れ返ってしまったものをひとりのものにはしておきたくなかったのだろう。珍しく焦った様子の円堂はおまえまだサッカー部にいるよなと木野を抱きしめながらひくくおめいた。夕焼けのオレンジが反射するあの廊下。ぴったり重なって伸びる影の、その濃いいろ。たちまち木野は部員に囲まれ、自分のことは覚えているか忘れないでほしいサッカー部にいてほしいと口々に訴えるせつない少年たちを、おなじくらいせつなくほほえんで見ていた。どうしようもないことと、あるいはもう、諦めていたのかもしれない。まるで山に棲み木を伐る杣のように、彼に伐られてゆく木々のように、木野の記憶は少しずつ消えていく。
あれからひとつき。木野はいろんなことを忘れ、また覚え、土門は毎日木野の送り迎えをすることにした。家も近いし、もしなにかが、木野が信号の渡り方や川や車が危ないということを忘れてしまうような事態が、起きてしまったとき。それに耐えられるように。すぐにそれを補ってあげられるように。切り株がぞろりと並ぶ木野の中の眠りの森。木野は毎日、必ずみっつ、なにかを手放してゆく。失ってゆく。そして土門は気づいてしまった。あの日。あの発症の日。あれは一之瀬を失った日だった。ふたりの前から一之瀬がいなくなった日。それは空から小鳥がいなくなった日だった。海から魚がいなくなった日だった。輝くものが死に絶えた日だった。あてどない絶望に突き飛ばされた、ああ、あの日もまた始まりだったのだ。終わりのない殉教を、そして木野は始めてしまった。たったひとり、ひとりぼっちで。木野は今どんな世界に棲んでいる。どんな顔をして。
おはよう、あき。木野は振り向いて、にこりとわらう。おはよう、土門くん。そして土門の傍らをちらりと見て、一之瀬くんは?と訊ねた。昨日とおなじことを、昨日とおなじ顔をして。今日の木野からはまたなにかが失われている。どうして一之瀬のことを忘れられないのか、土門はどうしても聞けない。一之瀬がいなくなってしまったことさえ、木野はもう忘れてしまったのだろうか。きよらかに立ち続ける一之瀬の存在。その永遠。かつてあの海の彼方に置いてきたはずのものが、今もなお輝きながら木野の中に根を張っている。うらやましかった。どうしようもなく。どうすることもできないくらい、それは甘美で、静かで、ひそやかで、そして、かなしかった。たとえあのオレンジの廊下で木野を抱きしめた円堂を忘れる日が来ても、土門を忘れる日が来ても、木野は一之瀬のことだけはきっと忘れない。木野はそのために木を伐ってゆく。ただ一之瀬だけを想い、一之瀬だけに占められた、木野は。それは、小鳥しかいない空。魚しかいない海。輝くものだけを見つめる、ひとりぼっちの殉教者。記憶を伐る杣は木野自身だ。
土門はそっと木野の手を取った。なあに、と木野がほほえむ。あき。不意に喉がつかえ、土門の声はかなしくよじれた。いくつ記憶をなくしても、その犠牲の日々に終わりが見えなくても、それでも木野はわらうのだ。昨日みたいに。一昨日みたいに。ずっと昔みたいに。一之瀬がいたころみたいに。おれはあきがすきだよ。ずっとすきだよ。だから。だから?土門はわらう。なんでもない。はやく行こうか。うんとうなづく木野の指は、土門のてのひらからすべり落ちた。一之瀬が忘れられなくていい。木野がどんな世界にいてもかまわない。だから、どうか。どうか光まで、失わないで。
一之瀬がうらやましかった。本当だ。







杣いろ少女
土門と木野。
リクエストありがとうございました!トンデモな感じになってしまってすみません。木野さんすきっておっしゃっていただけてとっても嬉しかったです!
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