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女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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雨の日は気持ちが楽になる。ふたごだけれど似ているのはそういうところばかりで、それでも違うところといえば兄が大嫌いな体育がなくなったり、マラソン大会や体育祭が延期になったり、部活が中止になったりすることばかりを喜ぶようなところだ。雨は兄のコムプレクスを覆って流す。一斗はといえばそういうことはちっともなくて、雨の日に穏やかな楽な気持ちになることは、つまり緩やかに気持ちが鬱ぐことなのだと気づいていた。秋と冬の繋ぎのような凄惨な雨の日には、特に。雨は嫌いではなかった。嫌う理由がない。気持ちが鬱ぐことすら、別段の不幸でもなかった。屋外でする運動競技をすべて台無しにして、一斗のコムプレクスを際立たせる凄惨な雨に鬱ぐ気持ちを持て余すような日ですら、一斗にとっては明確に疎んじるべき出来事でもなかったのだった。雨の日は気持ちが楽になる。疎んじていたのは明確な差別化であったのだとなし崩しに気づいてしまっても。
負けたら殺すという最後通牒のような言葉を突きつけて、円堂率いる遠征組がライオコット島に旅立ってからこっち、断る理由もないので一斗は流されるままに雷門中サッカー部に在籍した。人数不足が深刻なのと、兄が強くそれを勧めたのと、あとはやはり、ここ以外でのサッカーを望む理由が一斗になかったからだ。雷門中サッカー部は、円堂他主力メンバーが抜けただけでまるで角が取れたような穏やかな集団になっていた。仮主将としてチームを率いている半田の人柄の賜物だと思う。半田は一斗にも優しかった。おまえが来てくれると助かるよと屈託なく笑って一斗を受け入れた半田には、もしかしたら兄がそれとなくなにかを吹き込んでいたのかもしれなかったが、一斗はあえてそれを無視した。優しくしてくれるのならば、嫌う理由はない。あとのメンバーにはなにをか思うことがないでもない。それでも出ていくほどの理由にはならなかった。彼らは一斗を弟と呼ぶ。それもまた、気に入らないわけでもなかった。
雨の日には、部活が休みになってもなんやかやで彼らは部室にたまる。スナック菓子やマンガを回したり、ゲームをしたり。後輩たちはそんな日には部室に寄り付かないが、一斗と同じタイミングでサッカー部に入部した闇野はまめに顔を出している。仏頂面で口数が少なく、あまり周りと関わろうとしない闇野は、それでも菓子を差し出されればそれを食べるし、マンガが回ってくればそれを読む。そのどことなく健気な姿勢が彼らには悪いことではないらしく(、あるいはもっと他に理由があるのかもしれないが)、孤独を好む割に闇野は存外そこに馴染んでいるように見えた。闇野は静かで、深い夜のような気配がする。それが嫌いではないために、一斗はなんとなく闇野の側に座を占めることが多い。同じように静かな影野よりも、なんとなく乾きすぎていないような気がした。それに旧知の中に割り込むような真似は、兄ならばいざ知らず、一斗の最も苦手なことのひとつだった。闇野はいつも輪から少し離れた場所に座る。そしてそこから少し離れて、一斗が座る。
湿気が立ち込める部室で、顔を付き合わせてモンハンをしている半田と松野と影野をぼんやり見ながら、一斗は鞄を探った。携帯を取り出してメールを読む。その肩が横からつつかれて、一斗は顔を上げた。闇野がマンガを差し出している。なに。貸す。なんで。ぼく興味ないよ。そう答えると闇野はちらと半田たちを見て、そうか、とおとなしく引き下がった。再びそれを開いてあたまから読み返している闇野を見た。おもしろくもおかしくもなさそうな顔をして。闇野は兄を知っているのかもしれないと思う。兄ならば、差し出されたマンガを嬉々として受け取っただろう。あるいはもう読んだことがあって、その内容について滔々と語り始める。胸を張って。闇野は淡々とページをめくり、そのうちぱらぱらぱらと半分以上を流し見してから立ち上がった。ここに置く、と半田に声をかけると生返事が上がる。闇野はそのまま鞄をつかむと、すうっと部室を出ていった。入り口に立てかけた傘のうち、紺色の地味なものを差して。
一狩り終わった半田が顔を上げ、シャドウ帰ったのか、と独り言のように言った。カゲトはぼっちだからな。ひひっと松野が笑う。半田はさらに一斗を見て、あれ弟いたの、と驚いた。一緒にやる、と聞かれて一斗は首を横に振る。持ってないから。あそう。ウザメガネとは似てないねー顔はおんなじなのに。帰りそびれた一斗をちらりと見て、もう帰ろう、と影野が切り出す。彼らが支度を始めるより先に、一斗は部室を出た。雨は凄惨に降っている。入り口に立てかけた傘のうち、なんの飾り気もないビニル傘を塗らす。兄は、と思う。本当にこんな場所に馴染んでいたのだろうか。それは一斗の知らない兄の姿だった。兄ならば闇野とどんな話をするだろう。半田や松野や影野や後輩たちと、どんな話をしたのだろう。兄は。アニキは雨が好きだ、と励ますように一斗は呟いた。かげもかたちもみえない、ものに、すがりたがるのは彼と同じだと思う。










アンビエント
一斗。
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午後を大きく回ったケンタッキーは、肉と油となにやら甘いような匂いをだらしなく店内に広げて眠っているように見えた。所在なげな店員がひとり、カウンタから中途半端な笑顔を寄越す。ふたりが入ってきたことに今まで気づかなかったのだろう、自動ドアはカウンタの目の前にあるというのに。半田はメニューを目で追い、チキンを2ピース(普通のと、甘辛いたれをつけて焼いた秋の新作)とビスケットをひとつ、ポテトと大きなカップの炭酸飲料を頼む。おまえはと振るとじゃおれもそれ、と染岡は財布を取り出した。飲み物をウーロン茶にした以外は半田と全く同じ内容を頼み、キャッシャーに表示された金額にわずか眉をしかめた。ただでさえ面付きのよくない染岡がそんな顔をするので、いっそう凶悪さが増す。中学生の小遣いでほいほい食べられるほどケンタッキーは安くはないので、そのときの染岡の気持ちも半田にはまぁわからないでもないのだった。それにしても悪い顔をしていると思う。見た目で損をする男の典型だ。
窓から射し込むいかにもな秋の光がべたつく床を白く切り取る。半端に下げられたブラインドに縞しまと縁取られた日当たりのいい席を無視して半田は店の奥へ向かった。今なんじ。後ろから低い声で3時過ぎと染岡が答える。おやつだな。狭苦しいテーブル席に差し向かってパッケージングされたウェットペーパーで手を拭いていると、染岡が変な顔をして半田を見た。なんだよ。あっちの方がよかったんじゃねえか。言って指すのは半田が無視した日当たりのいいカウンタ席で、足がどうにも狭いのだろう染岡は居心地悪くしきりに座り直している。やだよ窓際とか。知り合い通ったら気まじーし。そうか、と染岡は存外簡単に引き下がる。染岡としてもあまりこういう場所で知り合いに会いたくはないのだろう、と思った。さらに言うならこてんぱんに敗けた試合のあとだ。やけ食い、と言うにはあまりに半端な量の食料は自分そのものだ、と半田は思う。調理される哀れな雷門イレブン。煮てさ、焼いてさ、食ってさ。
半田がチキンにかじりつくと、向かいで染岡も同じようにした。染岡の歯の間でまっ白い筋繊維がほぐれるのが目につく。まっ白い筋繊維が歯の下で無抵抗にほぐれて赤黒い腱や濁った半透明な軟骨がばらばらに噛み砕かれやがて喉を通って食堂を落下し胃に落ちて正しく栄養になる。奥歯を噛み合わせるとにちり、ともきしり、ともつかない感触が顎を揺らした。歯の間のまっ白い筋繊維。世の中で正しくまともに信じられるのは食事だけのような気がする。甘辛くパリパリに揚げられた皮を噛み砕くと、甘いあぶらが舌にすうっと広がった。ねとつく指をナプキンになすりつけ、半田はふたつ目のチキンにかじりつく。じわりと肉汁がにじみ出て噎せた。染岡がポテトをまとめて口に押し込みながら怪訝な目をする。なんでもねえよ。先制でそう言うと染岡は結局なにも言わずにチキンに手を伸ばした。こういう無駄に繊細なところがむかつくのだと思いながら、半田はそれを一度も染岡に言ったことはない。
おもしろくもおかしくもない練習を惰性で乗りきって、それでいていざ挑んでくる相手にはおもしろいように大勝する。チームの体裁が整ってからの雷門イレブンはずっとその調子だった。努力も友情も信頼もない、ただ誰もが負けたくないからがむしゃらに戦うだけで、それだけで勝ってこられた今までの方が奇跡だったのだ、言うなれば。地区大会で一蹴した相手に挑まれたつまらない練習試合で、惰性と不信の12人はなすすべもなく蹴散らされた。円堂は暗い憤怒で暴言を吐き、11人を罵っては殴り蹴り、あとは黙った。傷ついたような顔で。あいつしねばいいのに。そう言うと染岡が机の下で半田の足を蹴った。半田は椅子を蹴るように立ち上がる。ふたりの間の空気が一瞬張り詰めるが、先に目を反らしたのはさっきまで半田より狂暴な目をしていた染岡の方だった。円堂の胸ぐらを掴んだ染岡の手を思い出す。責任を感じているのだとしたらあまりにも稚拙だと思った。円堂も、染岡も、自分自身さえも。
半田は一歩足を踏み出した。どこ行くんだよ。もっと食う。まだ食うのかと呆れたような染岡の声を背中に、半田はカウンタの前に立つ。小銭を受け皿に乱雑にばらまきバーガーをひとつ注文した。トレイに乗せられ差し出された紙包みをその場で破って猛然とかじりつく。さても哀れな雷門イレブン。半田の中から現実感が遠ざかり、いつかこんな日が来るのだと諦めきった皆の眼差しが蘇る。いつかこんな日が来るのだと、誰もがそれをわかっていた。半田でさえもそうだった、のに。それでも彼らは加害者だった。清らかな大いなるものを傷つけたのは他でもない半田たちだった。わかったような顔しやがって。鼻の奥を突き上げるものをごまかすように半田はうつむいた。秋の光が綺羅やかに足元にこぼれていた。あいつはまるで華麗に他人面だった。丸めた紙包みを染岡の後頭におもいきり投げつける。この気持ちをどうしてくれようと憤っていた。









流星のすべて
半田と染岡。
とりをたべるおはなし。
どうして戻ってこなかったんだ。そう訊くと彼は丸い目をますます丸くし、うーんうーんと文字通り大いに首をひねったがなかなか言葉は出なかった。無駄だと思ったか。重ねて問うといやまぁそれも少しはあって、となんともきまりも歯切れも悪く答える。どう足掻いても仕方のないこともある。怪我が完治するに加えリハビリまでにかかる時間だとか。プレイヤーの数とベンチに入れる数は合わせて16人までであり、それは決して増えることをしないだとか。色んな面で周りに劣っていることを知っていたのは栗松自身であったし、半端な慰めだって叱咤だってなくとも栗松が従順に久遠の指示に従うことはわかりきっていた。その諦めの早さが欠点だと半田や染岡は言う。本当はもっとやれるはずなのに。そんなことは半田に言われずとも円堂だってわかっていた。栗松が帰ってしまったときに恐らく円堂は栗松よりも悲しんだし悔しかったし、挙げ句戻ってくるという言葉を誰よりも信じた。誰よりも。栗松よりも。
栗松はさんざん唸ったあとに、うまく言えないでやんすが、と前置きして、さっきキャプテンが言ったことが一番正しいでやんす、と答えた。戻っても無駄。それでやんす。ふうん。円堂が鼻を鳴らすと、あーと栗松は困ったような顔をする。ええと、あと、他にもあって。言ってみろ。栗松はますますきまり悪いような照れ臭いような顔をした。居心地がよくて。円堂は眉を寄せる。当たり前だろ。誰が作ったチームだと思ってんだ。ああそれは、ハイ、ええと、おれは雷門でキャプテンや先輩たちのすごさを痛感したでやんす。なんかこう、と栗松は半端に宙を見上げて唇を曲げた。円堂は深く息を吐く。栗松がびくりと肩をすくめた。ええと。円堂は唇を横に開いて歯を剥き出すようにする。言いたいことはわかる。はぁ、すみません。んでも自分の言葉で言え。栗松は驚いたように円堂を見つめた。短気な円堂はまだるっこしいのを好まない。普段ならば面倒くさいとこの会話自体を既に切り上げている頃だった。
栗松は困ったような顔をして、それからちょっと笑った。珍しいでやんす。なにが。キャプテンとこんなに長く話すの。そうか。意外な気がした。それもそうかと思い直す。おれは日本に帰って、半田さんや松野さんや影野さんとたくさん話をしたでやんす。シャドウさんや一斗さんや、宍戸やしょうりんやたまごろうとも。栗松は膝の上で広げたてのひらをじっと見ている。サッカーの話じゃなくて、普通の話を。みんなサッカーが好きかどうかとかは関係なくて、みんなそういう関係ないもので、笑ったり、怒ったり、喜んだり、したでやんす。おれは、と栗松は言葉を切った。おれはキャプテンとどのくらい話をしたんだろうって思ったでやんす。その言葉に、円堂は目を開いて栗松の横顔を見る。あ、キャプテンがあんまり話すの好きじゃないってのはわかってるでやんすよ。不意にこちらを向いた栗松に、おう、と円堂は我知らず声をこぼした。栗松はまた前を向き、でも、と言う。でもおれは、やっぱりもっと、キャプテンとたくさん話をするべきだったでやんす。
円堂は言葉を探し、見つけあぐね、結局あえぐように短く息をした。それで。栗松が円堂を見る。なにが変わる。おまえに、なにかいいことがあるのか。栗松は一瞬悲壮なほどの目をした。それから真面目な顔をして、たぶんもう遅いでやんす、と言った。もう終わってしまったから。ああ。円堂はやりきれない思いになる。もう終わってしまったことだ。あのときもあのときも。そしてそのどちらにも、円堂は栗松になにひとつ言葉をかけてやれなかった。悲しかったし悔しかった。それでも。それでもおれは。そう言ったのはどちらだっただろうか。円堂はいたたまれないような気持ちになる。どうして。拒んできたのは円堂だった。拒んで、拒んで、孤独になって、分け合うものがなくなれば、救われると思っていた。天国のようなサッカーから、救われると思っていた。救われたいと思っていた。たったひとりで。栗松は円堂をじっと見ている。こんなに果てしない後悔をするのならば。円堂は目を閉じる。行かせてしまうのではなかった。あのときも。あのときも。
キャプテン。栗松が呼びかける。キャプテン、泣いてるの。冷たいものが頬に触れた。その言葉と同時に。冷たくて柔らかくて小さいもの。本当は円堂はちっとも泣いてなんかいなくて、涙はとうに枯れ果てたと思っていたし泣くという贅沢な行為はとっくに忘れてしまったと思っていた。それでも。それでもきつく閉じた目の隙間から涙は果てしなくぐずぐずとだらしなくこぼれた。円堂がとうに枯らしたと思っていた涙は栗松の冷たくて柔らかくて小さい指先をしとどに濡らす。円堂は自分がなぜ泣いているのかすらわからず、それでもとめどなく突き上げるものに逆らうこともせずにただひたすらに泣き続けた。おれは。円堂は思う。今まで誰かと話したことはあっただろうか。誰かと、サッカーと関係ない普通の話を。普通の話で、誰かと、笑ったり、怒ったり、喜んだり、したいと思ったことがあっただろうか。ひとりがよかった。ひとりで救われたかった。だけどこんなにも悲しかった。誰かと分け合うことが、自分を傷つけると思い込んでいた。
どうして戻ってこなかったんだ。円堂は洟をすすり、独り言のように呟いた。栗松はやはり独り言のように、キャプテンに会いたかったんでやんすよ、と答えた。だからずっと探してたでやんす。円堂は胸まで溢れた感情をこらえきれずにうつむいた。円堂は傷つくことが怖かった。誰も気づかなかったそれっぽっちを、栗松はずっと知っていたのだ。あのときから、ずっと。












憩へかし泣くにつめたきリオの船
円堂と栗松。
尽きないものというのが誰にでもあって、誰にでもあるからこそ人生は死ぬまでの暇つぶし、なのだ。自分の中に無限に湧き出るものものと、上手くとも下手だとしてもなにかしらの折り合いをつけられないならば、特に。それを例えば死ぬまで背負った業だとでも呼ぶのであれば、松野のカルマは退屈だった。なにをしても満たされない空虚は、最初からあらゆる娯楽を求めてはそのくせ拒んでいたので、松野もそれに従うように決めたのはいつ頃だったろうか。例え限りない喜びや楽しさでそこを満たしたとしても、本質的にはなにも変わらないのだという事実が、ある日唐突に松野に降ってわいたからかもしれない。なのでその日からだったかもしれない。果てしなく餌を食い続ける視床下部を破壊された動物のような空虚はその日から始まり、その日から退屈は松野のカルマになった。人生なんて死ぬまでの暇つぶしだよと誰かが言っていたので救われた。あのときの自分は救いを求めていたのだと気づく。しかし何故?
周りを見れば種なんて案外どこにでも転がっているものだったし、なので目につくものを片っぱしから拾い集めては自分の中のブラックホールに次つぎ放り込んでいく。例えば違う誰かの中に植えられたならば、世界という土壌で鮮やかに開いたかもしれない種たちを、その結果を見ずに潰して捨てていくことは安らかだった。遣りすぎた水が腐らせるのでも無情な乾きが奪うのでもない。ただ、自分の意思で、そうすること、が松野を救った。安らかだと思うのは、脳の奥にごおっと火がついて自分の体にたったひとつのことが押し寄せる衝撃でも、そのたったひとつのことに浮かされたように過ごす日々でもなく、脳の火が小さく小さくなるにつれて松野の体中からだらだらとそれらが染み出して消えていく、その圧倒的な喪失間だった。ある日唐突に潮の引くように消え失せるそれらを儚いとは思わない。これでもない。そうして松野はまた種をひとつ捨てる。これでもない。そう思うことは安らかだった。
円堂守というのはいつも不機嫌そうな顔をした憂鬱そうな同輩で、松野が知る限り四六時中彼は火花のように苛立っていた。松野を無遠慮にねめつける視線。サッカーやる?と、一応は取り繕ったような言葉。火花のような苛立ち。松野は円堂を気に入った。いいよ。その言葉に円堂はあからさまに顔をしかめた。暗い目をして、4組、木野。と言う。そこに行けということだったのだろうが、松野はそれを無視して拳を握って円堂に殴りかかった。松野の腕が円堂の左頬に吸い込まれるように伸び切る。しかしその確かな手応えよりも先に脳を揺らしたのは、焼けつくような痛みだった。松野が打ったおなじ場所を、寸分違わず殴り返す円堂の暗い目。気に入った。暫く睨み合ったのちに、腫れ始めた頬を歪めて笑うと、円堂はなにがおかしいんだかという顔をした。鼻腔から垂れた真っ赤な円堂の血。なにやってんだよと今さら喚く一般生徒やら坊主やらがやって来る。円堂は血の混じった唾をべっと廊下に吐き、上履きで擦って踵を返した。
あのときの円堂はクソかっこよかったしなんかもうどうでもいい感じだけは嫌というほど伝わったので。という理由だった。決めたのはそれだけだ。サッカーは面白くも楽しくもなかったが、面白かったり楽しかったりしている振りができる。サッカー部はサッカーばっかやるくせにやけに喧嘩っ早いやつが多いし、実際喧嘩が強いやつも多い。松野も殴ったり蹴ったり殴られたり蹴られたりする。面白くも楽しくもなかったが、いつまで経っても脳の奥に火もつかないし、だから変な風にハマったりしないし、安らかな喪失感も訪れそうもない。松野は戸惑う。戸惑って、だけどなにをするわけでもなく、いつまで経っても依然として、サッカー部にいる。
円堂。えんどーお、と二回目に声をかけると円堂は不服げに振り向いた。爪割れた。あんだけ殴ればな。円堂は血と泥にまみれたタオルで顔を拭う。目の周りが腫れているし口のわきも切れている。自分もひどい顔をしているのだろうと思うと笑えたのでダハハハと笑うとなに笑ってんだよと脇腹を軽く蹴られた。円堂の向こうでは宍戸が擦りむけた指の関節にテープを巻いている。顔を半分隠しているから被害状況はわからないが、宍戸の細長い指と拳はボロボロに見えた。傘美野サッカー部はしばらく再起不能だと思う。3人で本気で叩いてあのレベルで済むならラッキーだと雷門中サッカー部なら誰もが言うに違いない。明日まこに言うよ。グシッと濁った音で洟をすすって円堂は言う。もう河川敷使っていいって。バカだよなあいつら、普通がきから練習場所取り上げるか?松野が言うと自業自得だろと円堂は答えた。おまえ立てる?宍戸は尻を払って立ち上がると、思ったより力強い動作で円堂を引っ張り起こした。続いて松野も。
おれってこれでも飽きっぽいのよ。松野の言葉に円堂も宍戸も無反応だった。いやーサッカー部おもろいね。サッカーに喧嘩に美人マネージャーつき。おい。円堂が低い声を出す。円堂はこれ以上なにがほしいのだろうと思った。人生って死ぬまでの暇潰しだと思う?かわりにそう訊くと円堂はおれの人生なんかとっくに天国にくれてやったと答えた。なんのことを言っているのかわからずに、わからないまでもニシシと笑うとおまえってほんと意味わかんねえと円堂は呆れた顔をした。それはこちらの台詞。サッカーやめねえの。逆に円堂がそう訊いてきたので不意打ちをくらった気分になってやめるよ、と松野は答える。飽きたらやめる。じゃあまだ大丈夫だなと円堂はやけに断定的な口調で言った。見透かされたような気持ちで松野は黙る。3人ともばかみたいに暴れまわってあちこちに怪我をしたけれど、3人の6本の脚にはひとつの擦り傷も切り傷も打ち身もない。明日にはちゃんと、グラウンドでボールを蹴ることができる。
救われたいと思っていたはずだ。松野は思う。退屈は敵で、背負い続けなければならない業で、松野に巣食ったブラックホールで、一度は確かにそれでもいいと思ったのに、それでも松野は救われたかった。何故。なにも変わらないと諦めてしまったのに。何故。円堂おれサッカー楽しいよ。松野はひとりごとのように言った。そうか。円堂はそっけない。おれは全然楽しくねえよ。松野は少し笑う。円堂がいるから、松野はサッカーが楽しいのだと気づいた。円堂が当たり前みたいな顔で、サッカーなんて全然楽しくないと言うので、松野は当たり前みたいな顔で、サッカー部にいられるのだと気づいた。あーサッカーうける。松野は大声で怒鳴るように言う。うけるんですけど!!宍戸がうるせえなぁみたいな顔をしたのでスニーカーを脱いで鼻先に押し付けてやる。うお、ちょ、くせえ。珍しく声に感情をにじませた宍戸を見て、円堂は目を丸くして、おまえらばかじゃねえの、と吐き捨てるように言ったあと、ちょっとだけほほえんだ。
救われたいと思っていた。なのでまだ松野は救われはしないし、種にはまだ、芽が出ない。豊富に遣りすぎた水が、もじゃもじゃと根っこばかりを伸ばしていく。いつか芽が出たら、花を咲かせる前に折ってしまおうと思っている。人生は死ぬまでの暇潰しだと、ここでは誰もそんなことを言わない、ので。

「石川や浜の真砂は尽きれども世にぬす人の種は尽きまじ」









石川や浜の真砂は
退屈を盗まれる松野。
お誕生日おめでとうございます。
千葉葛飾に大雨警報、河川氾濫、土砂災害の恐れ有り。あっつう、と無地のシャツの胸元をばさばさと振って風を送る、沖縄は目が痛いほどの快晴だった。リカは目を細め、うなじをかき上げて汗に光るそこをタオルで拭った。日本て広いな。ふとこぼした独り言に、傍らのベンチにうつ伏せに寝ころがる土門と、その腰の上につくねんと横向きに腰かけている栗松が、まばたきをしながらリカを不思議そうに眺める。なんしてんの。や別に。土門はニヘッと笑って、芯までからからに乾いているに違いない生木のベンチにべたりと頬を押し当てる。ていうかさっきまで背筋してたの見てなかった?うちダーリン以外の男はジャガイモに見えんねん。あそう。おれらジャガイモだってよーと土門は上半身をひねって栗松に言う。リカさんひどいでやんす。あんたらはどっちか言うたらゴボウと栗って感じやけどな。別に食い物に例える遊びとかじゃないから。一緒に炊いたらおいしいんちゃうか。食う気かよ。土門とリカの淡々としたやり取りに栗松がけたけたと笑う。
そんでうちもそこに座ってええねんな。おーい、リカに座られたらおれ喜んじゃう。変態か。リカの言葉に栗松が慌てて立とうとするが、あーかまんかまんと軽く手を振って止める。重くないでやんすか?んー栗ちゃん程度大したことないよん。へらへらと笑う土門に、リカは生え際を指先で軽く拭う。土門は見た目とは裏腹に優しくて面倒見がいい。かつて、リカたちが仲間に加わる前の雷門中で、土門がしたことをひどく遠回しに聞いていないでもない。罪悪感がさせることならばそれはあまりに自然にすぎたし、罪滅ぼしならばもう終わったことだと円堂自身が断じた。要するに土門は雷門中サッカー部が好きなのだ、と思った。生え抜きDFである栗松と壁山はは、くせ者揃いの二年生を丸きり反面教師にしたみたいに素直で優しく、一緒にいて感じるものも多い。キャラバンに参加して日の浅いリカでさえそう思うのだから、土門が彼らをかわいがるのも無理はない、と思った。壁山は砂浜で木暮と綱海となにやら騒いでいる。少し離れた日陰で、影野がそれを眺めていた。
土門がじっとリカを見て、ダーリンはいいのか?と何気ない口調で問いかける。押してダメなら引いちゃれってねー。なもんで今は引きに引いてんねん。極端だなぁ。一之瀬はMF陣を集めてグラウンドに車座になり、なにやら難しげな話をしていた。さすがのリカも割っては入りづらい空気だったので、ベンチで水まきをしていた木野を冷やかして早々に退散したのだった。照り返しを喰らって目を焼かないように各々タオルを頭からかぶったり顔に巻いたりしていて、それが異国の商人のキャラバンみたいに見えた。ミーティングをしていた旨を告げるとあいつら真面目だからねぇ、と土門は他人事のようにそう言った。半身をねじっておれらもミーティングやる?と栗松に問いかける。えーと、土門さんがやるなら、みんな呼んでくるでやんす。んーじゃあいっかー。話し合うこととかないしね。ないんかい。そう言うFWはなんかないのかよ。ないなぁ。て言うかうちら仲よくないからまず集まるとこからして大変っちゅう。豪炎寺が泣いちゃうなぁと土門がおかしそうに言う。
よっし、と土門が気合いを入れると、栗松がその腰からぴょんと飛び下りる。アイスでも食う?おっえーなー、負けへんで。おーし言ったな、じゃ栗ちゃんコンビニ行こうぜ、と土門が言ったか言わないかのうちに、栗松はぱっと後ろを振り向いた。いつの間にミーティングを終えたのか、少し離れた場所から宍戸がしきりに手招きをしていた。あ、すみません。んーいいよー、いっといで。栗松は恐縮したように軽く頭を下げ、宍戸の方に駆けていく。甘えんぼやねぇあの子。さっちゃんはね、ま、しょうがないってか。ふうんとリカはなにやら話しながら遠ざかっていくふたりの後ろ姿を眺めた。ミーティング終わったみたいだけど。同じようにふたりを見ながら土門が言う。行かないの。リカは短い沈黙を挟み、行くよ、と答えた。そう。土門の横顔は鋭い、とリカは思う。なんだかいろんなものをこらえているみたいに見えて怯んだ。受け取れないリカではなかった。そんなにありありと訴えられては。
あんたも甘えん坊やねぇ、と、言おうとしてリカは口をつぐんだ。それより早く、土門の華奢な腕がリカを引き寄せて抱き締めたからだった。日本は広いな、と、考えたのはそんなことだった。だらしなくも情けなくも。あのとき宍戸に呼ばれた栗松は、土門の上につくねんと腰かけていた栗松は、どうしてあんなに怯えたような顔をしたのだろう。リカはまばたきをする。怯ませるのはいつでも、温度の高すぎる愛だった。まるで豪雨の中に取り残されたように。そこに閉じ込められて息もできないように。遠くで降る雨はひたすら孤独を孤独を際立たせる。唇の冷たさなどでは、今さら。









脱走
土門とリカと栗松
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