ヒヨル 忍者ブログ
女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

始まりはとても些細なことだった。いつものようにスポーツドリンクのボトルを片づけるために部室に入った木野が、不思議そうに首をかしげながらすぐに出てきて音無を呼んだ。これ、どこにしまうんだっけ?いつもの場所ですよーと音無は気楽に答え、しかしその言葉を聞いた木野は怪訝な顔をした。いつもの?音無は抱えていた砂まみれのコーンを地面に下ろし、木野に寄っていく。いつものですよう。ほら、奥のロッカーの中。木野は目を伏せた。先輩?音無は木野をのぞきこみ、じゃああたしが片づけちゃいますね、と明るくボトルのかごを受け取る。木野はほっとしたような顔をして、お願い、とほほえんだ。代わりにコーンを持ち上げ、そして困ったように辺りを見回し、またそれを地面に置く。どした?半田の言葉に木野はなんともいえない表情を浮かべ、これどこに置くんだっけ、と訊ねた。まじめな声で。始まりはとても些細なことだった。木野は部活の道具をしまう場所を忘れてしまっていた。
木野は円堂がいつも決まって飲むウィダーの味も忘れていた。それは木野が道具をしまう場所を忘れていた翌日、練習試合のアップ中に円堂の指摘で判明した。いつもの売り切れてた。円堂の言葉に木野は首をかしげる。いつもの?味違うけど。木野はすまなそうな顔をした。そう、ごめんね。なんか変だぞ。熱あるのか?結局円堂の指示でベンチには夏未が入り、木野はぽつんと荷物置き場に残された。気にすんなよ。前日の練習で足首をひねったため、おなじくベンチからあぶれた土門が木野にやさしく声をかける。ど忘れなんてよくあるって。木野はぼんやりとひざを抱え、うん、と曖昧な返事をした。あ、湿布変えたいんだけど、まだ残ってる?アイシングでもいいけど。土門の言葉に木野はぱっと顔を上げ、とまどうように視線を動かした。ええと。クーラーボックスに片手を置き、木野は逆の手でこめかみにふれる。ちょっと待ってね、ちょっと。あき。土門が目をまるくして問いかける。もしかしてそれも忘れちゃったの?その言葉に木野は土門を見た。呆然とした顔で、怯えたように。
とてもまれなことだと医者は言った。木野の記憶は、一日に必ずみっつずつ、失われていくという。原因はわかりません。ボブカットの小柄な女医が苦い顔をする。治療法もそうですが、問題は、記憶がどのような順番で失われていくか、全く予想ができないということです。ぽかんとした木野の後ろで、円堂と土門、響木は顔をこわばらせる。思ってもみないけがをした、当たり屋の被害者みたいに。医者はひどく言いづらそうに言葉を続ける。忘れてしまったことさえも忘れてしまうと、どうしようもありません。この病気は、対処法がまだ。そこまで聞くと円堂は木野の腕を引いて診察室を飛び出した。響木は今度はあの子の両親を連れてきますとあたまを下げる。土門がそっと廊下に出ると、そこで円堂は木野を抱きしめて立ち尽くしていた。一日に必ずみっつ。土門は記憶の指を折る。昨日。ボトルを片づける場所、コーンを片づける場所、救急バッグを片づける場所。今日。円堂のウィダーの種類。湿布をしまった場所。アイシングの方法。みっつ。一日に、必ず、みっつ。こころの中に巨大な氷が沈んだような衝撃だった。
結局それはサッカー部員だけに伝えられた。憔悴した円堂の口から。土門とおなじように円堂も氷みたいなつめたい現実を無理やり抱かされ、そのために溢れ返ってしまったものをひとりのものにはしておきたくなかったのだろう。珍しく焦った様子の円堂はおまえまだサッカー部にいるよなと木野を抱きしめながらひくくおめいた。夕焼けのオレンジが反射するあの廊下。ぴったり重なって伸びる影の、その濃いいろ。たちまち木野は部員に囲まれ、自分のことは覚えているか忘れないでほしいサッカー部にいてほしいと口々に訴えるせつない少年たちを、おなじくらいせつなくほほえんで見ていた。どうしようもないことと、あるいはもう、諦めていたのかもしれない。まるで山に棲み木を伐る杣のように、彼に伐られてゆく木々のように、木野の記憶は少しずつ消えていく。
あれからひとつき。木野はいろんなことを忘れ、また覚え、土門は毎日木野の送り迎えをすることにした。家も近いし、もしなにかが、木野が信号の渡り方や川や車が危ないということを忘れてしまうような事態が、起きてしまったとき。それに耐えられるように。すぐにそれを補ってあげられるように。切り株がぞろりと並ぶ木野の中の眠りの森。木野は毎日、必ずみっつ、なにかを手放してゆく。失ってゆく。そして土門は気づいてしまった。あの日。あの発症の日。あれは一之瀬を失った日だった。ふたりの前から一之瀬がいなくなった日。それは空から小鳥がいなくなった日だった。海から魚がいなくなった日だった。輝くものが死に絶えた日だった。あてどない絶望に突き飛ばされた、ああ、あの日もまた始まりだったのだ。終わりのない殉教を、そして木野は始めてしまった。たったひとり、ひとりぼっちで。木野は今どんな世界に棲んでいる。どんな顔をして。
おはよう、あき。木野は振り向いて、にこりとわらう。おはよう、土門くん。そして土門の傍らをちらりと見て、一之瀬くんは?と訊ねた。昨日とおなじことを、昨日とおなじ顔をして。今日の木野からはまたなにかが失われている。どうして一之瀬のことを忘れられないのか、土門はどうしても聞けない。一之瀬がいなくなってしまったことさえ、木野はもう忘れてしまったのだろうか。きよらかに立ち続ける一之瀬の存在。その永遠。かつてあの海の彼方に置いてきたはずのものが、今もなお輝きながら木野の中に根を張っている。うらやましかった。どうしようもなく。どうすることもできないくらい、それは甘美で、静かで、ひそやかで、そして、かなしかった。たとえあのオレンジの廊下で木野を抱きしめた円堂を忘れる日が来ても、土門を忘れる日が来ても、木野は一之瀬のことだけはきっと忘れない。木野はそのために木を伐ってゆく。ただ一之瀬だけを想い、一之瀬だけに占められた、木野は。それは、小鳥しかいない空。魚しかいない海。輝くものだけを見つめる、ひとりぼっちの殉教者。記憶を伐る杣は木野自身だ。
土門はそっと木野の手を取った。なあに、と木野がほほえむ。あき。不意に喉がつかえ、土門の声はかなしくよじれた。いくつ記憶をなくしても、その犠牲の日々に終わりが見えなくても、それでも木野はわらうのだ。昨日みたいに。一昨日みたいに。ずっと昔みたいに。一之瀬がいたころみたいに。おれはあきがすきだよ。ずっとすきだよ。だから。だから?土門はわらう。なんでもない。はやく行こうか。うんとうなづく木野の指は、土門のてのひらからすべり落ちた。一之瀬が忘れられなくていい。木野がどんな世界にいてもかまわない。だから、どうか。どうか光まで、失わないで。
一之瀬がうらやましかった。本当だ。







杣いろ少女
土門と木野。
リクエストありがとうございました!トンデモな感じになってしまってすみません。木野さんすきっておっしゃっていただけてとっても嬉しかったです!
PR
あんまり染岡くんをいじめちゃだめよ。豪炎寺はその言葉にのそりと振り向いて、アイシングに使うコンビニのビニル袋をさんかくに折りたたんでいる木野を見た。いじめてなんか。突然そんなふうに言われたために、思わず反論ががたつく。動揺する豪炎寺には目もくれずに、木野は淡々と袋をたたみ続け、それが終わるとうーんと両腕を伸ばして、試合ごとに撮影した記録媒体のラベル書きに入る。豪炎寺はなんともいえない顔をして木野を見て、手伝おうか、と言った。平気。木野はやはり豪炎寺を見もしない。豪炎寺は眉をしかめ、スパイクのひもを結びなおしていたベンチから立ちあがって、木野の傍らに無言で立った。なあに。なんだ。木野が顔をあげ、おおきな目をまたたいてちょっとほほえむ。砂ついてるよ。そう言って、途方に暮れたような豪炎寺のほほを指でそっとぬぐった。オカルトってどんな字だったっけ。ペンを回しながらぽつりと言う木野に知らないと答える。豪炎寺はあまりあたまがよくない。対戦校の名前や、ましてや漢字なんか、まともにちゃんと覚えていることはなかった。木野がちいさくため息をつく。いまさらのように豪炎寺は木野がぬぐった場所に触れた。つめたい指だったな、と思う。
木野はよく染岡を見ている。と、豪炎寺はなんとなく思っていて、それはいつも、いつだってなにかにぐじぐじと足を取られているような染岡に言葉をかけてやるのが木野だったからだ。なんでもないみたいな顔で、さりげなく、気づかいを染岡にそれと感じさせることもなく。染岡はそういうのがきらいだ。心配されたり、構われたり、あるいはいっそ、かばわれたり。木野は実際できるマネージャーだ。汚れ仕事のきらいな夏未や粗忽な面が目立つ音無をカバーして、なお余りある敏腕ぶりを発揮している。スポーツドリンクを作るのも木野がいちばん上手だ、と豪炎寺は思っている。夏未は濃すぎたり薄すぎたりぬるすぎたりするし、音無に至ってはそれらに加えてたまに洗剤の味までするのだ。木野はいつも、ちょうどいい濃さで作ってくれる。つめたすぎないよう、氷の量まで調節して。だから豪炎寺は木野のことを、なんとなく、おなじ選手であるような近しさを覚えている。メンタルもフィジカルも輝くようなものを持っているし、サッカー部を暗黒期から支えていたことで部員の信頼を一手に集めてもいる。尽くすタイプの真摯な少女。おまけに顔もきれいだ。豪炎寺とて、木野を憎からず思っている。だから腑に落ちない。いじめている?おれが、染岡を?
木野はぼさっと傍らにつっ立ったままの豪炎寺を再度見て、どうしたの、と首をかしげる。それはどうもポーズだけのようで、木野はまたすぐ作業に戻ってしまった。豪炎寺は木野のしろく華奢な、ちょっとだけ荒れた手をじっと見下ろす。確かに。それを感じないわけではない。ひりつくような敵意を、染岡は豪炎寺に向けていつまでもとめどなく放ち続けている。いつでも切羽詰まった、苦しい、つらい、染岡の顔。どうしようもない、無言の。でも、だからって。木野はふふっとわらった。鍵当番、かわるよ。豪炎寺はじっと木野を見る。違う。木野はそれを無視した。知ってるよ。豪炎寺くんがわるいんじゃないんだ。木野の手元がぶれて、ペンのインクがすうっとにじむ。鍵。置いて。木野の言葉に、豪炎寺は指にからめたままの鍵をそっと机に置いた。木野。木野は答えない。おれは。ぱたんとペンを落とした木野の指が豪炎寺の手をそっと握る。つめたい指。豪炎寺くんのせいじゃないの。でもね、わたしたち責められないの、もう。そんなこと、しようとだって思えないの。
部室を出ると雨が降っていた。出入り口のわきに、まっくろなこうもりを差した影野が立っている。しばし黙って見つめ合ったのち、影野は片手に持った、きれいに巻かれたビニル傘を豪炎寺に差し出した。黙ったまま。豪炎寺はそれに手を出さず、木野のじゃないのか、と言った。持ってるから。陰気な口調。学ランの肩がさらさらと濡れる。待ってるのか。影野はなにも答えない。木野はおれがきらいなのか。ふと口走ったその言葉に、影野のくちびるがくっとつりあがる。そうかもね。豪炎寺はわずかに眉を下げた。落胆。おれが染岡をいじめているからか。影野はそれには答えずに、でも少なくとも、と言った。おれたちは豪炎寺にはかなわないよ。おれたち、サッカーを楽しいなんて思えないから。豪炎寺は真顔になって、みんなそう言う、と答える。じゃあ、どうしてここにいるんだ。いやなら、出ていけばいい。影野はちょっとこうもりの内側を仰ぐようにした。そうだね。染岡がいなかったら、そうするかもね。
眉をひそめる豪炎寺を無視し、影野はその手にビニル傘を握らせるとこうもりを閉じて部室に入った。べたべたとくっついたビニルの皮膜を力ずくで広げ、豪炎寺は影野とおなじように、傘の内側を仰ぎ見る。いたたまれない気持ちで部室を振り向き、しかし豪炎寺にはなにもできなかった。今ではそこが、豪炎寺の居場所だ。のびのびとサッカーをする。みんなで。帰ろう。豪炎寺はぽつりとつぶやいた。苦しいつらい染岡の顔。いじめてなんかない。でも。わからないわけではなかった。豪炎寺はいつでも染岡を凌駕して、打ちのめして、そして、認めさせざるを得ないように、振る舞ってきた。一員になりたかったのだ。みんなでサッカーができるように、ただ、それだけだったのだ。いじめてなんかいない。それなのにあたまの奥がしくしくと痛む。
豪炎寺は部室の扉に手をかけて、やめた。あのふたりには、今は、なにも言ってはいけない気がした。だからといって、おれになにができる。一方的に、被害者みたいな顔ばかりして、染岡はなんにもわかっていない。今この場所にいることが、どんなにつらくて苦しいか、染岡はなんにもわかっていない。そしてできれば、このままわかってなんてほしくはなかった。
(だったらやめればいいだろう)
今のこの場所を失いたくはなかった。みんなでサッカーをしていたかった。染岡がどんなに敵意をあらわにしても、豪炎寺にとってもここは大切な場所になってしまったのだ。目を閉じることがかなわないほど、まばゆくあたたかな、大切な場所に。もう。
(それでも)
(それでもおれはおまえが、)







魔物群
豪炎寺と木野と影野。

後輩はヒットマン。

河川敷グラウンドのゴールのそばに、かかとで掻いたのだろうざりざりと荒い線が三本ならんで引かれている。その先端にはいちにさんと番号が振られていて(これは指か木の枝で書いたのだろう)、三本の線はまん中あたりが踏み荒らされてめちゃくちゃになっている。ときどき練習終わりに豪炎寺がそこで足運びのトレーニングをしていることを染岡は知っていたが、豪炎寺にまるで後ろ暗さなんかがないことに歯がゆいような気持ちになりながらなんとなく知らないふりをしていた。サッカー部二年生は一部をのぞくとまるでうまが合わないので、豪炎寺はいつも一年生を連れてトレーニングをしている。肩身の狭さなんか豪炎寺にはあってないようなものだ。ストップウォッチ片手にバインダを見ながら、宍戸がぼそぼそと数字を口にする。いちにいちににいちさんいちさんにさんさんいちにいちさんいちいちにいちいちさんさんにさんいちいちにいちいちさんににににさんいちにさんいちにさんさんにさんいちに。この数字どおりにラインを踏む。
知らないふりをしているとはいえ、河川敷は染岡も普段から使っている場所なので、ときどきは望みもしないのに顔を合わせてしまう。望みもしないのに、だ。宍戸は空気が読めるし豪炎寺はそもそも前しか見えていないような人間なので、何気なくそれを眺めていても、誰に咎められることもない。この練習は一分くらいが限界で、それは数字の方が参ってしまうからだ。だからからだ回転させちゃだめですって。一分にも満たずに豪炎寺は止まる。豪炎寺の癖だ。前に踏みこんだあと、後ろに下がるときに軸足をななめに下げる。ほうっておくとバックパスがきたときに顔面に食らいかねない。そうか。豪炎寺はこめかみをかるく掻いて、次はおまえがやれとばかりにバインダを奪った。かといって豪炎寺は数字を読むのがへたくそなので、結局宍戸の練習にはならない。宍戸は足運びならわるくはないのだ。しろい膝が骨の丘のような宍戸の足。
どうしてサッカーをやるのか、などと、柄にもなく哲学ぶった日にはだいたいこんな光景に遭遇してしまってひどく萎える。理由もなく邁進する馬力を、根こそぎ奪ったのは元はといえば。豪炎寺は強靭なからだをしている。屈強でしなやかで、折れも曲がりもしないつよい心とともに。そんなものを抱えて平然として、染岡には到底できないようなプレイを呼吸するようにこなしてしまう。円堂は豪炎寺を軽蔑していて、染岡だってできることならそう言い切ってしまいたい。豪炎寺はいやなやつだ。サッカー部の中で、いちばん正しくサッカーに向き合っている。正義面も使命感もない。ただ、呼吸するように。いちにさんいちにさんいちにいちにいちにさんいちにさんいちにいちにいちにさんさんにいちさんにいちいちにいちにさんにさんさんにいちいちにいちにさんにさんさんにさんにいちにいちいちいちに。宍戸の口元がしろくかすんでいる。果てしなくながい一分を終えて、宍戸はさも今気づいたかのように染岡を呼んだ。あー染岡さんおつかれっす。豪炎寺はその言葉にぱっと顔をあげ、おい、と言う。なにかくうもの持ってないか。染岡は鼻白み、持ってねえよ、とことさら声を張り上げた。そうか。豪炎寺は素直に引き下がる。豪炎寺はいやなやつだ。歩み寄ることも。
おまえはプロになりたいのか。悪意なく聞かれた、その言葉は今も染岡の内側でくすぶっている。どちらとも答えられずに、おまえは、と逆に染岡は問い返す。おれはなりたい。豪炎寺はまっさらな顔で、いつもどおりの仏頂面できっぱりと言った。なんで。楽しいから。は。サッカーは楽しいだろう。楽しくなんかねえよ。突然声を荒らげた染岡を豪炎寺はじっと眺めて、かまわない、と言う。じゃあ、それでもかまわない。楽しくなくてもいい、な。うるせえよ。染岡はそれ以上を聞かなかった。持っているものには、豪炎寺には、永遠にわからないに違いなかった。純粋な、清いと言ってもいいほどのそんな言葉に目を射られ、光をなくして絶望にあえぐ、持たざるものの気持ちなど。楽しくなくてもいいだなんてどの口が言う。思ってもないくせに。ばかにしやがって。踏み台なら、それでもよかった。誰かの成長の支えになれるならば、染岡だって誇らしかった。ただ、豪炎寺にだけは許せないと思った。息を切らして汗を絞って、必死になって駆け上がる場所を、そのはるか頭上を、綺羅星のごとく駆け抜ける豪炎寺には。豪炎寺にだけは!
腹が減ったな。ぽつりと呟く豪炎寺をよそに、宍戸はさっさと荷物をまとめてじゃあまた明日ーおつかれさまっすーとへらへらと帰ってしまった。豪炎寺はじっと足下の線を見て、消えかけた場所を丁寧に書き直す。染岡はその孤独な所作を眺めながら、ひどく息苦しい気持ちのまま足を踏み変える。帰る。豪炎寺は振り向き、そうか、と染岡を見た。練習、しなくていいのか。いいよ。おめーがいると邪魔なんだよ。そうか。平然と豪炎寺は言い、おれは場所を変えてもかまわない、と言った。おまえが使うなら。かまわないかまわないかまわない。染岡はくちびるを歪める。おまえ、サッカーができたらなんでもいいのな。ああ。豪炎寺はきっぱりと言う。サッカーは楽しいだろう。豪炎寺はいやなやつだ。染岡はうんざりした気持ちになる。泣きたいような気持ちになる。豪炎寺はいやなやつだ。本当に本当にいやなやつだ。人間の皮をかむりながら、ばけものみたいなことばかり言う。








魔物音
染岡と豪炎寺。
世界が終わるとしたら、それは死だ。抗うことのできない、無限不可避の暴力。ひとは失ったときにそれを迎える。粛々と、あるいは、それよりももっと、悲痛に。
その日、影野は松野の家の近所のコンビニまでやって来た。薄っぺらいフリーペーパーの冊子を手の中でまるく曲げながら、いつもよりずっと無口で。その日、朝練で顔を合わせた宍戸は寝不足でぼうっとしていた。徹夜で音楽を聴きながら映画を観ていたという。器用なやつだ。その日、少林寺は宍戸とはまた違うふうにぼんやりとして、練習中にも関わらずときどきなにかを考えこむような仕草をしていた。どうせ聞いてもわからないだろうし、知らないふりをしていた。その日、半田は虫歯の数を数えて憂鬱がっていた。三本も詰めたり削ったり。その言い方がなんだか気に入って繰り返したら、半田は不機嫌にあくびをして、それきりになった。その日、木野はまぶたをあかく腫らしていた。ふられたのかとぶしつけに訊くと、木野は痛いような顔でそっとわらって、そうかもね、と言った。驚くほど無感動に。
世界が終わるとしたら、それは死だ。抗うことのできない、無限不可避の暴力。あらゆる得がたい幸福の中から押し頂くように迎える、光り輝くきよらかなものだ。その日。空は澄みわたり、風はつめたく、しっとりと静まる地面から、やわらかに吐息が立ちのぼっていた。光り輝くきよらかなものもの。死で分かち合う、愛は、祈りのかたちだという。
世界は。
木野とつきあうことになったよ。影野がぼそりとそんなことを言うので、松野は思わず目を見開いて足を止めた。は?影野は数歩ゆきすぎて、そこでようやく気づいて肩ごしに振り返る。なんだよそれ。なんだ、って。なんで木野とつきあうんだよ。影野は表情ひとつ変えず、告白したんだ、と言った。前からずっとすきだったから。松野はあのときわらったけど、おれは冗談なんかじゃなかった。木野がすきだよ。ちゃんと。松野はわらおうとして、わななくくちびるを無理やり曲げた。あれは。だって、おまえ。木野が、木野がさぁ、おまえなんかとつきあうわけないだろ?だっておまえ、きもいし。暗いし。サッカーもへたくそだし。いいとこなんかいっこも。影野はその言葉を遮るように、松野からちょっと目をそらした。でも、いいって言ってくれた。キスもした。そんなもん誰とでもできるだろ!松野は激昂する。どうにかなってしまいそうな憤りが、腹の底から活火山の噴煙のようにじゃんじゃん湧いてきた。あたまがかすんで、しろくなる。つきあう?誰が、誰と。
松野?影野が一歩あゆみ寄り、そっと松野を覗きこむようにした。手も触れず、かなしい顔もせず。松野、ごめん。ごめんね。松野は目がくらんだ。その瞬間、そのやさしい言葉が松野に向けてやわらかに放たれた瞬間、松野のこころはねじ切れた。あり得ないほどの怒りと、痛みと、さびしさと、かなしみを伴って。松野の時間はすべて奪われ、空洞のからだを影野の言葉が幾億の鐘のようにこだまする。ごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねごめんね。ごめんね。影野は知っていたのだろうか。わかっていたのだろうか。世界が終わるとしたら、それは、死だ。抗うことのできない、無限不可避の暴力。影野だけがそれを持っている。そして今、世界の終わりははじまった。松野のこころはねじ切れて死んでしまった。松野にはもうなにもない。
喉が嵐のように波打って、気づいたら松野は絶叫していた。まるで洪水だ。ありとあらゆる感情を垂れ流し、松野は暴風のように影野につかみかかる。前髪を引き寄せ、思い切りその顔に拳を叩きこんだ。真正面。鼻の折れるいやな感触がした。影野はいちどあたまを揺らして、それから、仰向けに倒れる。その背中が地面に触れようとした、とたんに影野の姿は消え失せる。びくりと松野は指を引きつらせた。ああ。おもたいため息がすぐそばで聞こえる。木野が松野のすぐ隣に立っていた。かなしい顔をして。木野。松野は思わずその腕をつかんだ。おまえ、あいつのこと。木野はぽつりとささやく。愛してるって言ったのに。松野に腕をつかませたまま、木野はそっと地面を指さした。影野が倒れた(ように見えた)場所には宍戸が仰向けに横たわって顔をまっかに染めている。何食わぬ顔で。ひっ、と松野はみじかく息をする。死んでしまいたい。宍戸のくちびるがわずかに動いた。一緒に、死んでしまいたい。無理だよ。松野は視線を動かし、声を詰まらせる。松野がつかんでいる腕は、いつの間にか少林寺のものになっていた。うつろな目をした少林寺の横顔。そんなことあり得ない。ああ。松野は荒い息をした。弾かれたように少林寺の腕から手を離す。おまえら、なんで。だって。少林寺はちょっとわらった。あんなこと言うから。先輩が『あんなこと言うから』。
ごそりと起き上がる気配がする。松野はそちらに目をやると、くちびるをふるわせて一歩後ずさった。半田が鼻血をだらだら流しながらからだを起こし、手のひらに欠けた奥歯を吐き出している。虫歯の歯。それじゃあ逃げようか。半田の目がわらっていない。逃げるのか。おまえ逃げるのか。おれ。松野はがたがたとわななく指で帽子のあたまを抱えた。おれ、なに、おれが、おれがなにかしたのか。おれがなにしたんだ!なにしたんだよ言ってみろよ!松野は混乱し、恐慌し、ただひたすら声を張り上げた。なにが起きているのかわからない。自分がなにをしたのか、わからない。ねじ切れて死んでしまったのは自分だった。自分は被害者だったはずだ。影野に殺戮されて。影野に。影野。「影野?」半田は濁った目で、にこりとほほえむ。おお、なんだ。おまえも生きてたのか。
ぴたりと。松野は動きを止めた。つめたいつめたい手のひらが、松野の両目を後ろから覆っている。おれがなにをしたんだ。松野はがたがたと全身をふるわせる。おまえらに、おれが、なにしたんだよ。なんだよ。なんなんだよ。なんか言えよ!影野!

「だって松野が言ったんじゃないか」
「明日世界が終わるとしたらどうするのかって」
「世界が終わるって」
「そう言ったのは松野じゃないか」

世界が終わるとしたら、それは死だ。抗うことのできない、無限不可避の暴力。ひとは失ったときにそれを迎える。光り輝くきよらかなもの。そして世界は終わってしまった。また始まるために。死で分かち合う愛を祈るために。みんなわらっている。みんなわらっている。みんなみんなわらっている。おれだけがないている。

「ごめんね」


ああ、おれもはやく狂ってしまいたい。








ワールドエンド・ワールド・エンド
完結。
[17]  [18]  [19]  [20]  [21]  [22]  [23]  [24]  [25]  [26]  [27
カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
まづ
性別:
非公開
自己紹介:
無印雷門4番と一年生がすき。マイナー愛。

adolf_hitlar!hotmail.com

フリーエリア
アクセス解析

忍者ブログ [PR]