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女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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休みの日の前の夜には姉が映画をたくさんレンタルしてくる。座頭市を観てマリーアントワネットを観てアメリを観て、風の谷のナウシカを観ているときに姉の携帯に電話がかかってきて姉は自室に引っこんだ。姉と木野は十も歳が離れている。家にいたり、いなかったりする、木野の姉は恋するひとだ。最近はずっと家にいる。両親が銀婚式でカッパドキアの洞窟修道院群に行っているからだ。恋する姉にはいつもなにかが足りないらしくて、大学の技術助手として粘土を掘ったりろくろを回したりする傍らで、いつでも、新しいなにかを、ずっと探している。飽きもせずに。深夜のマンション、大容量の液晶テレビではナウシカとアスベルが飛んでいる。木野はブランケットをけだるくかき合わせてリモコンの消音を押した。かすかに漏れてきた姉の声はどことなくうきうきしている。また新しいなにかを見つけたのだろうか。いずれ手放すに違いないとしても。姉妹はよく似ていて、だから考えていることや生き方なんかも、驚くほど似ていた。だから木野にはわかる。姉がほしいものは、こんな場所にはないのだ。
木野は夜中の二時とか三時くらいの時間帯がすきだ。灯りが消え常夜灯だけがぽつりとひかり、ゆきかう車もひそやかに静まった、まるで世界中の孤独をかき集めてそこらじゅうにばらまいたみたいな夜。星のない夜ならなおよくて、星はかき消えても月だけがぼっかりと浮かんでいる、そんな夜だったら言うことはなかった。空気の澄んだ真冬の真夜中。生きている、と木野がようやく実感できるのはこんなときばかりだ。希薄でおぼろな現実を、木野は刹那的に泳いでは切り抜けている。明日、正確には今日の部活は休みだ。推薦入試の日程になっている。あったらあったで億劫だが、なければないで退屈でむなしい。木野は部活がきらいじゃない。喧騒の中でゆるやかに息を吹き返す、素直で単純な自分のからだもきらいじゃなかった。冷えた手足のプレイヤーたち。最近マネージャーも一緒に練習をさせてくれて、そういうとき木野はひどくやすらかな気持ちになる。見ることしかできなかったものの中に、当たり前みたいに自分がぴたりと収められている姿はとてもやすらかであることに、木野はごく最近気づいた。
ナウシカを観ていると、終末と向き合っているように気がそぞろになる。木野はたいらかで風のない海のような気質の持ち主で、焦ったり慌てたりすることはめったにない。しかしそんな木野にも苦手なものはたくさんあって、そのうちのひとつがこの、無償の愛、というやつだった。盛大な自己満足だと姉は言い、そんなものは親になったときだけ売り出せばいい、とも言った。マネージャーなんてよくやるねと土門に言われたときは、すきでやってるからと答えたように思う。理由はいつも後づけで、選びとるときには木野は閃光のような直感に従う。動物みたい、と思った。理詰めなタイプかと思っていると、ふと行き当たりばったりの無鉄砲な自分に出くわしてしまったりする。考えたくもないことを、無理やり考えさせようとするひとはきらいだ。例えば、教師とか。あんたなんてなんにもしらないくせに、と、姉を怒らせたことは一度だけあった。子どものくせに。と。なんにもしらないくせになんて言われたくなかったから、木野はなんでもするようになった。行き当たりばったりで無鉄砲で、勇敢な臆病な人間になった。
木野だってわかっている。姉は本当は、もっと古くて、もっと空気みたいな映画がすきなのだ。姉は全部、生きるためにからだを開く姉弟を、他国にもらわれてゆく娘を、証明写真を拾い集める少女を、死にゆくものをかき抱く姫を、全部を木野のために選んでくるのだ。あき。木野は顔をあげる。姉が部屋から顔だけをつき出していた。ゆきみくん。あきとはなしたいんだって。木野は首を横に振る。扉は閉じた。ゆきみくんは姉の知人で、木野とも顔見知りだった。ゆきみくんは姉が。木野は目を閉じる。もうよそう。姉は木野の完全な未来図だった。完全で揺るぎない、だからこそ変えられない、残酷な墓場のような未来。姉がいる限り、木野の未来は来ないのだった。だったら、それはもう、終わっているのとおなじではないか。木野の未来がもうそこにあるなら、今生きている木野などはいなくてもおなじだ。なにも変わらない。姉がほしいものはこんな場所にはなかった。当たり前だ。姉がほしいものは木野のほしいもので、木野のほしいものはこんな場所にはないのだから。こんな映画の中には。
画面では無音のままナウシカがはね飛ばされる。そのまま死んでしまえばいいのにと思った。そうすれば伝説になれたのに。かびの生えた言い伝えの登場人物などではなく、もっと鮮烈で果敢な、いけにえになった愛と悲劇の姫として。木野はゆきみくんと一度だけキスをした。それはゆきみくんが木野を不憫がって、かわいそがって、同情のために、してくれたことだ。愛してるって言ったのに。木野は、何度も、何度も、愛してるって言ったのに!がたん、と床でリモコンが跳ねた。クッションをつかんでテレビに投げつける。ブランケットを振り回し、それはセロームとパキラをなぎ倒した。あき!姉が部屋から飛び出してくる。抱きとめる姉の腕の中で木野は泣きじゃくりながら暴れた。嗚咽が滝のようにあふれ、たいらかな木野の海はアイオンの雨ほどに荒れ狂っている。思慮深く、謹み深く、行き当たりばったりで無鉄砲、臆病で勇敢で、ほかにはなにが、なにが足りない。姉は木野を抱きしめた。抱きしめたまま動かない。死にゆくものをかき抱く、無償の愛の姫のように。こんな世界ならいらない。こんな世界なら終わればいい。月ばかりがきれいなこんな夜ならば、わたしはすべてを、棄ててもいい。








ワールドエンド・アイロニームーン
木野。
「もしも明日世界が終わるとしたら」

そのとき世界は一滴の欲望で滅びる、のだと思う。だって。少林寺は仏頂面をして、そんなことあるわけないのに、と言った。部活帰りの自動販売機はしんと静まり返って煌々と明るい。宍戸はあたたか~いミルクティのペットボトルを両手で挟んで転がしながら、ひとくちいる?と訊ねる。いらない。少林寺は洟をすすって両手をこすり合わせた。あまいものやジャンクフード、甘味料が山ほど入っている飲料なんかを親の敵のように嫌っている、少林寺の潔癖はいっそ気持ちがいい。あるわけないよなぁ。宍戸はペットボトルをぽけっとに押しこんで、だぶだぶに緩んだ少林寺のマフラーを巻き直してやった。少林寺のマフラーはきめの細やかなグレイのアルパカだ。わあんと静電気が指先をちりつかせる。ぽってりとしたほほがあかい。
栗松のからだはあばらのいちばん下、十二番目の骨が少しだけ外側に開いていて、わき腹を撫で下ろすとそこにほんのわずか指が引っかかるのがいいなと思っている。栗松は痛みにはよわいがくすぐりにはつよく、宍戸が何度も執拗に両脇を撫でても、うぜえなぁ、くらいの顔をしている。宍戸が十二番目の骨を撫でるのを不服そうに見下ろし、楽しい?とあからさまに侮蔑の表情をするので、宍戸はそういうのだってわるくはないと思う。栗松の不機嫌と浮遊肋骨。脱いでくんね。わりと真剣に言うとむこうずねを軽く蹴飛ばされた。そろそろ離れろよ。宍戸が離れないと栗松は着替えができない。いいよ着替えろって。宍戸は平然と言う。ナマで見たい。やだよきもい。栗松は背がひくいせいであまりそういう印象はないが、平均以上に痩せている。ひじやひざが(自分ほどではないにせよ)やわらかに、しかし妙に鋭角にでっぱっている様子はどことなく痛々しい。名残惜しく指を離すと、栗松はあっという間に着替えを抱えてロッカーを回りこんでしまった。てつー。しゃがんだまま宍戸は間延びした声をあげる。明日世界は終わるんだってさー。
信じてないと言う少林寺の口調はそれなのにへんにあいまいで、いつものような切れがない。気になるの。別に。こわい。こわくはないけど。そう言って少林寺はほそく息をはいた。りぼんのように流されたそれは、見る間に闇に消えていく。でも、いざとなったらなんにも思い浮かばなくて。なにが。明日世界が終わるとして、おれは今日なにをやっとかなきゃいけないんだろ。虚空を眺める少林寺の目が、重たく濁って迷っているようだ。そういう行為を知らない少林寺は、唐突な問いに戸惑っている。まじめだからなぁと宍戸は思った。半田はまったくよけいなことをしてくれた。生まじめな少林寺は、なまなかな答えでは納得できなくなってしまっている。まるで本当に、明日世界が終わる瀬戸際みたいに。いつもどおりでいいんだよ。グリーンダヨーと続ける前にそういうもんなのと少林寺は問いかける。それでいいの。いいだろ別に。特別なことなんかなーんもいらねって。そうかなぁと少林寺はちいさな首をかしげた。おれはそうだけど。宍戸は、なにもしないの。しないよ。あー、まぁ、ふつーに学校行って、ふつーに生活して、ふつーに家帰ってめしくってふつーに寝て、寝てる間に世界が終わってたらラッキー。おれ的には。少林寺はちょっと考えるような仕草をして、おれもそれがいいかなぁと言った。かわいいやつだと思った。
学ランに着替えて戻ってきた栗松は宍戸を見もせずになんか言った、と問いかけた。おう。なに。明日世界は終わるんだぜ。は。栗松はぽかんと口を開け、おまえなに言ってんの、みたいな顔をする。染岡さんが言ってたんだって。いつ。昼休み。なんか朝そういう話題になったとかゆって。へーと栗松は全然興味なさそうに荷物を整える。鍵当番おまえっけ。そう。壁山としょうりんが練習してっからちょい残る。あそう。おまえも残ってけば。CD返しにいくから無理。ツタヤは遠い。宍戸は首をひねり、てつ、と栗松を呼ぶ。明日世界が終わるならおまえどうするよ。えーと栗松は片手でうしろあたまをかき回した。なんかやっとくこととか、すぐに思いつく。あーーーとだらだらと声を伸ばしていた栗松は、あ、と唐突に顔を上げた。CD返しにいくのやめる。そんでみんなでラーメンくいに行こうぜ。宍戸は栗松を見上げ、いいね、とちょっとわらう。いいじゃん。いちばんいいよ。あんまおもしろくないけどと栗松は照れたように言って、そんじゃあと部室を出ていった。宍戸はその背中を呼びとめかけて、やめる。明日が世界の終わりなら、これが今生の別れになる。宍戸は代わりになにもない虚空を指で撫でた。だったらあの骨を、形見にもらっておくべきだったろうか。
あゆむはさぁ、なんで世界は終わると思う。宍戸の問いに少林寺はわからないと即答した。だからそういうの苦手なんだって。隕石とかなんじゃないのとおざなりな口調が、あからさまに話題を切り上げたがっている。そうねぇと宍戸は納得したふりをした。じゃあ一瞬だね。明日いきなりおれら全滅。生き残ったら悲惨だねと少林寺は無感動に言う。生き残る気なんかふたりともまるでなかった。自販機の前でそのまま別れて、ひとり家路を急ぎながら、宍戸はほとんど確信している。世界は一滴の欲望によって滅びるのだ。例えばあの瞬間、宍戸はほとんど全身全霊で明日世界が終わることを願った。栗松が帰ってしまうあの瞬間。栗松が帰ってしまわなくてもいいように。その一瞬を繋ぎ止めるために、宍戸は世界を終わらせた。四人は一緒にラーメンをたべ、次の日には等しく眠る屍となる。栗松の十二番目の浮遊肋骨は、まるで宍戸に向けてその牙を開いているようだ、と思った。奪うことが叶わないなら、この手に抱いて死んでしまいたい。明日世界は終わるだろう。終末に磨かれた骨の海の中から、そのたったひとつを、探して、抱いて、いかれればいい。









ワールドエンド・ダブルスーサイド
宍戸。
「もしも明日世界が終わるとしたら」

少林寺はちょっと眉根を寄せて、なんのことですか、と首をかしげた。いやー今朝松野と影野がそういうことしゃべってたからさー。半田はトンボをずるずる引きながら言った。その隣で、半田のよりふた回りほどちいさいトンボを少林寺が引いている。明日世界が終わるとしたらどーすんのかって。ふうんと少林寺はいかにも興味がなさそうに言い、そしてなにかを考えるように黙ったあとに、へんなの、と呟いた。へんだよなぁ。半田も半ば上の空で返事をする。朝からそーゆー暗いはなししちゃってさー、あいつらまじばかじゃねえのっつう感じだよな。少林寺はなにも答えない。ちらっとそちらを見たら、トンボにたまった砂がおもたい様子で難儀していた。立ち止まって砂をどけてやる。ふたたびトンボを握った少林寺のちいさなてのひらが寒さにあかい。
昼休みの校庭には日差しと寒風が同時に訪れる。次の試合に備え、フォーメーションの確認をするためだけに昼休みを割いて集まったつもりが、ついつい気合いの入った十分マッチを二セットもしてしまった。グラウンド整備のじゃんけんで負けたのは半田少林寺染岡宍戸。はしとはしからトンボをかけて、まん中で合流する手はずだ。グラウンドの反対側に目をやると、腰にトンボをくくりつけた染岡が猛ダッシュしていた。その後ろを宍戸が丁寧にならしている。あれはあれで息の合ったいいコンビだ。ぐるーっと方向転換すると、少林寺がぱたぱたと大回りでついてくる。あいつらばかだなーと向こうを指さしてやると、半田先輩もやればいいんじゃないですかと言われた。くっそう。半田はちょっとバックして少林寺のトンボに片足を乗せる。うわ。突然の重みにつんのめった少林寺が、肩ごしに振り向いてくちびるをとがらせた。先輩、はやくやんないと昼休み終わりますよ。へーへー。半田はまた自分のトンボを持ち上げる。一度地面に落としてしまったので、柄が砂でざらざらになっていた。
冬の太陽は虚勢ばかりのけものみたいだ。ぎらぎらと眩しさだけは燃えるようなのに、ぬるいぬくもりは逆にうそっぽい。小石に乗り上げたトンボががたんと跳ね、驚いて吐いた息はしろく後ろに流された。半田は少林寺の横顔を見る。あのさぁ。なんですか。もし明日世界が終わるとしたら、おまえどうすんの。少林寺は顔色ひとつ変えずに、なにもしないです、と言った。そうなん。だってそんなことありえないじゃないですか。ありえないことをわざわざ想像して口に出すなんて、あほくさくてきらいです。あそう、と半田はくちびるを曲げる。少林寺は現実主義者だ。非現実的なことは信じないし興味だってない。たらればやもしもを毛嫌いしている少林寺の言葉や態度には、厳然たる現実が根をはってそびえている。からだはちいさくも、巌のように揺るぎない少林寺。世界中の誰にだって、押しも押されもしない少林寺。
しかし。でも明日世界は終わっちまうらしいぜ。しかしその横顔に、半田は一抹の脆さを感じずにはいられない。がらす板にひとすじ入ったひびのように、少林寺の横顔はその揺るぎない言葉をはしから裏切っていく。虚勢ばかりのけもの。ぬるい怒りをただよわせた、その横顔がしろくかたい。どうすんの。少林寺は半田をちらっと見て、それ聞いてどうするんです、と言った。意味ないですよ。意味とか別にいいじゃん。かーいい後輩とのコミュニケーション。そういうの、別のやつとやってください。なんで。少林寺はちょっと考えこむようにあたまを揺らしてから呟く。苦手なんです。なにが。そういう、まんがみたいなこと。想像するのとかどうしたいのとか、苦手だしあんまり考えないから。あーねーと半田は何度かうなづいた。少林寺はマンガも読まないしゲームもしないしテレビもあまり観ない。うまく想像できないんです。なるほどねえ。ぐっと手に力をこめて方向転換すると、かわいた砂が足元をけぶらせた。
そんじゃあさぁ。ぐるりと大回りして大急ぎで少林寺に並ぶと、半田はにやっとわらった。一緒に逃げよっか。え?だから、明日世界は終わっちまうわけだし、おれしにたくねえし、おまえなんも言わないし、だったら逃げてもいいんじゃね?えっえっ?少林寺はぱちぱちとまばたきしてぽかんと口をまるく開いた。ほんとに終わるの?そーだよ。だって先輩さっき。あーなんつーか話題自体はばか。朝なんだからもっと明るいはなししろっつうの。えーと少林寺はしぶい顔をする。うそだー。うそじゃねーよニュースみてみ?みんな言ってるから。えーと首をかしげかしげしている少林寺の隣を、トンボをがたんがたん揺らしながら染岡が駆け抜けた。あきれ果てた顔の宍戸が、その後ろを忠実についてきている。よっしゃ終わり。半田は最後の三メートルを駆け、ばたんとその場にトンボを放り出す。あゆむ、かたづけといて。いやです。じゃ宍戸。あーと少林寺は後ろを振り向いた。無理みたいですよ。グラウンドの向こうがわではやはり宍戸が染岡にトンボを押しつけられている。
いかにも無責任に、頼んだぜい、と両手を振って、半田はくるりときびすを返した。後ろからおもたいものを引きずる音がする。少林寺はいいやつだ。まじめでまっすぐで、つよくて容赦なくて、そのくせちょっと抜けていて、そして。明日世界が終わって、一緒に逃げようと言って、少林寺がもしもうなづいてくれたなら。半田は考える。今すぐにでも手に手を取って、宇宙までも飛んでいっていい。だけど世界は終わらないし、明日には平凡な日がまた訪れるに違いない。だから半田は宇宙には行かれないし、少林寺の手を取ることだってない。半田は足を止め、ちょっと振り向いた。明日世界が終わればいい。地球はふたつに割れればいい。半田はじっとグラウンドの向こうを眺める。ゆらゆら揺れる少林寺の背中。明日世界は終わるだろう。おれたちは月に腰かけている。少林寺のやさしい横顔をじっと見ている。りんりんと降る星に包まれて。








ワールドエンド・メンタルサプライ
半田と少林寺。
行きつけのゲーセンには非常階段の高いところにレンピッカのレプリカが飾ってあって、ほこりとやにでべたついたがらす越しに、紡錐形の乳房がメタリックに浮かび上がっている。メダルゲームの音が遠くから地鳴りのように響き、エアコンディショナも届かないうす暗いこの階段には、ゲーセンにいる時間のだいたい半分くらいはいることにしていた。泥足に踏み固められたくすんだあかい絨毯はつるつるの板のようになって、すり減った土門のインディアンファブリックのつま先をちょっとすべらせた。ずうっと下まで降りていく階段の先には重たい金属の扉があって、きいろいばってんがつけられキープアウトとわざわざ書かれている。土門はそのばかばかしい装飾を見下ろしながら、ミネラルウォーター片手にぼんやりと黙っている。地鳴りのような音がぶれて歓声みたいに聞こえた。スタジアムを揺らす満員の声。うすいまぶたでまばたきをする。
ゲーセンに遊びに行く、という習慣は中学のころの同級生から教わったことだ。三人、四人、いつもメンバーは決まっていて、部活の練習で疲労困憊したそのあと、汗くささにさらにたばこの臭いを上塗りした。サッカーしかすることのなかった中学時代、グラウンドの他に娯楽の欲しかったころ。鬱屈をやんわりと吐き出し、それと知らせぬままに消せる場所なんて思いつかなかった。土門は非常に性格のまるい人間だと周りには思われて(思わせて)いたが、ゲーム機を蹴っ飛ばす回数がいちばん多かったのは土門だった。はじめてそれをやったとき、今どき流行らないカードゲームの前で、半田は目をまるくして、一瞬迷うような素振りを見せたあと土門を引っぱって猛然とフロアを脱出した。ぎらぎらひかるエスカレーターを逆走し、土門の背中を自販機コーナーに押しこんで思いきりその尻を蹴りつけた。ばかやろーここの警備員めちゃこえーんだからな!松野が景品のチュッパチャプスをなめながらニシシとわらい、こいつびびりだから、と半田の後頭部をこづく。ごめんごめん。もうやらないよ。そのとき土門はかたちばかり謝ったが、やっぱり何度もおなじことを繰り返しては半田をびびらせた。円堂はしれっとした顔をしていたが、自販機の表面を殴ってひびを入れたことが、二回あった。らしい。
半田は説得が無駄だと知るや自分だけがさっさと逃げるようになったので、土門はいつもこの非常階段に忍びこむようにした。夏でも底冷えするような空虚さが心地よかったのに加え、いざとなったら非常口からとんずらしようと考えていた。ちゃちな英語で飾られた、重たくそびえるキープアウト。そんなことは全く無意味な行為だと知ったのは、最近だ。土門たちの乱暴ともいえないようなへたれた自己主張は、こわいと噂の警備員になにもかも筒抜けで、それでも彼らはなにも言わずに放っておいてくれたのだ。なんと麗しいおぞましい同情。ごみのように溜まる少年たちへの、残酷極まりない仕打ちだ。気づいたのが今でよかったと思う。きっと絶望に喰われて立ち直れなかった。高校に入ってからはほとんど連絡も取っていない。毎日のようにつるんで遊び歩いていたとは思えないほど、さっぱりとそれは途切れた。円堂が学校にある広場の階段から飛び降りて、足を折ったということだけ聞いた。
円堂がなにをしたくて、なにに憧れて、その結果どこに行きついてしまったのか、土門にはなんとなくわかってしまう。会いたくはなかった。奇妙な引力に飲まれ、どろどろに融かされてしまうのは目に見えていた。ぞっとするようなまなざしで、もうおまえ来なくていいよ、と言われたのは、あれは何年前だったか。自販機をぶち破り、だらだらと血を流しながら、円堂はにこりともしなかった。土門は恐怖し、震撼し、おざなりにほほえみながら、もうしないよ、と言った。暴君であった円堂には、足りないものの方がずっと多かった。満たされたくなんてなかったのに、周りがじゃんじゃん円堂にいらないものを注いで満たんにしてしまう。スタジアムを埋め尽くしたひとびとが、手に手を叩き口々に賞賛を繰り返す、そんなものは円堂にはひとかけらたりとも必要でない。土門は気づいていた。だから円堂は土門がうとましい。もうしないから、一緒にいさせてくれ。円堂は答えなかった。あれ以来かなしいことはない。二度目だって、見ることはできなかった。
土門が逃げこむ場所には思い出がぎたりと詰めこまれ、だからそこから離れられなくなる。どこを見ているのかわからないみどりのドレスの娘を眺めていると、非常口が外からおずおずと開いた。土門くん。今行くよとかるく手をあげ、土門はからだを返した。わざわざ正面入口から抜ける。駐車場にはさくらの花びらをびっしりとまとった軽自動車が停まっていた。ゆらゆらと揺れて、ボートみたいに。空がまっしろな月の日には、土門は口づけばかりしている。ゆらゆらと揺れて、流されて回り、雨に怯え波にすくむ、孤独なボートみたいに。







ボート
土門。
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無印雷門4番と一年生がすき。マイナー愛。

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