ヒヨル かげののはなし 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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放課後の部室に顔を覗かせると、木野がぴたりと土門の痩せた腕に寄りそうようにしていたので、思わず出したつま先がためらいを踏んだ。土門はちらりと影野を見るとひらっとかるく手のひらを振ってみせ、じゃあね秋、とそのほほにくちびるを触れさせてから影野の横をすり抜けて行ってしまう。その背中を視線でさえ追いもせず、気だるい調子でほほを指先でぬぐう木野のほそい肩からは、病んだ室内犬のような倦怠感がにじんでいたので影野はひるんだ。ああ、と湿ったため息だか悲嘆だかをぽつりとひとつこぼしたあとには、影野くんなにか用、といつもの敏腕マネージャーの顔をして木野は振り向く。ほほをぬぐった指先を、やけに神経質にブラウスのすそにこすりつける木野の仕草をぼんやりと眺めながら、そんなに嫌ならさせなきゃいいのにとまさに自分を棚にあげて影野は心中つぶやいた。
木野の視線を気まずく受けながらどさりと鞄をロッカーの前に置き、部活だしとぼそりと言うと、今日中止だよと木野がその言葉に目をまるくした。え。グラウンドの砂の入れ替えするんだって。そう言う木野の言葉尻を、振動と重機の稼働音がかすめていった。ほんとだ。知らなかった。わたしがいてよかったね。木野は屈託なくわらって、影野の髪の毛についていたチョウクの粉をてのひらでちょいちょいと払う。さっきはごめん。なにが。土門と。別になんでもないの。でも。わたしは土門くんに呼ばれただけ。そう言って木野はうんときれいに伸びをした。持ち上がったブラウスとスカートの間に、まぶしいほどしろいひふがのぞいている。目のやり場に困ってそれをあからさまにそらす影野を、木野は(その潔癖な誠実さにおいては)このもしく、しかし(そこにひそむ大型のけものに似た愚鈍さを)冷ややかにながめた。嫌いじゃないけど、うっとうしいし、いてもいなくても、別にどうだっていい。
影野が持ち上げる鞄にそっと指を添えて、影野くんこのあとひまなの、と木野は首をかしげた。うん。影野は木野を見もせずに答える。帰る。そう。送る。ううん、それよりもうすこしここにいて。影野は不思議そうに木野をちらと見て、土門となにかあったのと的はずれな心配をするので木野はわらってしまった。わたしと土門くんはなんでもないよ。そう、と影野は再び鞄を置き、それから困ったように、おれなんにもはなすようなことないんだけど、と言った。独り言みたいに。重機がはしって地面が定期的にゆれる。つり橋みたいだねと木野が言うと、渡ったことないと影野はすこしわらった。ごめん。ううん。笑顔を浮かべたそのときに、影野の指が木野の指にしずかに絡んだ。虫食いの木の葉が風に吹かれて枝を離れるほどに、そっと。音もなく。
いやだった。影野は相変わらず、どこを見ているかわからない。ぽつりとかけられた言葉に木野はなにも答えずに、ただ繋がった手をそうっと見下ろした。いやだったら、離して。単なる手と手の接触なのに、遠慮がちに絡まったしろい指たちは、まるで知らないいきものが性交しているみたいに、見知らぬ悲愴を秘めていた。土門とは、仲直りするの。影野の視線を右のまぶたのあたりに感じて、木野は背中をぞっとこわばらせた。その愚鈍に、盲目に、全身が嫌悪に包まれる。こまかい吐息がくちびるを汚して、ほほをぬぐったきたない指が鼓動にかすかにわなないた。つり橋で出会う男女は結ばれるという。でもここはつり橋でもなんでもないただの古ぼけてかび臭い妄執しみこむプレハブなので、性交するほどに指を絡めても結ばれることはないのだった。たとえ流れ星が三百回めぐっても、そんなことを木野も影野も願いさえしないのだった。決して。
もしここがつり橋でも、わたしたち結ばれたりなんてしないんだわ。影野の逆の指が木野の手をすくった。触れた指がつめたくて、木野は思わず息を飲む。だから。だからだめなのに。腕を振り上げて手を払いのけ、木野はそのしろい頬を打った。うっとうしい。こういう風にやっていくからには泣かないと決めていたので涙はひとすじも流れなかったけれど、影野はまだまっすぐに木野を見つめたまま、その指につめたい指を絡めていた。沈黙が泥の海のように耳を塞ぐので、それにすがってただ、ただ立っていたかった。ゆれることなんて許さない。いてもいなくても構わない。そんな眼で責めて、それなのになにも言ってくれない。どうかもう叶えないで。どうかもう包まないで。もうなにもかも知っている。あなたのその眼で
どうか
わたしを
蔑んで。
(繋いだ手さえ離れないのに)






シューティングスタータンデムシート
影野と木野。
影野が木野をちょっとだけすきだったらいいな、と思ってます。
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髪の毛を引かれて反らした首の、ぽこんと飛び出した喉仏を土門が噛んで、それで終わりになるつもりだった。ただ無言で無言のそれに耐えて、まるく歯形がついた喉を腕でこすると疑問ばかりがかすれて伸びた。当の土門はどこか遠くに行ってしまったままなにも言わなかった。弁解も理由もなにもなかった。ただそのひふに刻んだ疑問を放り出したままゆく彼を、影野にはどうしようもなくてどうするつもりもない。追うべき理由もそこにはないし、嫌悪とか不愉快とかそういうたぐいの感情で天秤が振れたりもしなかった。継いで接いだ日常の延長が、その境目をこすられて濁す。ああ、と思った。ただそれだけだった。
土門の腕はすらりとながくて、ひじや手首にきれいなかたちで骨がでっぱっている。泳いだり飛んだりする生きものが持つような、神経質なわかい画家にていねいにデッサンされたみたいなその腕は、しかし例えば風丸や染岡みたいに、指先までぴんと神経が通って貼りつめているようなあやうさをしない。それはどこからでも開けられます、の表示がなされた調味料のマジックカットに似ている。だらしなく途切れもしないくせに、ぶつぶつと切らせて包容や鷹揚のふりをする。なんでも受け入れますよと言いながら、そのくせ容赦なく捨ててゆく。土門の腕は七輪の炭火にあぶられたさんまに似ている、と、だから影野はそう思うようにしてある。できるだけそれに気づいてしまわないように。気づかないふりをいつまでもできるように。
土門がなんでもないみたいな平然とした顔をしながら、親指を内側に思いきり握りこんでいた。手の甲にすうっと筋がはしっている。どうしたのと聞くと、ん、と土門はわらった。指鳴らすのが趣味なんだけどさー(と言いながら、土門は手をひらいて組み合わせ、ぼきぼきと鳴らしていく)、親指がなかなか鳴らなくて。なんかきもちわりーんだよね。土門は顔の前でわざとらしく、てのひらをぐうぱあとひらいたりとじたりした。まっそんだけ。ふうんと影野は生返事をしながら、土門のよく動く指先を眺めていた。そうしたら髪を引かれて噛まれた。喉がまるくいたむ。肩にくいこむ土門のほそい指を感じで、あんな風に鳴らすのはきっとよくない、と影野は思った。なんでも受け入れますよと言いながら、容赦なく捨ててゆくその指。土門の指は土門そのものだ。守るふりで傷つける。あるいはその反対。
いたいよ、とぽつりと言うと、土門はなにも言わずに離れた。さんまみたいな腕をした、ひとりぼっちの土門。歯形を腕でこすって濁し、影野はじっと土門を見る。包容や鷹揚のふりなら、もう十二分に足りていた。しばらく無言で向かい合ったそのあと、ごめん、と先に謝ったのは土門だった。いたかったろ。ごめん。ああ、と影野は思う。ああ。もうそれ以上なにもない。嫌悪でもなければ不愉快でもない。どうでもいいくらいなにもない。土門が親指を握る。鳴らない骨。だらしなく途切れることもしない、(本当はなにも捨てることのできない、)ひとりぼっちの土門。ありがとう。影野はわらった。土門はぎょっとした顔で影野を見る。その目がせわしなくぎろぎろと動いて、そしてさびしく伏せられた。その腕の中にたくさんあるものを持ってやりたいとも思わないし、土門はひとりなんかではもちろんない。だから言わずにはいられなかった。いつの日かおれを捨ててくれてありがとう、ああ、ありがとう。
骨は鳴らずに土門は手をひらいた。しろく血の気の引いたてのひらを見ながら影野はまるい歯形にふれた。包容や鷹揚なら足りている。マジックカットからこぼれる中身くらいには、ちゃんと足りている。まるい歯形が太陽みたいだと思って、あまりにばかばかしいのでわらってしまった。土門は遠くへゆかないし、影野はどんどん空っぽになる。その顔がまるで傷ついているみたいだったのが不思議だった。おれたちに伝わるものなんてなにもないね、ああ、なにもなかったね。それだけ。






ありがとうの歌
土門と影野。
IrisGot。
午前中までは明るかった空がたちまちおもく立ち込めてくるのに、首の後ろがざわざわとあわ立つ。ななめ前では風丸が、相変わらず瞳孔がひらき気味の目でじっと一点を眺めているので、その閉塞感に息をつまらせながら影野は目をそらした。しろいひふの目の周りだけぎろぎろとあかく染め、うすいくちびるからやけにとがった犬歯がのぞく。氷がぎっしりつまったぺこぺこの紙コップを荒れた指先でもの憂げに揉みながら、風丸の目がゆっくりと虚空をまわっていった。あまり心地のいい男ではない。風丸はときどき、意味もなく影野の教室に押しかけてきては、なにを言うこともなく黙ってすわっている。影野はもともと言葉の極端にすくないたちであるから、黙っていることそれ自体まったく苦痛ではないのだが、風丸がたぶん意識的に放っている威嚇だけが、前髪に注意深く隠した影野の眼球を不愉快にひりつかせる。冷静で苛烈、整然で混沌。風丸の脳裏にはいつでもけものが住まっている。
ざざ、と音をたてて、メロンソーダの最後のひとくちを吸い込み、ひとつふかく息をしてから風丸の目が影野を見た。まぶたが痙攣する。たぶん、次に発する言葉を予想して。円堂は。かたちのいいくちびるがなめらかに動いて、風丸はまるでためらいなく言った。円堂はいないのか。いないよ。影野は目を伏せて、なるべくきっぱりと言い放つ。それを聞いて、風丸は今にも泣き出しそうなかなしそうな顔をした。いないのか。そうか。喉のあたりに広がる苦みを飲み下しながら、影野は自分こそ泣き出したい、と思った。おおよそ正気の沙汰ではない。いつもこうだった。風丸は前触れなく押しかけてきて勝手に席をひとつ占拠し、ジュースなりなんなりを飲みながら瞳孔がひらき気味の目であたりを見まわす。そうして影野の神経をさんざんすり減らし、疲弊させたあとにとどめをさす。円堂はいないのか。ああまったく。そうしたら影野はいないよと答える。まったく正気の沙汰ではない。
いないよの返事を聞くと、風丸はかなしそうな顔をして、あまつさえ恨めしげに影野を見たりする。円堂にするみたいに、卑屈でくらい目をして。円堂のとこに行けば。だから仕方なく影野はそう言ってやる。いつもならそこで引き下がる風丸は、今日は変わらずに卑屈な目をしたまま、おもむろに立ち上がり手を伸ばして影野の前髪をわしづかみにした。背筋がこわばり、影野は息を飲む。そうか円堂はおまえのところには来ないんだな。涼しい口調で言い放つ、風丸の目ばかりがひび割れたようにひかっている。どうしてだろう。唾液だかメロンソーダだかで濡れた犬歯が言葉を切り裂きかみ砕きながらぶちまける。おれは待ってるのに。おまえだってそうだろう。指先が不穏にわなないた。風丸は泣きそうな顔をして影野を見ている。どうして。ゆっくり問いかけると、髪の毛からそろりと指は離れていった。席にぐちゃりと沈む、風丸はわらった。円堂はここに来るような気がするんだ、いつも。おれはちゃんと知ってるんだ。円堂。円堂。
以前、風丸が円堂を探しに来るかどうか、さりげなく訊いてみたことがあった。染岡も半田も目金も知らないと言った。円堂くんのクラスならみんな知ってるじゃないですかと目金は言い、それはもっともだとあのとき影野は納得した。その日の放課後、風丸は影野にこれをやると言って、ピンクの容器に入ったしゃぼん液を手渡したのだった。まるきり意図が掴めなくて風丸を見たが、風丸はやはり瞳孔がひらき気味の目で影野をにらむだけだったのだ。くらく卑屈な目をして。原色がえげつなく、くっきりと網膜に焼きついてしまった。あまったるいその色を、ひどく後悔してまたそれに後悔した。かなしいのは泣きたいのは、いつだって影野のはずだった。出口のない問いで意識を穴だらけにしながら、それでも翌日を見なければならない。それなのに風丸は、まるでこの世の終わりみたいに絶望的な顔をする。的はずれな場所を盲目のように探しながら、円堂円堂と彼を呼び続ける。円堂は風丸を受け入れたりしない。絶対に。風丸だって本当はわかっていないに違いない。円堂のなにが欲しいのか。円堂になにができるのか。
風丸がなにを伝えたかったのか、影野は知りたくなんかなかった。知ってしまえばきっと、この嫌悪感にますます手がつけられなくなる。あのしゃぼん玉円堂にあげたよ。そう言うと風丸は驚いたような顔をした。うそだ。そう言いながら風丸はわらっている。曇天はおもく窓の外を押しつぶして、ようやく眼球はうすい涙のまくに濡れた。あわ立った首筋を、今度は汗がゆっくりと伝っていく。しゃぼん玉みたいな世界を壊して、いつか彼は泣くのだろう。今はただ、それを羨むばかりであった。影野によって円堂が失われるようなことは、たとえ世界が終わってもあり得ない。虹色の泡の内側で、出ることもせずに立ち尽くす影野には。風丸が紙コップを氷ごと握りつぶす。あれを円堂にあげたなんて、そんなのはもちろん嘘に決まっていた。






あまいえげつないバノンボーイズ
影野と風丸。
タイトルはリチャードバノンボーイズより。
ついこの間、少林寺とふたりで映画を観に行った。なに観たの。影野は膝を抱えたまま静かに問いかける。レッドクリフパートツーです。目金はにっとわらった。しかも字幕版。視線は手元のPSP三國無双マルチレイド、に落としたまま、目金は感嘆のため息をついた。すごかったですよ。中国には修行中の仏僧さえも壁を飛び越えてたべにくる料理があるというが、全く壁を越えてよかった。字幕って見づらくない。影野はぼうっと視線をそこいらにさまよわせたまま、ぼそりと問いかけた。それが吹き替えがなくて。なんとなくモンハンの重装備を彷彿とさせるキャラクタを動かしながら、目金はやっぱりわらっている。でも面白かったですよ。トニーレオンが本当にかっこよくてはまり役でね、ぼく思わず家に帰ってから蒼天航路全巻読み返しちゃいましたよ。ふうんと影野がやわらかく声を発した。敵総大将をコンボではめ殺して、勝利。ぱちんと電源を切って目金は両手を後ろにつく。喉をそらすと初夏の風がそこを吹いた。
ぼくは三國志の世界に生まれたかったですね。目金はにやりとくちびるを曲げる。誰につくの。ふと見る影野の横顔もわらっていた。もちろん曹操、と言いたいところですが、ぼくは劉備玄徳につきますよ。そうなの。意外そうな影野の声に目金はうなづく。というか、司馬懿や周瑜よりも諸葛亮に教えを受けたいと考えるのは当たり前です。そしたらきっと臥龍鳳雛にも負けない軍師となって、漢王朝復興を成し遂げていたでしょうね。孫権は。熱血とかきらいなんですよねぼく。影野はすこしわらった。いろいろ混じってるよ。そうかもしれないと目金は思った。あなたは。おれ?影野は驚いたように言って、すこし考え、じゃあおれも劉備、と答えた。でもおれはあたまもよくないし、一般武将でいいな。メーターこんなの、と影野は親指とひとさし指をすこし開いて見せた。それを見て目金はわらう。それじゃ難易度普通の黄巾族ですよ。おれ、黄巾似合わないと思うけど。そう言って影野がおかしそうにわらった。
でももし三國志みたいな戦争になったら、目金もおれも真っ先にころされるよ。そうですね。目金は空を見ながら自嘲ぎみにすこしほほえんだ。影野のへんに現実的なところは、的はずれでおもしろいと思う。戦いの中にいられればむしろいいだろう。飢えて苦しむ農民かもしれない。ああいやだいやだと目金は首を降った。せめて空想の中でだけでも、天翔る龍の一条でありたい。一度だけなら代わってあげられるけどね。影野がごそりと膝を抱く腕をほどいて立ち上がる。あとは天国で見てるよ。あなたってほんと、野心がないですね。あきれた目金に、うんと影野ははにかんだように言った。目金が来たら押し返してあげる。だから安心して。
空はうず高い積乱雲にくもり、白骨の峰に龍は眠る。いつかおれも連れていって。そう言う影野のてのひらが、ミイラのように乾いていた。影野の首をそこに積むとき、ぼくはなくだろうかと目金はわらった。現実では夢さえ見えない地を這うねずみであったとしても、もちろんですよと目金は答える。夢さえ見ない影野の献身。劉備玄徳は義侠を裏切ることなんてしなかった。力を失いこときれた蒼天を喰らい尽くしたなら。目金はわらう。蒼天已に死して、まさに立つべきはこの龍だ。見ていろ。ぼくの脳髄の森羅万象を。形を変えていくこの世界を。あなたがそれを望むなら、ミイラのように乾いたその手に、感涙の雨を降らせよう。天国であなたは見ていればいい。影野の長髪がひるがえる。五百斤の牙門旗のように。あざやかにのびやかに、空を喰らう。






首塚積乱雲
影野と目金。
三國志づいている最近。目金は実は野心家だったりしたらいいなと思う。
最近夜よく眠れない。いつまでもベッドに寝ころんだまま起きている。ひつじを数えたら眠れるとかいうかびだらけの俗説にすがって、毎晩毎晩ひつじを数えまくっているのに眠れない。だけどそれで特に困ることというのは、本当に、なくて、血色がそれほどよくないのも元からだし隈がげっそりと浮き出した目もちゃんと隠してあるから、大丈夫。ある朝歯を磨いていると、舌の表面がクレバスみたいにひび割れていた。だったら声を出さなければいいだけだ。がさがさのくちびるははちみつとラップでいつも治るから、これも適当にしていれば治るだろうと思った。栄養はちゃんと摂るけれど、朝食はあまりたべない。眠らないからだにエネルギーは、そんなにたくさんはいらない。
眠れないことは苛立つけれど困ることではなかった。疲労の元の乳酸はつめたいシャワーで分解できるし、横になって休むだけで、また翌日も活動できる。たまに膝や腕に抱いてやる後輩が先輩痩せましたねと言ったが、気候のせいだとごまかした。季節の変わり目が苦手なんだと。それは本当でもなければ嘘でもなく、季節の変わり目にはたべるものが変わるので、すこし痩せたり太ったりする。ただ見た目よりだいぶ頑丈なからだは、よほどのことがなければ不調を訴えたりしない。インフルエンザだって一度しかかかったことがない。そう言うと後輩は首にぎゅうぎゅうと抱きついてきた。人形のようにちいさな後輩。おれと一緒に寝てくれる。冗談まじりでそう言うと、後輩はぽかんとした顔でまじまじとおれを見た。なんでですか。なんでもない。そう言って後輩をベンチの隣に下ろすと、あのう、と声をかけられた。ちゃんと休むなら、ひとりの方がよく眠れますよ。そう言って後輩は、奥で着替えていた別の後輩のところに行ってしまった。そのときにはじめて、疲れている、と思った。
眠れない日が十日に及ぶと、普通によくわからないものが見える。脳味噌が回転するたびに火花と煙を上げるのが目に見えるようで、ひとの名前さえ出てこない。顔を髪の毛に隠していてなおやつれたのは誰の目にも明らかな様子で、後輩たちがときどき同情の視線を投げかけてくるのを、うっとうしいと思うことさえできなかった。限界まで研ぎ澄まされた神経は全身に張り巡らされ、サッカーはむしろ今までよりずっと機敏にできるようになったのに驚いた。誰がどこにいてボールがどこから来るのか、いちいち見なくてもわかる。しかしそれを受けて、ブロックするなりカットするなりの行動ひとつひとつに、全身が悲鳴をあげた。体力があっという間に奪われ、かわききった目がかすむ。限界だった。眠りたい。眠りたい。それでも夜になってベッドに横になると、その欲はどこかへ消えてしまう。こめかみが重い。もう考えるべきことさえ尽きた。そこにあるのは飢えだった。眠りたい。眠りたい。眠りたい。
膝に抱いた後輩が、唐突にからだを返してぺたりとほほに触れた。ちいさなてのひらがこそばゆい。先輩。後輩は心配そうに眉をひそめている。最近ちゃんと寝てますか。おれがゆっくり首を振ると、後輩はぎゅっと首に抱きついた。いつもよりそれが重く感じる。少林寺。喉がかすれて声を出すのも億劫だった。一緒に寝てくれ。なんでですか。前とおなじ質問に、今度はすぐに答えが出てきた。眠りたい。後輩は首に回した腕をほどくと、髪の毛の上からてのひらでおれの両目を押さえた。視界をさえぎるちいさなてのひら。健気なぬくみがいとおしかった。後輩はなにも言わない。ただ黙ってそうしている。困ることなんてなにもないと思っていた。眠りの中で悪夢を繰り返すなら、なくしてしまった方がよかった。けれど。ひび割れた舌はまだ治らない。目を閉じられないことがこわい。額に後輩の額が触れた。それはまるで祈りのような。






オラトリオ『メサイア』
影野と少林寺。
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無印雷門4番と一年生がすき。マイナー愛。

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