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女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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人間が脱皮を手伝った爬虫類は、かなりの高確率で不具あるいはそれに準ずる障害を負う、という内容の文章を嘘か本当か定かではない壺の場所で目にしてから、爬虫類は彼にとってとても親しいものになった。自然に任せるのが一番正しいのだとは、しかし水溜まり程度に浅い人生しか持っていない彼には根拠も論拠もあまりに希薄で、対象が限定されてしまう事象に比較を施すときには八割の人間が賛成するであろう明白な正解を以て当たれと、いう嘘っぱちな金言にだらしなく流され(たわけではなかったが同じことだ)、結局は誰がなんと言おうとそれが正しいのだろうとふてくされたように思った。中には例外の個体もいるかもしれないのに。手を貸してもらえることを望んでいるかもしれないのに。要するにどうしようもないことはどうしようもないまま放っておく以外に方法はないということだろう。なにも知らないことが幸せだと言う人はたくさんいるけれど、彼にとってなにも知らないことは害悪以外の何物でもなかった。
スコラ哲学が席巻した中性ヨーロッパの自然観を一蹴したのは、ジャン=ジャック・ルソーの「自然に還れ」という一言だった。もちろん影野はそんなことを考えていたわけではなかったが、自然という概念はなにを指すのか、と目金に問いかけたときに返ってきた言葉がルソーだったので、今でもそれを覚えている。ルソーが自然という言葉で表現したかったのは人間個々人の自立ですよ。目金はいつもの有無を言わせない口調で続けた。ルソーは人間を自由意思を持つ存在と定義するところから始めました。各個人が意思により自立し、それを契約という共通認識、ああこれは自己の欲求を満たすための手段なんですけれど、そのために人間が互いに協力しあうものが社会であるべきだと。影野くんは社会契約論は読みましたか?と訊かれて首を振った。いずれ読まなければ、と思う。知らないことは害悪だ。目金の話題はその後二転三転しながら延々と続き、しかし影野はそのほとんどを聞き流していた。
人間は自然に戻らなければならないという。自然とは自由意思を指す。不具を恐れないものも中にはいるかもしれない。それが彼の自由意思ならば。側頭部にぶつかったボールは、はちはちに詰められた空気の感触を脳にダイレクトに伝えた。ボサッとしてんなよ。円堂が敵意も露に影野を睨む。悪い。影野は形だけ詫びると、ボールのぶつかったところを軽く手で払った。向こうで松野がニヤニヤしている。痛くも痒くもない、というのはまさにこういう心情なのだろうと、影野はボールを拾い上げて投げ返す。自由意思の果てに契約をもって繋がろうとする人間同士の営みを社会とする。その動機が例えば、ただひとりの欲求から走り出したものだとしても、どんな望みが契約を選ばせたとしても、そこに集ってしまえば個は埋没する。そういうことだろうか。髪の毛の奥でまばたきをする。八割の人間が諸手を挙げ、ルールに均されて、あとはマジョリティが塗りつぶす柔突起の群れを、虚しい、と思うことは間違っているのだろうか。
夕焼けの河川敷ではよく豪炎寺がひとりでボールを蹴っている。孤独なやつだ、と影野は思う。端から見た円堂は、豪炎寺のことをあからさまに疎んじているばかりでなく、まともに関わろうとすらしない。影野を疎んじるのと同じくらいに。円堂は他人に対してはいつでも極めて残酷になれる。自由意思のもとに。一方でそれは豪炎寺がサッカー部に未だに馴染めていないことに起因しているのかもしれない、とも思った。豪炎寺がサッカー部に溶け込むきっかけを、たとえ円堂がことごとく潰していたとしても。豪炎寺が高く飛び上がる。夕陽に負けない炎の色。孤独には勝てない。人間とはそういう生き物だ。豪炎寺が不具を恐れないなら、円堂は今度はどんな言葉で彼を蔑むだろう、と思った。ボールはまっすぐにゴールに突き刺さり、豪炎寺はたったひとりで着地する。周りを見回しているのは、豪炎寺にもまた望むものがあるかもしれないからだろうか。孤独には勝てない。それでも豪炎寺は毎日部活に来る。たったひとりで。
孤独には勝てないが慣れることはできる。それでも望んでしまうことが嫌で、だからここにいる。僅かな希望と契約して、影野は緩やかに個を捨てた。明日にもその次にも、少なくとも居場所だけはある。還る場所はある。冒険する爬虫類にはなれなかった。八割の中に、いつでも入っていたかった。言うなれば、もともとそうだったのだ。欠けたまま迎えてしまったことを、虚しいと、それでもまだ繰り返している。舐めるような陽がまぶたをちりつかせ、川面はぎらぎらと暴力的だった。彼らの望みを知りたいと思った。それが彼らの自由意思だというなら。望んでしまうことは嫌だった。それは害悪であった。溶け込むまいとしていたのは自分なのだと気づいたその日が、彼の昇天であった。










彼の昇天
影野。
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目金は電車を好んでいる。電車好きにはよくある、ホームの端で長いカメラを構えたり、ぞろ目の切符を買うために並んでみたり、新車体に喜び旧車体を惜しんだりする道楽も、まぁたしなまないではない。しかし目金が何より好きなのは電車に乗ることで、昼間の電車ならさらに好もしかった。行きつけの皮膚科は電車で15分、学習塾はもう少し短く、別の電車に乗れば秋葉原までおよそ20分。電車は新しい場所や楽しい場所に目金を連れていってくれる。日本の端までも。朝や夕方のラッシュや酒臭い夜の電車よりもいいのはもちろん昼間のそれで、目金の好きな昼間の電車は忠義ものでやさしい生き物のように親しかった。たくさんのひとを飲み込んで静かに行き来する穏やかでやさしい生き物。昼間の電車はそこに乗っているひとすら好もしい。働く時間に往来する彼らは、ほんの少しずつ日常から外れた穏やかな顔をして、その素直な寂しさがひねくれ者の目金にはことのほかしっくりと馴染むのだった。
部活の遠征に行くのは、当初は決まって電車だった。休日の早朝の改札前に道具を並べて切符を待つ。傍若無人な同輩たちも電車の中ではおとなしく、マネージャーと後輩は決して座席に座らなかった。ラッシュに巻き込まれた彼らが荷物ごと人波に流されてホームに降りざるを得ず、そのまま乗りきれずに一本電車を遅らせる、というのは実はよくある話で(円堂たちはそれを島流しと呼ぶ)、そのたびに次の駅で降りて電車を待ってやるのは必ず目金の役目だった。それをやらかすのは圧倒的に栗松が多い。小柄なくせに大荷物を抱える人間の悲しさか、栗松はほとんど無抵抗でスーツの波に押し流され押し出され、扉が閉じたがらんとした車内には既に栗松の姿はないのだった。こういうときばかり目ざとい円堂は、いつも目金の肩を軽く拳でとんとんと叩く。そうしてその合図を受けたときには目金はとっくに降りる準備をしている。いつも。座席の足下に押し込んでおいた鞄を引っ張り出して肩にかけ、目金は振り向きもせずにホームに立つ。いつも。
思うに足りないのではなかろうか、と。吹きっさらしのホームの風は初夏のくせに粘って冷たい。目金はこの頃にはもう既に、全うに働いて大人をやるような人間にはなるまいと心に決めていた。昼間の電車はいつでも目金の友人だったけれど、それ以外のものは全てがいつでも敵にしていいものだった。思うに。目金はまばたきをする。そのとき電車が滑り込んできた。鼓膜を波打たせる殺人的な音の流線。栗松はいつも一本遅い電車に頼りなげに突っ立っている。思うに、ぼくらには悲劇が足りないのではなかろうか。目金が電車に踏み込むのと同時に栗松は振り返った。肩から提げた救急バッグと腕に通したクーラーボックス。目金は眉根を寄せた。栗松の隣の吊革を掴む。ホームにひとり流される栗松は、いつもなにを考えているのだろうと思う。もしかしたら、栗松にも足りないものがあるのだろうか。例えば。目金は短く息を吐く。こんなに近くにいるのに、荷物を持ってやろうとも言わずに、そんなことばかりを考えている。
栗松は落ち着かない様子でちらちらと目金を伺っている。怒ってませんよ。先制すると栗松は目をまるくして、それから照れ臭そうに笑った。いつもごめんなさい。目金はそれには答えずに、栗松くん、と彼を呼ぶ。きみには悲劇が足りないのではありませんか。はぁ。栗松はぽかんとした顔をして、首をひねり、ううん、と唸った。よくわからないでやんす。目金はそうですかと窓の外に視線を飛ばした。いつの間にかふたりの間に置かれたクーラーボックスががたがたと揺れる。それ以外のものならば敵でも構わない。なら。しかし目金は思考を切った。悲劇よりも他に足りないものならあると、栗松がそんなことを言うので。目金はまばたきをする。栗松の横顔を見る。栗松は遠くを見ていた。それ以外のものならば敵でも構わないと。目金はそれを言おうとしていた。ついさっきまで。

「きみには、」

そしてそれは言葉にはならなかった。
栗松には昼間の電車にも馴染まれないような奇妙な孤独ばかりが似合ってしまう。









東のメシアライザー
目金と栗松。
手を出されない場所にあるものってきれい。
ただしろいばかりの床にあかく窓が切り抜かれて、そこを鳥が数羽、風のように横切っていく。円堂は勝手知ったる場所と、階段を上り廊下をまっすぐに進んでいった。それを無言で追う脚を鈍らせるのは病院特有の静かに病んで疲弊した空気か、それとも未だに棄てかねるあの日の勝利にまとわりついた残酷な後悔なのか。どちらともつかぬまま、入るぞ、と円堂の声は妙に遠くから聞こえた。鬼道は視線を上げる。五人分のネームプレートのついた部屋はがらんとして静まり返っていた。薬の臭いが弱く漂い、円堂は嫌そうに鼻を鳴らす。おい。生きてるか。ベッドにひとり横たわる宍戸の顔を覗き込むように円堂は声をかけた。あいつらどこ。宍戸は無言で腕を上げてドアを指差し、続いてその指を右に曲げる。リハビリ室か。円堂はバンダナの下を掻きながら、ちっと顔出してくるわと歩き出す。おまえは。入り口に突っ立ったままだった鬼道はそこでようやく病室に踏み込み、おれはここにいる、と答えた。あそう。円堂は探るような目で鬼道を見て、部屋を出た。扉が閉まる。
もともと痩せ形だった宍戸は、入院生活でさらに体重が落ちたようだった。やつれた頬と枝のような指をした宍戸は、乾いた唇を苦しげに薄く開いて横たわっている。足音を殺して、鬼道はそっとベッドを回り込んだ。枕元に立って、小さく声をかける。具合はどうだ。宍戸はなんの反応もしない。鬼道はスツールに腰を下ろす。反応に期待はしていなかった。しかし柔らかな赤毛が覆ったその目が、せめて見えていたら、とは思わないでもない。それとも。鬼道はまばたきをする。鬼道に対して宍戸が伝えようと思うようなことは、もうなにもないのかもしれない、と。鬼道は無言で、ベッドに投げ出された宍戸の指に触れる。さわんな。宍戸のかすれた声。冷たい手だ。その声を無視して、鬼道は静かに言う。早く直してくれ。また一緒にサッカーをしよう。宍戸はわずかに首を動かして鬼道を見た。薄い唇がゆっくりと動く。あんた、勝手だな。にこりともしない宍戸。鬼道は、宍戸が笑っているところを見たことがない。
勝つためにはそれなりの犠牲と覚悟が必要で、しかし雷門中はそれを知らなかった。あの日の勝利は誰もが望んでいたものだったはずだ。鬼道もそうだった。だから帝国を去った。雷門中のメンバーも、そうだと思っていた。あの勝利のために、払われる犠牲があったとしても。しかし円堂は不快さを隠しもせず、誰も彼もが傷ついたような顔をした。その勝利は初めて鬼道を照らさなかった。その理由は今でもわからない。ただ確かに、その瞬間、鬼道は雷門中の重荷となった。かつて豪炎寺がそうであったように。宍戸はまたゆっくりと首を動かした。天井を向き、浅い息をする。痛むのか。鬼道の言葉に、宍戸は返事をしなかった。理由はわからない。しかし、鬼道は今でも悔いている。なにを悔いるべきなのか、なにが許せないのか、鬼道には未だになにひとつわかってはいなかったけれど。それでも宍戸がなにも言わなかったから。鬼道にはそれが全てで、それ以上の理由はない。
宍戸は弱々しく咳き込み、苦しげに息をした。手がうっすらと汗ばんでいる。鬼道は腰を浮かせ、せめて汗でも拭ってやろうと枕元の濡れタオルを手に取った。宍戸。やめろ。宍戸は呻くように言う。もうやめてください。鬼道はその言葉を無視して額に手を伸ばした。宍戸が首を振る。嫌だ。かすかに震えた声に、鬼道が手を止める。指先が前髪に触れるか触れないかの距離で、鬼道の手は横から伸びてきた小さな手に押さえられた。栗松。栗松は困ったような顔をして、首を振った。すみません。宍戸、嫌がってるんで。そうか。短い沈黙を挟み、鬼道はタオルを栗松に渡した。栗松は慣れた様子で宍戸の枕元に近づき、痛い?と声をかける。痛い。宍戸は手を伸ばして栗松の頬に触れた。鬼道さん心配してる。宍戸はそれには答えず、栗松の頬を撫でながら、痛いよ、と言った。栗松はあやすようにタオルで宍戸の額を撫でる。鬼道は目をそらした。ひどく悲しい光景だと思った。こんな場所で病んでいく宍戸を、哀れだと。
病室のドアが開き、他のメンバーが戻ってきた。あれー鬼道も来てたのか。珍しいな。半田と松野に軽くうなづいて見せ、先に行く、と鬼道は病室を出た。宍戸を哀れだと思ってしまったことを、栗松はわかってしまったかもしれない、と思った。階段でキャラバンのメンバーとすれ違い、すれ違いながら、自分がひどく安心していることに鬼道は気づいた。彼らがいないと気持ちが休まる。彼らがいる場所には、なぜだか、汲めども尽きぬ悔恨が、延々と止めどなく溢れて溢れて止まらないような、そしてそれに彼らが溺れて沈んでいくような、そんな悲しみがつきまとう。キャラバンの側で、鬼道は深く息をする。悲しみは、いつも鬼道を戸惑わせる。彼らの存在は、いつも鬼道を濁らせる。戻らなければいいと思っていた。彼らはあそこで病んでいけばいいと。彼らの戻る場所はない。なぜならば奪ったからだ。豪炎寺が、一之瀬が、塔子が吹雪が木暮が立向居が綱海が、そして、鬼道が。
そして鬼道は絶望する。最初に敗けたのは他でもない、鬼道だった。そのくせ敗北の全てを彼らに押しつけ、彼らの居場所を奪い、勝利の光を追い求めては、あの日の後悔を塗りつぶそうとする。宍戸はもうサッカーを選べないかもしれない。それでも構わなかった。あの日を今もなお悔やんでいる。それが鬼道の唯一の免罪符だった。










蜘蛛とイド
鬼道と宍戸
わけもないのはそれしかないから。
ときどき彼がそんな風にいたたまれないような顔をするのが影野には悲しかった。少林寺のことだ。少林寺がときどき、陽の当たらない部室の裏手にうずくまって、小さな手で自分のからだをぎゅっと抱いていることを影野は知っていた。いつ頃からだろうか。影野のあたまの中の少林寺は耐えるばかりの無口な少年であった。ずいぶん前からなのかもしれない、と思う。無言でうずくまる少林寺の背中。豊かな髪の毛とそこから覗く華奢な肩。小さな手。それらはいつもかすかにわなないていた。どうしても、我慢ならない、なにか、に、(あるいは想像を絶する恐怖にも似たものに、)相対する切なさを黙って吐き出しているような、健気な背中は影野の憐憫と恍惚を誘った。薄暗く陰鬱によどむその場所でしか、弱くなることはできなかったのだろう。いつになく奇妙に儚い少林寺の背中は影野に、これもまた奇妙に儚い陶酔を何度でも何度でももたらした。
汚れたボールをつま先で持ち上げて骨ばった膝に器用に乗せる宍戸の、その隣で少林寺は無言で黙々とリフティングをしている。薄く引き伸ばされたみたいな曇り空の、まぶたの奥がちりつく明るさは毒だ、と思う。影野にとっては。曇りのすきな人間は怠け者だと姉は言う。確かに姉は怠け者だった。そして影野も。並んだ7と8。ちぐはぐの背中を眺めていると、殺気のようなものが眉間をちりつかせて影野はかくんと首を前に倒した。後頭部をボールがゆき過ぎる気配がする。巻き上げられた髪の毛が落ち着く頃には、円堂は既に背中を向けていた。ボールが地面をこする音。円堂。短く呼ぶと円堂はそれを無視して宍戸と少林寺を呼んだ。影野は黙ってボールを拾いに行く。薄弱な男だ、と思った。誰がとは言わない。
狭いグラウンドの小さなボールを奪い合う一握りのチームであったとしても、勝ちをもぎ取る場所である限り、お決まりのように傷ついて蹴落とされてはまた誰かの足を引く。牙を剥く有象無象は力を惜しまず、それに揉み潰されては消えていく野心もあった。影野は短く息をする。少林寺がまっすぐにこちらに走ってくる。ボールを挟んで意識が糸のように繋がるその瞬間、影野の恍惚は絶頂を迎える。ともすると腕を広げて少林寺を抱き止めてしまいたくなるほどに。しかし少林寺はいつも影野を縫うようにすり抜け、凛とはりつめた気配だけを残して駆け去ってしまう。影野は振り向く。可憐な背中。ああ、と息を吐く。今日も少林寺はあそこに行くに違いないと思った。心臓が揺れる。今日のこの瞬間に確かに傷ついていたに違いない少林寺のことを思った。とろけるほどの恍惚。
それがただただ無感動に続く日々の中に安らかに埋没していくだけの罪悪感だったとしても、それを重石のようにぶら下げておくことで惜しむ振りをすることができた。喉の奥で幼気は煮えて、得体のしれないばけものが牙を剥く。もう何度もそんなことは経験していたはずだった。あんな薄暗い場所で、ひとりきりで。あんなに小さな手をして。まるで世界中に嫉まれたみたいに。影野はそっと一歩踏み出す。うずくまる少林寺の、わななく肩が近づいてくる。薄弱な自分たちだ。どこまで行っても。影野は手を伸ばした。後ろから少林寺のほほに触れる。すべらかに乾いたそこはただ凍るように冷たかった。そんなに悲しい顔をして。影野は膝を折る。小さなからだを包み込む。少林寺が喘ぐように息をした。影野は陶酔する。恍惚は絶頂になる。
それがただ無感動に埋没していくだけの罪悪感ならば、それだけでもよかった。ただ悲しいだけならば。ただ苦しいだけならば。こんなところで孤独に耐えたりしなかった。憤怒が焦がして奪ったもの。いとおしいもの。睦み合い舐め合うけだものの、その夜は、傷口ばかりが冴え冴えと深紅。








拝啓天国様
影野と少林寺。
確かに彼らは動物をあまり好かなかったな、と思った。夜のことだ。いたいけに尾を振る仔犬をまるで病原菌の塊ででもあるかのように冷ややかに眺める、彼らはその点で言えば間違いなく成功に見放されていた。今さらながら壁山がそんなことを思うのは、練習と練習の合間に、ふと滑り込む沈黙に堪えかねていることに感づきつつあったからだった。開きすぎた左右のすき間は壁山のながい腕とおおきな手のひらをもってしても埋められず、それでも闇雲に宙を掻いてはあの頃を寄せ集めようとしている虚しい行為を、自嘲とともに終えることには弱りきっていた。みんながいてくれたら。ひとつ勝ち進むたびにその思いは強くなり、しかしそれを打ち明けるには、有象無象は希望にすぎた。ただひとり隣にいてくれた栗松がいなくなってからは、壁山はあまり考えることをしていない。みんながいてくれたら。やはり嘲笑に投げ出した脚の先を南国のぬるい夜が撫でていく。
宍戸はたぶん生き物という生き物すべてを疎んじていて、恐らくは彼の中にある最大の譲歩でもって、人間を相手に人間らしい人間関係を築いていた。意思の疎通が宍戸にとって対世界の上限であり、それができないものであれば関わる必要はないらしかった。がりがりに痩せた同輩の肩を思い出す。その頃壁山は彼をひどく痛々しい哀れなもののように思っていた、ように思う。壁山は宍戸と目を合わせたことがない。言葉を言葉を言葉を重ねて、宍戸が遠ざけていたものたち。壁山は今でもほんの僅か彼を哀れに思う。臆病な宍戸には、そうするしかなかったのだとしても。
少林寺は生き物は嫌いではなかった。四つ足のばったやかえる、蝶やむかでや蜘蛛や亀や長虫が彼の言う生き物のすべてだったけれど。壁山が見たら悲鳴を上げて逃げまどうそれらを、少林寺は時には羨望の目で眺めた。両手に掬った、節のもげた虫をいつまでも眺めているような少年だった。たとえばその足元に巣から落ちた雛が鳴いていても、それには見向きもしないような。彼は、痴呆のような幸福だ、という短い感嘆を口ぐせのようにしていた。それはいつも彼の故郷の言葉で小さく囁かれた。いつか静かに陽の沈むかはたれに、少林寺はその小さな手のひらに見事な揚羽蝶を捕まえた。そのときの、奇妙に途方に暮れたような虚ろな横顔を、壁山は今でも忘れることができない。
生き物はいつか死んでしまうから。栗松は宍戸や少林寺の潔癖をそう言った。昨日のような、ずっと前のような、曖昧な記憶の中で。だから嫌なんじゃない、と。壁山はなんとも答えられずに黙るしかなかった。栗松は動物すき?代わりに投げた壁山の問いに、すきだよ、と栗松は平然と言った。動物ならだいたいなんでもすきかな。壁山は、と投げ返された問いに、やはり壁山は黙った。そのときには、だったらどうして栗松は彼を好きになってはやれないのだろう、という問いかけばかりが、壁山の内側をぐるぐると駆けめぐり、それを口に出す前に栗松は壁山の隣からいなくなってしまった。いつか死んでしまうから。本当に?本当にそんな理由で?宍戸が痛々しく、少林寺が潔癖に、彼らの側から遠ざけていたものは、本当にそんな理由で、それしきの理由であってよかったのだろうか。
そして程なく壁山は思い知る。それが正解でも不正解でも、過たずにそこにたどり着ける栗松の、臓器のすき間を縫うような静かな本能を。それをどうしようもなく羨ましいと、憎らしいと、思ってやまない鬆のような自分を。
音無がひたひたとやって来る。ものも言わずに壁山の隣に横になる。いつか死んでしまうから。いつか死んでしまうなら。そういえばさぁ、と音無はぽつりと呟いた。あたしね、あゆちゃんやさっくんのこと、ほんとは全然知らないんだ。へえちゃんなにか知ってる?と問われたときに、壁山の中に沸き立った思いは、やはり彼を好きにならなくて正解だったのかもしれない、という、一瞬の気の迷いだった。音無は動物すき?壁山の唐突な問いに、音無は黙った。ふたりとも、動物は嫌いなんだって。壁山は静かに言い、そして沈黙が降り積もる。それしきの言葉に、ふたりともとうに傷つけられて、堪えかねてしまった。海がわめいている。いつか死んでしまうけものたち。好きにならなくてもいい。みんながいてくれたら。(おれたちは今すぐにでも泣き出せるのに)








狸穴に愚獣は群れ
壁山。
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