ヒヨル そめおかとかげののはなし 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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きいろい電車で千葉方面へ向かう。途中で渡ったにごった川には、水上バスだか、あるいはただの釣り小舟だかが残した水尾がゆったりとしろく泡立ちながら揺れていた。みどりにくすんだ水面に映った空はどろりとおもたい。うっそりと曇ったおそろしく寒い午後、手袋を忘れてきた粗忽が悔やまれる。A駅ではたくさんのひとが乗り降りし、手に手に紙袋を下げて着ぶくれした彼らが乗り込んでくる、その合間にうまく座席に滑りこんだ。車内は鼻がぐずつくほどあたたかく、ぴったりと巻きつけたマフラーをとくと静電気がわあんと髪と肌を撫でる。行くのではなかった、と、はやい後悔はもうそれだけで十分だった。すぐ前のベビイカーで赤ん坊がぎゃあぎゃあと泣きわめいているのに、向かい側のじいさんがなんともいえない顔をする。車窓を眠たげに鳥が横切っていく、気だるい冬の寒い午後。
スニーカーのかかとのつぶれかけたやつを、ひとさし指を差しこんで引っぱりあげる。ふとこすり合わせたてのひらの、関節と関節の間に変な具合に縦じわが寄っていた。かさかさにかわいたてのひらで何気なしに甲を撫でると、こちらも時季相応にがさがさとささくれている。どんなにきれいに手を洗ったつもりでも、なぜかいつまでもくろく土が詰まっているような爪をじいっとながめるふりをしながら、行くのではなかった、と、はやく着けばいいのに、をあたまの中で何度も繰り返している。そうしているとだんだんにあたまは冴えてきた。どっちつかずのままなら寝てしまいたい、と思いながら窓の外に目をやると、相変わらずおもたく垂れこめた雲の合間にコバルトの空がのぞけているのに気づく。その色の鮮烈さにはっと息を飲むとがくんとからだがかしいだ。顔を上げる。いつの間にか眠っていたらしい。てらてらのダウンジャケットの袖で、口の周りを急いで拭う。
気づいたらもう電車にはぽつりぽつりと空席が目立ち、かばんを抱えていそいそと端の座席に移動する。空腹だ。あたまを座席にもたせかけながらあくびをふたつみっつこぼし、ついでに窓の外を見た。今にもビルに触れそうな雲が、のたりと空全体を覆い尽くしている。一瞬の夢の最中の、それでもあのコバルトの鮮烈さがいまだにまぶたの奥、火花のようにちらついていた。ああ、とてのひらをこすり合わせる。かすかに汗ばんだてのひらは指先をわずかにあからめて触れあった。座席に預けた尻が熱い。昼と夕方の境目くらいだろうと思われる車内は、その微妙な時間帯にだらしなく疲れはてていて、あちこちでゆらゆらと舟を漕ぐ姿が目立った。まるで海草がゆらぐ水底のようだ。次は、M、Mです。すぐ目の前に座っていためがねの母親が、額を腹につけるように丸まって寝ている息子を起こして下りていく。開いたドアから流れこんだ空気の冷たさに、指先がかすかにちりついた。
あとどのくらい乗るだろう。背中をちょっとそらして、肩を回すとぽきりと関節が音を立てる。この年代にしては太くたくましい二の腕。ああ。なんとなくため息のようなひとりごとをこぼした。ひとりは退屈だ。車輪がレールを敷いてゆくたたんたたんという音は、マネージャーがランニング中に吹くホイッスルみたいに規則正しくて眠たくなる。乾燥した空気が、細めた目をいやな感じにひりつかせるのでしきりにまばたきをしているとまたがたんとからだが揺れた。首ががたつく。でかい図体して、ひとりを不安に思っているなんてばかくさい。曇り空のふちがあかく焼けている。もうすぐ夜だ。もうすぐ着く。
もうすぐ着くよ。隣からひくく穏やかな声がして、ああそうか今日は、と思いながら染岡はゆっくりと首を回した。今日はもう出かけて帰ってくる途中だった。なあ、影野。影野は電車の電光表示をじっと眺めたまま身じろぎもしない。影野が着ている女物のテーラードの、袖口で折り返した裏地が鮮やかなコバルトに光っていた。痩せた二の腕に自分のそれをわざとらしく並べて、染岡は、ああ、とため息をついた。くたびれた電車にはもう誰もおらず、ぺたんこに踏んでしまったかかとに染岡は物憂くひとさし指を差しこんだ。次は、S、Sです。車掌の鼻声にいい加減熱くなった尻を座席から引き剥がす。雲がおもたく広がったおそろしく寒い午後。目覚める前の曇天には、銭湯のものだろうか、せいの高い煙突がくろい煙をもうもうと吐いていた。






放浪上手
染岡と影野。
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木野のしろく細い足首をぼんやりと眺めながら、染岡は眠い、と思った。つまらない怪我を放っておいて悪化させるいつもの悪癖を遺憾なく発揮した染岡は、今は練習を全面的に禁止されている。どうせ退屈ならマネージャーの仕事でも手伝ってこいという監督の指示にしぶしぶ従って、今は木野が上った脚立を押さえながら、グラウンドから聞こえる歓声や罵声や怒声やそれを諌める監督のあきれ返った声に耳を傾けていた。ごめんねー。脚立の上で背伸びをした木野が言う。部室の電気は大半が切れて、蛍光灯にびっしりとほこりをまとわせていた。それらをひとつひとつ拭いて交換する、その作業を染岡は手伝っている。最初は自分が上ろうかと提案したが、染岡くんが落ちてきたらわたし死んじゃう、という木野の言葉になぜか納得し、染岡は安全弁の役割に甘んじた。傍らには交換されたふるい蛍光灯がごろごろと転げている。
木野が危なげない手つきで、ながほそい蛍光灯を丁寧に拭う。よくやるよ。ひとりごとみたいにぼそりと染岡が言うと、木野がくすくすとわらった。染岡くんだってよくやるよ。なにが。わたし痛いのはきらいなの。怪我のことを言われているのだとようやく気づいて染岡は赤面し、うるせえなぁと照れ隠しに声を張り上げると木野はますますおかしそうにわらう。脚立ががたがたと震えた。あ、こら。あぶねーぞ。あっごめん。ふふっと木野は息を吐くみたいにわらい、再び作業に戻った。中途半端にたくしあげられたジャージのすそが落ちかかっている。すりきれてぼろぼろになった生地に、目には見えない苦労がにじんでいるような気がして染岡はちいさくため息をついた。わ。木野がぐらりと体勢を崩す。わわわわわ、わ、あ、染岡くんあぶな。うお、と染岡は一歩退いて両腕を差し出した。狙いをあやまたずに木野がそこに背中から落ちてきて、蹴られた脚立がけたたましい音で倒れる。
もうもうと上がる砂ぼこりの中で、先にからだを起こしたのは木野だった。わあああああ染岡くん大丈夫?ごめんねごめんね!怪我はない?どっかいたくない?うーと呻いて、染岡は顔をのぞきこんでくる木野に手のひらを向けた。大丈夫。木野は?わたしは平気。ありがとう。心配そうに眉をひそめた木野が、今にも鼻と鼻が触れてしまいそうに近くまで顔を寄せてくるので染岡は急いで顔を背けた。やーあの、大丈夫なら、いいんだ。よかったな。そのときがらりと部室の扉が開いて、影野がぬうと入ってきた。すごい音。あはは、と木野がごまかしわらいを浮かべる。影野は脚立をまたいで近づいてくると、木野に手を伸ばした。大丈夫。ありがと、大丈夫。その手につかまって木野が身軽に立ち上がる。自然すぎるその接触に、なぜかのどの辺りがむずがゆくなるのを染岡は感じた。監督が呼んでる。わかった。気をつけて。平気だよ。木野は部室を出ていって、そしてほどなく引き返してくると染岡くんありがとう、とにこりとわらった。
影野は倒れたままの染岡には目もくれず、脚立をひっぱり起こして奥に片づける。なにしに来たんだよ。打ちっぱなしの地面に肩を思うさまぶつけた染岡はそこを撫でながらからだを起こす。手伝い。影野は両手を腰に当てて、あーとひくいため息をついた。さっきのどたばたで、転がしておいた蛍光灯はすべて砕けてしまっていた。飛び散った破片が変にしろくてかてかしている。ちりとり。影野はぽつりと呟いて、すーっと掃除用具入れまで行ってしまった。そこから砂まみれのちりとりと先がばさばさに広がった箒を出してきて、じゃらじゃらと音を立てながら影野は片づけをはじめる。破片は箒で撫でられるたびに地面やこまかい砂にこすれ、たくさんの鈴みたいなかん高い音で鼓膜を震わせた。
染岡がいなかったら。箒をざりざりと動かしながら、影野はぼそりと言った。木野死んじゃってたかもね。ありがとう。あ?ようよう尻を払って立ち上がった染岡が首をかしげる。なにが。木野。影野はながい髪の下からたぶん視線をよこし、妙に無感動に言った。助けてくれてありがとう。なんでおまえがありがとうとか言うんだよ。すきだから。最後の破片を丁寧にかき集め、立ち上がりながら影野は言う。いぶかしげな顔の染岡を見ながら。木野が、すきだから。染岡はその言葉をぽかんと聞き、やがて目の周りがあつくなってくるのを感じた。耳がちりつく。いや、あ、え?なに、なにがだよ。つかおまえ、それ関係なくね?あるよ。指で破片をつまんで燃えないごみに分けながら、影野は淡々と言った。関係あるよ。
染岡は言葉につまり、それあぶねえよ、と影野の手元を指さした。うん。影野はあたりを見回して、軍手借りてくる、と部室を出ていった。これだけよろしくと、先がばさばさに広がった箒を染岡に手渡して。染岡はぼんやりとその背中を見送り、やがて足音が遠ざかると、手にした箒を思いきり地面に投げつけた。箒は瀕死の生き物みたいにはじかれ、ロッカーのそばで死んだように止まった。あっという間に静寂は戻り、ちりとりの中で蛍光灯の破片がきらきらしている。まるで無意味に、のどかに、きらきらとひかっている。指を伸ばすとひふがすっとななめに切れた。染岡は顔をあげる。打ち付けた肩がずくずくとうずく。いたい、と思った。いたい。まだいたい。まだいたい。「影野」






イタイヤ
染岡と影野。
『神様が大地と水と太陽をくれた』
『大地と水と太陽がりんごの木をくれた』
『りんごの木が真っ赤なりんごの実をくれた』
夢の中でおかしいほどに孤独な夜の、その翌朝にはさびしくて誰でもいいので手を伸ばしたくなる。朝食を億劫がりながら摂っている間なんかはもうさびしくてさびしくて死んでしまいたくなるくらいに心細いのだが、家を出るころにはもう別のものがちゃんと意識を包んでいるので大丈夫なのだ。太陽のまわりだけまるく削がれたような重たい曇天が、やんわりと重力のてのひらで染岡のあたまや肩を押しつけている。おはよー、とか、おーす、とか言いながら自分を追い抜いていく友人たちの指や背中が、視線のずうっと先でわらわらと粒になって寄り集まる奇妙な感覚。後ろからすごい勢いで女子生徒が自転車を立ち漕ぎしてきて、その透明なくらいしろいひざの後ろとそれに連なる足の見とれるくらいにきれいなひふが、それ自体発光しているような鮮烈さでもって網膜を打ち抜いていった。意識の中身がゆっくりとゆるんでぐずつく。嫌な朝。嫌な感じ。
『まるで世界の始まりのような朝の光と一緒に』
席について鞄を開けて、あ、と染岡は言葉を飲む。数学の教科書が入っていない。ちっと舌打ちをしてしぶしぶ席を立ち、染岡は教室を出た。影野の教室を後ろの扉からそうっと覗き込むと、それに気づいた知り合いの何人かがおーすと寄ってくる。よう。よ。なんか用事。あー、影野いる。影野ぉ?影野ー。ひょろひょろとせいの高いバレー部の友人が、一度教室の中を振り向いて見渡し、来てない、と首を振った。めずらしーな。な。影野になんか用事あんの。教科書忘れた。貸してくれ。別にいーけど、なに。数学。今日うち数学ねーよ。まじかよ。早く言えよ。知らねー。友人たちはげらげらとわらい、隣はあったよと指をさす。さんきゅと軽く手を挙げてもと来た廊下を引き返すうちに、朝しっかりと包んできたはずの意識がぐずぐずに染み出してきてべたついていることに気づく。脳の内側にどろりとさびしさを塗り込めたような、空虚で不快な嫌な感じ。隣のクラスの半田からよれよれの教科書を借りて教室に戻る。机の上で開いたままの鞄の中からは今朝方の自分が覗けていて、中身を全部ひっくり返して空っぽのそれをロッカーに投げた。
『何ひとつ言葉はなくとも』
焼却炉にごみを捨てに行く途中、飼育小屋の前にしゃがんでいる女子生徒を見た。空の小屋の金網のすき間に、草を山ほど押し込んでいる。ぎょっとして思わず遠くからその横顔を盗み見たが、むしろどこか穏やかな表情をしていた。目の力強さが少しだけ木野に似ている。焼却炉にまるいごみ袋を押し込みながら、染岡は思い出していた。今朝の通学路で、立ち漕ぎで自分を追い抜いていった彼女のことを。草を押し込む彼女の指は、曇天を削ぐ太陽のようにしろくまぶしい。無言でそこにしゃがみこんで、それでも彼女は驚くほどに力強かった。空っぽの小屋は宝箱みたいだった。愛情で丁寧にぴったりと覆われた、空っぽでさびしい宝箱。センティメンタルに釘をさすつもりなんかなかったけれど、染岡は直感のように思った。もしも自分がだれかに恋をするなら、それはこういう女と、ひっそりと孤独に始めるのだろう。部活に影野は来なかった。そのせいで松野は終始不機嫌だった。金網に詰められた草はしおれてかさかさになっていて、夕陽がうなじを焦がしていく。まるで茶番劇のように、あらかじめ決められていたように、染岡は見てみたいと思ってしまう。影野の空っぽのロッカーの中に、押し込められている有象無象を。
『あなたはわたしに今日をくれた』
やがて夢の中で、脱皮するみたいに起き上がった影野が、骨みたいなしろい脚でつよくつよく歩いてゆくのを、染岡はまぶしいものを見るように送った。葛藤や鬱屈をいっぱいに抱え、それでもそれしかしらない嬰児のように、どれだけ打ちのめされてもいつの間にか影野は歩いてゆく。染岡が気づくよりずっと前に、たったひとりでそれを始めてしまう。染岡は目を閉じた。耳元で誰かが泣いている。影野がふつりと立ち止まり、名前を呼びながら振り返る聖なる幻想。失ってしまったことには、今すぐにでも気づかなくてはならなかった。だけど誰が責められる。彼のきよらでまばゆいその指の甘しことを。いつの日か消えてしまうものたちを、拾い集めた透明な宝箱に、永遠という鍵をかけて、それがすべてだと信じていたかった。分かたれないものを分かち合おうとする。ぼくらは孤独でさびしくて、思い出を燃やしてきみを、または、ぼくを繰り返す。
『そうしてあなたはじぶんでもきづかずに
あなたのたましいのいちばんおいしいところを
わたしにくれた』
その代わりきみは希望なんてくれなかった。







たましいのいちばんおいしいところ
染岡と影野。
谷川俊太郎「魂のいちばんおいしいところ」より。
アメイジンググレイスがプレイヤーから流れる部屋の中でぼおっと膝を抱えていると、そろっと扉がほそくひらいた。じんくん、散歩行こう。顔をすこしだけ覗かせた姉がなんだかなきそうな目をしてそうささやく。思わずちらりとかえりみた窓の外はどしゃ降りの雨だったのに、あまりにも訴えてくる目が心細そうだったので、いいよ、と影野は言った。最近ソニプラで買った傘は色ちがいのおそろいで、骨の数が多くて優雅なかたちをしている。レインブーツはてかてかのしぶい色のドット模様が浮かんだこれもおそろいで、足をつっこむとかかとの辺りがかぱかぱした。こんぺいとうみたいな傘を差しながら、姉がにらむみたいな横目でまるく咲いたあおいあじさいを見ている。車道側をあるきながら立ちこめるアスファルトのくすんだ匂いを呼吸していると、姉がそっと影野の右手を取った。神妙な顔をしているのに歌っているのは忌野清志郎だったので、なんだかぎょっとしてそれから納得した。こんぺいとうのすき間でつないだ手がひたひたに濡れていく。あぁめー、じいんぐれぇ。
部室でぼんやりとスパルタンXの鼻唄をうたいながら文庫本をめくっていると、おまえミサワすきなの、と問われた。影野が顔を上げると染岡が意外そうな顔をして目の前に立っていた。え、と聞き返すと染岡はわらって、額の辺りで人差し指をワイパーみたいに動かした。なんのことかわからなくて首をかしげると、なんだ違うのかと染岡はつまらなそうな顔をする。だよなーイメージねーもんなぁ。なんのこと。染岡はそれには答えず、畳んだままのパイプ椅子を広げながらおまえなんでスパルタンX知ってんのと逆に問いかけた。夜中に映画やってた。えーまじかよ観ればよかった。影野の向かいに置いた椅子の背もたれをまたいですわりながら、あれおもしろいよなーベニーユキーデ出てるしと染岡は嬉しそうにわらった。誰。アメリカギャングだよ。ジャッキーと戦ってたろ。あんまりよく覚えてなかったので首をかしげたら、すげえかっこいいからもう一回観ろと染岡は真顔で言った。
こんぺいとうの傘の下、手をつないだ姉は前を向いてあるきながら泣いていた。くちびるから歌を目からは涙をこぼしながらあるくその凄惨な横顔を、どうしても直視できなくてつないだ手ばかりを見ていた。レインブーツのつま先は水溜まりを十戒みたいにかきわけて、だけどそのあとにはなにも変わらない、孤独に濡れた街並みがあるだけ。びしょびしょの涙に溺れて、そこからどうしても踏み出せなかった。踏み出そうともがくひとの葛藤を、ただ映画みたいな非現実とデジャヴの中に垣間見る。いつまでもないてればそれがいちばんしあわせなのに。姉ががらがらにかすれた声でつぶやいた。どうしてそれじゃだめなんだろう。傘をすこし傾けると雨粒がだらだらっと一気に落ちた。答えを拒んで足を止めると、あるくことだけは止めようとしない姉がぐいと手を引く。踏み出そうともがくひとの葛藤。いつ終わるともわからない喪失に、抗う感情の群れが傘を叩いて流れ落ちた。
すこし前に染岡が、やたらとあつくプロレス(しかもエルボーばっかり)について宍戸に語っていたことがあった。宍戸はヒートアップしていく染岡に若干引いていたのかていねいに相づちをうちながら聞いていて、それなのに染岡自身はへんに落ち込んだ様子だったのがおかしかった。きっとあれも喪失だったのだ。ごめん。そう言うと、染岡はたぶん意味もわからないまま目をまるくした。いいんだよ。染岡はなぜか吐き捨てるように、ぶっきらぼうに言った。いいんだって。そんな風な口調を走らせながら、ひどくやさしいしぐさで染岡のがざがざの指が前髪をすべって落ちた。影野はそっとわらって、だけど黙ったままそれをやりすごした。誰もがそれを乗り越えていく。きっと強くなろう。誰よりもなによりも。世界中のどこからも静かに遠ざかった音のない場所で、願わくはひとりで生きてゆけますように。この指をちゃんと置いておけますように。
「わたしは三つの宝を手にして死ぬ。そのために生きている」
(人をいつくしむ心)
(なにも持たぬ暮らし)
(人の先に立たぬ生)
あの日の雨は追悼だった。





追悼
染岡と影野。
なにも始まらなかったあの日の終わりに。
あとサンクス寒貧。
河川敷のより水際にちかいところに、二週間にいちど花束が置かれているのに気づいたのは、今からふたつきほど前だった。英字プリントのうすい紙と透明なフィルム、握りの部分にはいつもまっしろなりぼんが巻かれている。花はあかだったりしろだったりきいろだったりしたが、いつも決まって単色だった。いろんな花を取り混ぜてつくる花束とは違い、あかならあかしろならしろのきりりとした花束は、清廉さと悲壮さをまとわせていつもそこにやわらかく眠っている。それは数日そこにしおれた花びらのまま倒れていることもあるが、いちにちを待たずに水に押し流されていることもあった。作為的にそれを行う誰かの理想を凌駕してしまう自然のはがねに似た力強さを、影野は生理的な嫌悪感でもって厭う。世の中はもっとシステマティクにならねば、という目金の意見に、こればかりは完全同意だった。
練習のないある日、ひとりでわざととおまわりをして河川敷のわきをあるいていると、後ろから染岡が走って追いついてきた。よう。うん。帰り。そう。おまえこっちだっけ。趣味。ふーん。染岡はおおくを聞かない。じゃ途中まで一緒だとかばんを揺すり上げ、影野の歩調にあわせてあるきだす。その肩にチョウクの粉がかすかに積もっていた。すげー雨だったな。つい30分ほど前に降った夕立のことだ。グラウンドは見る間に水没し、部室に行くまでもなく部活は中止だった。帰り際に円堂のクラスをのぞくと(通り道なのだ)、円堂は机に両足を乗せてふんぞり返っていた。脇に途方にくれた顔をした風丸を立たせたまま。影野は河川敷に目をやる。穏やかな川は増水し、にごった水がとげのように波立っていた。普段は小学生が練習をしているグラウンドにも、おおきな足跡のような水溜まりがいくつも広がっている。とおくで垂れ込めた雲のすき間から、筋になった光がまっすぐに差し込んでいた。
花束ねえな。染岡が影野ごしに河川敷をながめてぽつりと言い、うんと答えてから影野は動揺した。知ってたのか。そりゃあんだけおまえが見てりゃな。にこりともせずに染岡は影野の手をとった。降りてみよう。まだあるかも。染岡は影野の手を引いて、返事も待たずに足を踏み出した。土手に生えた雑草は水を含んでよくすべる。水溜まりにニューバランスとコンバースの先をひたしながら、ふたりはグラウンドをまっすぐ横切って水際に並んで立った。探さなくても。影野は足元に押し寄せる水をじっと見ながら言った。染岡はつないだ手とは逆の手をポケットに入れて、おなじように視線を下げた。うん。影野が言いたいことを察したかどうかはわからなかったが、染岡は黙った。水がうねる音だけが、ふたりの間を満たしていく。いやだなと影野は思った。生理的な嫌悪感。
川はずいぶん流れがはやい。いろんなものが押し流されてくる。おまえナザレって知ってる?染岡が唐突に言った。ナザレの浜はしろいんだって。うん。染岡がなにを言いたいのかはかりかねて、影野は曖昧に返事をした。いつかふたりで外国に行こう。染岡はそう言って、そっと影野の手を離した。すき間に滑り込む雨上がりの風。うんと返事をしてから、はて外国というのはヨーロッパだろうかアメリカだろうかアジアだろうかと影野は思った。それともナザレなのだろうか。しろい浜を染岡は見たいのだろうか。おれとふたりで。だったらそこに単色の花束を置いてこなければと影野は思った。持ち手にしろいりぼんを巻いて。あかやしろやきいろの花束で埋め尽くされた、しろいしろいナザレの浜に。染岡のてのひらがそっと影野の背中に触れた。彼はそれを、やさしく、押す。






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染岡と影野。
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無印雷門4番と一年生がすき。マイナー愛。

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