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女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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膝の裏側に歯形を見つけた。土曜日と、木曜日。そんなとこ噛むなんて変態だと思って近くにいた少林寺を手招きしてあれ聞いてきて、と言った。少林寺は腑に落ちない顔で嫌そうにしながら、それでもつかつかと迷いない足取りで彼に向かう。少林寺はそういうおかしなことを想像したりしないんだなぁとしみじみしたら、今度はまっすぐこちらに向かってきた少林寺にみぞおちを突かれた。ぼへっ!?自分で聞きに来いって。少林寺は淡々と言う。今はむりと熱がこみあげる腹を押さえて首を振ると、少林寺はさげすむような目をした。それがたまらなくいい。彼は少林寺の向こうでニヤニヤしながら待っている。噛みちぎられてぎざぎざの爪とあかく剥けた指先をして。ジェラってる?結局むこうから近づいてきてそんなことを言う。うそうそ。おれおまえひとすじ。それが嘘だろと思ったけれどなにも言わずにみぞおちを叩いてやった。宍戸のからだは骨だらけで手がいたい。
ときどきいろんなものに対して無償にやさしくしたい期間がやってくる。熱が出そうなときのあの感じに近い。鼻の奥があつくなって倦怠がどろっとのどをすべり落ちる、瞬間。なんだかもう世界のすべてがいとおしくてうつくしくて、あまがゆいもどかしさに脳をわらわら侵されながら嘔吐する。病んでるなぁっては、思わなくもない。宍戸は吐きぐせがあってよくひとりで吐いている。つらいときとか苦しいとき、さみしがりの宍戸はことさらひとりでいようとする。からだをからっぽにして、つらいことや苦しいことがそこをじゃんじゃん抜けていってくれるのを待っている。あのひとといるときどうなのかなぁと思って、思っただけで考えるのをやめた。まるで宍戸が必要みたい。そんなことはない。ぜーんぜん、だ。だけど吐きながら考えるのは宍戸のことばっかりでかなしくなる。おれたちはくず野郎だ。いっそ世界から見捨てられたい。でもそれはひとりでいい。宍戸はくず野郎なりに上手にやっていけると思う。
なんだか自分が自分でなくなっていくような気がしている。と宍戸に言うと、宍戸はちょっと動揺して、嬉しいのとかなしいの半々みたいな感じで、大丈夫だよ、と言った、そのあと。こういうのうつるもんなの。ひとりごとみたいに宍戸は呟いて、なんだかそれがいやに引っかかる。うつる。宍戸からなにかをうつされたのだろうかと考えて、すこし記憶を探っただけでも心当たりがたくさんありすぎてウゲーとなった。病気とかなら困る。困るけどそれ以外のどうでもいいものなら別にいいかなと思う。そのうち。宍戸はつめたい手で首や耳や頬にさわる。宍戸の指先は荒れていてつらい。みえたり、聞こえたり、みえなくなったり、きこえなくなったり、するかも。なにそれ。うーんおれもよくわからんけどおれがそうだったから。宍戸は照れくさそうにわらって大丈夫だよ、と言った。案外わるくねーよ。くずみたいなおれたちにはお似合いだという意味だろうか。
今思えば宍戸は大丈夫だと、そればかりを口にしていた。誰に言うでもなく、かと言って自分に言い聞かせるわけでもなく。今思えば。思い出せるものは少なくなった。みえるものが増えて、みえなくなるものも増えた。あまがゆいあの感覚が脳をかき混ぜることもなくなった。もう世界をいとおしくてうつくしいものだとは思わない。それでもときどき得体の知れない羨望がこみ上げて、だらだらと吐いていたりもする。並んで帰りながら、宍戸がこれを、あのひとにはうつしてないといいな、と思った。大丈夫、なのは、いつも外側ばかりだ。守られない約束と、咲き誇る悔恨。うつくしい世界に吹きだまりささくれる塊。大丈夫だよ。宍戸はのどをそらす。しろいひふ。あかい指先。あおい血管。あかい嘘。あかいあかい嘘。明日なんて来ないよ。冬の嘘はきれぎれになって、ちぎれ果てて、つかれ果てて、粉々で。そのあとには星がひかった。明日になれば消えてしまうので、それまであればいいと思った。
きみは荒れた唇でおれのからだを這い回り、骨だけの魚がきみの背中を這い回る。南風は止んで、北風が暴れる。きみの街に冬はまだかな。きみの街には冬がまだ来なければいいな。


ぼくはねーきみを騙したいんだよ。なんて言ったらきみは泣くかな。











チームマイナスひゃくパーセント
宍戸と栗松。
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それはじいちゃんを隠してた言い訳か?カウンター越しに投げつけられる挑戦的な円堂の目に響木は苦笑し、まぁ食え、と手つかずのラーメンを勧める。円堂はチッと舌打ちをし、くわえて割ったはしを手に猛然とラーメンをすすり始めた。円堂はときどきひとりでこうしてラーメンをたべにくる。誰にも聞かせたくないことを、遠慮なく響木にぶつけるために。手負いのけだものにも似た燃え盛るばかりの苛立ちと鬱屈を、それでも円堂は周囲に隠そうとする。隠しきれていないのは誰の目にも明らかではあったが。
世界大会が開催されるという報せは、例の騒動のすぐあとに届いた。にも関わらず、ある程度の人数がすでに代表としてピックアップされており、その先頭にはキャプテンとして円堂守の名前があったので、響木は一足先に円堂に連絡を取ったのだった。近くにいるからとものの五分で雷雷軒に現れた円堂は、原因はわからないが荒れに荒れ、ラーメンを作る響木を尻目に店中のテーブルと椅子をひっくり返して、そうして、じいちゃんがいるのか、と言った。店の隅に唯一残ったスツールをまたぎながら。誰から聞いた。円堂はそれには答えず、分厚く切ったチャーシュウが乗ったラーメンを難しい顔でたべている。隠してたわけじゃないんだがな。羽をつけて焼いたギョウザをカウンターに置く響木を円堂はにらみ、どうせまた知らないふりしてろとか言うんだろ、と忌々しげに吐き捨てる。ゴッドハンドが出なくなった、と血相を変えて店に駆け込んできて以来、円堂はサッカーから遠ざかっている。サッカーからも、仲間からも。
不景気な顔でギョウザをほおばる円堂を見て、響木は鍋に油を引く。監督さぁどうせもう知ってんだろ。円堂がにんにくくさい長いげっぷをしてから言った。あいつら、来るの。響木は平然と、両方だな、と答える。誰。豪炎寺と壁山と風丸は決まっている。染岡はたぶん大丈夫だ。目金は別の仕事をする。松野は選考には出るそうだが、まぁ、どうだろうな。円堂はちょっと考えるように首をめぐらせる。他は。半田と影野は選考にも出ない。少林寺も出ないだろうな。宍戸は、あの怪我だ。栗松はまだ迷ってる。携帯を取り出そうとする円堂に、おれから言うよ、と響木は苦笑した。円堂に言われるのはつらいだろう。なんでだよ。察してやれ。まだ食い足りない顔をしている円堂にチャーハンを出し、気に入らないのはわかるがなぁ、と響木はわらう。それも仕方ないことだ。円堂は眉をひくつかせた。あんたらはいつもそういうことばっかり言ってるよな。結局おれかよ。じいちゃんのことも隠してたくせに。円堂のスニーカーが横たわるスツールを蹴飛ばした。おもたい音がする。
チャーハンをたべ尽くし、円堂はカウンターに額を押しつけた。監督。おれはまたあいつらとサッカーしたいんだよ。おれは世界なんてどうでもいい。サッカーなんかしなくていいんだ。またあいつらのところに戻りたい。なんでそれはだめなんだ。じいちゃんは生きてたのに。そのとき入り口がほそく開き、ひどく目つきのわるい長身の少年が顔を覗かせた。眉をそり落とし、リーゼントを揺らしているその少年は、店の惨状にぎょっとした様子で響木を見た。顔を上げた円堂が敵意もあらわに椅子から腰を浮かす。やめろと円堂を制し、今日はいいよ、と響木は少年に呼びかけた。なにか言いたげにかるくあたまを下げた少年が音もなく閉めた扉をにらんで、なんだあいつ、と円堂は言う。あれも代表だ。うまくやれそうか?興味ねえ。円堂はつまらなそうに再びカウンターに顔を伏せた。響木は黙って円堂の食器を流し台に引き上げる。改めて見ると店はひどい有り様だった。驚くのも無理はない、と思う。
円堂は首を傾けて、油じみたすすけた壁を見ながら、監督、と言った。なんだ。おれはさぁ。円堂はまばたきをする。本当は、なんにもしなくてもよかったんじゃないか。ただ弱小サッカー部のキャプテンで、それだけで、よかったんじゃないか。響木は答えない。なぁ。円堂はちょっとわらう。ほんとはおれは「なんにもしてない」んだろ。全国優勝して、日本を回って、でもおれはなんにも変わってない。誰も救えない。雷雷軒は、以前は半田や染岡と来るのが当たり前だった。一年生とも。気が向いたら影野や目金を誘ってやったり、松野や風丸や豪炎寺がいつの間にか混じっていたり。それはとても幸福なことだった。なぜ、と思う。なぜ、あのままでいられなかったのだろう。響木がなにかを刻む音が鼓膜を揺らす。うるせえな、と思った。監督。円堂はかすれた声で言う。監督。おれは、なにを、手に入れたんだっけ。そんで、なにを(、奪われたんだっけ)。
死んだ方がましだと思った。死んでいるのかもしれないと思った。おれたちもしかしたら死んでるのかもなと言ったら、響木はわらって、そいつはしあわせだな、と言った。もう帰るよとからだを起こすと、金はいらんから早く帰れと響木はいつものように言う。円堂は礼の代わりに、おれたちもう死んでたらしあわせだな、と繰り返した。響木はそれには答えずに、おまえが誰よりしあわせだよ、とよくわからないことを言う。円堂は鼻でわらい、よく言うよ、と倒れた椅子を蹴飛ばした。響木はいつも、こういうときにはなにも言わない。知っているくせに。円堂は乱暴に引き戸を開閉した。えんどーお。半田の間延びした声がする。早く来いよと染岡がいらついている。キャプテンよくたべますねーと後ろであかるくわらう声がする。このあとゲーセンいくべーと円堂の隣を誰かがすり抜ける。円堂。誰かが呼ぶ。円堂。円堂を呼ぶ。円堂くん。先輩。円堂。キャプテン。円堂。円堂。えんどう。
円堂は肩ごしに振り向いた。記憶がちぎれ、幻影は消え、声たちは遠ざかり、輝くものはこなごなに散らばる。おれたち、もう、死んだ方がましだったんだろうか。あのとき、あのときのまま。それを孤独と、退廃と、絶望と、誰かが呼ぶのだとしても。円堂は駆け出した。あたまがあつくてめまいがする。構わないのに。それでも構わなかったのに。しあわせはあのときで、あの部室の中で、十分だったのに。円堂は吼えた。なんにもしてないのに、失って、奪われて、それでもそれを、誰かは、幸福と、呼ぶのか。それを!夜は深く、円堂はそれに呑まれてもう死んだって構わないと思った。あのとき円堂の希望だったものものは、今は。









レギオン行進曲
円堂と響木監督。
四月の半ばにぽつんと落ちたような雪の日に宍戸がつけていた手袋は、中指の付け根の部分がすりきれててのひらのひふが見えていた。十月の終わりの、寒冷前線がとち狂ったような唐突な冬の日に宍戸がつけていた手袋は、そのときのものとおなじものだった。編み目の荒いうすねずの手袋の、中指の付け根の部分がやはりすりきれている。宍戸はいつもよりあかい鼻をしてしきりに洟をすすりながら、おれ今日ヒートテック着てきちったよ、と栗松に話していた。うえー早くねー?早いよーでもさびーし。ノーガードだとおれ死んじゃう。寒死しちゃうサムシ、と繰り返しながら、宍戸は栗松のカラーのすき間から指を差しこもうとする。つめてーよ、と栗松は首を押さえて、そのときになって染岡ははじめて宍戸がいつの間にか手袋を外していることに気づいた。おれ冬まじきらい、と寒そうに肩を縮めてぽけっとに手を入れる宍戸の声はどことなく水っぽく、狂ったような冬にひときわ寒々しい。
寒波とともに撒き散らされた午後の雨は、針のような空気をますますつめたく尖らせる。冬の雨はいつまでもだらだらと降り続ける、のが嫌で、冬の雨の日には染岡は機嫌がわるい。鼓膜にしなしなと心細い音でいくつも穴を開けていくような、へんに暴力的なところもうっとうしいし、水びたしのグラウンドはそれだけで気が滅入る。気持ちばかり逸って、しかし染岡にできることはなにもなく、実の伴わないやる気を持て余しては余計に不機嫌になる。いつの間にこんなふうにサッカーをしたいと思うようになったのだろうと思った。ただひとつのことへ盲目的に邁進することだけで、今や満たされようとしている。実が伴わないのは、当たり前のことだった。ただ認めたくないだけで。雨のむこうにぽかりと青空が覗いたが、すぐに曇天に塗りつぶされてしまった。ただ認めたくないだけで、サッカーをしている、ふりをしている。
奇妙なことに、地下修練場に集められて紅白戦をやるからとグッパをしているときにも、宍戸の手にはあのうすねずの手袋がはまっていた。一回目は豪炎寺がチーを出してやり直しになったが、二回目にはうまくグとパが分かれて染岡グーの方のキャプテン(仮)になった。六六の変則ルール。キーパーは置かない。円堂はパーの方で、なぜかボランチにいた。その隣で宍戸が足首を回している。うすねずの手袋に、円堂はなにも言わない。松野がパーチームはあたまがパーだとかなんとか騒いでいる。松野もパーチームのくせに、と思った。染岡はちらりと肩ごしに後ろを見る。風丸の鼻のあたまがあかかった。修練場は寒い。雨が冷気になって染みてくる。向かいの豪炎寺も後ろを振り向いた。面倒くさそうに首をひねっている円堂が手のしぐさだけで、前だけ見てろ、と言う。木野のホイッスルがつめたい空気を裂いて響いた。染岡の横を風丸が猛然と駆け抜ける。その瞬間、染岡のあたまの中はまたたく間にさらわれて、あとは戦うだけの動物になる。
目金をチャージではじいてボールを奪った染岡の目の前に宍戸がすべりこんでくる。左右に振るが宍戸は離れない。がつ、とにぶい感触で脚と脚が接触する。あっと思った瞬間には上半身が泳ぎ、そこをすり抜けるように宍戸はボールを奪っていった。足の下にはすいかの模様のボール。くそっと染岡は振り返る。ボールは既に円堂に渡っていた。跳ねるように風丸をかわす円堂を見て、不意に吐いた息がしろい。宍戸は納得がいかないようにしきりに首をひねっている。おい、と声をかけると、宍戸は振り向き、それが染岡だと気づくとくちびるを歪めて歯をちらりと覗かせた。わらったような気がする。影野にゴールを阻まれた円堂のひくい怒号が鼓膜を揺らした。ぞろりと地面を影が這う。首の後ろは燃えるようにあついのに、鼻の奥が凍るほどつめたい。再度のホイッスル。半田がゲホッと咳をする。
蛇口の水は指を切るほどつめたかった。マネージャーがわざわざ温かいまま持ってきたおでんでもたべるかと、各々手を洗っている。バッバラッバッバーンハッハーン、と謎の鼻歌を歌いながら宍戸が隣に並んで蛇口をひねり、あの手袋をつけたままそこに手を差し出した。染岡はぎょっとする。おい。思わず手首を掴んだことに、宍戸はうぇっ、とへんな声を上げる。なんすか。おまえなぁ手ぇ洗うときくらいそれ外せよ。それって。宍戸はてのひらを見て、染岡を見て、なんもないっすよ、と言った。うすねずの手袋をつけて。これだよ、と染岡が宍戸の手にさわろうとしたとたん、なんか染岡さんがへんなこと言うわーと、宍戸はさらりとそれをかわした。栗松が入れ違いに染岡の隣に並ぶ。いぶかしげな顔でこちらを見てくる栗松に、なんだ、と染岡はすごんで見せる。栗松は困ったような顔をして、染岡さんあんま気にしないでやってほしいでやんす、と言った。
おでんをたべているときも宍戸はあの手袋をつけっぱなしで、そのあとの個人練習のときも、ミーティングのときも、宍戸はそれを外そうとしなかった。修練場の外はかじかむ夜で、降り残した雨が霧のようにもうもうと舞っている。宍戸は寒そうにてのひらをこすり合わせ、二の腕をごしごしとこすった。あれ。染岡はまばたきをする。宍戸はしろい手指を覗かせていた。さっきまで手袋をつけていたはずなのに。宍戸は視線に気づいたのか、わずかにくちびるをほころばせて、さびーっすね、と言った。そうだな。染岡はすこし考えて、手袋は、と問いかけた。しないのか。宍戸は答えない。さっきまでしてただろ。練習のときとかも。宍戸は首を曲げてちょっとわらい、そーゆーんじゃないんすよねぇ、と言った。染岡は眉をひそめる。こまかい雨は染岡のみじかいまつ毛にもしぶいて、うまく目が開けていられない。
じゃ、ヒント。宍戸は大股で近づいてきて、すっとてのひらを染岡に向ける。とん、とそのしろいてのひらが染岡の胸を突き、しかしその瞬間、宍戸の手にはあの手袋が現れていた。編み目の荒いうすねずの、中指の付け根のすりきれたあとがふさがった、まっさらな。染岡は目をまるくする。わるいなって思ってますよ。宍戸は手を見ながらそう言った。染岡はなにも言えない。まぁでも仕方ないことっすよ、ね、と、両手をぽけっとに入れた宍戸が、それを再び抜き出したときにはもう手袋は消えている。そんじゃあ。宍戸はくるりときびすを返し、ちょうど修練場から出てきた栗松のところへ走っていく。そしてしろい手で栗松の鼻をつまんだり耳をさわったり、する。栗松はうっとうしそうにあたまを振り、ふたりはそのままじゃれ合いながら遠ざかっていった。
染岡はあっけに取られて立ち尽くし、雨が鼻のわきをすべり落ちる感覚にはっとして、それでも動けなかった。いってしまった、と思った。あのときには、いや、はじめから。宍戸は遠くとおくにいて、そして、もう戻ってはこない。それだけを選んで、それだけのために生きることは、幸福なのだろうか。それとも果てしなく苦しいだけなのだろうか。こんなにかなしいことはない、と、選びも選ばれもしない染岡はなきたくなる。仕方のないことだと宍戸は言った。染岡がサッカーを、仕方のないことと望んでしまうように。サッカーのために生きることもできないのに、サッカーを選ぶふりをする染岡には。宍戸が触れた部分をそっとなでた。きっとあれが最後だったんだろうな、と思った。










暴竜哭かしむる
染岡と宍戸。
昨日は満月だといって、テレビのコマーシャルではしきりに満月の夜にお酒を飲もうというようなことを言っていた。急に冷え込んだその夜に見上げた月は確かに欠けた部分もなくまるかったが、夜空にはりつくその寒々しいあおさがすっかり冬のそれだった、ことの方に、塔子はなんとなく飲まれてしまっていた。洗い髪の首筋のつめたさが増したような気がして、急いで部屋の中に引っ込む。リカはマイペースにペディキュアと髪の毛を同時にドライヤーで乾かしていた。昨日までくろいペディキュアだったリカの足の爪は、今日はうすいみず色に塗られてトップコートをつややかに光らせている。リカにはあおが似合う。濃いのもうすいのも。あおいものならなんでも、リカにはすんなりとなじんでいく。
タオルで髪の毛をごしごしやりながらリカの隣に座ると、リカは脚を伸ばしたまま上半身だけをねじるようにして塔子の髪の毛に触れた。ドライヤーの熱風に耳がちりつく。あんた髪多いなぁ。そうかぁ?リカの言葉に塔子は首をかしげる。あんまよくわかんないや。あたしこれがフツーだし。髪多いと寝ぐせだらけなるで。リカの言葉におおっと塔子は納得する。そういえば前までは館野や加賀美に毎朝のように髪の毛を直されていた。そうかも!せやろー。やから手入れはちゃんとせなあかんねんて。リカの指が塔子の湿った髪をかき混ぜる。リカが来てからは、塔子の寝ぐせはリカが直してくれるようになった。おまけに寝る前にちゃんと整えてくれるので、しばらく塔子は館野たちの世話になっていない。リカが持ってきた、自然素材のちょっとお高いトリートメントを使わせてもらっているのも、それに一役買っているかもしれない。あんまりたくさん使うとリカは怒るけれど。
リカといるとおもしろいな、と塔子は思う。今まで知らなかったいろんなことが当たり前になっていく、その感覚がおもしろい。リカがしてきた当たり前の生活に、塔子がぴたりぴたりとはまっていくような、決して不快ではないむずがゆさ。逆に塔子の当たり前にリカが変わっていくこともある。脱いだ靴をきちんと揃えたり、廊下をあるくときは少しだけ静かな足運びをしたり。東京の塔子の家にリカが住みはじめてずいぶん経つが、あけすけな下町気質のリカをこの家に出入りする誰もが気に入ってくれていることに、塔子は誇らしささえ感じていた。リカといると楽しくて、嬉しい。円堂たちとはまた違う、素直で穏やかな自分でいられる。だけど、もうあの頃のような熱い気持ちで一緒にサッカーをすることはないのかもしれない、という、一抹の寂しさはいつもそこに貼りついていた。塔子とリカをいちばん最初に繋いでくれたもの。きれいに磨かれたサッカーボールは、今でもどちらの部屋にも当たり前に置かれている。
今日ね、満月だった。あー、さっきそれで外出てたん?うん。きれいだったよー。リカも見てきなよ。そんなんいつでも見られるやん。寒いから外出たないわ。リカはさーそうやってすぐにさー寒いとか言っちゃってさ。なにを拗ねてんねんな。リカがぺたんと塔子のうしろあたまにてのひらを当てる。あおくてきれいだった。ふうん。リカみたい。うちあんな顔まん丸ちゃうわ。食欲の秋だもんね。やかましいわ。(塔子の家に来てからリカは二キロも太ったと嘆いていた。)終わり、と熱風が途切れる。すっかり暖まった首筋を撫で、髪の毛を揺らしてありがとっと塔子はリカに向き直る。今日一緒に寝てもいい?ええよーとおざなりに答えながら、リカはドライヤーのコードを巻き直している。塔子は唐突に腕を広げ、リカの上半身を思いきり抱きしめた。リカの髪の毛は塔子と同じ匂いがする。幸福な匂い。そのままの勢いでもつれるように床に倒れ、ふたりで声をあげてわらう。
塔子が枕を取って戻ってくると、リカはベランダに立って月を見ていた。華奢な背中にながい髪を流し、それを月光に光らせて、リカはじっと月を眺めている。固い顔をして。塔子は言葉をなくして佇む。当たり前を分け合い、同じ匂いの髪をして、枕を並べて眠るのに、最後の最後に、リカはそっと言葉を隠してしまう。誰にも見つからないように、慎重に。リカ?おそるおそる呼びかけると、リカは振り向き、満月見てるとおなか減るなぁとあかるくわらった。塔子はぎこちなくほほえみ、もう寝よう、と部屋の中からリカの腕を引く。ベッドの中で絡めた足はつめたく、まるでさっきのリカのペディキュアがつめたい星々になってしまったようだと思った。サッカーがもうできなくなるなら、今のふたりを繋ぐものはなんなのだろう。やわらかで当たり障りのない言葉では、それは、到底言い表せられない。リカにはあおが似合うけれど、そんな寒くて寂しいところに、どうして行かせてしまったのだろう、と思った。冬の始まりのあおい満月の下では、リカは。
今日は一之瀬の手術の日だった。









カムチャツカ流星群のあとに
塔子とリカ。
生前は、という言い方をする。
兵器たちに名前はない。兵器としての適性がわかるや、彼らからはすべてが奪われてしまう。兵器はカプセルの中で脳を繋ぎ、ゲームマスタが命じるままに何度でも生死を繰り返す。生きながら死に、死んでは甦り、そのうちに彼らはなにもかもを失う。家族も友人も名前も、睡眠も食事も性も、自分自身さえ棄て去ったうるわしいいきもの。だから、生前は、という言い方をする。彼らはうるわしくも醜く、死ぬために死んだいきものだった。人間にとっては。
兵器の大半は身寄りのない子どもたちだった。これといって取り柄のない子どもは、ベルトコンベヤのごとく次々に兵器にされ、適性がなければ処分される。親を神によって亡くした子どもが関連施設に引き取られることもあり、この例が最近増えてきている。または、いろんな口はばったい理由で、親の手により子どもが研究所に投げ渡されることもあった。目金はそれぞれを一体ずつ備えている。子どもたちの中には時おり、自ら志願して兵器になるものがいて、そういう兵器は例外なく恐ろしく強い。目金も一体だけそれを持っていて、五回の適性検査の末にようやく手に入れたものだった。大っぴらにされてはいないが、適性が認められた子どもを売り買いすることもあり、目金はそれも一体持っている。
目金に向けて振り下ろされた神の手のひらを、横から突進してきた12が真横にはじく。反動で後ろに跳ね返る12のからだが、もう片方の手のひらに薙ぎ払われて地面に激突した。脳に激痛が走る。12は少女の姿をしている分、他の兵器より守りが薄い。12の骨に反応がないことに歯噛みしながら、目金は痛みをこらえて別の骨を撫でた。動かない12に向けて振り下ろされる拳を、下からすべりこんできた5が間一髪受け止める。防御型の5はちょっとやそっとでは崩れない。その隙に8が神の足を払い、体勢が崩れるのと同時に5は身を翻し、12を抱えて横へ飛んだ。倒れながらなお追いすがる神のしろい手を、上空から落下してきた3がからだで叩き落とす。奇妙にたわんだ腕は3をはじいて縮み、神は全身をしならせて新たな腕を生み出した。背中から生えた腕の、しかしそれより高く跳躍した7が、ながく伸ばした髪を刃物に指の先から腕の付け根までを真一文字に切り裂く。嗚咽のような神の悲鳴。
脳の奥をゆさぶられ、目金は次はこらえきれずに嘔吐する。神の発するすべては、人間にとっての害悪であり、名ばかりの神に人間は憎悪と憎しみを募らせていく。昔はこうではなかったと聞いていた。くちびるを拭い、わずか咳き込んで、目金は奥歯をくいしばる。目金の使う兵器たちは強く速く優秀だが、それでも神には敵わないと思い知らされる瞬間がある。神は人間を創り、そしてころす。人間には到達できないようなはるかな高みで、神が、そう決めたのだ。
腐り落ちる腕を捨てて神は跳躍した。しろく燃える超新星のごとく、落下は一瞬だった。目金がまばたきをする間に飛来した3が、そのてのひらを壁のように広げて神を押し戻している。さらにそれに5が加わる。二体の圧力に耐えきれず、すさまじい衝撃波とともに空に跳ね返された神は、さらに一呼吸の間に無数の腕を降らせた。伸び来る掌と指のアイオンを、しかし、素早く迎撃体勢に入った7の声なき一喝が蒸発させる。そのとき、目金の腕で12の骨がかたかたと震えた。はっと顔をあげると、すでに12は神に挑みかかるところだった。神の頭上を飛び越しざま、両腕を後頭部に触れさせる。とたんにその部分がざわりと波打ち、神の体内のどこかがはじけた。うつろな両目からあかぐろい闇がこぼれる。痛みからかやみくもに振り回された腕を、鋼の鞭のように変化した8の脚がカウンターで迎え撃つ。右腕をなくして神はしろいからだをよじった。切り落とされた腕は地面で腐る。
昔むかし神は神だった。世界を創り、いのちを生み、光を与え、すべての魂を迎える存在だった。今は違う。目金が吠える。それと同時に兵器たちは全力を振り絞る。神は害悪だった。神は世界を滅ぼし、人間をころし、光を奪い、なおも蹂躙する。絶望と憎しみを、その世のすべてだと、まるでそればかりを、高らかに歌うように。血と臓腑を撒き散らして神は叫ぶ。思わず身構えた目金の前に、その嘆きからかばうように3がふわりと降り立った。鼓膜を焼くその声が、目金にはまるで届かない。神の発するすべては人間にとっての害悪。「生前は」人間「だった」兵器に、神の言葉は聞こえもしない。生前は、という言い方をする。生前は、彼らは、ありとあらゆる手段で世界に嫉まれた子どもたちだった。今、彼らは、ありとあらゆる手段で世界を守っている。何度も何度も死を迎え、そのたびに、失いながら。3は肩越しに振り向き、目金を見て、そっとわらう。その瞬間、目金の耳に音が戻った。
拳を握った7が神の側頭部を思いきり殴りつけ、ぶわんと震えた片腕を5が押し返した。抗いきれずに後ろに振られる神のまっしろな胸に、長く鋭い槍に変型した8が深々と突き刺さり、さらにそれを3が押しこむ。悲鳴を上げようとした神ののけぞった喉を、背中から回り込んだ12が自らのからだで突き破った。どうっと洪水のように血が溢れ出す。神は抵抗するようにからだを痙攣させるが、地面に繋ぎ止めた8がそれを許さない。やがて神は徐々にその動きを弱め、ゆっくりと息を吐くように崩れ去った。神の残す透明な砂は外気に触れると同時に消えていき、そしてまたどこかでからだを結ぶ。死んでふたたび蘇った、昔むかしのジイザスクライストのように。そうして何度でも世界を滅ぼす。蘇る限り、何度でも。目金は腕を下ろした。兵器たちが集まってくる。12の右腕と右足が奇妙な形に歪んでいた。彼らはこのあとも苦しむことになる。
目金はそっと12の骨に触れた。12は顔をあげ、なんでもないようにほほえむ。目金の顔に手を伸ばし、ほほの汚れを拭うようなしぐさをした。兵器は人間に触れられない。それでも、それを忘れられないように(、あるいは、忘れたくないように)、彼らは時おりこのようなしぐさを見せる。神をころすことは人間では不可能で、神をころすために、兵器は死を繰り返して神へと近づいていく。それなのに彼らは人間を捨てない。捨てることをしない。目金はうつむき、兵器とのリンクを強制的に切断した。兵器にはあらかじめ優先順位がプログラムされていて、その一番上はいつも神をころすこと、だ。ゲームマスタを守ることはそれよりも下に置かれている。それなのに彼らはいつでも必ず真っ先に目金を守る。どんなに危険な状況でも、そのために腕や脚をなくしても。12の状況は芳しくない。どうか。目金はうつむいたまますこしわらう。今さら誰に祈ろうというのだろう。そんなことでは、もう、誰も救われない。

生前は、人間だった。
風が吹いて彼らの骨を海へ運ぶ。










勝利者の御旗の蒼けれど
目金。
舞城パロ。
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