ヒヨル 舎利と膿 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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ちいさい頃は表でいつまでも遊んでいられたものだった。夕焼けの影がながく伸びるころ、ひとりふたりと親に連れられて帰る友人たちの背中を見ながら、それでも帰りたくないと思っていたことを思い出す。ひとまわり以上年の離れた兄の、剣道をやっていたてのひらにはいつも絆創膏や湿布が巻かれ、ひふはぼこぼことがさついていた。学ランの兄の無口な背中は、ときたま迎えに混ざるせいの高い男親たちのくたびれたスーツに似ていて、その控えめなグロッシィさが当時の自分には妙に安堵して見えていたのだった。おまえって外すきなぁ、とひとりごとみたいに呟いたあのときの兄の顔はもう思い出せない。ぼこぼこにがさついたてのひらに手をつないだ次の瞬間に現れる記憶はもう次の日の朝、パンとハムエッグと牛乳の孤独な食卓なのだった。ジャムはてのひらくらいの瓶に入ったちょっと高いやつを使っていて、あのときの兄の顔は思い出せないが、今でもあのとろりとふくよかな甘みなら思い出せる。現金さがおかしいと思った。
夏の終わりごろ、兄と手をつないで帰っていると、兄がその日は妙にごそごそと手を握りなおしたりこちらを見下ろしたり、落ち着かない日があった。家に帰ってせいのびで手を洗って母親に両手を開いて見せると(きれいに洗いました、の合図だ)、あれこれどうしたの、と母親が左手を取ってしげしげと眺める。なんか触った?の問いには首を振った。なんか、という漠然としたものが午後の公園いっぱいに広がってふやけてしまったのだ。濃く化粧をした母親は左手の、特に小指にマニキュアの指を添えて、そげ立ったかなーと呟いた。いたい?と問われてまた首を振る。母親のてのひらの中の左手は、小指だけが他の四指の倍にまで腫れ上がっていたというのに。兄が仏頂面で黙ったまま、このやり取りを見ていた。
このままだと膿んじゃうね、とかるく言って、母親は小指を思いきり握った。すると左手の小指の先からは、茶と黄とオレンジをごたくたに混ぜたような塊が、虫みたいにひねり出されてきた。その瞬間に恐怖があたまを満たし、そして気づいたらやっぱり次の日の朝、パンとハムエッグと牛乳の孤独な食卓にまで記憶は飛んでいってしまう。なんだったんだろね。左の小指を噛みながら、宍戸はぼうっと宙を眺めた。宍戸の指はながくてほそく、てのひらはひらひらとうすべったい。爪がみじかいのはいつも噛んでしまうからだ。奥歯で小指を噛みながら、むしろ肉よりも骨そのものの感触を確かめているような、その頼りない感覚がすこしだけすきで落ち着くそのわけを考える。第一関節と第二関節の間がきゅっとほそくなっている、そこに奥歯のでくぼくをなんとはなしに噛み合わせてみたりもする。不思議な不思議なジグソーパズル。人体は奇跡だ、と思う。
以前栗松が、宍戸の指を噛むしぐさを癖かと確かめたその上で(あー癖かも、と宍戸は答えた。意味ねーし、無意識だし、と言うと栗松は困ったような顔をして)指しゃぶりは愛情が足りてないらしいんだけど、と変にまじめくさって言った。そうなの。え、なにが。だから、愛情。あーもー足りてる足りてる。ヨユー。へー。心配してくれんの。そうじゃないけど、と栗松は口ごもり、なんかあったら言えよな、と言った。真剣な顔で、じっと宍戸を見ながら。栗松はまじめでやさしい。確かその日は顔を腫らしていた。兄弟喧嘩の名残だが、説明するまでもないと宍戸は思っている。愛情なら十分に足りていた。母親はジャムを切らしたことなんていちどもなかったし、兄の迎えだって欠かされたことはなかった。だからそれで十分だと思っている。あの日この指からわるいものを追い出してくれた。宍戸はちゃんと愛されている。
なにが出たの、と聞くと、膿、と母親は言った。ほっとくとよくないからね、と宍戸のあたまを撫でながら。ウミと聞いて思い浮かんだのはあおく平らかな太平洋で、それがどういう意味なのかどうしても怖くて聞けなかった。今でも思う。あの日から宍戸は前髪を伸ばした。なるべく外を見ないようにした。口の中から抜き出した小指は歯形だらけでぬらぬらと湿っていて、その先端にしろく肉が盛り上がったちいさなちいさな傷がある。母親がウミを抜くためにつけた傷だ。骨みたいな傷痕。宍戸のまぶたの裏側にはいつも、白骨で満たされた大海原が広がっている。絵の具をごたくたに混ぜた虫みたいな宍戸が、指を噛みながらからからとそこをあるいてゆくのだ。愛情なら十分に足りていた。宍戸は愛されている。答えならとっくに出ているはずなのに、まだなにかが足りない気がしてならない。十分に愛されて満足していたはずなのに、家には帰りたくなかった。今もずっと。
宍戸はいらいらと髪に隠れた眉間にしわを寄せた。あの日からだから抜かれたわるいものを、今ならもう一度受け取ってもいいと思っている。ばかばかしいと自嘲し、松葉杖をたぐり寄せて立ち上がった。検温の時間だ。







舎利と膿
宍戸。
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