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女性向け11文章ブログ。無印初期メン多め。 はじめての方は「はじめまして」に目を通してください。
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点というもののことについて、あの教師は熱心に語ったことがある。例えばグラフ上に一個の任意の点を置くとする。目の前にひろげたグラフ用紙に、いつも胸のポケットに差し込まれているペンで点を打ちながら彼は言った。数学上この点には大きさがない。質量も面積も方向も、位置以外の情報をもたないものが点であると、ユークリッド幾何学では定義されている。ゼロ座標をはさんだ対角線上にもうひとつ点を打ち、彼はすうとその二点をつないだ。点は位置以外の情報をもたないが、点が集まれば、このように線になる。線が集まれば面になり、面が集まればそこに高さが生じる。ゼロ次元から二次元、三次元へと展開されていく。なんの力ももたない、面積さえもたない点からだよ。教師は自嘲気味に、せき込むようにわらった。しかしこれが別の媒体では。スクリーンセーバがうねうねと動いているディスプレイを教師は人差し指の爪でついた。点はドット、すなわちなんらかの方法で電子上に固定された、ひとつの量子として定義される。一ドットは画像の最小単位だ。ユークリッド幾何学の定義とは違って、ここでは点は質量をもつんだよと、教師は椅子に深々ともたれた。ドットという概念、電子上に固定された量子としての点とその集まりがなければ、君たちの携帯なんかおもしろくもおかしくもないただの道具だよ。不思議だよなぁ。不思議だろう。なぁ。そこで教師は彼に同意を求め、彼はなにも言えずに目を伏せた。くつくつと教師はわらい、君にはまだわからないだろうなぁ、わからないよなぁと言った。二点を線でつないだだけのグラフ用紙を、丹念に丹念に教師は破った。こまかいかけらをぐしゃぐしゃに丸めて、きたないものでも見るような目でそれを捨てた。私も君も点にすぎない。人がなにかをしようなんて、馬鹿げていると思わないかね。だけどなにかを成そうと必死になることが、私にはとても大事なことなんだよ。いつか。いつでもいい。君にならわかってもらえると思っている。
騒ぎが起きたのは、その数日後だった。冬海は結局教壇を追われ、あとにはくちさがない噂だけが澱のようにのこった。いやな教師だったろうけど、冬海はたぶんひとりだったのだ。誰かのためのようなふりをして、だけど。あの日の祭りのような騒ぎの中で、影野はそれがこわくてたまらなかった。なにかを見つけたに違いないあのひとのけもののような目が、たったひとり立ちつくす影野の上をかすめて行った。なにを見つけたのだろう。居場所でも見つけたのだろうか。教えてくれればよかったのに。ずたずたに捨てられたグラフの、二点をつなぐさびしい線を、冬海は手ずから引いたのだった。どんな思いで。今さらなにを言うわけでもないけれど、叶うなら理解はしてみたかった。ひとつだけ打たれた点にあのひとが見いだしたものを見たかった。いつかわかるよなんて、そんな言葉であのひとさえも濁した答えを。






動物の謝肉祭
冬海と影野。
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ばぢぢ、と誘蛾灯にさそわれた虫が火花をちらしている。夏のコンビニの入り口にはそれなりのひとがそれなりの格好でむらがってきて、そこはまるでピラミッドであらわされる弱肉強食の縮図のようだ。生産者は駆逐され、はげたかのような目をした若者ばかりがそこに居すわって動かない。その片すみに染岡と宍戸はだらりと足をなげだしてすわっている。腰ではいた宍戸のジーンズがひざのところでしわになって、そこにきしょくのわるい柄の蛾がいっぴきひらりととまった。びゅうびゅうと通りすぎていく道路のヘッドライトを見たまま動かない宍戸のかわりにそこを染岡ははらってやる。なんすか。虫。あーあざっす。お前いつ帰るんだよ。まぁ、気がむいたら。きひひ、といかにもつくりわらいくさくわらって、宍戸はまたとおくを見たまま動かなくなる。トイレの電球が切れたから買ってこいと無理やり千円を握らされて家をおいだされた染岡が、たまたま立ちよったコンビニの入り口ちかくに宍戸がすわっていた。だらだらのくろいTシャツからのぞく腕がおどろくほど不健康にしろくて、思わず声をかけていた。宍戸は驚いた様子も見せずに、ちす、と染岡に首だけであいさつをする。入り口にたむろする、染岡さえコンビニに入店するのを躊躇してしまうような連中とははなれた場所で、たったひとりなんにもせずにすわっていた。大量のおつりから百二十円拝借して、やすいソーダ味のアイスを買ってわたしてやるとやけに恐縮して、それでもいただきますと頭を下げた。宍戸のとなりに染岡は腰を下ろして、こちらはコーラ味をがりがりと食べる。先輩なにしにきたんすか。買い物。それっすか。おーまじ迷惑だよな。袋にはいった電球はかるすぎて、ずっと手にもっていないといつの間にか落としていそうだ。お前いつ帰るんだよ。アイスを食いおわってもなお、宍戸はその場を離れようとしなかった。染岡の方を見もせずに、先輩俺のことは気にせずに帰ってくださいと言う。俺まだしばらくはここにいるんで。なんでだよ。なんでっすかねぇ。あぶねーだろ、なんか、ユーカイとか。ユーカイって。うつむいて宍戸はすこしわらう。ぜってーないっすよ、こんなモジャモジャ誘拐しますか。そーゆー言い方したらアレだけどよ、でもあぶねーだろお前。宍戸の腕はほそい。目金の運動をきらうための不健康なほそさや、土門や影野の二次成長途中のほそさとはまた違うふうにやせている。あぶないっすかねぇ。いかにも興味なさそうに言いながら、宍戸はポケットの中をさぐる。パッケージのよれたガムをつかみ出して、いっこどうぞ、と染岡に手わたした。あまくべたついた口のなかに、みどりいろのそれはことさらすっきりとつめたく、だけど宍戸はそれを口にしようとしなかった。お前くわねーの。アイス食ったからいいっす。なんでだよ。なんでっすかねぇ。そう言いながら宍戸はごそりと足をちぢめて、抱えたひざのうえにあごをのせる。なんでっすかねぇ。まるで夢でもみているような口調で、宍戸はゆっくりとくり返す。答えたくねーのか。答えられるようなことがないんす。全部お前のことだろ。そうなんすけど。宍戸のくちびるのはしがそっとつりあがる。そういえばこいつはいつもなんとなくやさしい顔をしている、と染岡は今さらのように思った。しろい腕に誘蛾灯の光が映えておかしな色になっている。先輩もう帰ったほうがいいっすよ。その言葉に染岡は手を伸ばして、宍戸の腕をつかむ。引っぱって無理やり立たせた、そのからだがかるくておどろいた。宍戸は腕を掴む染岡の手をじっと見て、俺先輩に言えることなんてなんもないんすよ、と言った。誘蛾灯に照らされたなだらかな宍戸の肩が、いつもよりずっとたよりなく見えてなきたくなった。びゅうびゅうとヘッドライトが通りすぎていく夜の街の、宍戸はどこを見ていたのだろう。なにもいわなくたっていいと思うことが、どうして自分にはできないのだろう。食物連鎖のピラミッドからはずれたむらさきの丘では、オレンジいろをしたひつじがひとりぼっちで草を食んでいる。





むらさきの丘
染岡と宍戸。すいませんハイパー宍戸タイム継続中でした。
宍戸のさびしさを汲みたい染岡。影野が無意識にすくってしまうものを、染岡も理解したいと思っている。感じで。
スニーカーのつま先がやわらかいものにくい込む感触が足首をゆらす。土門はつま先をそこにつき込んだまま、ぐりぐりと足首をひねった。学ランがそれにあわせてらせんのようにねじれ、くるしい息がそのそばでひとつだけした。ちいさな呼吸がつま先をふるわせるのがまた気にくわなくて、足を上げて今度はそのあたまを横にかるくけとばした。無抵抗にしめった土にほほを押しつけるように倒れた、そのあたまに遅れて髪の毛がかぶさって、さらにスニーカーの底でそのほほをかるく踏んづけてやる。またにじるように足を動かすと、顔と靴底のあいだで髪の毛がぐしゃりとよじれた。ね。土門はみじかく言う。もうサッカーやめなよ。お前、正直むいてないよ。ひゅうひゅうとほそい呼吸が耳に届いたので、顔を踏む足にすこしだけ力を込めてやる。ひくくうめくような声がひらきっぱなしのくちびるからこぼれて、ね、と土門は口調ばかりやさしく、さとすように言う。俺がいるからもういいじゃん。人数あわせの必要なんてないし、チームはもうできてるだろ。だから。地面になげだされたそのしろい手が、ちからなくしめった土をかく。顔から足をはなして、今度はそちらをかかとで踏みつけた。つーか俺もこんなことしたくないけどね。学ランの至るところに足あとをつけておきながら、この言いぐさはさすがになかろうと土門は内心わらった。したくないけどしちゃうんだな、これが。確か最初はなぐってやって、手がいたいしよごれるからいやだな、と思ったのだった。お前ばかだろ。シカトしてればいーじゃん(それでもぜってーやるけど)。ぐったりとしてうごかない足のしたのチームメイトをさめた目で見おろして、土門は理不尽なことをしゃあしゃあと言ってのける。どんなひどい目にあってもなお、呼べばかならず来るのだ。この男は。このくらくしめった部室裏に。今日はまず一発腹を蹴ってやって、それがいいところにクリティカルヒットしたらしく、くずれ落ちてせき込んだ。それがうるさかったのでもう一発おなじ場所を蹴ってやって以下略。最初に顔をなぐったときに、盛大に鼻血がでてそれに手をよごされてから、土門は顔はなぐらないようにしようと思い、また実際にそうしている。それでもどこをぶっても蹴っても、この男はおおむねおなじような反応しかしない。おこりもこわがりもしないし、いたがったりなんかは、特にしない。ただただひたすらこらえるように、ぐっと声さえも飲み込んでしまう。今にもきえそうな呼吸に、いきてるー?と土門はかるく足を蹴る。ぴくりともからだはうごかないが、それでもあのながい髪のしたで、目がたしかにこっちを見た、と思った。影野はいじめ甲斐がない。全くない。髪がじゃまで顔も見えないし、ぶあつい布団にくるんだ象みたいに反応も感覚もにぶい。さらには言葉まで足りないので、ぶったり蹴ったりの相手としては、物足りないことこの上ない。しかし土門は別に、影野のおびえる姿やいたがる姿を見たいがために、わざわざ暴力をふるってやっているわけではない。ただ単純に、したいからそうしているだけだ。ぶってやりたい蹴ってやりたい。ただそれだけのことだ。サッカーのことなんて口実にすぎない。たしかに能力的には、土門はおろか一年生にもおとる体たらくではあるのだが、影野が部をやめようがやめなかろうが、土門にとっては今さら、なにひとつ関係ない。
影野の顔をのぞきこみながら、サッカーそんなにすきなんだ、と土門は言う。影野はなにも言わない。もう言葉を発する元気すらないのかもしれない。俺もすきだよ、サッカー。へたくそがサッカーするのを見るのはきらいだけど。ごめん。影野がようやく口をひらく。あれだけ手ひどくやられながら、それでも謝ったりするのだ。別に謝ることなんてねーし。でも。土門はにっこりとわらって、影野の顔に自分の顔を近づける。俺のことすきって言ってくれたらゆるしてあげてもいいよ。顔を近づけると土の有機的なにおいがして、あまりにも不愉快だったので土門はもどしそうになった。その言葉に影野はあらく息をしてから、言わない、ときっぱりと言った。絶対、言わない。今までに聞いた、両手でかぞえられそうな影野の言葉のなかで、その言葉はひときわ意志的に清廉にひびいた。つよすぎて、はっと息を飲んでしまうほど。影野は土門が呼べばかならず来る。なぐられようが蹴られようが、かならず、来る。なのに。あまりにもくっきりと残ってしまったそれを消してしまうように、土門は影野を引きずりおこして、その顔を思いきりなぐった。ひじのあたりまでがしびれるようにいたんで、手をはなすと影野は地面にどさりとくずれた。俺のどこがいやなの。髪の毛がひどく土にまみれて、耳のしたから首筋がしろくのぞいている。血の気のひいたそのラインがくっきりと網膜にのこり、今日のオカズはこれにしようとふと思った。こういうとこが、いやなの。なんと答えられてもうれしくないに決まっているが、土門は聞かずにはいられない。手を取ることができなければ、あとは傷つけるほかに道はない。しかし傷つければ傷つけるだけ、影野への口にだせない思いは募るばかりで、はけ口を求めて渦をまくそれが、今ではどうすることもできない。なぐったところで消えるわけがない。そんなものが。そんな風には。影野のくちびるのはしがきれて、あかいものがにじんでいた。土門は顔をゆがめる。顔は傷つけたくないと思っていたのに。影野はその問いには答えず、授業がはじまる、とほそい声で言った。予鈴がふたりの耳をおおって、土門は影野の髪の毛を踏みつけた。いかないで。その言葉に、影野のつめたい指が髪の毛を踏む足首をやわらかくつかむ。そのとたんにまわり続けていた渦が、ぴたり、と凪いだ。俺おまえのことすきよ。泥だらけの髪の毛を踏みつけたまま、ふるえる声で土門は言った。足首にまきついた影野の指の感触は、ひどくよわくてたよりなかった。しってる。影野がそう答えたときに、耳から首筋にかけてのラインがひきつるようにうごいた。そこは抜けるほどしろかった。もうどうしようもなかった。渦がまたまわり始める。ごうごうと音をたててまわり始める。いっそ飲み込んでしまえばいいと土門は思った。声を飲み込んでうずくまる、影野のしろいしろい背中のように。






スピラ
土門と影野。バイオレンスかつ変態くさい話。
近すぎるがゆえに近づきすぎることをそれぞれがものすごくおそれていて、なんとか線引きをしたいけれど、こんな風にしか結局はならないのだと思います。
いいんですかーもったいない、と彼女は言った。彼のながいながいやわらなか髪の毛を、うなじのあたりで手ぐしでとかしながら。男の子でこのながさってあんまりないですよー。すっごいかわいいなーって思うんですけど。いいんです。影野はゆっくりと息をはきながら言った。姉にすすめられたヘアサロンは、普段よく行くやすい床屋とはちがって、なにもかもがあかるくはなやかですこし息苦しい。このひとにしなよともらった指名用のカードには、めがねをかけたわかい女のスタイリストの写真が印刷されていて、それとおなじ顔が鏡ごしに、影野のながい髪をさらさらとすいている。でも全部きるのはもったいないなー。ほんとにきっちゃうの?心底もったいなさそうな口調の彼女に、影野はやはり鏡ごしにうなづいた。そっかーお手入れも大変だもんね。名残惜しそうにもう一度髪の毛をすいて、先にあらっちゃうんでこちらにどうぞ、とまっかな椅子がぐるんとまわされた。卒業したら髪をきる、というのは、入学したときから心に決めていたことだったので、いざその日を迎えても特別な感慨なんてものはなかった。ざぶざぶと影野の髪をあらうわかい男のひとの耳に、ごついゴールドのリングピアスがゆれている。量がおおくて大変だろう。考えるのはそんなことばかりだ。ふたたび鏡の前にすわった影野に、ほんとにきっちゃうけどいいの?と彼女はもう一度たずね、お願いしますとなるべくきっぱりと影野は言った。そう言われると彼女の指に迷いはなく、はさみがざくざくと髪の毛を切り落としていく。肩のあたりまでみるまに髪は落とされて、ここのくらいがかわいいかなと、腰にベルトで下げた皮のポーチから、彼女は別のはさみを取りだした。前髪も、おなじくらいで。あらかた量を減らしおわったあと、影野はしっとりとぬれたまま残された前髪のことをようやく口にだす。そこにはさみを入れながら、口数すくない影野にあわせてか、彼女は姉の話をした。影野さんいつも弟さんのことはなしてるよ。かわった子なんだーって。すっごい無口で全然しゃべってくんないって、文句みたいなこと言ってたし。そうですかと影野はまっしろな壁にかけられた、太陽と月のレリーフのようなものをながめながら、あいまいに返事をした。やけに前衛的なレリーフのまわりには、いくつもの額がかけられている。その中にひとつだけ、色あせたふるい写真が入っていた。じゃあ前髪ととのえますねと、くいとあたまをおさえられて鏡の方を向く。その鏡のむこう、しろいソファとガラスのテーブルがしつらえられた一角、そのソファのひじかけの横に、ちいさな花瓶のようなものがおかれている。複雑な木の葉のような模様と、しろに近いグレイのうつくしい色合いのそれを、薄曇りをへだてたおおきな窓ガラスがうつしている。じゃあもう一度シャンプーしますねと椅子を立ったとき、あたまが思った以上にかるくて驚いた。さっぱりしたでしょと彼女はわらい、影野はだまってうなづいた。首のうしろがすかすかとたよりなく、肩のあたりで毛先がゆれて、このひとはあのながい髪のなにがもったいなかったのだろうと考える。誰にもなんにも言われなかったからのばしていただけのあのながい髪を、今さら誰が惜しむというのだろう。前髪の毛先があごのあたりにしっとりとまとわりついて、椅子のしたにはながい髪がぐるぐるととぐろを巻くように落ちていた。それがあまりにもたくさんで、これをすべて惜しんでいたら、死ぬまでかかってもとても足りない。そんなことを考えているうちに彼女の手が背中をおした。あのわかい男のひとはやはり無愛想に影野の髪をあらう。ごつごつと節のめだつ手が影野のあたまをしっかりと支えたとき、ゴールドのリングピアスがやっぱりゆらゆらしていた。前髪ながいね。シャワーの合間にそんな声がして、その声は、みじかくしたらいいと思うけどと続けた。影野がなにも答えずにいると、ながしまーすと棒読みのようなセリフが鼓膜をはじいた。つよいドライヤーですぐにかわいた髪はおどろくほどみじかくなっていて、うん、かわいくなったねと彼女はにっこりした。これでお姉さんもよろこぶと思うよ。なにか言ってたんですか。うっとうしいからきれきれって、前からずっと。あたしがきろうかって言ったら、すっごく喜んでた。彼女の指には指輪がはまっている。ほそいくろいラインがまんなかにぐるりとはしった、シルバーの指輪を左手の薬指につけている。帰りぎわにあの花瓶をそっとのぞきこんだ。底のほうはくらくてよく見えなかった。それタイで焼かれたんだよ。シャンプー台のそばにぼさっとつっ立ったあのわかい男のひとが、影野をじっと見ながら言った。アシンメトリのみじかい髪は、半分だけしろっぽいきんいろに染められている。片目をおおうくるくるとした前髪はくろく、その奥の目が奇妙にふかい。あの写真の。壁にかけられたふるい写真を彼はさす。あそこでつくられた。だけど影野はそこを見ることができず、そのまま逃げるように金を払って店を出た。お姉さんによろしくねと左手の薬指に指輪をはめたスタイリストはわらい、そのうしろではやっぱりあの男が、なんにも言わずにあのふるい写真をながめていた。
店を出て、窓ガラス越しにあの花瓶を影野は見た。タイで焼かれたという、ふるくてごつごつとしたそれは、どこにでもありそうなただの花瓶でしかなかった。ガラスのむこうで、ながい髪をそうじしているあの男が見えた。ちりとりに入りきるだろうかと影野は的はずれな心配をして、その心配が届いたのか男は影野を見た。びくりと逃げ腰になるが、ガラス越しに男はかくかくと手をふった。無表情のままだったのでそれがすこしおかしくて、影野は手をふりかえした。ガラスには今まで見たこともないような自分がうつっている。その足元には花瓶がすけている。空はどんよりと曇っていて、ああと影野はマカロニアンのつま先を見た。前からそうしようと思っていたのに、なくしてしまったとたんに落ちつかなくてしかたがない。前髪の下から手を差し込んで、うすいまぶたを影野はなでる。歩きだそうとしたそのとき、影野、とうしろから呼ばれた。ふりむくと染岡がおどろいた顔で立っていて、お前髪どうしたんだと言った。きったよとそっけなく言うと、うわーまじびびるわー急に何してんだよーと染岡はいろんな角度から影野をのぞきこむ。影野はふと店のほうをみた。さっきの男は、すこしだけ染岡ににている。さわってもいいか、とことわってから、でも似合うよと影野の前髪に触れながら染岡は言った。高校三年間、染岡は坊主をつらぬきとおした。中途半端にきるくらいならいっそ坊主にしてしまおうかと、昨日まではそう思っていたのだ。あの男の言うように、この髪もみじかくしてしまえばよかっただろうか。そうしたらもっとかなしかったりむなしかったり、この感情をなんらかの形におさめることができただろうか。きっと姉はよろこばない。ああでもなんかもったいないなと染岡さえも惜しむように言った。俺あのながい髪もすきだったけど。スタイリストがきることをもったいながった髪を、あの男はもっときればいいと言った。このただながいだけの髪を、今さら誰が。男の節のめだつ指には、あのスタイリストとは別の指輪がはまっていたが、ゴールドのリングピアスは右耳だけについていた。染岡。ん?お金がすこしたまって時間ができたら、タイに旅行に行こうか。影野がそう言うと、おーいいなータイ。あちーだろうなーと染岡はわらった。わらうとあの男とは、にてもにつかない。ガラスのむこうではあの男が、ふるい花瓶をていねいな手つきでみがいている。きっと二度とこのヘアサロンに来ることはない。もうすぐこの曇り空ともお別れだ。今年19になる影野の、どこかとおくとおくで迎える誕生日と3月2日の空模様。






うす曇りの昼スワンカローク窯にて
影野。未来捏造。きっといずれ彼は髪をきると思って、それはあの街をはなれるときだろうなぁと思ったのです。
あとなんか変態くさい感じですね。すいません。18の影野と染岡とか、たぎらないわけがない。
続きに22話感想
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