ヒヨル 暁に死す 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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円堂はきいろくつやつやとまるいみかんを剥く宍戸の指を、いかにもだらしなく頬づえで眺めていた。宍戸の指は痩せてほそく、血の気の引いたあおじろいひふに、がさついたささくれや関節のあかぎれがうすあかく色づいている。それだけで冬が苦手なのだとわかる宍戸の指。すじも取って。気だるくそう言うとへいへいとこちらは気安く答えた。ふたりきりの部室はましかくに冷えて、首のあたりが知らず知らずのうちに寒さでこわばる。わざと力を抜くと、今度は喉の奥、内蔵のさらに底のほうがぎゅうっと絞られるように震えた。いつもの癖でつけていた穴のあいたキーパーグローブをのろのろと外して、そうするとかすかに汗ばんだてのひらが刺すように痛む。冬だ。円堂はつぶやく。冬っすねぇと脊椎反射的に応えた、宍戸のそのしろい指が丁寧にみかんのすじを取り除いている。
雷門中でインフルエンザが流行し始めたのは一週間ほど前だが、たった数人の生徒から始まったそれは驚くべき速さで学校中に広まり、マンモス校で名高い雷門中をあっという間に席巻した。朝の職員室には欠席を知らせる電話がひっきりなしに鳴り続け、受験を控えた三年生の校舎は早々に閉鎖された。サッカー部も例に漏れずぞくぞくと倒れ、数日前に半田がなんかあたまが痛いと早退した翌日には、部員は半分に減っていた。松野あたりは便乗してさぼってるだけなんじゃねえの、と円堂が電話をしてみたところ、がらがらに潰れた声が寝てんだから邪魔すんな死ねと毒づいたので、ああこれは本物だなと思った。やがてばかは風邪引かない染岡や音無、基本的にからだは丈夫な影野、病気など寄せつけない健全な生活を身上としている少林寺や、健康優良児二重丸の壁山までが学校を休むに至って、ようやく円堂は異変に気づいた。おとといまでは学校に来ていた木野も、昨日具合がわるいと早退してしまったし、夏未の姿もここ最近見ていない。
今日は練習やんないから帰れ帰れ。円堂はこのウイルス地獄の最中にも風邪を引くそぶりすら見せない深刻なばかの豪炎寺と風丸をそう言って帰し、ひとり部室に赴いた。せっかくなので風邪でも引いてみようと思ったのだ。もっとも円堂とて深刻なばかのうちのひとりであるから、たぶん結構がんばらないと無理だ。分厚いマフラーをかばんに押し込み、かわりに取り出した携帯にメールが来ていた。開くと栗松からで、具合わるいんで早退しましたーという簡潔な一文のあとに、ケロロ軍曹の絵文字がぴこぴこ踊っている。ちくしょうと無性に腹が立った。おれだけのけ者みたいにしやがって。あからさまに不機嫌な顔で部室の扉を乱暴に引き開けると、そこには宍戸がいた。うお。円堂は思わず声をあげる。うーっす。宍戸はジャージの上に学ランをはおり、さらにその上から深みどりのマイクロブランケットを巻きつけて肩をちぢめていた。座面に穴のあいたベンチに浅く腰かけた宍戸の膝が小刻みに震えている。
宍戸はくちびるをまげて、キャプテン遅いっす、と不服そうに言った。あーわりーわりー。今日部活休みにしようと思ってさ。えーもー早く言ってくださいよーそーゆーことは。あきれたように首をそらし、ずずっと洟をすすってあーと宍戸は低くうめく。さ、びーっすね。だな。円堂は後ろ手で扉を閉め、ぼろパイプ椅子にどかっと座る。キャプテン帰らないんすか。あー、まあちょっと。練習ならつき合うっすよ。練習はしねー。ただの暇つぶし、ひつまぶし。くくっと宍戸はわらい、キャプテンみかん食います、と唐突に訊ねた。円堂は目をまるくする。なんだよ急に。やー田舎から大量に送られてきたんすよね、と、傍らのスポーツバッグをさぐった。食いきれねっつんで。おまえ田舎どこ。和歌山っす。どぞ、と宍戸は鮮やかな色のみかんを差し出した。さびーから剥け。えーひとが剥いたみかんまじいっすよ。いいからと円堂は気だるく手を振る。今日のキャプテンへんなひとっすねぇと苦笑し、宍戸はそのみずみずしい皮に指をつき立てた。
宍戸のてのひらの中でみかんはだんだんつるつるに剥かれていく。おれら流行に乗り遅れてるっすね。宍戸がわらいながら言った。おーと円堂は眉をしかめる。はやく風邪引きてーのに、なんでおれこんな頑丈なんだよ。頑丈いいじゃないっすか。健康がいちばんっすよ。健康のためなら死ねる!とたぶんあの芸人の似てないものまねをして、宍戸は呼吸でもするみたいにわらった。それでこそ雷門のゴールキーパーっつーか。頑丈じゃないと勤まらないでしょ。思ってもねーこと言ってんなよ。ほんとに思ってますよ。あはは、と宍戸は今度は快活にわらった。おれわりとキャプテンすきっすから。チッと円堂は舌打ちをする。媚びてもスタメンはやんねえよ。ひっでえ。宍戸の横顔が飄々とわらっている。本当のことなんか宍戸はなにひとつ言わない。言わないくせに、それでも隠しもしないのに、円堂はそれに気づくことが、いつになってもできないのだ。
でーきたー、と宍戸は芝居がかったしぐさで、すじをすべて取り除いたみかんを掲げた。できましたよ。そう言って宍戸は円堂にそのオレンジの塊を差し出す。宍戸の指先でやわらかく悶える、欺瞞と矛盾のせつない塊。円堂は手を伸ばす。さんきゅ。しかしつかんだのはみかんではなく宍戸の痩せた手首だった。え。円堂は口をひらく。そしてつるつるのみかんを宍戸の指ごとひといきに頬張った。ちょ、キャプテン。キャプテンいてえいてえ噛んでるって、ちょっ。もがく宍戸の手首をしっかり握り、円堂はそれにつよく歯を立てる。奥歯の下で果肉が潰れ、酸味が鼻の奥を突くのと同時に果汁がだらだらとこぼれた。宍戸の指は骨のようだった。やがてそのしろいひふを涙のように果汁が伝う。おれのこと恨んでもいいよ。円堂は執拗に指に歯を立てながら低くささやく。恨んでもいいから。いいんすか。宍戸はもう抵抗をやめて、ただ奇妙に落ちついた顔をして円堂の奇行を眺めている。
恨んでどうにかなるものなら。それが、かたちあるものならば。円堂はなにを犠牲にしてでもそれを償いたいと思ったし、だからこそそれができないから、宍戸にとってなにひとつ代わりにならないことこそが、苦しいのだ。恨めよ。奥歯で噛んだ骨がみしりと鳴いた。嘘。宍戸はかわいた口調でいう。だからおれはキャプテンがきらいだ。そうだ。恨んでなんて。円堂は乱暴に宍戸の腕をつっ放し、みかんはやっぱり愛媛だな、とぶっきらぼうに言った。コンクリートに半分噛み荒らされたみかんがしかばねのように横たわる。もったいねえ、とひとりごとみたいに呟いた宍戸の指には歯形が幾重にも刻まれ、そこかしこを果汁で染めている。
本当は。円堂は目をほそめる。本当は恨んでなんてほしくない。でもそれを知りながらなにも言わない宍戸の、その心の闇を価千金と願う。しかし願ったところで幻想は潰えたし、現実ならばこういう不確かなものにしかならないのだ。願いは叶わない。宍戸の指は骨のようだった。ささくれとあかぎれの、冬が苦手な宍戸の指。願いは叶わない。円堂がどれほど願っても。だからその涙で責めてほしかった。その涙で、泣いてほしかった。円堂は頑丈だから。頑丈だから傷つくことさえできないのだ。円堂は宍戸の胸ぐらを掴んで、思いきりその顔を殴った。宍戸の指は骨のようだった。つめたいひふはしかばねのようだった。噛み荒らされたみかんがだらだらと泣く。どうか恨んでください。恨まないでください。棄ててゆくばかりのおれたちを、あなた、どうか、許してください。








暁に死す
円堂と宍戸。
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