ヒヨル おんなのこのはなし 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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伸ばした脚の先のペディキュアが剥がれかけている。ぽこんと飛び出した膝の骨と、やや外側に湾曲した細い脛、細い足首にこれもまたぽこんと飛び出したくるぶしの骨と、外反拇趾気味の細ながい足。不意に肩の辺りに寒さを覚え、リカはベッドに腰かけたままあえかな月明かりを頼りに床を探った。何度も水をくぐってくたくたに馴染んだスウェットの上に、拾い上げたジャージを羽織る。肩の辺りの大きさとちぐはぐな匂いに、わずかに眉をしかめた。土門が寝返りを打ったのはそのときだった。ごそりと布団が波打ち、シーツを探る音。そして眠気をいっぱいに吸った小さな唸り声。リカぁ。その声とともに、背中を指先が掠めた。眠る前まで腕の中にいたリカがいないことに気づいたのだろう。リカは羽織った土門のジャージを落としてその細い指に触れてやり、数時間前をなぞるように腕の中に収まった。力の入らない腕で、それでも精いっぱいの抱擁をしてから土門はまた眠りに落ちた。ちぐはぐな匂い。リカはまばたきをして、形ばかり目を閉じる。
リカは一之瀬の声も見た目も性格もプレイスタイルも丸ごと好きになったのであって、つまるところその中には彼の煮え切らないところだって含まれていたわけであった。一之瀬の木野に寄せる真摯で一途な(、塔子に言わせれば「未練がましくてかっこわるい」、)想いだって、それごと一之瀬を好きになったのだと思えば苦痛でもなんでもなかった。振り向いてもらいたい、振り向いてくれるはずだ、と、傲慢だったのは果たしてどちらだったのだろう。結果として痛み分けだったと思えば、今では小気味よくもある。確かにだらしなく泣きはしたが、恋をするということにおいては、それはよくあることなのだとわかっていた。傷心はあっという間につけこまれたからだ。土門はにこにこしながらリカに近づいて、にこにこしながら余りもん同士だねと言った。要するになにがしたいのか。言外での駆け引きは短かった。折れてやったのだ。リカは思う。弱ってるとこに優しくされたから仕方なく、と。それでもいいみたいな顔で土門が頷いたのだけが憎たらしかった。
塔子はぶちぶち不平を垂れたし、一之瀬と木野はリカをやたら心配したし、円堂は円堂で土門や一之瀬に当たって荒れたりもしていたようだが、おおむね不満はない、とリカは思っている。土門は優しいし、面白い。あたまもいいし、サッカーだって巧い。不満はないというのはそういうことだったし、不満はないということはつまり満ち足りることはないということだ。指を絡めて寝る夜にだって、空白は冴えざえと冷めていった。埋まらない場所がある方が息はしやすい。一之瀬に満たされて、息もできなかったあの頃に比べれば。リカ。背中に回された腕に不意に力がこもる。背中をゆっくりと撫でる土門の指。なに。応えてやらざるを得ない。なるべく優しく、それでいて、できる限り突き放すように。布団の中で土門が脚を絡めてきた。冷たい。足の先を土門の足の先が這う。土門の閉じたまぶたに触れた。恐れていた瞬間は今日も来なかった。リカは安堵する。絡まるように眠っているにも関わらず。
冷たい、と、呻くように土門はささやいた。心からのその言葉に、リカは奥歯を噛み締める。回された腕の下を潜るように、土門の背中を捕まえる。爪を立てた。ゆっくりと、拳を握る。痛いよ。土門は少し笑った。リカは笑わなかった。痛くしたから。土門はなぜか嬉しそうに笑うと、ぎゅうぎゅうとリカを抱き締めた。リカ、好き。愛してる。うちも。リカはため息混じりに言った。土門のこと好き。愛してる。と思う、と、心の中で付け足した。そのことすら知っているように土門は笑う。息が触れる。熱が伝わる。髪の毛の先まで、リカはリカになる。リカ。土門の声が近い。世界で一番いとおしいものを、届かない代わりに慈しむように。騙されて、騙し返して、仮面を滑るように、土門とリカは手を繋ぐ。寄り添っても寄り添っても、空白ばかりが冴えざえと冷めていく。月明かりの部屋にぬけがらがふたつ。心ばかり、誰よりもいとしい場所へ消えていったあとに。









花咲くぬけがら
リカ。
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凍てつくような冬の夕焼けは燃えるようにあかい。芯から冷えた手のひらを擦り合わせながら夏未はそっと足を踏み換えた。ジャージの下にヒートテックと厚手のタイツに靴下を履きネックウォーマーを重ねても、深まりつつある冬の寒さはしんしんと骨に響く。夏生まれの夏未は寒さに弱い。マネージャーなんかやっていなければ、こんな日には暖かな部屋で温かなロイヤルミルクティーでも飲んでいるところだ。汚れた軍手を押し込んだぽけっとがまるく膨らんでいる。水仕事が多いマネージャー業には、軍手はあまり役に立たない。それでもないよりはましだと木野が夏未と音無にくれたものだ。夏未の軍手は手首の飾り糸がピンク色をしている。その軍手いいなと円堂が言ったので、それを言われた日から毎日夏未は軍手を手洗いし、部活のときには欠かさず身に付けている。軍手はいいものだと夏未はそこではじめて知った。いつもきれいに手入れしていた爪が割れて欠け、ささくれや細かい傷が目立つようになった自分の手を包んで隠してくれる。
そっと部室を覗くと、同輩が机に向かって部誌を書いていた。ぞろりと長い髪をした、鼻の高い横顔。夏未の視線に気づいたのか、影野はふいと顔を上げて夏未を見た。なんで外にいるの。もそりとした問いかけに夏未は一瞬息を飲み、まばたきをして、だって変だわ、と答えた。変。ふたりでいるなんて、変よ。そう思わない?その言葉に影野は髪の毛を背中に払って振り向いた。ああ、おれだけか。影野のする緩慢なしぐさは、夏未にいつも草食動物を思い起こさせる。からだの大きな、やさしい瞳をした草を食べる動物。鍵当番代わろうか。影野の言葉に、夏未は扉から顔だけ覗かせたまま、その首を横に振る。いいえ、結構よ。じゃあ、入れば。影野はゆっくりと周りを見て、中も寒いけど、と続けた。その言い方がなんとなくおかしくて夏未はちいさく微笑む。大丈夫。それより早く仕上げてくれた方が助かるのだけど。ああ、ごめん。急ぐ。言いながらも影野のしろい手は緩慢なままで、夏未はそっと目を細めた。彼のそういうところは嫌いではない。
扉を閉め、脚をからだに引き寄せるようにしゃがむ。グラウンドは既に藍色が濃い。恐らく夏未に気を遣って、鍵当番は2年マネージャーにはほとんど当たらないようローテーションが組まれている。それでも夏未は遅くまで残るのが嫌いではなかった。最後に当番をしたときに部誌を書いてたのは半田くんだったかしら、とふと思い出す。半田はカッターの腕をまくってあっという間に部誌を書き、夏未を駐車場まで送ってから彼女と一緒に帰っていった。じゃあまた明日、と、半田と一緒に夏未と面識のないはずの彼女までも手を振ってくれたことがとても嬉しくて、その光景が夏未の中に妙に鮮明に生きている。ぽけっとから軍手を引っ張り出して手にはめる。ささくれの指や欠けた爪を、たとえ半田くんの彼女がしていても。夏未は思う。それでも半田くんはあの子と手を繋ぎたいと思うのかしら。指を曲げると関節の皮膚がきしむように突っ張る。あかぎれになるかもしれない、と思った。
軍手の、薄汚れたタオル地の甲を見ながら、夏未はちいさくため息をつく。わたしの手はもうちっともきれいじゃない。きっと、この細かい傷やささくれや割れて欠けた爪たちが、一番繋ぎたいあのひとの手を傷つけてしまう。肩の辺りに這い寄る冷気にぞくりと身震いをする。木野のことを思った。まっしろい頬ときれいな手指をした木野の美しい横顔。木野は、ときどきあのひとの鍵当番を交代してやっている。どうしても用事があってと拝むようにするあのひとに、当たり前のようににこりと笑って、いいよ、と差し出される鍵を受け取る木野のしろくて華奢できれいな手指。木野の軍手の飾り糸は濃い緑色をしている。その奥に守られた木野の手となら。夏未は息を吸った。あのひとは手を繋ぎたいと思うのかしら。それは、わたしとはできないことかしら。そこまで考えて、夏未は唇を曲げて笑った。やめよう。身も蓋もない。詮もない。せめてそういうみっともない女にはならないようにしようと思っていたのに。木野の隣で、せめて対等のように、立っていられるようにしようと思っ
ていたのに。
扉が開いて、影野がぬっと出てくる。遅くなってごめん。夏未ははっと顔を上げて、首を振る。影野は扉に施錠する夏未を恐らくじっと見て、それいいね、と言った。夏未は軍手を見下ろす。ピンクの飾り糸の、薄汚れた軍手。あのひとが誉めてくれたもの。いいなと言ってくれた、はじめてのもの。なんと返したものか戸惑っていると、ごめん、と影野は静かに言った。おれなんかに誉められても嬉しくないよね。夏未は目をまるくし、慌てて首を振った。違うの。嬉しいの。ただ、びっくりして。びっくり。そう、と夏未は笑う。円堂くんとおんなじこと言うんだもの。影野は一瞬言葉を詰まらせ、それはびっくりだね、とやさしく繰り返した。ふたりで連れ立って行った守衛室には木野が当たり前のように待っていて、影野とふたり、夏未に手を振って帰っていった。世の中はままならない、と夏未は思う。一番手を繋いでいたいひとと、手を繋げることなどないのかもしれない。凍てつく夕焼けが傷つけたものたちに、それでも自分だけは傷ついてなどいないと涙を溢した。










ディスコ・ブラディ・ディスコ
夏未。
千葉葛飾に大雨警報、河川氾濫、土砂災害の恐れ有り。あっつう、と無地のシャツの胸元をばさばさと振って風を送る、沖縄は目が痛いほどの快晴だった。リカは目を細め、うなじをかき上げて汗に光るそこをタオルで拭った。日本て広いな。ふとこぼした独り言に、傍らのベンチにうつ伏せに寝ころがる土門と、その腰の上につくねんと横向きに腰かけている栗松が、まばたきをしながらリカを不思議そうに眺める。なんしてんの。や別に。土門はニヘッと笑って、芯までからからに乾いているに違いない生木のベンチにべたりと頬を押し当てる。ていうかさっきまで背筋してたの見てなかった?うちダーリン以外の男はジャガイモに見えんねん。あそう。おれらジャガイモだってよーと土門は上半身をひねって栗松に言う。リカさんひどいでやんす。あんたらはどっちか言うたらゴボウと栗って感じやけどな。別に食い物に例える遊びとかじゃないから。一緒に炊いたらおいしいんちゃうか。食う気かよ。土門とリカの淡々としたやり取りに栗松がけたけたと笑う。
そんでうちもそこに座ってええねんな。おーい、リカに座られたらおれ喜んじゃう。変態か。リカの言葉に栗松が慌てて立とうとするが、あーかまんかまんと軽く手を振って止める。重くないでやんすか?んー栗ちゃん程度大したことないよん。へらへらと笑う土門に、リカは生え際を指先で軽く拭う。土門は見た目とは裏腹に優しくて面倒見がいい。かつて、リカたちが仲間に加わる前の雷門中で、土門がしたことをひどく遠回しに聞いていないでもない。罪悪感がさせることならばそれはあまりに自然にすぎたし、罪滅ぼしならばもう終わったことだと円堂自身が断じた。要するに土門は雷門中サッカー部が好きなのだ、と思った。生え抜きDFである栗松と壁山はは、くせ者揃いの二年生を丸きり反面教師にしたみたいに素直で優しく、一緒にいて感じるものも多い。キャラバンに参加して日の浅いリカでさえそう思うのだから、土門が彼らをかわいがるのも無理はない、と思った。壁山は砂浜で木暮と綱海となにやら騒いでいる。少し離れた日陰で、影野がそれを眺めていた。
土門がじっとリカを見て、ダーリンはいいのか?と何気ない口調で問いかける。押してダメなら引いちゃれってねー。なもんで今は引きに引いてんねん。極端だなぁ。一之瀬はMF陣を集めてグラウンドに車座になり、なにやら難しげな話をしていた。さすがのリカも割っては入りづらい空気だったので、ベンチで水まきをしていた木野を冷やかして早々に退散したのだった。照り返しを喰らって目を焼かないように各々タオルを頭からかぶったり顔に巻いたりしていて、それが異国の商人のキャラバンみたいに見えた。ミーティングをしていた旨を告げるとあいつら真面目だからねぇ、と土門は他人事のようにそう言った。半身をねじっておれらもミーティングやる?と栗松に問いかける。えーと、土門さんがやるなら、みんな呼んでくるでやんす。んーじゃあいっかー。話し合うこととかないしね。ないんかい。そう言うFWはなんかないのかよ。ないなぁ。て言うかうちら仲よくないからまず集まるとこからして大変っちゅう。豪炎寺が泣いちゃうなぁと土門がおかしそうに言う。
よっし、と土門が気合いを入れると、栗松がその腰からぴょんと飛び下りる。アイスでも食う?おっえーなー、負けへんで。おーし言ったな、じゃ栗ちゃんコンビニ行こうぜ、と土門が言ったか言わないかのうちに、栗松はぱっと後ろを振り向いた。いつの間にミーティングを終えたのか、少し離れた場所から宍戸がしきりに手招きをしていた。あ、すみません。んーいいよー、いっといで。栗松は恐縮したように軽く頭を下げ、宍戸の方に駆けていく。甘えんぼやねぇあの子。さっちゃんはね、ま、しょうがないってか。ふうんとリカはなにやら話しながら遠ざかっていくふたりの後ろ姿を眺めた。ミーティング終わったみたいだけど。同じようにふたりを見ながら土門が言う。行かないの。リカは短い沈黙を挟み、行くよ、と答えた。そう。土門の横顔は鋭い、とリカは思う。なんだかいろんなものをこらえているみたいに見えて怯んだ。受け取れないリカではなかった。そんなにありありと訴えられては。
あんたも甘えん坊やねぇ、と、言おうとしてリカは口をつぐんだ。それより早く、土門の華奢な腕がリカを引き寄せて抱き締めたからだった。日本は広いな、と、考えたのはそんなことだった。だらしなくも情けなくも。あのとき宍戸に呼ばれた栗松は、土門の上につくねんと腰かけていた栗松は、どうしてあんなに怯えたような顔をしたのだろう。リカはまばたきをする。怯ませるのはいつでも、温度の高すぎる愛だった。まるで豪雨の中に取り残されたように。そこに閉じ込められて息もできないように。遠くで降る雨はひたすら孤独を孤独を際立たせる。唇の冷たさなどでは、今さら。









脱走
土門とリカと栗松
一之瀬の吐息が電話越しにまるく膨らむのを聞いて、ああもう終わりなんだ、と予感した。じゃらじゃらぶら下げたストラップたちのうち半分くらいは彼と無理やり共有したもので、突然その重みがぷつんととぎれたみたいな空白が携帯を持つ手の奥の方をちりつかせる。行くよ、と一之瀬は言った。それはつまりもうリカのところには戻らないということで、なんとかしてやさしくもわかりやすい言葉を選ぼうとした一之瀬の、彼には似つかわしくないばか正直な苦悩がにじんでいた。やっぱりおれにはサッカーが必要だ。一之瀬はそう言って、ぐす、と洟をすする。ばかみたいだ。リカはベッドに横になって、涙が鼻の稜線をまっすぐに横切り耳にまで流れていくのをじっと感じていた。納得ずくなのに、どういうわけか涙が止まらない。それは一之瀬も同じことだったらしく、べしゃべしゃに濡れそぼった声でリカぁ、とリカの名前を呼んだ。なんか言ってよ。おれひどいやつみたいじゃん。ひどいやつだ、と思ったけれど、リカはのどにうんと力を込めてわらった。ダーリン、あいしとうで。
必要なのはサッカーなんかじゃ全然なくて、一之瀬が本当に欲しがっているのはあの子だけだ。その夜は泣くまい泣くまいと思いながら布団の中でだらだらと泣き明かし、翌朝のまぶたやほほをまっかに腫らしたリカを見て塔子はあかさらまにぎょっとした。リカ!言うなり塔子に抱きすくめられてまぶたやら鼻やらほほやらにさんざん口づけをされ、もう平気なのになぁとそんなことをリカはうすぼんやり考えていた。もー大丈夫やってと言う前になぜか塔子まで泣き出してしまい、リカは結局塔子に本当のことを言わなかった。リカを抱きしめて離さない塔子の腕はひどくあつく、たった一度だけ、一之瀬がそうしてくれたときの記憶が煮溶かしたように曖昧になる。あのたった一度を、リカは昨日まで宝物のようにしていた。昨日までは。べそべそと泣き続ける塔子の背中を撫でてやりながら、まるで全く違う人間になってしまったみたいなみたいなすかすかの自分を、リカはわけもなく苦しいと思った。
どこがすきだったんやろー。飛行機の中でぽつんとこぼした言葉に、なにがぁ、と塔子は生返事しかよこさない。窓の向こうでは空と海がまっ平らに重なってどこまでもあおい。目が痛くなるのでリカはなんとなく飛行機の規則正しい座席を眺めていて、それがキャラバンの座席を思い起こさせてあまりいい気分ではなかった。少なくとも、嫌われてはいなかった、と思う。でもあのころから確かに、一之瀬のいちばんはずっとあの子だった。あの子だけだった。一之瀬からの電話を切ったあと、すぐに土門から電話がかかってきた。土門は平気な声で適当なことをちゃらちゃらとしゃべり、リカの相づちの文句が尽きるころ、唐突にまじめな声をして、おれとつきあって、と言った。いややわーそういうボケはウチすきちゃうで。いやいやまじで。な。一之瀬がさリカにちゃんと言えたらおれも言おうと思ってたの。フラれ待ちか。うーんまぁそうなるね。土門は乾いた声でわらい、だから泣くなよ、と言った。考えといて、とも。ものすごくやさしい声で。
リカ。窓に貼りついたままの塔子がぽつりと言う。やめときなよ。リカは目を丸くする。なにが。塔子は首をかしげ、わかんないけど、と前置きして、あたしリカのことすきだよ、と言った。あたしが男だったらリカのこと絶対離してやらない。リカはくちびるを曲げる。女相手に殺し文句かいな。さびしいやっちゃな。でもほんとにリカがすきなんだよ。あー嬉しい嬉しい。おおきにな。わかってないなぁと塔子はムッとしたように言う。わかっていた。塔子の言葉は本気だった。あのときの電話越しの土門の言葉も。そして、泣きながら聞いた一之瀬のさよならも。一之瀬のどこがすきだったのか、今ではうまく思い出せない。それでも一之瀬はリカの光だった。なによりまばゆく輝く、かけがえのないものだった。リカ。塔子が振り返る。ねえリカ。塔子の腕が伸びてきてリカの髪の毛に触れた。リカ。わけもなく、どうしようもなく、ただ一之瀬がめちゃくちゃにすきだった。すかすかのリカの中に、その衝動だけが今も息づいている。
リカは腕を伸ばして塔子を抱きしめた。先を越された塔子の腕がリカの背中を強く抱く。幾千の言葉より、たった一度、こうして触れあって、そうでないと届かないものがある。一之瀬が抱きしめてくれたときのことも、今のリカには思い出せない。なのに。それなのに。リカはわらう。確かに一之瀬のことをとても愛していた。あのときは、間違いなく。ヘーキやで。全然ヘーキ。リカはわらう。あなたがいなくて(あの子を選んで)平気だなんて。諦めたふり。かなしくないふり。強いふり。全部でわらう。わかってた。わかってなかったのはわかりたくなかった自分。わかっていたのに。一之瀬にはあの子しかいなくて、だから。塔子が腕に力をこめるので、ねじ切れた心臓でリカはわらう。わたしはあのときからずっと、ずっとずっとずっと、あなたのために、愛するあなたのために、なにもかも投げ捨てて死ねる朝を探していたのに。










ノベンバーワルツ・ベイベー
リカ。
昨日は満月だといって、テレビのコマーシャルではしきりに満月の夜にお酒を飲もうというようなことを言っていた。急に冷え込んだその夜に見上げた月は確かに欠けた部分もなくまるかったが、夜空にはりつくその寒々しいあおさがすっかり冬のそれだった、ことの方に、塔子はなんとなく飲まれてしまっていた。洗い髪の首筋のつめたさが増したような気がして、急いで部屋の中に引っ込む。リカはマイペースにペディキュアと髪の毛を同時にドライヤーで乾かしていた。昨日までくろいペディキュアだったリカの足の爪は、今日はうすいみず色に塗られてトップコートをつややかに光らせている。リカにはあおが似合う。濃いのもうすいのも。あおいものならなんでも、リカにはすんなりとなじんでいく。
タオルで髪の毛をごしごしやりながらリカの隣に座ると、リカは脚を伸ばしたまま上半身だけをねじるようにして塔子の髪の毛に触れた。ドライヤーの熱風に耳がちりつく。あんた髪多いなぁ。そうかぁ?リカの言葉に塔子は首をかしげる。あんまよくわかんないや。あたしこれがフツーだし。髪多いと寝ぐせだらけなるで。リカの言葉におおっと塔子は納得する。そういえば前までは館野や加賀美に毎朝のように髪の毛を直されていた。そうかも!せやろー。やから手入れはちゃんとせなあかんねんて。リカの指が塔子の湿った髪をかき混ぜる。リカが来てからは、塔子の寝ぐせはリカが直してくれるようになった。おまけに寝る前にちゃんと整えてくれるので、しばらく塔子は館野たちの世話になっていない。リカが持ってきた、自然素材のちょっとお高いトリートメントを使わせてもらっているのも、それに一役買っているかもしれない。あんまりたくさん使うとリカは怒るけれど。
リカといるとおもしろいな、と塔子は思う。今まで知らなかったいろんなことが当たり前になっていく、その感覚がおもしろい。リカがしてきた当たり前の生活に、塔子がぴたりぴたりとはまっていくような、決して不快ではないむずがゆさ。逆に塔子の当たり前にリカが変わっていくこともある。脱いだ靴をきちんと揃えたり、廊下をあるくときは少しだけ静かな足運びをしたり。東京の塔子の家にリカが住みはじめてずいぶん経つが、あけすけな下町気質のリカをこの家に出入りする誰もが気に入ってくれていることに、塔子は誇らしささえ感じていた。リカといると楽しくて、嬉しい。円堂たちとはまた違う、素直で穏やかな自分でいられる。だけど、もうあの頃のような熱い気持ちで一緒にサッカーをすることはないのかもしれない、という、一抹の寂しさはいつもそこに貼りついていた。塔子とリカをいちばん最初に繋いでくれたもの。きれいに磨かれたサッカーボールは、今でもどちらの部屋にも当たり前に置かれている。
今日ね、満月だった。あー、さっきそれで外出てたん?うん。きれいだったよー。リカも見てきなよ。そんなんいつでも見られるやん。寒いから外出たないわ。リカはさーそうやってすぐにさー寒いとか言っちゃってさ。なにを拗ねてんねんな。リカがぺたんと塔子のうしろあたまにてのひらを当てる。あおくてきれいだった。ふうん。リカみたい。うちあんな顔まん丸ちゃうわ。食欲の秋だもんね。やかましいわ。(塔子の家に来てからリカは二キロも太ったと嘆いていた。)終わり、と熱風が途切れる。すっかり暖まった首筋を撫で、髪の毛を揺らしてありがとっと塔子はリカに向き直る。今日一緒に寝てもいい?ええよーとおざなりに答えながら、リカはドライヤーのコードを巻き直している。塔子は唐突に腕を広げ、リカの上半身を思いきり抱きしめた。リカの髪の毛は塔子と同じ匂いがする。幸福な匂い。そのままの勢いでもつれるように床に倒れ、ふたりで声をあげてわらう。
塔子が枕を取って戻ってくると、リカはベランダに立って月を見ていた。華奢な背中にながい髪を流し、それを月光に光らせて、リカはじっと月を眺めている。固い顔をして。塔子は言葉をなくして佇む。当たり前を分け合い、同じ匂いの髪をして、枕を並べて眠るのに、最後の最後に、リカはそっと言葉を隠してしまう。誰にも見つからないように、慎重に。リカ?おそるおそる呼びかけると、リカは振り向き、満月見てるとおなか減るなぁとあかるくわらった。塔子はぎこちなくほほえみ、もう寝よう、と部屋の中からリカの腕を引く。ベッドの中で絡めた足はつめたく、まるでさっきのリカのペディキュアがつめたい星々になってしまったようだと思った。サッカーがもうできなくなるなら、今のふたりを繋ぐものはなんなのだろう。やわらかで当たり障りのない言葉では、それは、到底言い表せられない。リカにはあおが似合うけれど、そんな寒くて寂しいところに、どうして行かせてしまったのだろう、と思った。冬の始まりのあおい満月の下では、リカは。
今日は一之瀬の手術の日だった。









カムチャツカ流星群のあとに
塔子とリカ。
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無印雷門4番と一年生がすき。マイナー愛。

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