ヒヨル おんなのこのはなし 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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嘘をつくには三秒あればできるんだと言って、だから四秒後の自分がどんなにかかわいそうでも大丈夫なのだ。あなたのいちばん下の肋骨みたいになりたいよ。そう言ったら食べかけのコロネロールを投げつけられた。チョコクリームがほほをなする。すこしわらってわたし今のままでも全然へいきだよと言った。それももちろん嘘だった。せめてしっかり嘘をつける人間になろう。ちゃんとした嘘つきになろう。そう思いながらするセックスは正義をまとった高級な自傷であった。なめらかな舌で始まる聖餐の、最後にはいつもわけもなくかなしくなって、だらだらと体液をこぼしながら気を失うみたいに無理やりもぎ取っていくのだが、次に目を開けるときにはいつだって彼女はメイデンだった。そんなものものは彼女を通りすぎてゆくだけの影ぼうしとおなじだった。においのない真冬の木枯らしのように、すぎてしまえばなにも感じない。ちりつく肌の痛みなどは、忘れてしまえばなかったことだ。
コロネロールを投げつけてきたのはふたつ上の先輩で、彼は乱暴なひとだった。手首をつかむ動作ひとつにしても、つつましくくびれたそこから先をもぎ取らんばかりに力をこめる。放課後はセックスばかりした。休みの日にはけんかをして、次の日にはそれを忘れたみたいなふりをしてまた抱き合う。桜の季節に卒業と一緒に彼に目の前でアドレスを消され、おれ以外のやつともやってたくせにと、そんなことを泣きそうな顔でなじられた。あなただって。それを言わなかったのは、あのときには、自分がなんにも感じてなかったからだと思っていた。あなただって他のひとのことがすきだったくせに。ほんとにすきなひとの前では、いつもわらってたくせに。それを言わなかったから彼は泣きそうな顔で泣きそうな声で木野をなじって、おまえなんかサイテーだ、と言い捨てて卒業していった。もう名前も思い出さないひとだ。
おにぎりをむすんでいるときにこんなことを思い出すと、ひとつだけやけに鋭角でかたくて塩からいやつができてしまう。いつもつまみ食いしに来る半田はまたー?とおもしろそうにわらって、おーい壁山ーまたおまえ専用あるぞー、と声をあげる。誰も進んで食べようとしないそのおにぎりは自然と大食漢の壁山の割り当てになって、壁山は他のおにぎりを食べるときとおなじようにおいしいおいしいとそれを食べた。残していいよと言う木野ににこりとわらって、そんなもったいないことできないっす、と。円堂はなんだか不服げだったけれど、それを口に出すことはなかった。特別扱いとは真逆だったし、早々に気づいてしかるべきだったろう。円堂にはいつもいちばんきれいな形でいちばんふっくらとむすべたものが渡るようにしてある。円堂のいちばん下の肋骨になりたいかどうかは、今必死で考えているところだ。あのひとより円堂はずっとやさしい。
壁山のするやさしさはいつもどうしようもない痛みを伴う。木野が右にゆけば右に、左にゆけば左に、視線を向けては木野のためになることを探している。いつも。壁山は言えばなんでもしてくれるし、言わなければなにもしない。背すじを伸ばして黙りこくる犬のように、次の言葉を待っている。壁山のことすきなの。円堂はなんどもそう訊いたが、木野はそれとおなじ数だけ否定を繰り返した。円堂を傷つけたくはなかった。たとえ円堂のいちばん下の肋骨になる決心がなかなかつかなくても。だけど壁山と寝てみたいとは思っていた。いざそれに対面したら壁山はどんなことを言うのだろう。いつもみたいにやさしい目をして待つのでも、なんだかもっとぐしゃぐしゃに、するのでもいい。それ以外の壁山が見たかった。木野がなにか言わないと呼吸もできないような、それ以外の。壁山のいちばん下の肋骨。なりたくないわけではない。なれるものなら。
だから部活の後片付けを手伝う壁山にそっとからだをすり寄せたのは、偶然でも衝動でもない。確かめたかった。壁山がどうするのかを。壁山は驚き、うろたえ(ここまでは木野の想像どおりだった)、そして(驚くべきことに)かなしい顔をした。とても。やめてください。壁山はぶたれた犬のようにしょぼくれた失望の目をして、それからわらった。そっと、やさしく。木野は目をまるくする。どうしてわらうの。思わず口をついたその問いに、壁山は答えずに、そんなことしなくても、とちいさく続けた。やめて。思いもよらない言葉に驚愕し、木野は壁山から飛びのく。その拍子にぐらりとからだをかしがせた。木野の腕をつかんで彼女を支えた壁山の手を、木野は猛然と振り払う。さわらないで。壁山は泣きわらいみたいな顔をして、ごめんなさい、と木野の腕を離した。心臓がどくどくと高鳴る。木野はみじかい息をして、帰って、と言った。もう帰って。壁山はぺこりとあたまを下げ、荷物を持って黙って部室をあとにする。そっと扉が閉じたあと、木野の胸をかきむしったのはかなしみだった。とめどないかなしみだった。
わめき立てる心臓が伝えてくる感情に、わななく指を握りしめる。それが嘔吐感にも似た不愉快なものでしかなかったことがかなしかった。それが、嫌悪、でしかなかったことが。壁山はいってしまった。木野は思わず声をあげそうになる。よわい自分がじたばたともがく。もうかまわないで。けれど。いかないで。聞いたことはなかったけれど、壁山のすきなひとが自分であることを、木野は誰に聞かなくてもわかっていた。痛いくらいに。嘘なら三秒でわらえた。四秒目にはいとおしいひとを探す。それなのにそれなのにそれなのに。嘘にならない言葉はぐずぐずに融けて流れて消えた。いろんなひとが手も触れずに通りすぎた、木野の深いふかい場所にしみこんだ。いつの間にかいろんなことが怖くなっていた。あんなかなしい顔なんて見たくなかった。壁山のいちばん下の肋骨になりたかった。彼の名を知るまで、そこは確かに空白であったのだ。








彼の名を知るまで
木野と壁山。
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高校に入ったときから三ヶ月の自由が認められていた。それは姉が高校生だったとき、財布と携帯だけ持って家出をしていた期間だった。だから高校生になるのと同時に、木野にも姉とおなじだけの時間の猶予が与えられた。どこへ行ってもなにをしてもかまわない。試されているのはなまなかな自主性や野心ではなく、自堕落な自由(というあおい暴挙)の果てに自分を律することができるかどうか、だ。姉がいなくなっても両親は慌てず騒がず、逆に姉の口座に金を入れてやる始末だったが、それでも姉はちゃんと戻ってきた。際限のない自由に疲れ果て、それでもまだ燠のようにくすぶりながら。木野はそのころから高校生になれるのをずっと待っていた。いざ起こって、そして過ぎてしまえば許されるなら、やってみたいことはたくさんあった。
リカがひとりで住んでいるアパートはまんがに出てきそうなほどベタに時代がかって、繁華街からはずれた住宅街に埋もれてよけいに古ぼけて見えた。錆びだらけの金属の階段、切れかけた通路の蛍光灯に束になったくもの巣、日当たりのわるい角の六畳一間。そこがリカの家だ。リカの家に転がりこむということを考えていたのは木野だけではなかったらしく、きっちりと荷造りをして身支度も整え、堂々とリカの家の時代遅れのブザーを鳴らしたとき、ドアをほそく開けてこちらを伺ったのは塔子だった。あき?驚いて声も出なかった木野とは対照的に、塔子はすぐにドアチェーンをはずしておおきく扉を開いた。急にどうしたんだ。ぎゅうぎゅうと木野をひとしきり抱擁して、塔子はあっけらかんとした顔で問いかける。ええと。あ、リカは今学校。で今日はバイトあるからちょっと遅いんじゃないかな。とりあえず入れば、と塔子がにこにこして言うので、呆気にとられる準備をしてきた木野のほうが呆気にとられたまま、ふらりと家に上がりこんだ。
帰ってきたリカは以前にも増して背が伸びて、マスカラを濃くつけた目をまるくして木野を見た。なんなんあきまで。家出とかはやってんの?どういうこと?こいつや、と知らん顔をしている塔子のうしろあたまをはたいて、リカはすとんとしたカットワンピをたくしあげてあぐらをかいた。塔子も家出?あたしはリカに会いたかっただけ。そのまま一ヶ月も居すわるあほがおるか。塔子はその言葉を無視して、リカが買ってきた王将の餃子をぱくついている。あきもいる?いいの?ええよ。おなかすいたやろ。言いながらリカはその場でワンピースを脱ぎ捨てて下着姿になると、風呂、とのそのそ風呂場に消えた。いてもいいってさ。そうなの?塔子は口をもごもごさせながらうなづく。リカね、いちゃだめなひとにはごはんあげないの。あきー。風呂の扉越しにリカの声がする。寝るとこ狭いけどヘーキ?平気!木野はあかるく答え、差し出された餃子にはしをつけた。
六畳一間のリカの家はパイプベッドとテレビと机とアクセサリラックと他いろいろなものでごしゃごしゃしていたが、いちばん場所を取っているのがふたりが寝る蒲団だ。リカは朝はやくから起きてこまこまと弁当を作り、ふたりを寝かせたままさらりと家を出て遅くまで帰ってこない。二日目からは木野が弁当と食事を作るようにしたらリカはそれはそれは喜んだので、なんだか木野もうれしくなって家事の一切を引き受けた。塔子にはこわくてなにも任せられないというので、塔子は日がないちにち家の外の公共スペースの草をむしったり庭木の剪定をしたり図書館で本を読んだりしているという。あたしたち学校行ってないからさ、あんまり外うろうろしちゃだめって。洗濯が終わるのを並んですわって待ちながら、塔子がつまらなそうに言う。塔子はなんで家出してきたの。木野の言葉に塔子はくちびるをとがらせ、秘密、と言った。あきは?わたしは、と木野はちょっとわらう。そういう時期だったから。塔子は腑に落ちない顔をする。
思い出す?木野の答えには触れず、塔子はひとりごとみたいに訊ねた。木野は首を横に振る。そっか。安心した。くしゃっとわらう塔子がいとおしくて、木野は不意にその肩を引き寄せて塔子の日焼けしたまぶたにくちびるを押し当てた。塔子は夏の木陰のような、健康的なすがすがしい香りをしている。あのころみたいに。塔子もまた、木野のしろい額にくちびるを寄せる。ふふ、とどちらからともなくほほえんで、塔子は組んだ両手を前に伸ばした。リカ、はやく帰ってくればいいのに。そうね。外いく?ううん、いかない。塔子はジーンズのひざを抱え、つまらなそうにため息をついた。洗濯、はやく終わらないかな。
その言葉尻に重なるように、塔子の携帯がみじかく鳴った。リカー!嬉しそうに携帯を開き、塔子はゆっくりとメールを読みはじめる。木野はその横顔をちらっと見て、そのとたん唐突に去来したさびしさに心臓がおののくのを感じた。のどがすぼまり、鼻があつくなる。塔子。ん?塔子は携帯から顔も上げない。木野はくちびるをゆっくりとわらわせる。励ますように。あのひとが耐えられなかったに違いないものが、からだじゅうに染み渡るように。わたしたち、もう死んでたらどうする?塔子は木野を見る。じっと。それでもいいさ。平然としたその言葉に、こぼれたものを今では思い出したくもない。
自由という名の愚か者よ。ゆけど帰らぬ黄昏の谷。








タソガレ・ガール
木野。
ふうわりと立てられた生クリームとシフォンケーキと紅茶を前にいたたまれなくなるのは週末だから、だと思う。向かい側では土門があさっての方向を眺めながら、たべないの?とさりげなく水を向けてくる。あ、うん。カップに添えられたティースプンはよく磨かれ、とろっとしたウィスキー色をしていた。そのなだらかにまるい背面に、途方にくれた自分の顔がさかしまに映っている。週末は息苦しい。ばらばらの日だ。金曜日には昼にカレーが出て、そこからの時間は自由に使わせてもらえることになっている。みんな服を着替えていろんな場所に遊びに行ってしまい、キャラバンに残るのはいつもなんとなく決まったメンバーだった。ばらばらの週末。土門の前に置かれたアイスコーヒーのタンブラーがびしょびしょに汗をかいている。そんな顔するなよ、と唐突に土門の指がまぶたをなぜた。その指先が高熱の病人みたいで、塔子はあわててまばたきをし、手にしたウィスキー色のスプンで紅茶をゆっくりと混ぜる。土門の視線の先には一之瀬とリカがいた。ばらばらの週末を一緒に過ごす、小鳥のようなむつまじいシルエット。
リカは宿泊施設の夜にはいつも芋けんぴをたべながらテレビを観ている。固いものをよく噛んでたべることは顔のシェイプアップにもなるし歯並びもきれいになる、とまじめな顔で言っていた。リカがいつも履いている五本指ソックスは指先がそれぞれ違う色をしていて、足の甲はしましま模様。べたっとした原色が、一之瀬がたまにわけてくれるからだにわるそうなネオン色のキャンディに似ている。リカは一之瀬に恋をしていて、それなのにそんな素振りを(、特に女子部屋にみんなで集まってお菓子をつまんでいるようなときには)全く見せず、かえってそれが悠揚と自信にあふれて見えるのが不思議だった。いつも。塔子は恋を知らない。恋とはなんだと問いかけをすると、誰もが口を揃えて苦しいだのつらいだの切ないだのと言う。幸福な顔をして。だけど一度だけリカに恋とはなにかを訊ねたとき、リカはあからさまな侮蔑の顔をしてそんなもん自分で経験してから考えろと塔子を手厳しく突っぱねた。いっそ忌々しいものみたいに。それ以来塔子は恋について考えることをしていない。恋という甘ったるい言葉のあとに続くものが、あのときのリカの顔になってしまったからだ。
一之瀬はたぶんリカのことをそんなにすきじゃないんじゃないか、というのが塔子の目下考えていることで、なぜかというと一之瀬はリカより木野のほうにずうっと強い気持ちを持っているように見えるからだ。リカが来てからもずっと。リカかわいそう。ほとんど真上から日が差すグラウンドのはしっこでぽつりとつぶやくと、どうして?と隣におなじように立っている土門がおもしろそうに問いかける。だって。ちょっとうつむいた塔子のあたまを痩せた腕でひょいと抱き寄せ、まぁひとそれぞれだよ、と土門は言った。土門は?腕を振りほどいて塔子は顔をあげる。土門はかわいそうじゃない?おれ?土門は驚いたような顔をして、別に、とちょっとふてくされたみたいな目をした。土門だって。言いかけた塔子の言葉をさえぎって土門は塔子を音が出るほど唐突に抱きしめる。いいの。よそはよそ、うちはうちなんだから。塔子は土門の腕の中、眇でさっきの視界のはしの光景を思い出した。リカは円堂のベンチの隣にすわった。円堂が誘って。みんなずるい、と思った。ほんとのことなんかひとつも叶わないのに。それでも平気な顔ばかりしている。ほんとは泣きたくて仕方ないくせに。叶わないことに泣きたくて仕方ない、幼稚なだだっ子の自分みたいに。
一之瀬とリカは小鳥みたいにむつまじく、顔を寄せてくすくすほほえみあったり、お互いの頼んだケーキをつつきあったりしている。しあわせな顔だ。塔子はたちまち泣きたくなる。もう帰ろう。塔子と向かい合った離れた席からじっとふたりを、こわいくらいまじめな目をして見つめていた土門は、その言葉に静かにまばたきをした。うん。帰ろうか。そう言って土門はそっと塔子の手を握った。つめたいてのひらをしていた。塔子。土門の言葉は雪みたいだ。しとしととしろく積もっていく。塔子はなにがかなしいの。帰り道に土門は塔子にキスをした。びっくりしたけれど、別に驚くようなことでも特別なことでもないなと思った。そう思えてしまったことがやるせなかった。土門、ずるい。その言葉に土門はほほえみ、塔子の華奢な指に自分の痩せた指を絡める。まだかなしい?わからない。素直に首を振る塔子を、土門はまぶしいような目をして見つめた。土門がやさしい顔をすると、土門がかなしい顔やつらい顔をするよりずっと、塔子はせつなくなる。
おれ、一之瀬がうらやましい。塔子はぽかんと土門の横顔を見上げる。唐突な言葉。どうして、と、聞こうとして、やめた。よそはよそ、うちはうち。土門はちゃんと、ひとりでできるのだ。塔子もほんとはひとりでしなければいけないのに、円堂や土門やリカや木野がやさしくて、だからどこにも行かれない。いつもいつもいつもいつも、いつも、そこには、叶わないしあわせが輝いている。塔子、すきなやついるの。土門の言葉は雪みたいだ。つめたくて、どこにも届いてこない。リカがかわいそうだと思った。土門もかわいそうだった。みんなみんなかわいそうだった。泣きたくても泣けないくらいに。








或る少女の肖像
塔子。
洗面所の前を所在なく通りかかったら、中からすごい勢いで塔子が飛び出してきた。追突。あいたたた、などと言いながらそっくり床に転げ、しかし塔子はぱっと小動物さながらの機敏な動きで立ち上がり、まだぶつけた箇所を押さえている夏未にごめんよ夏未!とだけ言って逃げていってしまった。床の上にぺたんとしりもちをついたまま、夏未は風のように駆け去る塔子の背中をぽかんと見送る。さすがにおなじ女とはいえ、選手は丈夫だ。よろよろと立ち上がって服を払い、なにげなく洗面所を覗くと鏡の前でリカが腕組みをしていた。眉間にたてじわが寄っている。夏未の視線に気づいたのか、リカは顔を上げ、なんやお嬢かいな、と言った。不機嫌面のまま。なにをしてるの。夏未は眉をひそめて訊ねる。てか塔子見んかった?見たわ。さっきぶつかって。あーとリカは(たぶん無意味に)声を伸ばし、平気?と重ねて問いかけた。今さらだと夏未は思ったけれど、平気よ、とことさらなんでもない顔をする。ふうん、と吐息のような返事をするリカの手にはブラシが握られていた。
リカは生え際のあたりをぽりぽりと掻き、あきれたように目をつぶる。けんかでもしたの?別にしてへんけど、とリカがびっくりしたように夏未を見る。そんなふうに見えた?あ、ええ、すこし。そっかー。夏未はちょっとからだをかしげてリカの様子を見る。あまりちゃんとはなしたことはないが、こう見るとせいがたかい。お嬢今ひま?えっ?急に問いかけられ夏未はまばたきをする。リカは壁に作りつけられた鏡台から雑誌を取り上げる。つややかな表紙にヘアアレンジ特集と書かれた、夏未なんかはおおよそめくったこともないような雑誌。これ塔子にやったろーおもて。リカはにっとわらって言う。秋も春奈もあんまり髪ながくないからな。そういえば、と夏未は思い出していた。最近なんだか木野さんも音無さんもかわいい髪型をしていた。編んだり、止めたり、まとめたり。宝石がきらきらするみたいな整髪料の香り。あれ、あなたがしてたの。うん。だったら彼女が逃げたのも仕方ないかな、と夏未は思う。あのふたりの髪型を、かわいい、とは言うものの、決まって動きにくそう邪魔くさそうと悪意なく言い放つ、塔子の素直に流した長髪。
ほんでひまなん?と再度問いかけられ、夏未はなんだかどぎまぎしながら、ひまだけど、と答えた。リカはにっこりとわらってじゃあここすわり、と丸椅子を指さす。塔子逃げてもたし、お嬢にしたろ。夏未はちょっと迷って、結局言われるがまま丸椅子に腰かける。鏡には緊張した夏未と、雑誌をぱらぱらめくるリカ。どれがいい、なんて聞かれても夏未にはよくわからなかったのでおまかせするわ、とだけ言った。髪の毛をいじってくれるらしい。そういえば今まで一度もなかった。ブラシが髪をすべっていく。これパーマ?くせ毛なの。まっすぐにならなくて。わかるわー、と鏡の中のリカがうなづいた。リカは毎朝誰よりもはやく起きて、髪に熱心にヘアアイロンをかけている。つやつやでぴかぴかのリカの髪。
リカの手つきはよどみなく、華奢でしなやかな指先がつめたい。さすがちゃんと手入れしてんなぁ。当然でしょ、わたしを誰だと思ってるの。夏未がちょっと嬉しくなってそう言うと、ぺたんと後頭部がかるくはたかれた。なに?あ、ツッコミ待ちやなくて?なにも待ってないわ。急になんなの。リカはつまらなそうな顔をして夏未の髪をブラシで撫でていく。やっぱ女はロングヘアやな。あなたもながいものね、と肩越しに振り向こうとする夏未のあたまをリカの手が押さえる。ダーリンもロングヘアがすきやったらええのになー。なんでもないようにつぶやくリカの顔は飄々そのもの。一之瀬は木野がすきだ。リカが一之瀬を慕うのとおなじくらい。それはもう、仕方のないことだった。髪のながさなんて関係ないわと言ってやろうとしたけれど、夏未はその前に口をつぐんだ。円堂の視線の先。やわらかにわらう木野。仕方のないことなのだ。さらさらと耳の近くで髪が流れる。だってあなた、そんなことかなしがったりしないじゃない。
一之瀬くんに恋してるのね。夏未の言葉にリカは一瞬面食らったような顔をした。なぁん、お嬢。鏡の中からリカがひゅっといなくなり、あれっと思った次の瞬間には、右ほほにあたたかなひふがはりついている。鏡にはほほを寄せ合うふたりの少女が映っていた。ひとりはニヤニヤわらって、そしてもうひとりは、まっかにこわばった顔。お嬢、ウチとそういうはなししたかったん?夏未の肩を自然に抱くリカは、鏡越しに視線を合わせてにっとわらう。むせかえるほどのリカのにおいに包まれて、夏未は息ができない。いいにおい。くらくらする。したいわ。夏未はうなづいた。そういうはなしだけじゃなくて、もっといろんなこと。聞かせてほしいわ。あなたのこと。リカは一度力をこめて夏未をぎゅっと抱くと(夏未はあのほそい腕のどこにこんな力があるのかと驚愕する)、いいよ、と立ち上がった。もっといろいろはなしましょーか。夏未はにっこりとほほえむ。びっくりするほど満たされた心の中で、リカの言葉が幸福に波打っていた。
リカの指が髪をすべる。やっぱりあんたはこのままがいっちゃんきれいやね、なんて言うリカがきれいで驚いた。まつ毛に光が灯っているみたいにぽやぽやする。もっと言ってほしい。もっと聞きたい。リカの声で、リカの言葉で、うつくしいものを、いとおしい名前を、何度だって何度だって、聞かせてほしい。何度だって何度だって、わたしがそのたびに、思い出すように。わたしがそのたびに、光を見つけられるように。






ハリティー・ラヴァ
夏未とリカ。
始まりはとても些細なことだった。いつものようにスポーツドリンクのボトルを片づけるために部室に入った木野が、不思議そうに首をかしげながらすぐに出てきて音無を呼んだ。これ、どこにしまうんだっけ?いつもの場所ですよーと音無は気楽に答え、しかしその言葉を聞いた木野は怪訝な顔をした。いつもの?音無は抱えていた砂まみれのコーンを地面に下ろし、木野に寄っていく。いつものですよう。ほら、奥のロッカーの中。木野は目を伏せた。先輩?音無は木野をのぞきこみ、じゃああたしが片づけちゃいますね、と明るくボトルのかごを受け取る。木野はほっとしたような顔をして、お願い、とほほえんだ。代わりにコーンを持ち上げ、そして困ったように辺りを見回し、またそれを地面に置く。どした?半田の言葉に木野はなんともいえない表情を浮かべ、これどこに置くんだっけ、と訊ねた。まじめな声で。始まりはとても些細なことだった。木野は部活の道具をしまう場所を忘れてしまっていた。
木野は円堂がいつも決まって飲むウィダーの味も忘れていた。それは木野が道具をしまう場所を忘れていた翌日、練習試合のアップ中に円堂の指摘で判明した。いつもの売り切れてた。円堂の言葉に木野は首をかしげる。いつもの?味違うけど。木野はすまなそうな顔をした。そう、ごめんね。なんか変だぞ。熱あるのか?結局円堂の指示でベンチには夏未が入り、木野はぽつんと荷物置き場に残された。気にすんなよ。前日の練習で足首をひねったため、おなじくベンチからあぶれた土門が木野にやさしく声をかける。ど忘れなんてよくあるって。木野はぼんやりとひざを抱え、うん、と曖昧な返事をした。あ、湿布変えたいんだけど、まだ残ってる?アイシングでもいいけど。土門の言葉に木野はぱっと顔を上げ、とまどうように視線を動かした。ええと。クーラーボックスに片手を置き、木野は逆の手でこめかみにふれる。ちょっと待ってね、ちょっと。あき。土門が目をまるくして問いかける。もしかしてそれも忘れちゃったの?その言葉に木野は土門を見た。呆然とした顔で、怯えたように。
とてもまれなことだと医者は言った。木野の記憶は、一日に必ずみっつずつ、失われていくという。原因はわかりません。ボブカットの小柄な女医が苦い顔をする。治療法もそうですが、問題は、記憶がどのような順番で失われていくか、全く予想ができないということです。ぽかんとした木野の後ろで、円堂と土門、響木は顔をこわばらせる。思ってもみないけがをした、当たり屋の被害者みたいに。医者はひどく言いづらそうに言葉を続ける。忘れてしまったことさえも忘れてしまうと、どうしようもありません。この病気は、対処法がまだ。そこまで聞くと円堂は木野の腕を引いて診察室を飛び出した。響木は今度はあの子の両親を連れてきますとあたまを下げる。土門がそっと廊下に出ると、そこで円堂は木野を抱きしめて立ち尽くしていた。一日に必ずみっつ。土門は記憶の指を折る。昨日。ボトルを片づける場所、コーンを片づける場所、救急バッグを片づける場所。今日。円堂のウィダーの種類。湿布をしまった場所。アイシングの方法。みっつ。一日に、必ず、みっつ。こころの中に巨大な氷が沈んだような衝撃だった。
結局それはサッカー部員だけに伝えられた。憔悴した円堂の口から。土門とおなじように円堂も氷みたいなつめたい現実を無理やり抱かされ、そのために溢れ返ってしまったものをひとりのものにはしておきたくなかったのだろう。珍しく焦った様子の円堂はおまえまだサッカー部にいるよなと木野を抱きしめながらひくくおめいた。夕焼けのオレンジが反射するあの廊下。ぴったり重なって伸びる影の、その濃いいろ。たちまち木野は部員に囲まれ、自分のことは覚えているか忘れないでほしいサッカー部にいてほしいと口々に訴えるせつない少年たちを、おなじくらいせつなくほほえんで見ていた。どうしようもないことと、あるいはもう、諦めていたのかもしれない。まるで山に棲み木を伐る杣のように、彼に伐られてゆく木々のように、木野の記憶は少しずつ消えていく。
あれからひとつき。木野はいろんなことを忘れ、また覚え、土門は毎日木野の送り迎えをすることにした。家も近いし、もしなにかが、木野が信号の渡り方や川や車が危ないということを忘れてしまうような事態が、起きてしまったとき。それに耐えられるように。すぐにそれを補ってあげられるように。切り株がぞろりと並ぶ木野の中の眠りの森。木野は毎日、必ずみっつ、なにかを手放してゆく。失ってゆく。そして土門は気づいてしまった。あの日。あの発症の日。あれは一之瀬を失った日だった。ふたりの前から一之瀬がいなくなった日。それは空から小鳥がいなくなった日だった。海から魚がいなくなった日だった。輝くものが死に絶えた日だった。あてどない絶望に突き飛ばされた、ああ、あの日もまた始まりだったのだ。終わりのない殉教を、そして木野は始めてしまった。たったひとり、ひとりぼっちで。木野は今どんな世界に棲んでいる。どんな顔をして。
おはよう、あき。木野は振り向いて、にこりとわらう。おはよう、土門くん。そして土門の傍らをちらりと見て、一之瀬くんは?と訊ねた。昨日とおなじことを、昨日とおなじ顔をして。今日の木野からはまたなにかが失われている。どうして一之瀬のことを忘れられないのか、土門はどうしても聞けない。一之瀬がいなくなってしまったことさえ、木野はもう忘れてしまったのだろうか。きよらかに立ち続ける一之瀬の存在。その永遠。かつてあの海の彼方に置いてきたはずのものが、今もなお輝きながら木野の中に根を張っている。うらやましかった。どうしようもなく。どうすることもできないくらい、それは甘美で、静かで、ひそやかで、そして、かなしかった。たとえあのオレンジの廊下で木野を抱きしめた円堂を忘れる日が来ても、土門を忘れる日が来ても、木野は一之瀬のことだけはきっと忘れない。木野はそのために木を伐ってゆく。ただ一之瀬だけを想い、一之瀬だけに占められた、木野は。それは、小鳥しかいない空。魚しかいない海。輝くものだけを見つめる、ひとりぼっちの殉教者。記憶を伐る杣は木野自身だ。
土門はそっと木野の手を取った。なあに、と木野がほほえむ。あき。不意に喉がつかえ、土門の声はかなしくよじれた。いくつ記憶をなくしても、その犠牲の日々に終わりが見えなくても、それでも木野はわらうのだ。昨日みたいに。一昨日みたいに。ずっと昔みたいに。一之瀬がいたころみたいに。おれはあきがすきだよ。ずっとすきだよ。だから。だから?土門はわらう。なんでもない。はやく行こうか。うんとうなづく木野の指は、土門のてのひらからすべり落ちた。一之瀬が忘れられなくていい。木野がどんな世界にいてもかまわない。だから、どうか。どうか光まで、失わないで。
一之瀬がうらやましかった。本当だ。







杣いろ少女
土門と木野。
リクエストありがとうございました!トンデモな感じになってしまってすみません。木野さんすきっておっしゃっていただけてとっても嬉しかったです!
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無印雷門4番と一年生がすき。マイナー愛。

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