ヒヨル そめおかとかげののはなし 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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○。
影野のしろい左手がばあんとおもいっきりガラス窓をぶちくだいた。びびった。映画みたいなあめ細工じゃない本物のガラスをだ。染岡はまるく目をむいた。ガラスの破片が鉢植えのさぼてんにつつましく主張するとげとげのようにいっぱい生えた影野の手。それはもう悲惨なことになっている。めちゃくちゃで血だらけ。まる。影野はみじかく繰り返す。知ってた。ガラスは液体。時間がたつとゆっくり流れてしたの方にたまる。知ってた。影野が左手をつきだす。なまぐさい血がぼたぼたとゆっくり流れる。透明なとげにきらきらとひかる影野の手指。爪の根本につきささったひとかけがいちばんいたそうだった。
染岡は手を伸ばして影野の左手をしたからそっと支えた。びびらせんなよ。ふれ合った面がとたんに鉄分とヘモグロビンで癒着する。にかわのようにぴったりと。影野はすこしわらう。うすいガラスに息を吹き込んでぴこんぺこんと鳴らすおもちゃを思い出した。あれに思い切り息を吹き込んだみたいに、ガラスはちからいっぱい砕かれていた。痩せた影野のしろい腕にはその残滓がやたらにまといついている。クリスマスのあおじろいイルミネーションのように。液体であるガラス。液体である影野の血。なまなましい生を主張するその熱にもにおいにも辟易しているというように、くちびるを裂いて影野がわらう。
染岡は爪の根本に破片がつきささった指を口に含んだ。知ってた。舌になまぬるい鉄の味がひろがる。おれはずっとおまえがすきだったんだけど。知ってた。時間がたつとゆっくり流れてしたの方にたまる、それは影野がぶちくだいたガラスに似ている。知らなくてもどうということはないが、さりとて知っていてもなにが変わるわけでもない。ガラスは液体だし影野がくだかなくてもいつかはかならず割れた。染岡は影野がすきですきで今すぐにでも抱きたいと思うけどたぶんそれをさせてはくれない。おれはいまもおまえがすきなんだけど。知ってた。
染岡の舌に破片が深々とつきささった。鉄分とヘモグロビンで染岡と影野はひとつになる。口の中で影野の指がぼきんとくだけた。うふふ、と最後にわらったのはどっちだったろう。どっちだったのだろう。






硝子は液体である。◯か×か
染岡と影野。
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そういえばわるかったな、とペットボトルのでこぼこの口をかみながら染岡は言う。え。ちょうど扉を引いて部室に足を踏み入れようとした影野は、その言葉にあからさまにかたまる。なんのはなし。石化からやんわりと脱出し、後ろ手で扉をしめて影野はロッカーの前に鞄をどさりと置いた。逆にたずねるゆるやかな口調に、染岡の首筋がいやな感じにつっぱる。かなり前。帝国戦が終わって、すぐくらい。染岡はミュージックプレイヤーの画面をぷつりと落とした。エルレガーデンがひゅんと遠ざかり、しゃべった拍子にはねたスポーツドリンクの飛沫が液晶をぽつんとよごす。おれ、お前のユニフォーム掴んで、転ばせたことあっただろ。ああ。脱いだ学ランをていねいにたたんでロッカーに入れながら、影野はなんでもないように言った。そんなこと忘れてた。
染岡は眉間にしわを寄せる。座った椅子の座面はかたくざらついて、座り心地はお世辞にもいいとは言えない。あのときは最悪だった。携帯をばちんと閉じて、腕をぐうっと染岡は伸ばす。影野を地面に引きずり倒したあのあと、染岡は松野に思うさま蹴られたのだった。悩むならてめーだけで悩んでろはげ野郎、と、あのとき松野はひどく怒っていた。容赦のないその激昂に、まるでもめ事に興味のない半田がいい加減にしろよと止めたほどだった。あれからもう時間は経ちすぎるほど経っている。影野はここしばらくグラウンドには立っていないし、半田もまたポジション争いにのみ込まれた。松野はすずしい顔で染岡にパスを寄越すし、それをまた染岡はなんとも思わない。サッカー部は刻々と変わっていくのに、あの日のにがすぎる記憶だけは、染岡の中で変わってくれないのだった。
影野が染岡をそっと見た。なにか言ってほしいのか。別にいーよ、謝りたかっただけだし。投げやりな影野の言葉に、染岡もおざなりにわらう。謝らなくてもいいのに。影野がユニフォームの中からながい髪の毛をひっぱり出した。ばさりとひろがったやわらかな髪が、彼の痩せた背中をおおってしまう。あのときの染岡にはなにも見えていなかった。掴んで引きずり倒して、松野にボコボコにされてから後悔した。染岡の中であの瞬間は終わらない。影野のながい髪と痩せた背中に手を伸ばす、あの瞬間は永遠に終わらない。ああ、ああ、なんという。照れ隠しにミュージックプレイヤーを再起動した。液晶を指でこすると水滴がすーっと伸びてこびりつく。エルレガーデンがアイクッドミシットマイフレンズと歌っていた。そのそばには影野がいる。ああ、ああ、なんという。松野の怒りが、今なら染岡にはわかるのだった。記憶の中の影野に、伸ばされ続ける幻肢の指は。ああ、ああ、なんというこの衝動よ。なんというこのかなしみよ。






ファントリム
染岡と影野。
幻肢現象というものには、言葉にならないなにかを感じずにはいられません。
いいんですかーもったいない、と彼女は言った。彼のながいながいやわらなか髪の毛を、うなじのあたりで手ぐしでとかしながら。男の子でこのながさってあんまりないですよー。すっごいかわいいなーって思うんですけど。いいんです。影野はゆっくりと息をはきながら言った。姉にすすめられたヘアサロンは、普段よく行くやすい床屋とはちがって、なにもかもがあかるくはなやかですこし息苦しい。このひとにしなよともらった指名用のカードには、めがねをかけたわかい女のスタイリストの写真が印刷されていて、それとおなじ顔が鏡ごしに、影野のながい髪をさらさらとすいている。でも全部きるのはもったいないなー。ほんとにきっちゃうの?心底もったいなさそうな口調の彼女に、影野はやはり鏡ごしにうなづいた。そっかーお手入れも大変だもんね。名残惜しそうにもう一度髪の毛をすいて、先にあらっちゃうんでこちらにどうぞ、とまっかな椅子がぐるんとまわされた。卒業したら髪をきる、というのは、入学したときから心に決めていたことだったので、いざその日を迎えても特別な感慨なんてものはなかった。ざぶざぶと影野の髪をあらうわかい男のひとの耳に、ごついゴールドのリングピアスがゆれている。量がおおくて大変だろう。考えるのはそんなことばかりだ。ふたたび鏡の前にすわった影野に、ほんとにきっちゃうけどいいの?と彼女はもう一度たずね、お願いしますとなるべくきっぱりと影野は言った。そう言われると彼女の指に迷いはなく、はさみがざくざくと髪の毛を切り落としていく。肩のあたりまでみるまに髪は落とされて、ここのくらいがかわいいかなと、腰にベルトで下げた皮のポーチから、彼女は別のはさみを取りだした。前髪も、おなじくらいで。あらかた量を減らしおわったあと、影野はしっとりとぬれたまま残された前髪のことをようやく口にだす。そこにはさみを入れながら、口数すくない影野にあわせてか、彼女は姉の話をした。影野さんいつも弟さんのことはなしてるよ。かわった子なんだーって。すっごい無口で全然しゃべってくんないって、文句みたいなこと言ってたし。そうですかと影野はまっしろな壁にかけられた、太陽と月のレリーフのようなものをながめながら、あいまいに返事をした。やけに前衛的なレリーフのまわりには、いくつもの額がかけられている。その中にひとつだけ、色あせたふるい写真が入っていた。じゃあ前髪ととのえますねと、くいとあたまをおさえられて鏡の方を向く。その鏡のむこう、しろいソファとガラスのテーブルがしつらえられた一角、そのソファのひじかけの横に、ちいさな花瓶のようなものがおかれている。複雑な木の葉のような模様と、しろに近いグレイのうつくしい色合いのそれを、薄曇りをへだてたおおきな窓ガラスがうつしている。じゃあもう一度シャンプーしますねと椅子を立ったとき、あたまが思った以上にかるくて驚いた。さっぱりしたでしょと彼女はわらい、影野はだまってうなづいた。首のうしろがすかすかとたよりなく、肩のあたりで毛先がゆれて、このひとはあのながい髪のなにがもったいなかったのだろうと考える。誰にもなんにも言われなかったからのばしていただけのあのながい髪を、今さら誰が惜しむというのだろう。前髪の毛先があごのあたりにしっとりとまとわりついて、椅子のしたにはながい髪がぐるぐるととぐろを巻くように落ちていた。それがあまりにもたくさんで、これをすべて惜しんでいたら、死ぬまでかかってもとても足りない。そんなことを考えているうちに彼女の手が背中をおした。あのわかい男のひとはやはり無愛想に影野の髪をあらう。ごつごつと節のめだつ手が影野のあたまをしっかりと支えたとき、ゴールドのリングピアスがやっぱりゆらゆらしていた。前髪ながいね。シャワーの合間にそんな声がして、その声は、みじかくしたらいいと思うけどと続けた。影野がなにも答えずにいると、ながしまーすと棒読みのようなセリフが鼓膜をはじいた。つよいドライヤーですぐにかわいた髪はおどろくほどみじかくなっていて、うん、かわいくなったねと彼女はにっこりした。これでお姉さんもよろこぶと思うよ。なにか言ってたんですか。うっとうしいからきれきれって、前からずっと。あたしがきろうかって言ったら、すっごく喜んでた。彼女の指には指輪がはまっている。ほそいくろいラインがまんなかにぐるりとはしった、シルバーの指輪を左手の薬指につけている。帰りぎわにあの花瓶をそっとのぞきこんだ。底のほうはくらくてよく見えなかった。それタイで焼かれたんだよ。シャンプー台のそばにぼさっとつっ立ったあのわかい男のひとが、影野をじっと見ながら言った。アシンメトリのみじかい髪は、半分だけしろっぽいきんいろに染められている。片目をおおうくるくるとした前髪はくろく、その奥の目が奇妙にふかい。あの写真の。壁にかけられたふるい写真を彼はさす。あそこでつくられた。だけど影野はそこを見ることができず、そのまま逃げるように金を払って店を出た。お姉さんによろしくねと左手の薬指に指輪をはめたスタイリストはわらい、そのうしろではやっぱりあの男が、なんにも言わずにあのふるい写真をながめていた。
店を出て、窓ガラス越しにあの花瓶を影野は見た。タイで焼かれたという、ふるくてごつごつとしたそれは、どこにでもありそうなただの花瓶でしかなかった。ガラスのむこうで、ながい髪をそうじしているあの男が見えた。ちりとりに入りきるだろうかと影野は的はずれな心配をして、その心配が届いたのか男は影野を見た。びくりと逃げ腰になるが、ガラス越しに男はかくかくと手をふった。無表情のままだったのでそれがすこしおかしくて、影野は手をふりかえした。ガラスには今まで見たこともないような自分がうつっている。その足元には花瓶がすけている。空はどんよりと曇っていて、ああと影野はマカロニアンのつま先を見た。前からそうしようと思っていたのに、なくしてしまったとたんに落ちつかなくてしかたがない。前髪の下から手を差し込んで、うすいまぶたを影野はなでる。歩きだそうとしたそのとき、影野、とうしろから呼ばれた。ふりむくと染岡がおどろいた顔で立っていて、お前髪どうしたんだと言った。きったよとそっけなく言うと、うわーまじびびるわー急に何してんだよーと染岡はいろんな角度から影野をのぞきこむ。影野はふと店のほうをみた。さっきの男は、すこしだけ染岡ににている。さわってもいいか、とことわってから、でも似合うよと影野の前髪に触れながら染岡は言った。高校三年間、染岡は坊主をつらぬきとおした。中途半端にきるくらいならいっそ坊主にしてしまおうかと、昨日まではそう思っていたのだ。あの男の言うように、この髪もみじかくしてしまえばよかっただろうか。そうしたらもっとかなしかったりむなしかったり、この感情をなんらかの形におさめることができただろうか。きっと姉はよろこばない。ああでもなんかもったいないなと染岡さえも惜しむように言った。俺あのながい髪もすきだったけど。スタイリストがきることをもったいながった髪を、あの男はもっときればいいと言った。このただながいだけの髪を、今さら誰が。男の節のめだつ指には、あのスタイリストとは別の指輪がはまっていたが、ゴールドのリングピアスは右耳だけについていた。染岡。ん?お金がすこしたまって時間ができたら、タイに旅行に行こうか。影野がそう言うと、おーいいなータイ。あちーだろうなーと染岡はわらった。わらうとあの男とは、にてもにつかない。ガラスのむこうではあの男が、ふるい花瓶をていねいな手つきでみがいている。きっと二度とこのヘアサロンに来ることはない。もうすぐこの曇り空ともお別れだ。今年19になる影野の、どこかとおくとおくで迎える誕生日と3月2日の空模様。






うす曇りの昼スワンカローク窯にて
影野。未来捏造。きっといずれ彼は髪をきると思って、それはあの街をはなれるときだろうなぁと思ったのです。
あとなんか変態くさい感じですね。すいません。18の影野と染岡とか、たぎらないわけがない。
雨の日にはよく目金が影野の髪の毛をしばってやる。湿気を大量にふくむと、量がおおくてほそくしなやかな影野の髪の毛は、いちまいにまいと皿を数える幽霊さながらのおどろ髪になってしまう。ああーいけませんね。影野くん、それはいけません。目金はそんなことを言いながら、ブラシで丁寧にその髪の毛をすいてやる。なんたらいうアニメのナントカというキャラクタが影野の髪型によく似ているらしく、延々とその話をしながら目金はするすると影野の髪の毛をとかしてまっすぐにする。せっかくきれいな髪をしているのだからとかなんとか、説教じみた目金の文句を影野は口もはさまずによく聞いてやり、ときどきはその合間にひざにすわった少林寺のポニーテールを、あいた両手の手ぐしでとかしてやったりもする。彼女は前髪をピンで止めて劇的なイメージチェンジをとげたんですよ。あなたもどうです?影野が首をたてにふるわけもないのに、毎回まいかい律儀とも言える熱心さで目金はそれを提案し、すげなく断られてはしかし、落ちこむ様子も見せない。ふたりの中のルーチンワークであり、コントでたらいが落ちてくるのとその会話は、ふたりの間ではおなじことだ。少林寺は目金の話の内容がよくわからないと文句を言うが、髪をなでる影野の手の感触がものすごくいいとかで、おおむね満足してそこにいる。
目金がいかにもインドア派まるだしのしろくほそい指で、やたらと器用に影野の髪の毛をまとめるのを見るのが染岡はすきで、しかしそれを言うと目金はくちびるをひん曲げて悪趣味だと染岡をののしるために、最近はなにも言わずにそれをながめていることにしている。今日はどうしましょう。部室の外ではしとしとと雨が降り続いている。今日もまた練習はできないだろう。体育館の争奪戦は、これでなかなか激しいのだ。目金がヘアゴムを取り出して、影野のうなじで髪の毛をしばる。前や横からうろうろとその様子を見て、今日はこれでいきましょうと満足げに頷く。むき出しにされた首筋を神経質そうになでながら、影野はそれでもわかったと言った。どうせあとは帰るだけなのだから、今さらという気は確かにしないでもない。ふたりの接点は放課後の部室だけであり、それ以外の時間や場所で、わざわざ会おうという考えははなからなさそうだ。前髪だけがまとめられずにやわらかく残って、それを向かい合わせにすいてやりながら、ピンもありますけどと目金は言い、影野は首を横にふる。円堂が部室に来たのはそのときで、今日は休みだってーと明らかに不満そうに告げた。雨はやむ気配も見せないので、まあ当然だろうと染岡は思う。ほかのやつらにも言ってくるとしおれた様子で円堂は出ていき、じゃあ帰りましょうかと目金がカバンを肩にかけた。
影野はいつもやすいビニル傘をさしている。半透明のそれでもぼんやりとすけてみえるまくの向こうで、影野の背中がいつもよりとおい気がして染岡はまばたきをした。それがきれいにまとめられた髪の毛のせいだと気づいたときにはとっくに、その背中はいつもの距離にあった。無意識にあのながいながい髪の毛をさがしていることにもついでに気づいてしまったのだが、それだけは染岡は、考えないようにした。さんにんで帰る通学路に会話はない。雨が道路や街路樹や水たまりや傘をうつ音だけが、鼓膜をしずかに満たしていく。そのとき、ぱーんととおくたかいクラクションの音が突然すべりこんできて、さんにんは足を止めた。目金が首をひねって、ああとため息のような声をこぼした。染岡がそちらを見ると、雨にぬれた道路を、きんいろの屋根のついたながいくろい車がすべるようにはしってくる。目金は影野の手をとって、影野くん親指をかくさないと親の死に目に会えませんよと強引に親指を握りこませた。染岡もいそいでそうしたが、そのときにはもうその車はさんにんの横をはしり抜けていってしまった。言葉もなくたち尽くす染岡のすこし前で、影野がすっと街の一角を指さす。あっちに行くと思う。傘からつき出たそのしろい手がみるまに雨にぬれてしまい、しかし親指はしっかり内側に握りこんでいて染岡はそんなものばかりを見ていた。影野はそのまま手をおろして、ひとりで歩き出してしまう。ふる雨があっという間にふたりと影野の間の距離を埋めていき、染岡はやはりなにも言えなかった。影野くんはとてもきれいな顔をしているんですよ。影野が指さした方をじっと見つめてたち止まったまま、目金はぽつりとそう言った。ぼくは、あなたにそれを見せたいのか見せたくないのか、わからないんです。影野がどんどんとおくなって、雨にかすんでやがてみえなくなる。あああのながい髪をさがすんでもいい。握ったままの親指が、奇妙にあつくて染岡はみじかく息をすった。あのながい髪をさがすんでもいいからだから、いかないで。ぱしっと足元で水たまりがはじけ、それが耳にとどいたときには染岡はもうかけ出していた。ビニル傘のむこうに半透明ににごった背中がちかくなる。どんどんちかくなる。ながいながい髪の毛は、今は目金の手できれいにまとめられている。このながい髪を、さがすんでもいい。
目金はそれを追うこともせずに、影野が指さした方をおなじように指さして、おなじようにあっちに行くと思うとくり返した。メガネのレンズにこまかい水滴が散って、視界がぼやけてうっとうしい。あのひとになにがしてやりたいのか、目金にはもうわからなくなってしまっている。ただ。あんなふうに追いかけることが自分にもできたなら。目金は親指をかくさなかった。影野の手がつめたくて、それだけで十分だった。今ごろどこかのたかい煙突からは、煙がまっすぐに空へ空へとたちのぼっていることだろう。ざんねんですね。あなた、そんなになきたかったんですか。夜のようにくらくおもたい気持ちをかかえて、雨の中目金はひとりだった。ひとりでわらった。あのながい髪を、いつかもらおう。すこしでいい。影野の指さした先、その先には納骨堂がある。雨にかすんだその中で、影野のながい髪としろい骨にだかれて目金はなきわめく。






雨の日の納骨堂のしろくかすむこと闇夜のごとし
目金と染岡と影野。影野に対してまっすぐな染岡と、屈折している目金。
自分がふぬけるのはほんとうにみっともないものだと染岡は試合がおわるたびに思う。試合をひとつずつ重ねて勝ち星を順調につみ上げていく順風満帆な今でさえ、染岡は試合中にしてしまった、あるいはできなかった、するべきだったささいなことをいちいち覚えている(それはかつての、部員が足りなかったころにはしたくてもできなかったぜいたくな悩みなのだろうが)。そうしてそのひとつひとつに、おもしろいくらいに落ち込むのだ。もちろんそんな情けない姿は、他のやつらに見せないようにていねいにていねいに心の奥のほうに染岡はしまい込むのだが、どうやってもあふれ出てきてしまうそれらのいら立ちは、ときに言葉や行動になって罪のない宍戸や栗松に向かう。そして影野にも。
いら立ちにもとづくどうにもならない暴力性は無辜の後輩たちに向かうが、それよりもっと湿っぽくどろどろとした女々しさは言葉のすくない影野に向かう。ああすればよかったこうすればよかった、というできるものの優越感をたぶんに含んだ愚痴のような反省のような繰言を、染岡は思いつくままに順々に影野に垂れ流す。影野はその途切れることのない反省文に、決して口を挟まない。その影野がある日レギュラーから落ちた。ベンチでしずかに試合をながめている影野から、染岡はなにがしかの言葉が返るものと思っていた。試合のあとに落ち込むなよ、と言ってやったら、別に落ち込んではないと影野は言った。その言葉の感触がすこしばかり引っかかったので、まぁたぶんすぐレギュラーに戻れるよ、と言った。本心のつもりだった。暮れていく夕日がくろぐろとグラウンドに影を落としていて、影野のほそい影もながくながく伸びていた。染岡の中にどろどろはまたたくさんつもり、それが苛立ちとかかなしさのようなものになって今にもあふれだそうとしていた。影野がいなかったのだ。グラウンドに影野が立っていなかった。だから。
そういえば、と話し出そうとしたそのとき、影野がすうと手をのばして染岡の両耳をふさいだ。つめたいつめたいてのひらだった。言葉をうしなう染岡に、影野もなにも言わなかった。耳の奥をひくい地鳴りのようなものが途切れることなくかすめていって、それが影野の血の流れる音だとふと気づいた。おだやかなその音に巻かれて、影野のくちびるがかすかに動く。それを聞き取ることができなくて、だけどそれをどうしてもしたくて、染岡は手を伸ばして影野ののどをやわらかくつかんだ。やわらかな髪の毛が染岡の両手にまといついて、ああこのままだとないてしまう、というようなつよいつよい衝動が、腹の奥から頭のてっぺんまでをひといきに駆けのぼった。のどの深い部分がずくずくと痛んで、親指に影野ののどが上下する感触がやけになまなましく響いた。お前ないてるの?染岡の声は頭の中でぼわんぼわんとくぐもり、だけどその返事は、聞こえなかった。影野の顔に濃い影がおちて、さされたように染岡の心がいたんだ。もうどちらでもいいと思った。ないていてもないていなくても、同じくらいかなしかった。影野のくちびるがもう動かない。このまま音という音がなくなってしまえばいいと、染岡はぜんぶで願った。
染岡はときどき自分の意識の届かないくらい深いふかい場所に、影野を投げ込んで沈めてしまいたくなる。たとえば誰にも、自分でさえもどうしようもないくらいの場所に。海のような深い場所に。そうして言葉さえ伝わらないその場所をながめてそれだけですごすことができたら、どのくらい満たされるだろうとも思った。ほしかったのがなまじ形のないものだったから、どうしたらそれが手に入るのかさえもわからなかったのに。影野がグラウンドにいなかったのだ。それなのになにを伝えたかったのだろうか。なにを語ろうと、言うのだろうか。影野のやわらかな髪がふと吹いたつめたい風にぱらぱらと広がる。どちらともなく両手をはなして、だけど語れる言葉はもうどこにもなかったし、できることはもう全部やり尽くしてしまった。名もなきふかい海には、みにくいものばかりが沈んでねむっている。どろどろで埋め尽くされた海の底をぜんぶさらってひっくり返し、染岡はそこに影野を沈めてやりたい。





名もなきふかい海には
染岡と影野。
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