ヒヨル 廃人の火 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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昔、ある女生徒と交際をしていたことがある。すらりとせいの高い、脚のながい少女だった。いつもなにかを諦めている、こわいくらいに聡い少女だった。昔、伴侶がいた。数年前に結婚してそのすこしあとに離婚した。森鴎外とアイスキュロスがすきな、指のきれいなひとだった。いいひとだったのにねぇと母は懐かしむように言った。それが最期の言葉だった。雪の降るさむい夜に、まるで眠るように母は死んだ。
あなたはあのとき誰のことを言っていたのです。げっそりとほほをやつれさせ、目ばかりをぎょろぎょろと飛び出させた冬海は、全身を引きつらせながらのけ反ってわらう男に問いかけた。男は両手を振り上げて、なにかを抱き取るような仕草をしながら首を曲げた。その喉が痙攣している。へんに耳に残る、ねばついた嫌なわらいかただった。あああああああ。あなたは。あなたはあのときのひとですね。駅の前であのひととはなしていた。体育館裏であのひとを抱いていた。雨の中あのひとを傷つけていた。あああああああああああああああなたはああああああああのときのひとですね。ひとですね。耳を覆いたくなるような不快な声に鼓膜を焼かれ、冬海はしわが深く寄った眉間を指でおさえた。その指が得体のしれないあつさに細かく震えている。男は冬海を見ながら、血走った目をすうっとほそめた。あなた泣いていましたね。いませんでしたか。粘膜をびりびりと揺らす男の声に、にがいものが込み上げる。
あなたはなんですか。足を踏みしめると薄い船底がぎしりと鳴いた。誰ですか。私のことを知っているのですか。知っていますよ。男は首を百八十度ぐるりと回して冬海を見た。たとえばあなたが魚だったとき、わたしは子宮でした。あなたが背骨だったとき、わたしは青銅の鏡でした。あなたが氷河の一角だったときには、わたしはグリニッジの秒針でした。あなたが病んだ砂粒だったこともあるでしょう。そのときにわたしはビルの屋上にさびしく棄てられた空き缶でした。いかがですか。どうですか。あなたが生きていたときにはわたしは必ず生きていた。覚えていませんか。忘れてしまいましたか。冬海のこめかみが恐怖にさむくなる。ざわざわとひふの下を無数の虫が這うような、言葉にならない不快感が全身をざわりと包んだ。それは意思疏通が図れないがゆえの嫌悪感ではなく、もっと根源的な、ふるいふるい恐怖だった。
男は続ける。だからなんだと言いますか。わたしはこんなにあなたを見ていたのに。あなたを知っているのに。あなたをわかっているのに。男の言葉に、冬海はこめかみをおさえる。そこにぎりぎりと爪を立てる。ひふが破れて血が流れた。いたみは百万光年も向こうにあった。喉が砂漠のように干上がって、爆発する夜明けは血管を燃やした。深淵を覗けば、深淵もまたこちらを見ているのです。わたしはあなたの中に棲む。いつだってあなたの○○でいます。あなた愛していましたか。誰でもいい、わたし以外の誰かを愛したことがありますか。誰でもいい。誰でもいいのです。誰でもよかったのだから、誰だっていいのです。木野のうなじに歯を突き立てた、そのときには、もう終わっていたはずだった。永久に始まらないまま。ひとりぼっちのまま。わかっていた。知っていた。
ほほを血が伝い、船はゆらりとかしいだ。男は両手を広げ、背中から落ちて沈んだ。ぎしりと船が揺れる。ゆれる。へりに濡れたてのひらを押しつけ、冬海は水面をそっとのぞきこむ。そこには彼がいた。冬海を見ていた。彼は爬虫類の目をして、あの雨の日のようにゆっくりとわらった。にたり。にたり。
「わたしはあなたの中に棲む」
耳を聾する絶叫が、干上がった喉を引き裂いて溢れた。血が。血が。血が止まらない。男が手を伸ばす。体温のないぶよぶよの指先。その感触を知っていた。いつでも、彼を棲まわせていたのだから。泣いてなんかいなかった。ただ、わかっていた。知っていた。気づいていた。自分が孤独だということくらい。私はちゃんとわかっていただろう!愛してなんていなくても!男はしずかにわらって、水死人の腕で冬海を抱き寄せた。船から落ちてさかしまに沈む、そのずっと奥に火が燃えていた。愛してなんていなくても、わたしはあなたをひとりになんてしなかった。そうでしょう?
少女が学校を辞めたその夜、妻を抱いた。少女はいつもきらきらの爪をしていて、行為の前にはそれをひとつずつ丁寧に外した。加害者は孤独だという。孤独に耐えられなかったという。木野はくらい目をして冬海をわらった。ひどいひと。冬海はそれにはなにも答えなかった。木野は深海に咲き乱れる百合に似ていた。掃き溜めの鶴に似ていた。瓦礫に芽吹くみどりに似ていた。メロスのあかい心臓に似ていた。限りなくうつくしいものをからだの内に孕みながら、木野はそれを誰にも見せない。思えば木野を抱くときはあの頃ばかり思い出していた。どおりで孤独なわけだった。冬海はわらった。あいしていたとも。その声は火に飲まれて、やがて静寂にかすんで消えた。
翌日、冬海は学校を辞めた。サッカー部員も木野も、なにも言わなかった。冬海は最後に木野をそっと見たが、木野は地獄をたたえたくらい目で、ゆっくりと冬海から視線を反らした。これでいい。これで十分だ。なくしたことにすら気づかなかったのだ。せめてやわらかな彼女のひふを宝物にしよう。心臓で男がけたたましく吠えている。草合離宮転夕暉、孤雲飄泊復依何、山河風景元無異、城郭人民半已非。
木野の背中に浅ぐろくやせた指が触れる。さわらないで。気だるい調子で言った、そのからだが細ながい腕に包み込まれた。すきだよ、あき。わたしはきらい。木野はそう言いながら、その胸板にあたまをそっともたせかけた。いなくなって当然なのだ。あんなひと。あんなだめなひと。ひどいひと。わたし土門くんのこと世界で二番目にきらい。一番は。彼は問う。その言葉に木野は目を閉じた。きっと二度と埋まらないその場所を、惜しんだわけではなかったのだ。彼のてのひらがひふをすべっていく。別れを告げたのは乾いた街角だった。あのひとは亡霊のような顔で、それを黙って受け取って噛みしめて飲み込んでいた。愛していたなんて言わせない。梅雨はとっくに終わっていた。夏が枯らした花壇は死んだ。いつでもあなたの中に棲む。わたしはいつだってあなたの、






はいじんのひ
冬海とジキルと木野。
文天祥「金陵駅」より。
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