ヒヨル ハッピーソングの穴 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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部室に備え付けてある手洗い場の、かどがひび割れて欠けたくすんだ鏡で目を見ていたら背中で扉が開いた。鏡越しにぎょっとした顔の円堂が見える。影野は重たい前髪を押さえつける手の奥にわずか倦怠を感じて、だが目当てのものが見つからないので辛抱強くその姿勢を保った。円堂は目を反らし、スパイクの耳障りな足音が続く。ばたんばたんと背後でロッカーがうるさい。力任せにアルミの扉を閉める音と、鈍い音が数回。誰のロッカーを蹴りつけたやら、自分のでないならそれでいいけれどと影野はあいまいなことを考える。円堂はいつでもなにかに腹を立てている。八つ当たりはそのうちこちらにも飛んでくるだろう、と思った。かがめた膝と腰がだるい。つるりとしたしろい陶器の手洗いの、蛇口の脇で鮮やかなあおい石鹸が半ば乾いて固まり、下の方はゆるんで不健康な色に流れ出している。そのあおい筋を目でなぞった。やっぱりなにかある。
一際おおきな音と不穏な振動に視線を上げて鏡越しに後ろを覗くと、円堂の拳がロッカーの扉にきれいにめり込んでいるのが見えた。部室の奥の、誰も使ってない上に錆びついて扉が開かなくなっていたやつだ。アルミの扉は無惨にひしゃげ、奥へ向けて吸い込まれている。エネルギーの余波が円堂の周りで火花を散らし、鉄臭いいがらっぽい空気が部室を満たした。影野はそっと息を吐く。こういうとき、たとえばやんわりと円堂をいさめていたわる壁山も木野も、逆上して怒り返す染岡も半田も、無責任に煽る松野も怯えた顔で硬直する栗松も、ここにはいない。自分はどうするべきなのだろうと影野は考え、どういう役割が残っているだろうと次に考えた。円堂がロッカーから拳を引き抜く。むだ遣いは。結局口から出た言葉はそんなものだった。よしなよ。円堂は舌打ちをして、蝶番が外れて倒れかかるひしゃげた扉をロッカーの奥へ蹴り返した。円堂のすることと影野の現実とは、いつもだいたい一ミリくらいずれてうまく意識になじまない。
いいのかよ。円堂は忌々しげに言ってベンチにどすんと腰かける。なにが。目。隠してんじゃねえの。あーと影野は宙を見て少し考え、別に、と返す。そう思われていることは意外な気がした。うぜえ髪。バンダナから飛び出した房のような前髪をねじりながら円堂は言う。意味ねえなら切れば。邪魔だろ。影野はちょっと戸惑う。そんなことは考えたこともなかった。なんかあったのか。スパイクを脱ぎ靴下も脱ぎ、足の裏を親指でぐにぐに揉みながら円堂はいかにも興味なさそうに問いかける。ゴミが入った。下まぶたを指で下げながら影野は答える。白目部分がところどころ充血している。まぶたの内側はうっすらと濡れてあかい。からだの内側の肉はどうしてこうもやたら生々しいのか、と思った。転んで膝を擦りむいた目金を助け起こしたとき、傷口から覗いたあの鮮烈な色。そんな前髪でもゴミとか入るんだな。呟く円堂の口の中もこんな色なんだろうかと思った。
影野はまばたきをする。たぶんこの辺のはずだと、忙しなく目を動かしたりまぶたをめくったりしてみる。なんか理由があるのか。円堂は頬杖をついて、感情の読み取れない顔で影野の背中を見ていた。その髪。理由。影野はその言葉を口に出してみる。目を動かしながら。いや、ない。あったような気がするけど、もう忘れた。じゃあなんで隠しとくんだ。円堂の目が鏡の向こうでうつろな穴みたいに開いている。ぽっかりと静かなふたつのブラックホール。必要がないからじゃないかな。鏡の中で瞳孔はふらふらと揺れる。それを追う影野の指先。その言葉に円堂は眉をひそめた。不機嫌な顔だ、と思った。なんで。影野はほほえむ。多くはいらない。少しでいいんだ。円堂は考えるように首をひねり、それは、と言って言葉を切った。続けないでほしい、と影野は思う。それ以上を問われてしまったら。
円堂は結局その先を口には出さず、おれにもいつかサッカーが必要じゃなくなる日が来るかな、と言った。その日が来ることを待ち焦がれ、そのくせそんな日が来ることを一ミリたりとも信じてない口調で。きっと来るよ。影野はしきりにまばたきをする。その日が来たら、捨てればいいだけだ。簡単に言うよな。円堂の言葉はいつも鋭くとがっている。円堂はいつでも腹を立てている。円堂は。影野は思った。思うのと同時に口に出していた。本当はなにも信じてないんじゃないか。言うなり背中に鈍い痛みが走った。スパイクを投げつけられたらしい。あ。影野は声をあげる。見つけた。目尻から飛び出したそれをつまんで引く。引きずり出された髪の毛は長く、影野がそれを引くたびに内側の肉がさわさわとこすれた。スパイクを拾いに来た円堂がゲッとうめく。全部を目から引き出して、押さえていた前髪から手を離す。どさりと落ちる重み。必要でなくなってしまったもの。
影野は湿った一本の髪の毛をつまんだまま振り向く。ベンチに戻って靴下を履き直している円堂が、何故か警戒したような顔で影野を見た。必要なければ、捨てればいいだけだ。言いながら髪の毛をつまんだ指先を開く。落ちていく髪の毛。万年ベンチの影野。円堂がもしも、本当はなにも信じていないのだとしたら、だったらおれと一緒だな、と、言おうとしたことは黙っておこうと思った。おなじ人間。きっちり一ミリの齟齬をもって。円堂の目はブラックホールみたいだった。大切なものは、ふたりとも、ちゃんと奥へと隠してある。捨てていっても恨むなよ。円堂はちらりと歯を見せる。もちろんだ。影野は頷いた。そんなものまで持っていっては、きっと重くて仕方がない。フットボールフロンティアの決勝戦は、はや三日後に迫っている。影野は鞄を肩にかけた。さっき円堂笑ったな、と思ったが、それも口には出さずにおいた。









ハッピーソングの穴
影野と円堂。
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