ヒヨル 血のアンダルシア 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

最初にそれをされたのは部活が終わったあとの人気のない部室で、夕焼けがもう藍色に近かった空の底のほうには、ざらめの粒のような星がいくつかまたたいていた。さっきまでボールをごそごそと片付けていたはずの宍戸が不意に手を伸ばし、ロッカーを開けようとしていた栗松の喉を後ろからぐっと締め上げたのだ。やーめーろーよー、と悪ふざけのつもりででも疲れてるからそーゆーのまじでやめてよ、というつもりで発しようとした言葉がたちまち喉の奥で歪んで凍りつく。宍戸の痩せた指は栗松の喉のひふや筋やささやかな突起や、そのようなもののうちに執拗にもぐり込み、頸動脈を押さえつける乾いたてのひらの強さは冗談なんかでは、まったく、なかった。あたまが膨れるような感覚に栗松はロッカーをがんがんとてのひらで何度も叩き、あかい錆が汗のにじむそこを刺す。やがててのひらは唐突にゆるみ、血が一気にかけのぼり落ちるジェットコースターみたいな感覚に栗松は卒倒しそうになった。おそるおそる肩ごしに振り向くと、宍戸は相変わらずラックに積み上がったすかすかのボールに丁寧に空気を入れながら、今日ラーメンいくー?とのんきに声を上げている。ああとかうんとかごにょごにょと言葉を濁し、栗松はそうっと首に触れた。そこには確かにつめたく乾いたてのひらの感触が残っている。爪の間に食い込んだ錆が、今さらのように痛みを訴えた。
それからはまま、宍戸のてのひらは栗松の首に吸い付いてそこを容赦なく締め上げる。学校で、通学路で、ひとけのない場所で不意に背中をさらしたとたんに、宍戸のてのひらは栗松の首に絡んで息を止める。たとえ宍戸が、どんなに離れた場所にいたとしても。談笑しながら、冗談を言い合いながら、あっと思った瞬間にもう栗松は声が出せなくなる。そのときに宍戸の声だけはまったく変わらずにつらつらと会話の続きを垂れ流していて、栗松はてのひらの驚くほどの力強さもさることながら、実はそのことに何より怯えていた。突きつけられる病的な(実際にそれはもう、病気といっても差し支えなかったろうが)無関心が、こみ上げる嘔吐感をさらに押す。今まで息苦しいと開けっぱなしにしてあった詰襟のホックを留めるようになったのも、その頃からだ。てのひらの痕はときどきはあかぐろく首筋にへばりついたまま、なかなか消えてくれない。あの痩せたひらひらとうすべったいてのひらに込められた衝動の重たさに、思い当たることなんてなにもひとつないにも関わらず。宍戸はわらって、栗松はそれに戸惑う。結局あの日、ラーメンはたべに行かなかった。
ときどき壁山や少林寺に、この宍戸の悪癖についてそれとなく訊ねてみるが、ふたりとも曖昧な怪訝な顔をして、まともに取り合ってはくれない。少林寺などは嫌悪感をむき出しにして栗松をにらみ、きもいから寄るな、とそれだけを言った。壁山も困ったような戸惑ったような顔で半端にわらいながら、思い違いだろ、と断言する。うーんと首をかしげ、栗松は自分のてのひらで首筋をこすった。もう今では、宍戸のてのひらの感触がこびりついたように消えなくなっている。どこにどんなふうに指を置いてどうやって力を込めるのか、なんかが、宍戸がいないときでもわかってしまうのだった。廊下に出るとちょうど教科書を抱えた宍戸が階段を上ってきたところで、ようと手を挙げるその仕草におなじ動作を返しながら、栗松はそっと詰襟のホックにさわる。なに。理科、ガスバーナー。燃やすなよ。間に合ってるしと宍戸は自分のくせ毛をかき回した。けらけらとわらうと教室の窓から少林寺が身を乗り出す。あ、宍戸。おーあゆむ、ちーっす。ちーっすとピースを絡ませるふたりの手を見ながら、栗松は無意識のうちに喉をかばうように押し当てたてのひらに気づいた。それをそうっとずらす。思い違いに決まってる。そうに違いない。じゃーねーと手を振って特別教棟への渡り廊下へあるいていく宍戸の背中を見送って、栗松も教室へ戻ろうとからだを返したその途端。ひたりとつめたいふたつのてのひらが、栗松の喉を猛然と締め上げた。
一緒にかえろーぜーと、なぜか練習後の部室から一番に出ていった宍戸は、校門のところで両手を学ランのぽけっとに突っ込んだまま栗松を呼んだ。おーと栗松はスポーツバッグをゆすり上げる。ここしばらくプレイが冴えない。原因はなんとなくわかってるんだけどーと、栗松は肩を並べた宍戸のせいの高い横顔を盗み見た。ででてれてれ、ででてれてれ、ででてれてれたーらららー。宍戸がひとりごとみたいに歌っている。ででてれてれ、ででてれてれ、ででてれてれたーらーらー、らららららら。機嫌いーね。なんとはなしに聞くと、やー別にーと宍戸は首をひねった。機嫌いーんかな。いやおれはわかんないよ。あーそう。宍戸は不意に栗松の袖を引いた。遠回りしよう。なんで。ポケウォーカーあるから。あーと栗松はうなづいた。いいよ。さーんきゅーと宍戸は肘を栗松の腕にぶつけるような仕草をした。こころもち前に立ってあるく宍戸は、片足をわずかに引いている。今日の練習でひねったのだろうか。ひどくしなければいいけど、と思いながら、栗松は詰襟に添えたてのひらをどける。すっかりそれが癖みたいになってしまっていた。やるせない鈍い疲労が胸を刺す。そんなことをしても、宍戸のてのひらの感触は消える間がない。
河川敷は太陽の残り香が立ち込めるまま、ぬらぬらと燃えるように沈んでいた。先に立って宍戸はどんどんあるいていく。石段をたたったたっと下り、グラウンドをまっすぐに横切る宍戸の背中があかすぎる夕焼けにちろちろと揺らいだ。ふと目を西の果てにやると、熟れすぎた木の実みたいな夕陽が重たげに落ちていくのが見えた。秋の陽の釣瓶落とし。踏み出した栗松のスニーカーのつまさきがわずかにぶれる。なぜか唐突に、怖い、と思った。宍戸はできそこないのかかしみたいに、からだをかすかにかしがせて川のすぐそばに立っている。ぎらぎらとまっかな水面に沸き立つさざ波が、やわらかな刺みたいに浮かんでは消えた。栗松が横に立っても、宍戸はなにも言わなかった。ぼんやりと水面を眺めながら、嫌われたみたいに立ち尽くすできそこないのかかし。宍戸。栗松はみじかく呼んだ。宍戸のそばかすのほほが、あかく輪郭をにじませる。栗松。ようやく宍戸は呟いた。そのことに安堵して栗松が微笑もうとした途端、景色がぐらりと崩れ落ちた。耳のそばで水しぶきがはね上がる。ごぼっと噎せたくちびるからは大量の泡が溢れだし、吸い込んだものは酸素ではなくつめたい水だった。もがいたつまさきが水底の砂利に食い込み、その瞬間、全身を耐え難い寒気が包んだ。落とされた。視界がもやもやとふやけ、酸素を欲しがる脳が急速に熱を帯びる。ようやく掻いたてのひらが水底を捉え、栗松はからだを返して上半身を起こした。ひゅうひゅうと喉が鳴る。ずいぶんな浅瀬だった川は栗松の腰にも満たず、あまりのことに水中にへたり込んだままの栗松のむこうずねにまるい砂利がやわやわと食い込む。ぐっしょりと濡れたほほが、外気に触れて痛いように冷えた。
宍戸はまっかな夕陽を浴びながら、無表情で栗松を見下ろしていた。魂が抜けてしまったようなそのうつろな表情を、栗松はぜいぜいとみじかい呼吸を繰り返しながら見上げる。げほっと噎せた喉の奥が変になまぐさい。目がひりひりと痛んだ。宍戸。ぐすぐすと湿った声で、栗松はおそるおそる宍戸を呼ふ。ししど?そのとき宍戸が足を踏み出した。ざぶざぶと水を掻き分けて、栗松の目の前に立ちはだかる。宍戸、と、再び呼びかけようとした栗松の声が潰れた。宍戸の両手は栗松のずぶ濡れの首を凄まじい強さで締め上げていた。栗松はその宍戸の顔に目の奥があつくなるのを感じて、つめたいその手に爪を食い込ませた。おまえだって。宍戸がやさしく、やわらかく、まるで栗松を労るような口調で囁いた。おまえだっていなければ。おまえだって、いなかったら。両目からだらだらと涙をこぼしながら、栗松は今にも叫び出しそうなほどの恐怖に、全身がこわばるのを感じた。やみくもに振り回した栗松の手が宍戸のそばかすのほほを思いきり打つ。呼吸も音もないその一瞬の、濡れた視界にあかすぎる夕陽がめらめらとめらめらと燃えていた。
翌日は体調を崩して学校を休み、次の日に学校に出ていった栗松を少林寺はかすかに痛ましいような目で見たが、結局そのときはなにも言わなかった。宍戸は相変わらず飄々と移動教室に向かい、くだらないはなしをして行ってしまう。あのさ。放課後の部室でスパイクのひもを絞めながら、栗松はおずおずと少林寺に訊ねる。昨日、宍戸、部活にいた?は?おなじくスパイクを履いていた少林寺が怪訝な顔を上げる。なにが。だから、昨日。おれが休んだとき、宍戸って部活来てた?少林寺は困ったような戸惑ったような顔をして、落ち着かなく視線をさまよわせた。栗松、なに言ってんの。え。今度は栗松が怪訝な顔をする。宍戸が部活来るわけないじゃん。なんで。なんでって、宍戸もう部活やめただろ。え。栗松はまばたきをする。くちびるがこわばり、呼吸が一瞬、ぴたりと、止まった。宍戸もう部活やめただろ。シシドモウブカツヤメタダロ。え?少林寺はぎろりと栗松を睨み、だから、といらいらと立ち上がった。あいつの足は治んなかったの!もう走れないからって、宍戸、言ってただろ!覚えてないのかよと少林寺は信じられないような顔で栗松を見た。嘘だ。栗松は立ち上がる。だって、嘘だよ。からだを返して壁に貼られた部誌記入当番表をめくった。宍戸の名前の上にはしろい紙が貼られ、そこにはタマノという名前が書かれていた。でも。栗松は肩越しに振り返る。でもおれ、ずっと宍戸としゃべってただろ?少林寺はあたまでも痛むような顔をして、ねえ、と逆に問いかけた。栗松さぁ、宍戸宍戸ってずっと言ってたけど、あんとき誰としゃべってたの。栗松はふっと手を落とした。さあっと全身から血の気が引く。でも、でも、おれ。少林寺はそのまま冷ややかな目をして栗松を見て、先行くから、と部室を出ていった。でも。栗松は消された宍戸の名前をわななく指先でそうっとなぞった。宍戸は確かにずっといた。練習にも参加していた。会話だって。でも。栗松は首を振る。でも思い出せないのだ。宍戸がどんな顔でグラウンドに立っていたか。どんなことを話していたのか。どんな声で。どんな仕草で。宍戸。そのとき、栗松の首筋をつめたい手がひたりと掴んだ。痩せた指、乾いたてのひら。さびしいさびしい宍戸の手。おまえだっていなくなればいいのに。途端にねじ切らんばかりに首を締め上げてくるそのてのひらに、栗松はもう抗えなかった。宍戸、宍戸、宍戸、宍戸。こぼれそうなほど見開いた目からぱたりとまるく落ちた絶望が、血のようなあの日の夕焼けのまま、栗松を蔑み、踏みにじり、罵倒する。宍戸。宍戸。宍戸。きみあのときわらってたくせに。
「おまえだっていなくなってくれればいいのに」
きみが死ねばいいのに。
















富永太郎忌日に寄せて。
PR
[310]  [309]  [308]  [307]  [306]  [305]  [304]  [303]  [302]  [301]  [300
カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
まづ
性別:
非公開
自己紹介:
無印雷門4番と一年生がすき。マイナー愛。

adolf_hitlar!hotmail.com

フリーエリア
アクセス解析

忍者ブログ [PR]