ヒヨル なんでもないようなことが素晴らしかったと思いませんか 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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もらいもののキャメルのマフラーをぐるぐると巻いて自転車にまたがる。ハンドルのゴムがぱきぱきに冷えていて、思わず手を離すと指のかたちが残っていた。ふわっと吐息が鼻先を渦巻く。チェーンをきしませながらぐっとペダルを踏み出すと、風がかみそりのように肌を舐めた。それと同時に、刺すようにいたむ指にはっとする。あー、あー手袋、あー。忘れ物を置き去りに、家はどんどん遠ざかっていく。まあいいかと影野はペダルを踏む足に力をこめた。冬景色の住宅街がどんどん流されていく。駅までは自転車で二十分くらいかかる。ブレーキがききっとかん高い音でスポークを噛んだ。もうだいぶ手入れしていない。油差さなきゃと考え、ああまぁもういいのか、と影野はすぐに思い直す。一人暮らしの家に、自転車は持っていかないつもりだった。
大通りをわしわしと漕いでいくと、道の傍らをひょこひょことゆるい足取りで歩いていく背中が見えた。一度ざあっとその横を通りすぎ、影野はブレーキをぎっと握った。宍戸がおおげさにからだを傾け、かくかくと右手を振る。あー先輩、ひさしぶりー。うん、と影野は自転車から降りて宍戸が追いついてくるのを待った。宍戸はノーカラーの濃いグレイのジャケットにスーツ素材のサルエルパンツを履き、絵の具だらけのリュックを背負ってなぜか女物のパンプスを無理やりつっかけている。相変わらずがりがりに痩せたひとつ年下の後輩は、別段急ぐでもなくのんびりと影野の隣に並んだ。むき出しの首が寒そうだ。ひさしぶり。影野は自転車を押して歩き始める。いつぶりっすか。あー、と影野はながく声を伸ばした。思い出せないな。宍戸がおれもっすとわらう。
あかるい赤毛を指先でねじりながら、おでかけっすか、と宍戸が訊ねる。うん。影野は宍戸のリュックを半ば無理やり受け取って荷台に乗せてから、ちょっとわらって答える。教習所。あーと宍戸は納得したようにうなづく。合格おめでとうございます。ありがとう。大学生かーいいなー。いいかな。いいっすよ。宍戸はかるく左右に首を揺らすようにしながら言った。一人暮らしとかしてー。そう手放して羨ましがられると面映ゆい。宍戸はまだ絵やってるの。宍戸はうすいくちびるをわらわせる。やってますよー。ふうん。自分から振っておいてうまく会話を続けられず、影野はちょっと焦って言葉を探す。今日は、どこか行くの。先輩が吉祥寺で個展やってんで、それ観に。いいね。つまんないすよーあのひと難しいから。あっけらかんとわらう宍戸の横顔が、記憶にあるよりもずっと大人びてほがらかなことになぜか影野は戸惑った。意味もなく。
荷台に乗せたリュックはずしりと重い。これ、なに入ってるの。あーまーいろいろ。宍戸は照れくさそうにわらう。画材とか椅子とか入ってます。いつでも描けるように。へえ、と影野は感心したようにリュックを撫でる。趣味があるっていいね。先輩、無趣味っすか。うん。もったいねーなー。なんかないんすか。影野はゆっくりと首を横に振った。ながい髪の毛がざわざわと揺れる。高校行ったら、なにか見つかるかと思ったんだけどね。へーえと宍戸は感嘆とも侮蔑ともつかない調子でぽつりとあいづちを打つ。なんだかへんな空気になってしまい、影野があわてて言葉を探している、そのすき間に宍戸が奇妙にあかるい調子で言葉をすべりこませた。まーひとっつうのはそうそう変わらないっすよ。先輩がむっちゃアクティブになって毎週合コンとかやりまくってたら、おれはむしろそっちのが引きます。ひひっとわらう宍戸に影野もつられてわらった。
飄々としながら、さらに達観してしまったような宍戸の口調が影野には落ち着く。あのころ宍戸は、こんなふうではなかった。あかるいふりをしながらいつも鬱屈とした、無気力な掴み所のない少年だった。ほんとはね。宍戸が言う。おれたち、あのころもこういうはなしをするべきだったんすよ。あのころ。うん、あのころ。宍戸は首筋にてのひらを当てる。あのころ、おれたちにはサッカーしかなくて、サッカーしかしてこなかったでしょ。思っていたことをずばり言い当てられ、影野ははっとする。あのころおれら、サッカーのことしかはなさなかったから。だから今なんにも思い出すことがないんだと思います。あのころ。影野にサッカーしかなかったころ。あのころ自分はなにを追っていたのだろう。あのころ、宍戸とどんなはなしをしていただろう。影野はちっとも変わっていない。がりがりに痩せたいびつな脚で、飄々と進んでいく宍戸とは違って。
宍戸は歩きながらそっと胸の前で手を組んだ。祈るように。そこに視線を落としながら、宍戸は奇妙に厳粛につぶやく。世界に受け入れてもらうんじゃない。あなたがこの世界を、受け入れるかどうかなの。影野は宍戸の横顔を見る。宍戸はぱっと顔をあげ、なんつってー、とにやりとわらった。つうわけで先輩、美人女子大生との合コンセッティングしてくださいよ。ええ、おれ合コン行ったことないよ。えー先輩彼女とかいなかったんすか。いない。もったいねー!宍戸はいるの。あーーーまぁそこは聞かない感じで。なんだよ。うぇっへっへっと宍戸はわらい、影野の肩に自分の肩をぶつける。ね。え。こういうの、楽しいっしょ。影野は言葉につまる。あのころもきっと、おれらはこーやってくだらねーことはなして、いっぱいわらったり、するべきだったんすよ。
駅の駐輪場に向かう影野の荷台からリュックを受け取り、宍戸は華奢な背中に背負う。ありがとうございました。そう言って手を振り、宍戸はさっさと背中を向けた。宍戸。思わずその背を呼び止めた、自分の言葉に影野は誰よりも驚いていた。なんすかぁ。宍戸は振り向く。あのころよりもずっと大人びてほがらかな顔で。また会えるかな。影野の言葉に、宍戸はこともなげに言った。会えますよ。会いましょうよ。影野は髪の毛の下で目をほそめる。あのころ自分たちは、どんなはなしをしていればよかったのだろう。今からどんなはなしをすれば、あのころを取り戻せるのだろう。そいじゃあまたーと手を振って、今度こそ宍戸は行ってしまう。なんでもないものをたくさん詰めこんだリュックをがちゃがちゃと揺らして。なにか他のものを探すでもいい。合コン、してみてもいい。美人女子大生に声をかける自分は、確かにあのころからは遠く遠くかけ離れていることだろう。今度きみに会ったら、どんな言葉ではなしをしよう。きみとはなしたこの日を、次は忘れないでおこう。
影野はそっと手を組んだ。うらうらと差す日が耳をあたためる。あのころの自分は、なんでもない日々にばかり傷ついていたような気がする。そしてただそれを、不幸だと思っていた。「あなたがこの世界を、受け入れるかどうかなの」受け入れれば世界はどんなふうに変わり、どんなふうに回るのだろう。大人びたほがらかな顔でわらえるなんでもない日が、いつか自分にも舞い降りるといい。そんなことを考えている。







なんでもないようなことが素晴らしかったと思いませんか
影野と宍戸のなんでもない日。
リクエストありがとうございました!勝手に未来パラレルにしちゃってすみません。本当の距離感をつかめるのが、このふたりの場合はすこし遅いといいなぁ、と思っています。
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