ヒヨル 彼の昇天 忍者ブログ
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人間が脱皮を手伝った爬虫類は、かなりの高確率で不具あるいはそれに準ずる障害を負う、という内容の文章を嘘か本当か定かではない壺の場所で目にしてから、爬虫類は彼にとってとても親しいものになった。自然に任せるのが一番正しいのだとは、しかし水溜まり程度に浅い人生しか持っていない彼には根拠も論拠もあまりに希薄で、対象が限定されてしまう事象に比較を施すときには八割の人間が賛成するであろう明白な正解を以て当たれと、いう嘘っぱちな金言にだらしなく流され(たわけではなかったが同じことだ)、結局は誰がなんと言おうとそれが正しいのだろうとふてくされたように思った。中には例外の個体もいるかもしれないのに。手を貸してもらえることを望んでいるかもしれないのに。要するにどうしようもないことはどうしようもないまま放っておく以外に方法はないということだろう。なにも知らないことが幸せだと言う人はたくさんいるけれど、彼にとってなにも知らないことは害悪以外の何物でもなかった。
スコラ哲学が席巻した中性ヨーロッパの自然観を一蹴したのは、ジャン=ジャック・ルソーの「自然に還れ」という一言だった。もちろん影野はそんなことを考えていたわけではなかったが、自然という概念はなにを指すのか、と目金に問いかけたときに返ってきた言葉がルソーだったので、今でもそれを覚えている。ルソーが自然という言葉で表現したかったのは人間個々人の自立ですよ。目金はいつもの有無を言わせない口調で続けた。ルソーは人間を自由意思を持つ存在と定義するところから始めました。各個人が意思により自立し、それを契約という共通認識、ああこれは自己の欲求を満たすための手段なんですけれど、そのために人間が互いに協力しあうものが社会であるべきだと。影野くんは社会契約論は読みましたか?と訊かれて首を振った。いずれ読まなければ、と思う。知らないことは害悪だ。目金の話題はその後二転三転しながら延々と続き、しかし影野はそのほとんどを聞き流していた。
人間は自然に戻らなければならないという。自然とは自由意思を指す。不具を恐れないものも中にはいるかもしれない。それが彼の自由意思ならば。側頭部にぶつかったボールは、はちはちに詰められた空気の感触を脳にダイレクトに伝えた。ボサッとしてんなよ。円堂が敵意も露に影野を睨む。悪い。影野は形だけ詫びると、ボールのぶつかったところを軽く手で払った。向こうで松野がニヤニヤしている。痛くも痒くもない、というのはまさにこういう心情なのだろうと、影野はボールを拾い上げて投げ返す。自由意思の果てに契約をもって繋がろうとする人間同士の営みを社会とする。その動機が例えば、ただひとりの欲求から走り出したものだとしても、どんな望みが契約を選ばせたとしても、そこに集ってしまえば個は埋没する。そういうことだろうか。髪の毛の奥でまばたきをする。八割の人間が諸手を挙げ、ルールに均されて、あとはマジョリティが塗りつぶす柔突起の群れを、虚しい、と思うことは間違っているのだろうか。
夕焼けの河川敷ではよく豪炎寺がひとりでボールを蹴っている。孤独なやつだ、と影野は思う。端から見た円堂は、豪炎寺のことをあからさまに疎んじているばかりでなく、まともに関わろうとすらしない。影野を疎んじるのと同じくらいに。円堂は他人に対してはいつでも極めて残酷になれる。自由意思のもとに。一方でそれは豪炎寺がサッカー部に未だに馴染めていないことに起因しているのかもしれない、とも思った。豪炎寺がサッカー部に溶け込むきっかけを、たとえ円堂がことごとく潰していたとしても。豪炎寺が高く飛び上がる。夕陽に負けない炎の色。孤独には勝てない。人間とはそういう生き物だ。豪炎寺が不具を恐れないなら、円堂は今度はどんな言葉で彼を蔑むだろう、と思った。ボールはまっすぐにゴールに突き刺さり、豪炎寺はたったひとりで着地する。周りを見回しているのは、豪炎寺にもまた望むものがあるかもしれないからだろうか。孤独には勝てない。それでも豪炎寺は毎日部活に来る。たったひとりで。
孤独には勝てないが慣れることはできる。それでも望んでしまうことが嫌で、だからここにいる。僅かな希望と契約して、影野は緩やかに個を捨てた。明日にもその次にも、少なくとも居場所だけはある。還る場所はある。冒険する爬虫類にはなれなかった。八割の中に、いつでも入っていたかった。言うなれば、もともとそうだったのだ。欠けたまま迎えてしまったことを、虚しいと、それでもまだ繰り返している。舐めるような陽がまぶたをちりつかせ、川面はぎらぎらと暴力的だった。彼らの望みを知りたいと思った。それが彼らの自由意思だというなら。望んでしまうことは嫌だった。それは害悪であった。溶け込むまいとしていたのは自分なのだと気づいたその日が、彼の昇天であった。










彼の昇天
影野。
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