ヒヨル フライ・アス・トゥ・ザ・ムーン 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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そのときの栗松の顔が、記憶の中でもあまり落胆していなかったことを思い出しては目金は安心する。怪我による離脱を余儀なくされた栗松は、それを告げられてから島を発つまでの三日間、それなりに忙しい日々を送った。ごまかしきれないほど悪化していた足の怪我は、あの試合だけが原因ではなく、どうも酷使しすぎた末の疲労骨折に近いものだと診断され、病院で栗松は自分のレントゲン写真を他人のもののように眺めていた。傍らで久遠が苦い顔をする。きっとまたひとりでこっそり特訓していたんだろうと、付き添いに同行していた目金は思う。ぼくに隠れて。目金はいやが上にもキャラバンでの旅の最中、彼がながい時間をかけて身につけたに違いないあの技を思い出す。栗松は人前ではなにかと手を抜きたがるくせに、誰も見ていないところでは絶対にそれをしなかった。あの技は目金にとって因縁の技だ。完成したら絶対に自分が名前をつけるんだと意気込んでいたのに。まっかに腫れ上がりいびつに曲がった栗松の足首は、惜しげなく陽の差す病院でひときわ痛々しい。
一年生たちの抗議にも染岡の叱咤にもうわの空だった栗松は、久遠の下した決断に驚くほど素直に従った。怪我を見事に乗り越えた吹雪がすでにそこにいてしまったことも、その理由のひとつとしては大きかっただろう。離脱を告げられたそのあと、栗松は壁山に寄りかかるようにくずおれた。音無が引きつったような悲鳴を上げ、珍しく動揺を見せた久遠がすぐに栗松を病院に連れていった。日本に戻るか。検査結果を見た響木が、やわらかい口調で栗松のあたまを撫でる。ここじゃのんびり休めんだろう。栗松は目をまるくし、顔色をうかがうように久遠を見上げた。頷く久遠を見て、そしてちらりと目金を見て、少し考えさせてほしいと栗松は答えた。想像以上の怪我に驚いていたのかもしれない。目金はそのとき栗松の後頭部をじっと眺めていた。うなじからあたまの中途まで刈られた栗松の後頭部はすんなりとまるくてとてもきれいだ、と思う。
少し考えさせてほしいと言ったわりに、栗松は宿舎にたどり着く前にはもう日本へ戻ることを決めてしまった。久遠はわずか痛ましいような顔をして栗松を見て、手続きがいろいろあるから数日はこちらにいてもらうことになる、というようなことを言い、栗松はそれに頷いた。マンガ返さないと。栗松は感情の読み取れない表情でぽつりと呟く。いいですよ。目金は思わず答えてしまい、その声を聞いて栗松は驚いたように目金を見た。持っててもいいですよ。栗松はまばたきをして、なにを、といぶかしげに問いかける。目金は困って言葉を濁した。こんなことが何度かあった。手続きというのは、選手登録の書き換えだったり、協会への医療費の申請だったり、学校に出す課外活動による単位認定証明書なんかをこまこまと書いたり面談したり、といったものだった。怪我人の栗松はそれでもあちこち動き回ってよく働いていた、と目金は思う。
しかし栗松の受難はここからで、栗松が日本に戻るということを聞いて怒り狂った円堂がそれをもたらした。栗松は目金と同室だったが、円堂は栗松が帰国するまでの間、遠慮会釈もなく部屋に押しかけ、目金を外に蹴り出して何時間でも怒鳴り散らした。片付けた栗松の荷物をすべてひっくり返してしまったこともあった。円堂が部屋を出ていったあと、目金がそうっと部屋を覗くと、嵐の後のような惨状を見せる部屋のまん中に、栗松は呆然と座って宙を眺めていた。目金はその傍らに立つ。栗松は腫れたほほをしていた。目金は泣きたくなる。円堂くんを。それだけ言って言葉をなくした。円堂の気持ちが、なぜだか目金には痛いほど理解できた。栗松はのろのろと手を上げて、ぶたれたのだろうほほに触れる。大丈夫。うわごとのような栗松の声はかすれていた。キャプテンを、嫌いになったり、しません。そう言って栗松はうつろにわらう。目金は羨望する。羨望する自分にひどく後悔する。
円堂が言いたいことをもう栗松はわかっているんだろう、と思った。栗松はやさしい。だからこそ、円堂の言葉は彼には届かない。わがままだ。栗松は立ち上がろうとして、バランスを崩す。目金はとっさに手を伸べて栗松の腕を掴んだ。栗松はうなだれ、うつむいたままほほえむ。キャプテン、おれがまだがんばれるって、本気で思ってるのかな。打ちのめされたその声に、目金は奥歯を噛みしめる。みんな勝手だ。気づくと目金は栗松のからだを思いきり抱擁していた。突然のことに栗松はすくみ、目金から逃れようともがく。しかし目金は渾身の力で栗松にしがみついていた。そうしている限り栗松は帰らなくて済むのだと、そんな夢のようなことを信じるように。もつれるように床に倒れ、あたまや脚をあちこちぶつけながら、それでも目金は栗松から離れなかった。絶対に離さないと決めていた。円堂が言葉を尽くしたなら、それ以外のことで伝えたかった。嫌だ、と、ただそれだけが言えるなら。ただそれだけが伝わるなら。
満身創痍の栗松は目金に押さえつけられたまま疲弊し、そのうちに半端に開いたカーテンとその向こうのやわらかな夜を見ながら、ただ息を整えるばかりになった。月がきれいですね。先に口を開いたのは目金だった。栗松はわずかの沈黙を挟み、日本の月もきれいです、と答えた。ライオコット島の満月は、わずかに桃色がかって果物のようにつつましくまるい。目金はゆっくりとからだを起こし、栗松の手を引いて立たせる。片付けは明日にしましょう。そう言って目金はさっさと栗松のベッドに潜り込んだ。栗松が隣にそっと入ってくるのを背中越しに感じる。嫌いにならないでください。それだけを言うと、努力します、と栗松は答えた。目金は首をひねって栗松の後頭部を見る。すんなりとまるくきれいな形をしたそこを見ながら、どうしてこんなに悲しいのか、今さらながら目金はその答えに気づきはじめていた。日本の月がどんなにうつくしくても、今日ここでこの月を見たのはふたりだけだ。世界最後の夜に比べても、なにひとつ劣ることはない。
目金の枕元にはいつの間にか貸していたマンガがきれいにつくねられていて、それに気づいたのは栗松を見送って宿舎に帰った、そのときだった。目金はそれに手を触れなかった。栗松がそうしてくれたなら、そのままにしておきたかった。嫌だ、と、言えればよかった。そう思った。嫌いになってもいい。きみがいてくれたらそれだけでよかったのに。きみがいてくれたら。きみさえ、いて、くれたなら。










月までぼくらは
目金と栗松。
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